第二話 聞こえる
昔の夢をみた。
曾祖母と一緒に縁側に座って西瓜を食べていた。
風鈴の音がチリンと鳴って、僕は音が鳴る度に風鈴を見つめた。
たしか小学生だった。
「ねぇ、ひいばあちゃん、また『コラール』のお話して」
「あぁ、いいよ。水色はこのお話が好きなのかい?」
「うん。僕もね、お話の娘さんみたいにお歌でみんな幸せにしてあげるんだよ。」
「ほほほ、そうかい。じゃあ水色にとっておきの素敵な歌を教えてあげよう。」
そう言って、曾祖母は僕に向かって微笑んだ。
そしてその瞬間、僕は目を覚ましたのである。
驚くほどに、目は冴えていた。
さっきまでどっぷりと眠りについていたはずなのに。
加えて肝心なところで目を覚ましてしまったからたまらない。
(どんな、歌だったっけ?)
僕は思い出せなかった。
曾祖母が教えてくれた、「とっておきの素敵な歌」を。
僕は仕方なく体を起こした。夢の続きがどうしても気になる。
しかし時計をみると朝の7時半。
(そうだ、今日はおばあちゃんが来るんだった。)
僕は急いで布団から出ると部屋を出た。
そして、楽器庫に入って祖母に教わろうと思っていた楽譜を引っ張り出す。
そんなときだった。
『助けて』
楽譜庫の中で、ふと声がした。
柔らかな少し高い声。
凛としていて、澄んでいて、それでもはっきりと良く通る声。
『助けて』
その声は母の声でもなく祖母の声でもない。
『幸せが、消えていく。歌が無くなっちゃう。』
不思議な声がした。
しかし、そんな漫画のような展開なんてあるのだろうか?
「誰?」
思わず僕は聞き返す。
『歌を、歌を、取り戻さなくては・・・』
そう言ったきり、その声は消えた。
歌?歌を取り戻す??
僕には全く理解が出来なかった。
でもはっきりとその声は聞こえたのだ。
気になりつつも僕は楽器庫を後にした。
そして再び自室に戻り、今日しなければならないことを整頓する。
そんなことをしていると、祖母がやってきた。
「水色、久しぶりねぇ。元気にしてた?」
「うん。元気だよ、おばあちゃん。」
祖母は今だに現役のピアニストとしてピアノを弾いてる。
家の近くでリサイタルが最近あったので、帰る前に家に寄ったのだった。
「昨日は大変だったわ。コンチェルトだったんだけれどね、もう年だから1楽章を弾くのも一苦労なのよ。
好きなことが一苦労だなんて、最近残念なの。」
少し苦笑いをしながら言う。
それでも
「でもピアノは一生やめないわ。って、改めて思っちゃった。」
祖母は音楽の話をすると少女のようなキラキラとした瞳になる。
とても楽しそうだった。
「ばあちゃん、疲れてなければなんだけど、ピアノ教えてくれる?」
「もちろんさ。今度は何を譜読みしたんだい?」
「ドビュッシー」
「ドビュッシー!どれどれ、水色の好きそうな曲が多いかもね。」
「アラベスクの第一番」
「ああ、あれね。」と祖母はピアノの椅子に座ってまず弾いてみせてくれた。
アラベスク第一番。
流れるようなメロディーが、まるで僕の心のもやを取り払ってくれるような気がした。
ピアノを弾いている祖母の手は、例えどんな場面でもピアニスト。
なめらかに動くその指先はまるで魔法みたいに黒鍵と白鍵を行き交い、僕は引きまれるように見つめていた。
祖母のレッスンは、いつでも丁寧で優しい。
僕はその時間が大好きで、いつまででも二人でピアノが弾けてしまいそうだった。
それでも、やはり疲れはくる。
ピアノは案外体力を使うのだ。
そうなると普通の祖母と孫の会話に戻る。
「ね、ばあちゃん。」
「なんだい?」
「ひいばあちゃんの話してくれた、『コラール』って、覚えてる?」
僕は思わず聞いてみた。
祖母も聞いたことがあるはずだ。
曾祖母がよく話してくれていたから。
「『コラール』?あぁ、不思議な力を持った娘さんの話ね?」
「そう!あの話は真実なのかな?」
母に聞いたようにすこし自嘲気味に聞いた。
すると、驚くべき答が返ってきたのだった。
「本当さね。『コラール』の楽譜の一枚はうちの蔵にあったはずさ。」
しれっとそう言った祖母を見て僕は驚く。
そして、普段は出さないような大きな声を出してしまった。
「え!?どうゆうこと?ここは日本でしょ?なんでコラールが日本に・・・?」
「大正時代頃に耶蘇が受け継いだって。」
僕の頭の中は、疑問符でいっぱいになる。
「耶蘇ってなに?」
「クリスチャンのことを昔は耶蘇と言ったんだよ。うちは昔っから西洋の楽器を取り扱ってたからねぇ、私は生きてはいなかった時代だけれど、その当時の日本は貧富の差が歴然としていたらしいし、楽譜を売って、生活の足しにでもしたんじゃないかい?」
沢山の補足をつけて、祖母は話続ける。
「うちは昔から皆が演奏家だったの?」
話を聞いて疑問に思ったので聞いてみた。
「私の祖母、水色のひいひいおばあちゃん、つまり、私のおばあちゃんはお三味線が上手だったんだよ。
長唄も教えていたしね。
祖父は貿易商で楽器を取り扱ってたらしいし・・・・多分ずっと音楽に関わっているんじゃないかい?」
「じゃあ、今楽譜は!?『コラール』はあるの!?」
「どうかねぇ。この家を建てた時に、部屋を一つ楽器庫にするからって蔵を引き払っちゃったから無くなってしまったかもね。
簡単に燃えるようなものじゃないはずだけど。」
「簡単に燃えるようなものじゃない?」
「そうさ。何たって魔法の力が宿っているからね。」
僕はそう聞いて再び目を見開いた。
もしまだ楽譜が家にあったとしたら?
今日聞いた不思議な声は楽譜の力かもしれない?
***
ピアノを弾かなければ、僕は何の特技も取り柄もないただの高校生だ。
勉強だって真ん中くらいだし、容姿だって普通。
おまけに人見知りで引っ込み思案だ。
「あ!おはよう!」
通学路を歩いていて後ろから元気な声が聞こえても、上手く返せなかった。
「どうしたの?具合悪い?」
そんなふうに聞いてくれたのはクラスメイトの春日夜羽だった。
心配そうに覗き込むその顔は整っていて、目も大きくてまつ毛も長くて。思わず見とれてしまった。
「大丈夫?あ、そうだ。」
春日は制服のジャケットのポケットに手を入れて何か探っていた。
「これ、のど飴。季節の変わり目だもんね。あげる!」
そう言って僕に手渡すと、僕を追い越して歩いていってしまった。
僕はもらった飴を口に入れた。
飴は甘酸っぱかった。
***
学校を終えると僕は楽譜庫へと向かった。
部屋にずらりと並ぶ本棚には、エチュードなどからオーケストラのポケットスコア、アンサンブルなどの楽譜がびっしりとつめられている。
(今日一日で探すのは無理かもしれないし、本当にあるのかもまだわからないけど・・・この前聞こえたあの声・・・あれが幻聴じゃなければきっとあるかもしれないぞ!)
楽譜は古いものから奥に並べられている。
部屋が広くて本当によかった。
狭い部屋だったら本棚が埋まってしまうほどの打楽器の量だ。
いつのかもわからない楽譜は沢山あった。
家が所有していた蔵もなかなか大きな蔵だったらしい。
打楽器の他にも筝やバイオリン、チェロもあったそうだが蔵を取り払うときに人に譲ったと聞いた。
家にある楽譜は、どれも時代を感じるものが多かった。
『水色』
そんなとき再び声は聞こえた。
今朝聞いた不思議な声。
「『コラール』?」
僕は思わずそう聞いた。
聞こえる。ハッキリと僕の名前を呼んでいた。
不思議な声はやはり幻聴ではなかったのだ。
『水色、探してほしいの・・・。残りの楽譜もすべて。』
「残りの楽譜?」
その前に、僕は君を探しているのだけれど。
しかし、声ははっきりと聞こえている。
古い楽譜が纏めてある場所へと移動する。
『水色』
「君は、どこにいるの?」
『私はどこだかわからない。暗くて、窮屈だわ。』
「楽譜が沢山あるんだから、楽譜と楽譜の間に挟まってるんだ。なんの楽譜の隣かわからないかな?」
『・・・えっと・・・隣はエルガーだわ。エドワード・エルガーの変奏曲。それからムソルグスキーだわ。それに、これは・・・・ドビュッシーかしら?』
「ってことは、ピアノ譜かオケ譜の隣かな。今、出してあげるから待ってて」
僕はその不思議な声と会話をしながら楽譜を探した。
「君は何故僕の名前を知っているの?」
『貴方が生まれた時から知っているわ。だって貴方のお母さんもお祖母さんも知っているもの。
それにあなたよくここでお昼寝してるじゃない。』
「え?そこ!?」
『ええ。それに水色は音楽が大好きでしょう?水色の歌声も、ピアノの音色も、私は好きよ。』
楽器庫が防音なのをいいことに、僕はこの中でおもいっきり歌っていた。
それを聞かれていたことに、少し恥ずかしくなる。
『水色』
「なんだい?」
『もしも貴方の音楽に不思議な力があったら何を望む?』
「え??望む?そうだな、幸せかな。」
『人によって、幸せは違うわ。幸せが野望にすり変わる人だっている。
それでも、音楽に幸せを望む?』
僕は解答に困った。
以前、母と話したことを思いだしたのだ。
「わからない。」
『わからない?』
「母さんが言ってたんだ。音楽が争いを生むときもあるんだって。」
僕はそうつぶやくと本棚の一カ所が光を放っていた。
その光は真っ白で直視が出来ない光だった。
眩しい。目が開けていられない。それ程に、強い力を放っていた。
(手が届かない・・・・!!)
楽譜のある本棚を僕は手探りに探す。
思わず眉間にシワが寄る。せいいっぱいに手をのばす。
うっすらと瞼を開いても見えない。
目映い光が視界を遮る。
その間も、『コラール』は会話を続けるのだ。
『わからないなんて嘘よ。人間は野望ばかり持っているもの。』
「本当にわからないんだ。」
僕は光に手を伸ばす。
僕の願いは幼い頃から変わらない。
大好きな『コラール』が、僕にそう思わせた。
曾祖母から、祖母から、母から、ありったけの素晴らしい目に見えないものを小さなころから貰ってきたのだ。
僕はそれを人に配りたい。
「でも、僕は歌が、音楽が好きだから、音楽でみんな幸せにすること」
音楽がどんなに好きでも、争いを起こしてしまうものでもある。
母は音楽が好きだからこそそうゆうところを見逃さずに僕に話してくれたに違いない。
「音楽は楽しさをくれる。嬉しさも。
でも、音楽は楽しいのが音楽だけじゃなくて悲しいものもある。
嘆く歌も苦しみも。
だから僕は音楽が人を幸せにするものになってほしいっていう願いだけだよ。」
僕は楽譜に手が届いた。
「君の願いは?」
僕はは、この声の主が泣いているような気がした。
これは楽譜そのものの声だろうか。
それともお話の娘さんの声だろうか。
『楽譜を、ばらばらになった楽譜を集めて欲しいわ。』
「うん、探そう。」
そういうと光は消え、一枚の楽譜が本棚からはみ出していた。
「やっと、見つけた。」
そして楽譜を見た。
楽譜を見て僕は目を見開いた。
「これ・・・?」
メロディーを読む。そして、鼻歌で歌う。
言葉はおそらくヨーロッパの言葉だ。
でも、僕はそれを日本に直したものを知っていた。
それはまさしく
「ひいおばあちゃんが教えてくれた、”とっておきの素敵な歌”・・・?」
僕は楽譜を見つめた。




