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中編








       (3)


「あわわわわわ」

 曇りガラスの向こうに映る怪しい人影に、さくらは瞳孔全開で驚いている。

「しっ」

 女の人影は、しばらく保健室の中を観察するようにじっとしていたが、やがて中に入ってこようと、ガタガタと扉を開けようとする。


「ぎっ、もがっ......」

 恐怖のあまり叫びだしそうになったさくらの口を、勇輝が塞いだ。

 鍵をかけてあるので入ってこれない人影はあきらめたのか、再び保健室は静まり返える。

 やがて人影は足音とともに、保健室の前から遠ざかっていった。


 (......どう思う?)

 勇輝が声を潜めて賢治に尋ねた。だが賢治は人差し指を立ててそれを制す。去っていく足音にじっと聞き耳をたてている。足音が立ち止まり、ガラガラと扉の開けられる音がした。


 (職員室に入ったみたいだね)

 ようやく賢治が口を開いた。


 (確かか?)

 (この校舎の一階に引き戸の扉は保健室と職員室だけだよ)

 (誰だと思う?)


 さくらが口を押さえていた勇輝の手を払いのけた。

 (幽霊よ! 見たでしょっ。あなたの知らない世界よっ。さまよう鎧よ。空飛ぶ首なし生首よ!)

 よほどビビったのだろう。言っていることは無茶苦茶だが本人は気がついていない。


 (おちつけ)

 (それから鼻水をふきなよ)

 (う、うん)

 さくらが賢治からちり紙を受け取って、チーンと鼻をふいている間に、勇輝と賢治は話を進めた。


 (一番考えられるのは先公の誰かだよな)

 (と思うけどね)

 二人とも幽霊だとは思っていないようだ。


 (なんか引っかかってんのか?)

 勇輝が賢治の表情を見て言った。


 (あの足音は僕達が来たのとは反対の方向から来ただろう。つまり学食の横を通って通用口の方に来た事になる。あれが先生なら考えられるのは大まかに二つ。田中先生の見回りを手伝っていたか、今来たばかりかっていうことだよね?)


 (まあ、そうだな)


 (あれが見回りなら女の先生が外を見回るのに灯りも持たないなんて不自然だし、なんで今日に限って宿直を手伝う気になったのか。それから今来たばかりなら裏門から入ってきたっていう事になるけど、正門が開いているのにわざわざ閉まっている裏門から入るなんておかしいじゃないか。あと単純にあんな先生いたかっていうのもある)


 (じゃあ、泥棒か?)

 (泥棒なら灯りのついた職員室には入らないよ。それにその隣の事務室のほうが金目のものがあるし)


 (んじゃ誰なんだよ)

 (さあ。誰がいたってこんな時間に不自然だけど、何だって例外はあるし。現に僕らだっているわけだしね)


 (結局確かめるしかないってわけか)

 (そうなるね)

 (え? なになに? どうなったの?)

 さくら、やっと鼻をふき終えた。


 三人は靴を脱いで職員室へ向かった。真っ暗な廊下に職員室の明かりだけが見える。さくらはかなり怖いのかみっともないほど腰が引けていた。

 (......ねぇ、やっぱりやめない?)


 (お前が言いだしっぺだろうが。いいからいけ)

 職員室の扉の鍵を、保健室同様、合鍵を使って開ける。鍵のかかっていたことに賢治が怪訝な顔をした。音をたてないようゆっくりと扉を開ける。人の姿は見えない。そのまま職員室の中に入った。ゆっくりと進んでいくと、物音が聞こえた。職員室内の奥にある宿直室の方からだ。


 (た、田中ちゃんかな?)

 さくらは二人の方を見たが、勇輝は指で宿直室の方を指差して、先に進むように促した。渋々先に進むさくらだったが、心臓はバクバクと激しい鼓動を打っている。


 さらに進むと、宿直室の中が少し見えた。宿直室はドアが無く、カーテンで仕切られているだけだ。近づいてそのカーテンに手を伸ばす。さくらが中を覗こうとしたその時。

 女のうめき声が聞こえた。


「でっ、でたぁ!」

 思わずさくらの口から叫び声が出ていた。しまったと思ったがもう遅い。中からカーテンが開けられる。中にいたのは二人の男女。一人は宿直の田中。もう一人は、

「早苗!?」

 さくらのクラスメートだったのだ。





「何で早苗が田中ちゃんといるわけ!?」

 さくらはわけが分らずに、勇輝と賢治のほうを振り向いた。


「そんな事は分りきってるじゃねぇか」

 勇輝がニヤニヤしながら早苗の方を顎でしゃくった。早苗はハットなってはだけていたシャツのボタンを閉めようとしたが、もう後の祭り。


 さくらもここで二人が何をしていたのか察しがついた。先程の恐怖も忘れ、ニヤついた笑みが浮か広がる。

「なーる。あの呻き声はそういうことか」

 さくらの言葉に早苗の日本人形のような白い肌が、真っ赤になった。


「きっ、君達こんな時間になんで、それにどうやってここに入ってきたんだ?」

 田中は相当驚いたのか、声がうわづっている。


「ああ、私たちのことなら気にしないで」

 さくらはずかずかと宿直室の中に入ってゆく。

「そんなことより二人のなれそめってやつを聞かせてよ」

 そう言って小さなテーブルの前に座り込んだ。田中は呆然と立ち尽くしている。

「早苗があんな声だすから幽霊かと思ってビックリしちゃった」


「まったく、この寒い季節にストーブも点けずによくやるよな」

 勇輝もあがりこんで勝手にストーブのスイッチを入れる。

「あら、どうせ暑くなるんだからいいのよ」

「なるほど。冬なのに桃色吐息とはこれいかに」

「山田君ざぶとんとっちゃえっ!」

 はしゃぐ二人に賢治はやれやれと首を振った。とはいえ賢治もちゃっかり中に入って座っている。

「ほら、二人とも遠慮しないで座んなさい」

 さくらが呆然と立ち尽くす早苗と田中を腰を下ろすように促した。早苗が諦めたようにため息をつき、田中の方を見た。

「守さん、この三人ならきっと見つかっても大丈夫よ」

 田中の顔に浮かんだのは、しかし疑わしそうな表情だった。






 化学教師田中守と、西村早苗が出会ったのはもう十五年近くも前になる。父親同士が仕事の関係で仲が良ったせいもあり、家族ぐるみの付き合いがあったらしい。


「仕事の関係って、早苗のお父さんなにやってんの?」

 さくらは煎餅をかじりながら尋ねた。小さな、足の低いテーブルには湯気のたつ人数分のコップと、お茶請けの煎餅が置かれている。


「私の父は書家なの。守さんのお父様はその評論家で......」

「しょかってなに?」

「書道の専門家」

 賢治がさくらに言ってから、早苗に先を続けるように促す。


「私と守るさんが、その、付き合うようになったのは一年くらい前からなの」

「突き合うって、突かれてんのはあんただけでしょうが」

 さくらの茶化しに勇輝が白い目で見る。

「オヤジかお前は。......んで何でこんなところでヤッるわけ? プレイの一種か?」


「ちがうっ」

 田中が赤くなって否定した。

「その......お互いの家で会えなくなったんだ」

「父親同士の仲が悪くなったの」

 と早苗。


「父さんが原因なんだ」

 田中がため息をついた。

「父さんが早苗のお父さんの新作を酷評したんだ。それで二人が大喧嘩して。それ以来二人の家じゃ会えなくなって。かといってほかで会うにも教師と生徒じゃ色々問題があったし。万が一にもお互いの父親に知られるわけにはいかなかったしね。特に早苗のお父さんは剣道八段、柔道五段で......ばれたら僕は確実に殺されるよ」


「それで宿直の時を利用して会っていたと。するとやっぱり幽霊の正体は西村だったのか?」

 勇輝の言葉に、早苗は涼やかな笑い声をたてた。

「そうよ。初めは保健室を利用していたんだけど、幽霊が出るって噂がたち始めて。だから宿直室を使うことにしたの。少しみすぼらしいけれど外からは分らないし」


「でも早苗、そんな怖いお父さんなのによくこんな時間に外出できたわね」

 さくらが疑問を口にした。

「あら、抜け出してきたのよ。いつもは九時には寝ているから。父は部屋で寝てると思ってるわ」

 学校ではいかにも大人しそうにみえたが、意外な行動力だ。


 さくらは真相がわかって満足げなため息を吐いた。

「季節外れの幽霊の正体は、実はロミオとジュリエットだったってわけね」


 そう言ったさくらを横目に、賢治はずずっとお茶を飲んだ。

「ロミオとジュリエットじゃ二人とも死んじゃうけどね」






       (4)


「桜の木の下には死体が埋まっている」


 さくらの言葉に賢治は少し視線を上げた。口元に運んだカップからは、ブラックコーヒーの芳ばしい香気が漂ってくる。ランチタイムを随分過ぎた喫茶店。賢治以外の客は店内の隅にサラリーマンが座っているだけだ。


「ちょっと文学的表現だと思わない?」

 濃緑のエプロンを着けたバイトのさくらが、自分の言葉に頷いた。


「三年間、現国の教科書を借りて済ませたさくらが、梶井基次郎の小説を知っているのは驚きだけど。どうして突然そんなこと言い出したんだい?」


「あのね、鍋大会もやったし、幽霊の正体もわかったし、歴代校長の写真も一枚だけ駿河学のブロマイドにかえたし......大体やり残したことってなかったと思ってたのよ」

「何かろくな事してないね」

「でもさ、一つ大事なことを忘れてたのよ。そこでさっきのさくらの木の下にっていうやつよ」


「死体を埋めるの?」

「ちっがうっ。タイムカプセルよタイムカプセル。卒業シーズンの定番でしょうが」

「それが桜の木とどういう関係があるんだい」

「ほら、覚えてる? 私達が最初に会ったのって学校の桜の木でしょう。だからタイムカプセルもあの桜の木の下がいいと思うのよね」


 さくらはそう言った後に、天井を見上げた。言うかどうか少し思案してから、口を開いた。

「ほら、私達って四月からバラバラになるでしょ。だからちょっと......ね。また会うきっかけになればいいかなっと思って」


「ああ......そうか」

 最近まで賢治は受験や何やらで実感がなかったが、春がくればさくらの言うとおり三人は別々の街で暮らすことになる。さくらはこの街で今のバイトを続けるし、賢治と勇輝はそれぞれの学校がある街へ行く。もう二度と会えないわけではないけれど、何らかの別れがくるのは確かだ。


「ねえ、やろうよ。勇輝には後で話しておくからさ」

「勇輝も今日はバイト?」

「うん。今のうち貯めとかないとね」


 勇輝は専門学校の学費を自分で全て払うつもりなので、さくら達と会う前からずっとバイトをしてお金を貯めていた。友達にならなかったら、賢治はきっとそんなことは知りもしなかっただろう。特別クラスの自分とは住む世界が違う人間だと見下したままだったに違いない。


「なにがおかしいのよ?」

 さくらが賢治の顔に笑みが浮かんだのを見て尋ねた。

「いや。ちょっと昔の自分を思い出してね。高一の始めの頃と比べたら、僕も随分変わったなと思って」

「そういえばあの頃の賢治って、いっつもカリカリしてたよね。こーやって眉間にしわ寄せてさ」


 その頃の賢治は反抗期の真っ只中だった。それまで勉強は好きでやっていたが、やがて負い目を感じるようになっていた。成績をあげればあげるほどがり勉と陰口を叩かれるのがいやでしょうがなかった。スポーツやバンドに打ち込む同級生達と比べたら、自分のやっていることが酷くかっこ悪いことのように思えたのだ。その苛立ちを同級生達を見下すことでうやむやにしていた。


 そんな時、さくらがスポーツ選手や芸術家に対してと同じように、賢治が勉強に打ち込むことを認めてくれた。そしてたまには道草を食ってみることも悪くないと、教えてくれた。まあ、さくら場合は殆ど道草が主食になっているが。


 勇輝も自分を変えてくれたと賢治は思っている。

 母子家庭で育った勇輝は、いつもしゃに構えているように見えるのに、世界で一番愛しているのは母親と妹だと言ってみたりする。マザコンだのシスコンだのと言われると、勇輝は誇らしげにニヤリと笑うのだ。本心をさらけ出すのが何となく格好悪いと思っていた賢治は、ショックを受けたのを覚えている。


 もちろん良いことばかりではない。さくらと勇輝のいい加減さに激怒したことも一度や二度ではない。お互いの主張が合わずに大喧嘩したこともあった。けれどそれらも自分を変えてくれたものの一つに違いない。そしてこの三年間を振り返って良かったと問われれば、迷わずそうだと言えた。そして決して口には出さないが、それが二人と出会えたからだとも思っている。


 その生活ももうすぐ終わりをつげようとしている。それぞれの道を歩き始めるのだから、それは悲しくはなかった。ただ寂しさを感じるだけで。


 賢治は再びコーヒーカップを口元に運ぶ。


「……タイムカプセルか。いいかもしれないね」






        (5)


 真っ白に染まった高校のグラウンド。それはその日、この街に珍しく雪が降ったからだ。

 そんなグラウンドの脇に一本の老桜が立っている。まだ桜の木は花を咲かせる準備さえしていないように思える。


 その木の下にさくら達三人の人影があった。三人とも手にシャベルを持って穴を掘っている。吐く息は白く、額にはうっすらと汗をかいていた。


「......」

「......」

「......なんかさ......んっしょっと」


 黙々と作業をしていた三人だったが、さくらが口を開いた。


「......なんだよ?」

 勇輝は顔を上げずに作業を続ける。硬い土にシャベルを突き立てた。

「こういう作業してると喋らなくなるよね」

「集中してやるとそうだね」

 と賢治。


「......でもさ。ちょっとおかしいよね」

「何が?」

「使ってるのがシャベルなのに黙ってるつーのがさ......よっと」


「......」

「......」

 賢治と勇輝が黙ってしまったのは果たして集中していたからかどうかは別として、それから間もなく穴が完成した。


「よしよし。後はタイムカプセルを入れて土を戻せば完成ね」

「それで肝心の入れ物は?」


「はいはい。ちゃんとありますよ。昨日、アトム屋で購入しました」

 さくらは置いてあったバックをゴソゴソと漁って、中からバスケットボールくらいの大きさのプラスティック製のような球体を取り出した。


「じゃーん! 未来型小物入れ『ハロ君』千五百円なりー。これなら水も入らないでしょ。なによりかわいいこの形......かわいいと言えば先日こんなことがありましてね......」


「漫談はいいから早く開けんかいっ」

「へーい。んじゃ二人とも入れるものを出しなさい」


「OK」

 賢治と勇輝も各々バックから持ってきたものを取り出す。


「賢治は何入れんの?」

「うん、まずはこれ」

 そう言って賢治は何かの書類を取り上げた。


「さくらが理科室で秋刀魚を焼いてスプリンクラーを作動させた時、何故か僕が欠かされた反省文の原稿」

「......あんたねぇ」


「それから勇輝に作らされた期末テストのカンニング用あんちょこ。あとはこれだね。僕らが二年の時の通信簿」

「なんでお前がそんなもん持ってんだよ」

「うん、二人のお母さんに頼んで貰ってきた」

「おいおい」

 賢治の品がタイムカプセルの中に入れられる。


「んじゃ、次、勇輝は?」


「おう。まずは去年の文化祭で、三人でやったピンク漫才のテープだろ。それからさくらのアドバイスをそのまま書いて失恋した妹のラブレター」

「失恋したのは私のせいじゃない」


「ま、大事な妹に変な虫がつかんで助かったが。あと、賢治の初恋の君。保健医美幸ちゃんのキスマーク入り水着写真」

 賢治がぎょっとした目で勇輝を見た。勇輝の品も納められる。


「じゃあ、最後は私ね」

 言って、さくらが取り出したのは古茶けた色の髑髏。


「......なんだこれ?」

「ほら、三人でお化け屋敷に行った時、私が恐怖のあまり破壊してしまった骸骨人形の頭部よ」

「さくらって怖がりの割にはお化け屋敷とか好きだもんね......でも本当にこれを入れる気かい?」

「うん」

「僕ら以外の人がこれを発見したら絶対ビビるだろうね」


「あとは修学旅行の時折っちゃった仏像の右手でしょう。学食のお品書き。それから最後は......これっ」

 さくらが取り出したのは三人が写っている一枚の写真だった。


「ここでお花見した時の写真」

 さくらの品も納められ、いよいよタイムカプセルが穴の中に入れられた。


「これでやり残したこともないわね」

 さくらは賢治と勇輝の顔を見上げる。


「いつかまた、三人でこれを開けるときにさ。またこの場所で写真を撮ろうよ。ね、約束よ」

 賢治と勇輝も笑って頷いた。

 後はもう卒業式を残すだけだ。







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