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紅い音色に想いを乗せて

紅い音色に想いを乗せて 1

作者: 庵原奈津

 頭上からは、ひらひらと薄紅色の小さな花弁が雨のように降り注いでいた。


 河の音が夜闇に響く中、ポンポンと軽やかに太鼓に似た音が響く。その音は、まるで何かを呼び寄せるかのように何度も何度も鳴り響いては虚空に消える。

 何度目かに鼓を叩こうとした時、背後から誰かが近づく気配がした。誰が来たかは振り返らなくても分かっている。会いたくて、会いたくて待ち焦がれた人。


 まだ顔も見ていないのに、彼女の笑顔が頭の中に浮かぶ。ほんのりと胸の辺りが温かくなった。鼓動が高まり、頬に熱が集まっていくのを感じる。


『お待ち――』


 振り返った瞬間、私は凍りついた。暗闇の中に異様な雰囲気の瞳が浮いていたからだ。闇にぽつんと浮いている両の目は鈍く金色に光輝いていた。その中心には、細長く縦に伸びた瞳。人間のそれでは絶対にありえない。目が逸らせない。逸らせば一瞬で殺される。その確信があった。


 異様な瞳の持ち主の姿が、私に向かって一歩近づく。身体が凍りつくほどの恐怖に抗い逃げ出すこともできず、恐怖感に苛まれながら目を瞑る。が、その瞬間は一向に訪れなかった。


 答えを得ようと恐る恐る目を開けたが、そこに化け物はいなかった。ほっと息をつき、周囲を見渡す。いつの間にか外ではなく室内にいた。足音を忍ばせて少し動くと、畳のようなやわらかな感触が体に伝わる。


 どうして、ここはこんなに暗いのだろう。


 さらによく室内を見渡してみると、何かが灯りが入ってくるのを遮っている。障子に何かが引っ掛かっているのかもしれない。開ければ、きっと室内がよく見えるはず。そう思い、一歩だけ足をさらに進めようとしたとき――


『うわっ』


 何かが足に引っかかり転倒した。手に、ぬるりとした生暖かい何かがつく。そこで初めて、今いる場所が異様な状態にあることが分かった。障子に何かが引っ掛かっているのではなく、おびただしい量の血がこびり付いて月光を遮っているのだと。


 怖い。怖い。怖い。怖い。この部屋で何かが起こってる。まだ、あの蛇のような目をした化け物がいたらどうしよう。逃げたい。でも、あの人がいない。見つけなきゃ。一緒にいないと。彼を放って、自分だけここから逃げ出すことなんてできない。


 一呼吸おいて、まずは自分を落ち着かせる。次に改めて室内を見た。彼がいないかと。


 障子についた血の隙間を縫い、月光が優しく僅かに部屋を照らし出す。

 その時、中央に人が斃れていることに気が付いた。その人は微動だにせず、力なく横たわっている。その人は、私が傍にいたいと願った人。

 助け起こそうと駆け寄りながら、何度も何度も叫ぶ。


『――けて、助けて。誰か――』

「助けて――」


 遠くにある何かを掴もうと知らず伸ばされた手。視界に写るのは天井。開きかけた障子からは、穏やかで暖かな光が差し込んでいた。部屋の中にある「あか」は、昨日拾った不思議な気配のする紐だけだった。血などどこにもない。

 悪夢から醒めたことよりも、まだ人間でいられたことに春陽しゅんようはほっと息を吐いた。


 隊の制服に袖を通しながら、悪夢の内容を思い出す。


 あの怪異に襲われた時の夢。私の仇。もし、あいつがこの場にいたらすぐにでも殺してやるのに。私はもう子供じゃない。今の私にはその力がある。成すすべなく狩られたりはしない。


「……今日も腹いっぱい喰わせてやる……」


 腰に佩いた愛刀を撫でながら、幼い頃のことを思い出す。


 自分が幼く無力だった頃、二度に渡り怪異から襲撃を受けた。一度目は、確か5歳か6歳だった頃。両親は、近場で発生した怪異に殺された。両親だけではなく、祖父母も兄弟も友人も全て。化け物たちの手により村が全滅した事件。

 二度目は、12歳か13歳の頃。事件の後で私を拾い、育ててくれた人を怪異は傷つけた。


 また多くの人が死に、傷つき、引退をした。私を育ててくれた恩人もその中の一人。彼は私をかばって片腕を失くし、引退を余儀なくされた。


 その時に誓った。師から継いだ刀に。仲間の『想い』に。

 私はこの世の全ての怪異を――化け物たちを一掃する、と。

 喩え、私自身が化け物に成り果てても。


◆◆◆ 


 満月の明かりがきらきらと水面を照らしていた。

 砂利道には街燈はなく、辺りは暗い。行く先を照らし出すのは、春陽が手にした灯りだけだった。走るたびに揺れ動く灯りを受けて、強く紫紺の瞳が輝きを放つ。前だけを見据えて。


 一歩強く歩を進めるたびに、頭上でひとくくりにした黒髪が翻り闇に溶けた。


 わざわざ深夜の隅田川まで来たのには、目的があった。


 河縁にぽつんとあった枯れかけた桜の古木。それが真冬に満開になっているというのだ。明らかな怪現象だった。怪現象が発生する場所には、必ず人の想いが集う。それが大きく育ちすぎると、やがて化け物になり人を襲うようになる。彼女らはそれを防ぐために、人の想いを天へと――あるべき場所へと還すために、あるいは腹におさめるために来たのだった。


速く、速く目的の場所へ行きたい。お腹が減ってしかたない、と腰に佩いた刀が伝えてくる。

 春陽も同じ気持ちだった。そのために、深夜の隅田川までわざわざ来たんだ。怪異を退治しに。腹を――心を満たすためだけに。彼に、樹希たつきに、邪魔なんてさせない。

 背後から砂利を踏む音が聞こえる。春陽は相棒と差をつけるため、さらに足に力を入れて走る速度を上げた。



 目的地へたどり着くと、師走の河縁に異様な光景が広がっていた。

 もう季節は真冬だというのに、桜が咲いている。冴え冴えと銀色に光り輝く月光を浴びて、満開の桜が寒風を受けてひらりひらりと水面に命を散らしていた。


(……見つけた。でも、こっちももう見つかってる)


 春陽は気を引き締め、手に持っていた灯りを放り出して刀を抜く。日本刀は、月の光を吸い込むようにしてきらりと光った。

 桜の木から、夜闇を掻き集めたような黒い靄が発生する。靄の中から、金色の眼が春陽をじっと見つめていた。その瞳は爬虫類のように細長く縦に割れている。


「本格的に具現化する前に、喰ってやる」


 靄がさらに密度を増し、怪異が自らの体を創り出す前に斬りつけた。すると、悲鳴が上がった。夜をつんざく様な何とも形容しがたい声。最後のあがきだったのか、薄紅色の花びらが春陽の身体に纏いつくが、もう化け物に反撃の余力はなかった。そうして怪異はこの世から、刀を通してあっけなく春陽の中に納まった。


 化け物は周囲の怪異を――想いを喰い、多少力をつけていたようだった。


 複数の化け物の人間だったころの記憶が、想いが、自分の中に奔流となって押し寄せてくる。それにじっと耐え、自らの力へと消化していく。まだ、私の器はいっぱいになっていない。これくらいなら、私があちら側に堕ちることはない。


 全てを呑みこみ目を開けると、いつまでも未練がましく纏いついていた花弁のひとひらが、薄く光り輝きながら風に乗ってどこかへ飛んで行った。


「お前……何やってるんだ」


 後ろから樹希の疲れ切った声が聞こえた。振り返ると、肩で息をして両膝に手を置いている。春陽の相棒でもある樹希は、翡翠色の瞳で刀を持っている少女を睨みつけていた。


「春陽、今日は調査だけだぞ。抜刀するなんて何考えてるんだ」

「明らかに怪異がいただろう。だから斬った」


 樹希は呆れたように大きく息をつくと、黒い制服に包まれたその大きな体を起こす。彼はまだ何か言いたげにしていたが、それを無視して刀をあるべき場所へと返し、屯所へと帰るために歩き出す。が、肩を掴まれ無理やりくるりと半回転させられた。樹希の顔が目の前に迫る。


「近い。離れて。加齢臭がする」

「まだそんな年じゃない。こっちだって離れたいけど、暗くてお前の顔が見えないんだよ」

「顔なんか見なくたって話しできるじゃない」

「――人と話すときはちゃんと、相手の顔を見て話しなさいって躾けられただろ」

「あんたの場合は近眼だからでしょ。離れてよ!」

「近眼とか関係な――うわっ」


 押しのけて歩き出す。樹希はまだ言い足りないようで、背後からごちゃごちゃと小うるさく騒いでいた。


「――だから、調査の意味ちゃんと分かってるか?」

「辞書上の意味でよければ暗唱してあげる」

「そう言う事じゃなくて、命令を理解してたかってことだよ」

「質問の意図は分かってる。子供じゃないし」

「十六歳はまだ法的には子供だ。春陽に何かあれば、俺が怒られる」

「いい大人が、すぐさま自己保身に走るとは世も末ね」


 延々と二人で言い争いをしつつ道中を歩いていると、どこからともなくポンポンと何かの音が響いてきた。

 周囲を見てみるが、どこにも音の発生源は見当たらない。春陽は注意深くあたりの気配を探るが、本当に発生していないのか小さすぎてわからないのか、怪異がいるような気配はしなかった。


「春陽? どうした?」

「聞こえない?」

「何が」

「……たぶん、楽器の音。太鼓を叩くような感じだけど、太鼓ほど重い音じゃない――これは、鼓の音?」

「鼓ぃ? んー……ぽつぽつと怪異の弱い気配がしてるけど……音は聞こえないな」


 こんなに激しく鳴っているのに、どうして彼には聞こえないのだろう。

 不思議に思いながら、どこで鳴っているのか興味を惹かれて、音の位置を探っていく。がさがさと草をかき分ける音と河のせせらぎに混ざって、かすかに聞こえていた音がどんどん大きくなっていった。


「おい、待てって。お前に弱い怪異の気配は分からないだろ……俺にも分からないってことは、そのうち消えるようなものだって。気にする必要あるか?」

「音は絶対にする。早く帰りたいなら、先に行ってて」


 さらに雑草が覆い茂る中へと入っていく。いつでも刀を抜けるように腰に手を当てながら。


 しかし、音の正体は中々見つからなかった。伸び放題になっている草木と暗闇が邪魔をして、視界が悪い。よたよたと歩いていると何かを蹴った。その途端、ぽんぽんと煩いほど鳴っていた音が一瞬やんだ。どうやら、音の主を発見したようだった。


「樹希。手伝う気があるなら、こっちきて。この辺当てて」

「あー……」


 面倒くさそうな返事の後、提灯の灯りが周囲を照らし出した。下を見ると、すぐ傍に真っ赤な紐で作られた鼓が落ちていた。再び音が周囲に満ちる。それも大音量で。奏者もいないのに、耳が痛くなるほど鳴り続ける不思議な鼓は、明らかな怪異だ。

 春陽はすぐさま腰に佩いている愛刀を手に取ろうとする。が、すぐに樹希に止められた。


「何してるんだ。鼓は誰かの落とし物だろ。壊したらまずいだろうが」

「何?」

「……鼓は誰かの落とし物だ。壊したらダメだって」

「はぁ? もっと大きい声で言って」

「だから! 鼓は誰かの落とし物だろって!」

「耳元で大声で話せって誰が言ったのよ! 離れて!! 私の半径1メートル以内に許可なく立ち入らないで」

「お前バカか!? そんなん守ったら仕事になんねーんだよ!!」

「――少しはおとなしくしなさいよ、落ち着いて話しもできない……! 自己主張強すぎでしょ、この鼓!!」

「だから、鼓は鳴ってないって言ってるだろ!」


 蹴り飛ばそうと伸ばした足の先から、悪寒が這い上がってくる。明らかな怪異の気配。止めようとする樹希を振り切り、刀を抜いた。そのまま刃を突き刺そうとするが、今度は後ろから羽交い絞めにされる。


「無断で抜刀するな。今日の許可はもらってない」

「そもそも許可制なことがおかしい。どうして私だけ許可制なの」

「それはお前がルールを破りまくるからだろ」

「私がいつルールを破ったのよ」

「怪異を見つける度に、むやみに斬りかかってるだろ。いき過ぎれば、それは私闘と変わらない」

「…………」


 若干、苛立ちつつ振り上げた手を下ろした。今夜だけで何度目かのため息を樹希がつく。

 今、殺されることはないと悟ったのか、鼓の音はいつの間にかやんでいた。


「屯所が襲撃されたあの日から、怪異を目の敵にしてるのは知ってる。あれはお前のせいじゃない。分かってるな?」

「分かってる。だけど、私の家を――家族を襲った奴らは一遍の塵も残さず全て喰い殺してやる」

「そんな調子だと、自分があっち側になっちまうぞ」

「それでもかまわない。私が向こう側に堕ちた時は、自刃でもするから」

「いい加減にしろ。怪異にだって、こうなった事情があるはずだ。基は人だったんだから。喰い殺すだけじゃなくて、穏便に解決することだってできるだろ」

「穏便に?」

「未練を断ち切ってやれば、どっか行く。あの世だか何だか分からないが、次に行けるんだ。消化しちまったら、そいつらはそこでお終いだ」

「毒を食らわば皿まで。毒を以て毒を制す。これが、私たちの隊が作られた理由でしょ」

「だとしてもだ。一度、持ち帰ろう。どうにもならないとわかった時点で、喰えばいい。その分、怪異の毒も自分の体に入るけどな。ほらよ」


 樹希が鼓をひょいと持ち上げ、私に投げてよこす。その瞬間、背筋を冷たいものが通った。


 反射的に鼓を投げ捨てようとするが、身体がそれを拒否する。嫌な予感がするが、時はすでに遅く。


「嬉しい知らせがあるぞ。あんたのせいで、私が憑りつかれた」

「え……あ、ええ!? なんだこの音、何も聞こえないぞ」

「やっと聞こえたか。じゃあ、行くぞ!」

「どこに!? おい、やめろ、手を斬り落とそうとするな!!」

「止めるなバカ。憑りつかれたのはあんたのせい! 私がどう対処しようが、勝手でしょ」

「だからって手を斬り落とそうとするな! 屯所に戻れば何か手があるだろうから、落ち着け」

「今すぐどうにかしたいの! 気合があれば手だっていつかは生えてくる!!」

「生えてくるわけないだろ!! 落ち着け」

「生き恥をさらすくらないなら――」

「絶対に鼓だけ野生に還す方法があるから!!!」

「離せ、バカ!!!!!!」

「手も一緒に野生に還したらまずいだろ!!」

「問題ない」

「問題ある! 俺、血がダメなんだよ――」


 こうして、怪異が発生する霊場――隅田川での夜は更けて行った。

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