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41~60

41.寝起きはいい方ですか。


 寝つきは悪いし、寝起きも悪いです。


42.普段の生活はどのような感じですか。


 朝起きてご飯を食べて食器を洗い、身支度を整えて出勤、シフトにもよりますけど午後九時頃に仕事を終えて家に帰って、そこから軽めの晩ご飯を食べてお風呂に入ってするうちに午前零時近くになるので、寝ます。洗濯や掃除は週末にまとめてやります。


43.最近、嬉しかったことはありますか。


 週末に散歩していたら小型犬に飛びかかられて、すぐに飼い主が引き剥がそうとしたのですが小型犬は私の足を抱え込んで離れず、結局犬は私のジーンズにぺたぺた足跡をたくさんつけてから満足したらしく足を離し、飼い主さんはそれはもう恐縮至極といった様子で私に謝って、私は特に気にしていないと言って、それからチワワですか、と尋ねました。飼い主はまだ中腰で謝る姿勢を取りつつも、ええ、最近飼い始めたんです、と笑顔で言いました。犬の名前を尋ねると、レオ、と飼い主は答えて、それが昔、祖父母の家で飼い始めた柴犬と同じ名前だったんです。私の家のレオも近寄れば錯乱したように私の足に飛びついてくる習性の持ち主で、私は運命のようなものを感じ、見知らぬ土地で知人に会ったかのように嬉しかったです。ちなみに、レオという名は、ジャングル大帝レオを愛読していた小さな私が、柴犬なのに? と半笑いの祖母を押し切ってつけた名前でした。成長して思うに、大帝のほうのレオはライオンなのだから猫に近いのに、しかもまったく似ていない柴犬に迷いなくレオと名づけた私のネーミングセンスを疑います。でも、その頃の私の中では一番しっくりくる名前だったんです。祖父も、そうか、と短く言いながら、笑っていたような気がします。たしかに笑っていたと思います。その微笑が他の何より私を得意にさせて、レオ、レオ、と連呼させたのだと思います。さすがにもうレオは死んでしまいましたが。

 レオの飼い主とはそれから少し犬について話し込みました。私は人見知りだし、職場では固定された人としか話さないので、貴重な会話だったと思います。


44.最近、困ったことはありますか。


 最近、仕事で手痛いミスをしてしまって。利用者をホームに迎えた時なのですが、車から降りてくる利用者を一人、また一人と駐車場からホームの玄関先まで手を取って送っていて事件は起きました。普通、利用者をホームの玄関まで誘導し、椅子に座らせて靴を脱がせスリッパに履き替えさせるのですが、私が手を引いた方は非常にかくしゃくとした方で、いつも靴の脱ぎ履きぐらい自分でできると言って本当に自力で済ませてしまう方だったこともあり、その日は小雨が降っていたので玄関先まで誘導した後はその方の自力に任せて私は次の利用者の誘導に向かってしまったんです。すぐに悲鳴がして、利用者をいったん車に戻して玄関先に駆けつけてみればさっき自分でやると言った方が横ざまに倒れていました。話を聞くと、靴を履き替えるために上げた足が思ったより上がらず、そこから、無理やり靴を履こうとしたのでバランスを崩してしまって転倒し、その際庇うように差し出した右腕を強打したらしく、それがたいそう痛いと言うのです。彼の袖をまくり上げ腕を見てみると予想通り内出血していて、しかもたいして腫れあがっていません。私はもうこの時点で青ざめていました。ほぼ間違いなく骨折です。しかも利き腕の骨折です。高齢者は骨折すると一気に筋力が落ちて、などと何の役にも立たない学術的な考えで頭がいっぱいになって私は軽いパニックになってしまって、すると同僚が救急セットを持ってきて処置してくれました。他の部位を打っていないか確認して、私は同僚たちに手伝ってもらって共有の車に男性を乗せて病院へ走りました。医者の言うにはやはり骨折で、治るまで腕にギブスを当てて生活するしかなく、老齢なので安全面を考え入院させる、とのことでした。その場でまず男性の家族に電話して事情を説明して詫び、それから上司に連絡を入れました。上司は了解した、戻ってこいと言いました。問題はその後です。

 身の回りの物を購入して男性に渡し、もう一度謝ってから私はホームに戻りました。予想通り、上司の雷が落ちました。怒られるのは当然のことなので私は黙って聞いていました。ところが、それから上司は私の以前の失敗、済んだ話を蒸し返してきて、最終的には私の性格を非難し始めたのです。さすがにそれはパワハラなので抗議したかったのですが、口答えすると反省していないと言い返されるのが常なので私は黙っていることしかできませんでした。雨は止んでいて白々しいまでの陽の光が部屋に入ってきていました。上司が私の辞職云々まで話を広げていった辺りで同僚が助けに入ってくれて叱責は止みましたが、私はただただ惨めな気持ちでいるしかなく、そしてその骨折の一件以来、上司が露骨に私に冷たくするようになり、その空気が感染したのか同僚たちもどこかよそよそしく私に接するようになってしまって、今の職場にいるのがつらくなってしまって、それで転職も考えているのですが今の年齢を考えると転職先もそう簡単には見つかりそうになく、ものすごく困っています。


45.ストレス発散法は何ですか。


 瓶や食器を割ることです。小学五年生の時、ベランダ掃除を終えて教室に戻ると男子が先生用の机を取り囲んでざわついていて、様子を窺うに机の上に置いてある花瓶を野球のまねごとをしているうちに箒バットで倒し、その口の縁が欠けてしまったようで、私は男子って馬鹿だなと思ってそのまま教室掃除を続けて掃除終了後迎えた五時限目、先生が縁の欠けに気付いて犯人捜しを始めたんです。どこの小学校でも同じだと思うのですが、初めはみんな沈黙です。それから先生の声の調子が厳しくなっていって教室の雰囲気もどんどん険しくなっていって、やがて耐えきれなくなった一人の男子生徒が挙手しました。そして、あの群れていた男子のうちの誰かではなく、私が犯人だ、と先生に告げました。ベランダ掃除から戻ってきた際勢い余って机にぶつかり、花瓶を倒した、と言うのです。私はびっくりしてしまい、目を見開いたまま固まるしかなかったのですが、あの場にいた男子が二人、三人、と私を犯人に指名し、ただ呆然とするしかない私の様子を先生は肯定と受け取ったのでしょう、私は立たされて釈明しろと命令され、そして、かろうじて私は犯人じゃないと言いました。けど、誰も信じてくれないんです。いえ、本当はクラスのみんな、もしかすると先生も私が犯人じゃないと知っていました、なんせあまりに内向的ですから、けど、どうしても犯人は必要で、どんな方法であれ犯人を指名すれば誰かと誰かの間に摩擦を引き起こします、だから友達のいない私が泥を被ることになったのです。私は悔しいやら恥ずかしいやらよく分からない感情を、だけどぐつぐつと沸騰するような感覚を感じ、冤罪を受け入れる代わりに、私には珍しい行動に出ました。

 縁が欠けた花瓶を、割ったのです。私は皆が座っている座席の間を水の流れるように進み、先生用の机に置いてあった花瓶を両手で掴み、思いっきり床に叩きつけたのでした。花瓶は繊細な音を響かせて散り散りに割れました。そして私は先生に、「ごめんなさい、私が割りました」と告げました。教室は電源を落としたかのように静まりました。私がもう一度、「ごめんなさい、私が割りました」と言うと、今度はすぐに森の中のような喧騒となり、まだ狼狽気味の先生がまずはクラスのみんなをうるさいの一喝で黙らせ、それから私に奇妙な猫撫で声でご機嫌取りのようなことを言い始めたのですが私は無視して自分の席に戻りました。席に座った後、五時間目の授業中ほぼ全時間、私は花瓶を振り下ろした時の腕への負荷と、鼓膜に響いた高くて繊細な音を反芻していました。私は奇妙なまでに平静でした。心が澄み渡っていたのです。それが私の感じた初めての快感、砕けて言うとストレス発散法だったんだと思います。

 社会人になってからは、ストレスがたまると百円ショップで皿やガラス瓶を買い、割っています。


46.好きな本は何ですか。


 いろいろあるんですが、今思いついたのは『巌窟王』です。正しくは『モンテ・クリスト伯』ですが、原著のほうは長いので読んだことがなく少年少女向けの『巌窟王』を読みました。筋はだいぶ忘れてしまっていますが、牢の中でひたすら忍従し、それから詰将棋のように行動してかつて自分を嵌めた人物を誅殺していく。鬱屈ののちの解放というある種の勧善懲悪をベースにしていて、日本人的に合うのかもしれません。でも、復讐を空しく感じるラストはいまいち理解できません。さっきの花瓶の話、未だに釈然としませんし、もし真犯人が分かるのであればそいつにビンタの一発でも食らわせてやりたい気持ちは今でもあります。記憶とは感情を保存する装置なのかもしれません、プラスもマイナスも併せて。


47.作家では誰が好きですか。


 ドストエフスキーです。『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』ぐらいしか読んだことはないですが、やたら自意識過剰なのと、まるで日照時間の少ないロシアの冬のような暗さを全体に感じて、そういう雰囲気が好きです。トルストイが光だとするとドストエフスキーは闇だと思うんです。なんとかの恋人だったか、非常に抒情的な優等生な物書きだったのが、おそらく反体制の結社に参加して政府に殺されかけたのが強烈な体験として残って以降深い水底の泥のような作品に路線変更する力になったんだと思います。私も鬱屈していて共感するのですが、でも最後はなんでもキリスト教で解決されてしまうのに少し不満を感じます、やはり彼の言うように土壌が違うのかと。私は生活教の神を拝めばいいんでしょうかね。


48.好きな映画は何ですか。


 映画はあまり見ません。思い出があると言うなら『ローマの休日』でしょうか、祖父がやたらと見ていて、なんでもオードリー・ヘップバーンが好みらしく、嫁さんにしたいとしきりに言っていました。それをおばあちゃんの前でも言うので、私はデリカシーに欠けた祖父があまり好きではありませんでした。けれど好きという感情は人を丸くさせるのか、『ローマの休日』を見ている祖父はにこにこと笑顔で人当たりもよく、幼い頃の私は祖父にずっとその映画を見ていてもらいたかったものです。上機嫌な祖父はよく「お前はオードリーみたいなべっぴんさんになるぞ」と私に振り返って言いました。オードリー・ヘップバーンはたいそう美人ですから言われて悪い気もしなかったですが、今の自分を鏡で見るにただ思い付きで言っていたんだと思います。祖父は計画より行動が先に来る人で、海に行くと言えば隣県まで車を走らせ、ちょっと出てくる、と曖昧なことを言ったかと思うと友人と連れ立って京都に一泊して帰ってくるなんてこともざらにあり、私はいいですが祖母はとても困ったんじゃないかと思います。いったいどうしてそんな祖父の系譜にこんな退嬰的な私が連なっているのか、不思議です。


49.好きなみそ汁は白味噌ですか、赤味噌ですか、それとも合わせ味噌ですか。


 特にこだわりはないですが、赤味噌が濃いと辛いので少し戸惑います。職場で、利用者の食事としてみそ汁を出すのですが、やはり家庭ごとに味が違うものなので、辛いだの薄いだの文句が多く出ます。みそ汁の具にもあれを入れるなこれが入っていないと、実に多くの意見があって、人それぞれに来歴というものが、歴史と言ってもいいかもしれません、経て来た歴史が違うと文化的摩擦が必然的に生じるのだなと思いました。私も新人だった頃は具のリクエストを受け付けて万人受けするみそ汁を見出そうと努力していたのですが、今はそのメモ帳がどこに置いてあるかさえ分かりません。人の熱意もやはり経年劣化するものなのですね。今度メモ帳を探し出してみようと思います。そういえば美味しいと言われる喜びも、忘れていました。どうしてこんなにダメになったんだろう。


50.朝食はご飯ですかパンですか。


 ずっとパン中心の洋食で育ってきました。普段はトーストなんですけど、土曜日だけはパン屋のパンで、朝早めに起きて一家揃って市内のパン屋に買いに行くんです。様々な種類のパンがあってどれも美味しいのは言わずもがなですが、その一家揃ってパン屋へ買いに行くという行為が行事のようでわくわくして、私の中で土曜日の朝は学校で辛いことがあっても心の余裕を回復できるハレだったのだと思います。アパート住まいの今も時々自分へのご褒美にパン屋へ買いに行くのですが、子供の頃に感じた浮き立つような楽しさはもう一つ欠けているように思います。

 そういえば、祖父母の家では朝食はいつもご飯でした。祖父は何をおいても白米、という人で、どんなに急いでいてもその日炊飯器で炊いたご飯でないと気が済まない、というめんどくさいこだわりを持っていました。大変なのはおばあちゃんでした。祖父が朝早くに出る時はそれよりずいぶん早く起き、米を研いで炊飯器のスイッチを入れていました。おじいちゃんは無洗米なんて邪道だと言って頑なに拒否しましたし、自分で炊飯器のスイッチを押すことさえ拒みました、ごくごく単純な家事なのにそれは自分の仕事ではないというよく分からない矜持があったみたいです。私は心底おばあちゃんに同情して何度か私が代わりにやると言ったのですがおばあちゃんは孫は食べるのが仕事と言って聞かず、でも私も意地になっておばあちゃんと同じ時間に起きてご飯を炊くのを手伝いました。手伝いました、なんて、ただ研いで釜に水を入れてスイッチを入れるだけなんだから手伝うと言うのも大仰ですが、そんなちょっとした作業さえやらない祖父に、私は苛立ちを感じていました。もちろん祖父は怖い人なので直言することはありませんでしたが。


51.六十歳になったら、どのような感じになっていると思いますか。


 今が忙しすぎて六十歳の自分なんてイメージしたこともなかったのですが、偏屈で他人に嫌われる老人になっていそうで怖いです。それこそ、祖父のような。

 昔の昔、六十歳で定年退職した祖父は二種免許を取って個人経営のタクシーを始めたんです。なんでも個人経営のタクシーなら定年後も稼げると踏んでいたようで、日中は駅と駅との間の比較的交通量の多い道を流していたそうなんです。しかし現実はそんなに甘くなく、いたずらにガソリンを消費するだけで需要はほとんどなかったそうです。結局六十五歳でタクシー業を止めました。それからは家でゴロゴロ横になってテレビを見るなり無為な生活を始め、七十四歳で病気で入院生活に入るまでは時間の空費とでも呼ぶべき日々を過ごしていました。ただ、今考えてみると、仕事を終えていきなり老後の生活に放り出されて、どう過ごせばいいのか、分からなかったのかなと思います。近寄りがたい性格のために祖母と家に長く居るのも、どちらも気詰まりだったろうし、祖父としても気を遣った結果がタクシーだったのかもしれません。六十から六十五までの五年間が充実していたのかは本人に聞かないと分かりませんが、私が家庭を持ったとして、祖父のように自ら道を切り開けるか、少し疑問に思います。いいえ、かなり疑問です、こんな性格なので。


52.生まれ変わるなら何になりたいですか。


 身構えすぎることなく、かといってアホのようにべたつきすぎることなく、適切な距離感で他者とコミュニケーションできる人間になりたいです。それが無理なら人間以外の、単独で生活が成り立つ生物になりたいです。化学物質によって生活が決まるアリのような生物もいいですけど、働き潰される恐れもあるし、それじゃ今と大差ないような気がして。


53.どのような感じの音楽を聴きますか。


 音楽の種類なんてよく分かりませんが、いわゆるポップス中心かなあと思います。それは、私自身が主体的にこれを聴こうと思うことが少ないからで、受動的にテレビや何やらから聞こえてくる音楽を聴いているからで、あるいは職場でのお遊戯の際の童謡を一番回数多く聞いているような気がします。昔はよく流行の曲を聞いていたのですが、ショッキングなことに、中学生の時初めて買った音楽CDを友人に借りパクされてしまって、それ以降誰かとCDを貸し借りするという行為に二の足を踏んでしまい、音楽の世界がそれほど広がらないです。友人を恨みます。冗談です。


54.音楽家では誰が好きですか。


 バッハでしょうか。高校生の時音楽の授業で聞かされたG線上のアリアが、とても心が洗われると言いますか、何とも言えない心地よさがあって、神聖で荘厳な気持ちに自然となり、背筋が伸びると言いますか、母が自分の葬式にはG線上のアリアをかけてくれと言うのも分かる気がします。音楽で感動したのは初めてで、バッハという名前は憶えました。ただその一曲しか知らないですけど。


55.長所はどこですか。


 長所らしい長所は自分では思いつかないのですが、中学一年生の時、入学したての学級活動だったと思うんですけど、隣の座席の子とお互いの長所を言い合うというオリエンテーリングがあって、その時私の横は空席でまた一人で孤立するはめになったと思ったのですが、クラスの人気者に属する麻衣ちゃんが挙手してくれたんです。小学校五六年でも同じクラスだったので私に関する知識は多少あるはずで、何を言うのか私も気になったのですが、麻衣ちゃんが長所として挙げたのは「優しい」という、いかにも言うに事欠いて無理に捻出したような文句だったのですが、その頃は純真な中学生だったからか、面はゆい感じで照れてしまいました。なんだか自分が認められているような気がして、増長して、麻衣ちゃんに対等な構えで話しかけていいような気さえしました。今になれば社交辞令も含まれていると分かりますが、その時はとにかく嬉しかったし、それから現在に至るまで時々優しいと言われたので長所と言えば優しさなのだと思います。


56.短所は何ですか。


 例えば疑り深さです。私は人見知りだの退嬰的だの、とにかくマイナスな性格で、中でも猜疑心に関しては他より優れているという変な矜持がありまして、周囲の人間からも物事をもう少し前向きに捉えられないのかとよく言われます。

 なめられっぱなしだった中学のバスケ部で、ただ一人私を慕ってくれた奇特な後輩がいて、清子ちゃんというのですが、ある日の試合後私が後輩たちに混ざって後片付けをしていたら清子ちゃんが近づいてきて「私たちが片付けやるんで、先輩も他の先輩らみたいに休んでてください」って言って、しかし私は微笑み返すだけで片付けを止めませんでした、するとなぜなのかと理由を聞いてきたので「試合に出てない人の仕事はこれだから」と答えれば「試合に出てない先輩なんていっぱいいるじゃないですか」と食い下がってきて、困った私はつい「下手くそのお荷物にはこれぐらいしか貢献できることがないから」と本音を言ってしまって、すると清子ちゃんは歯を見せて微笑んだんです。笑われたと思い私はさすがにムカッと来て、清子ちゃんに背を向けたのですが、清子ちゃんはすぐに回り込んで私に「実は私も、後片付けぐらいしか貢献できること、なくって」と、また髪を触りながら微笑んだのです。言葉が通じない外国人がするような笑顔で流せばよかったのですが、私はこの子が何を言っているのか十分に吟味して、清子ちゃんが一学年下のくせに二年の試合に出れるぐらいバスケを上手だったので貢献できない私を暗に挑発しているのだと考え、以降は冷たく接しました。今思えば、たぶんあの子は私を気遣って冗談交じりに後片付けしか仕事がないと言っていたのに、私の、上級生だというつまらないプライドで冷たく当たってしまって、申し訳なかったと思います。


57.好きなことわざは何ですか。


 それほどことわざに詳しいわけではないので使い方が合っているか分かりませんが、覆水盆に返らず、です。全体的にネガティブ、悲観主義者なので、何か失敗をした時は、たとえそれが小さな失敗だとしてもああすればよかったこうすればよかったとうじうじ思い悩んでしまうのが常でして、なので覆水盆に返らず、起きてしまったことはなかったことにはできないのであれこれ思い悩んだところでしょうがないと自分に言い聞かせます。言い聞かせたところでまだうじうじ悩むのは、これはもはや生まれ持っての性格でどうしようもないと思います。


58.寒いのと暑いのとではどちらが好きですか。


 寒いのが好き、というより、寒いほうがまし、と言うべきでしょうか、寒さには着ぶくれで一応対応できますが、夏はこれ以上脱げないという限界があるので。中学二年の時だったと思います、夏場にブラウスが透けて、下に着ていたスポーツブラが透けて見えてしまった時に、同級生の女子にまだスポーツブラなのと馬鹿にされてしまって、その声が延焼して下世話な男子が集まってきて見せて見せてと絡んできたのがものすごく嫌だったという記憶があります。その時は上にカーディガンを羽織ってやり過ごしましたが、そのことが夏に対する嫌悪感に繋がっているのかもしれません。どうして女子はそういう生き物で、男子とはそういう生き物なのかという思い出の一幕でもあります。


59.お酒は飲まれますか。


 私、どうやら少し酒乱の気があるようで、なのであまり飲まないように、飲む時は極力家で一人で、と心がけているのですが、避けられないのが忘年会で、私は信頼できる先輩二人に挟まれる位置に座るよう心がけていて先輩二人も私のためにそのポジションから動かないでいてくれるのですが、時々上司が無理やり私の横に座ってしまうんです。初めは、最近調子はどうだ、といった当たり障りのない話でスタートするのですが、次第次第に、彼氏は作らないのか、とか、結婚する気はないのか、とか、出産適齢期が、とか言ってくるので私は苛立ってぞんざいな返しをしてしまい、それで私と上司の間が緊迫することが少なからずあって、守ってくれる先輩らによると、いつ海賊が跳び出してもおかしくない青髭危機一髪みたいだそうで、なので、いつからか一杯飲んで以降は酔ったふりをしてウーロンハイに見せかけたウーロン茶を飲んで、ひたすら我慢することにしました。私の演技が上手なのか上司が愚鈍なのか、ほぼ間違いなく後者ですが、それでなんとか切り抜けています。本当は一度くらい、記憶がなくなるまで飲んでみたいと思っています。


60.これからやってみたいことはありますか。


 特にこれというのが思いつかないので、一週間、正午まで寝る生活をする、としておきます。将来展望がないと言いますか、夢がないんだと思います、生活に追われて。


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