第一話 楽器庫の中で
僕は、暗い楽器庫の中でソファに座ったまま眠っていた。
楽器庫は適度に湿気が少なくて、涼しくて快適な空間で、昼寝には最適だった。
家にあるの部屋を丸々一つ、楽器の為に造られた防音の楽器の部屋。
沢山の打楽器とそして1台のアップライトピアノ。
それから、本棚には溢れるほどのCDと楽譜。
お店が開けてしまうのではないかというくらい、その部屋は音楽のものでうめつくされていた。
「水色??まーたこんなところで寝て。風邪ひくわよ」
ガチャリとドアが開く。
楽器達の所有者である母がやってきた。
「また新しい楽器買ったの?」
「ええ。自分のものを持っていたほうがいいもの。」
母は結構大きそうな太鼓を抱えていた。
僕の家は、いわゆる”音楽一家”だった。
曾祖母の代から音楽に携わっており、祖母はピアニスト、曾祖母はその昔三味線で長唄を教えていた。
そして、母もパーカッションニストだ。
曾祖母から受け継いだ楽器を含めて、広い部屋を一つ楽器庫にしてしまうほど、家の中は楽器であふれていた。
小さな頃からこの楽器達に囲まれて暮らしてきた。
叩けば音のでる、打楽器とともに。
玩具代わりに遊んでいたのも楽器であった。
「僕も、お母さんみたいになりたい!」
昔はよくそう言ったものである。
母は、打楽器奏者になるように教育はしなかった。
親の仕事を継げ、なんて言われなかった。
音楽を習いごととして習わせたりしなかった。
「音楽は、音を楽しむものなんだから、無理してやる必要なんてないのよ。」
楽しむことが大切なの。
楽しむためには、ただ音を出すだけではいけないけれどね。
いつもそう言い聞かされてきた。僕は子供ながらにそれに納得していた。
母が打楽器を叩く姿はとてもかっこよかった。
堂々としていながらも、繊細な音を出す。
どんな楽器も母が叩くと優しく、勇ましい、素敵な音になるのだ。
「明日ね、急にバンドのサポートメンバーを頼まれちゃったのよ。
ほら、水色歌好きでしょう?よかったら、一緒に行かない?」
母は、オーケストラ以外にも沢山の仕事をしていた。
ドラマやアニメのサウンドトラックのレコーディング。
プロ、アマチュアのバンドのサポート。
話を聞いていると打楽器奏者の幅の広さを感じた。
「今度一緒にお仕事をする人はね、普段は教会で賛美歌を歌っている人なんだって。素敵よね。」
母はすごくワクワクしているように見えた。
いつも、新しい仕事が入る度に面白そうに僕に話してくれていた。
そして、僕を仕事場に誘ってくれる。
幼い頃から、いつも一緒にお仕事の現場に行った。
現場の人たちは、初めは僕を見ていい顔をしなかった。
・・・子供に仕事を邪魔されるのが嫌だったんだろう。
実際、僕も子供が仕事場にいたら邪魔だと思う。
しかし僕はもともと引っ込み思案であまり騒がしくするような子供ではなかった。母の仕事についていくたびに音楽にのめりこんでいった。
そして、様々な音楽に陶酔していて、自分の声すら雑音として入るのが嫌だった。
僕が大人しくしていると段々業界の人で噂になったりもした。一緒について行っても嫌そうな顔では見られないし、僕が興味津々で見つめているものがあれば、触らせてくれたり、話をしてくてる。
「賛美歌かぁ。」
「賛美歌がどうかしたの?」
賛美歌は好きだった。
一時期母が良くオーディオで部屋に流していたから。
バッハのカンタータが一番好きだった。
そして、賛美歌と聞いてふと思い出した。
「そういえば、『コラール』の話あったよね。ひいおばあちゃんが、よくしてくれたお話を思い出したよ。」
ひいおばあちゃんが生きていた頃、僕は小学生だったような気がする。
耳もそんなに遠くはなかったし、健康に関してはそこまで悪くはない。
風邪なんてしてるのも見たことなかった。
とはいっても、やはり歳は重なりいつものように、自分で部屋の電気をけし、布団をかけて眠りについたまま目覚めなかった。
そんな曾祖母の話を、賛美歌と聞いて、ふと思い出した。
「なんだっけ、娘が作ったコラールの楽譜だっけ。本当にあるのかな?」
「お母さんも、昔おばあちゃんからよく聞いたわ。」
「もしもう一度楽譜がすべて揃ったらどうなるんだろう。その時には、平和になっているのかな。」
「わからない。その楽譜には力があったんだもの。取り合いになって、戦いを生んだかもしれないわね。」
「そうかなあ」
母が言っていることに、僕は少し納得出来ずにいた。
音と楽しむと書く音楽に、そんな力があるなんて考えたくなかった。
そんな僕を見た母は、本棚からオーケストラのポケットスコアを取り出した。
交響曲第三番、ベートーベンの作曲した、『英雄』という曲だった。
「水色は、世界史は世界史好き?」
そういいながら、僕に楽譜を渡す。
そらからもう一つ、本棚から楽譜を取り出した。
そして二人でソファに座った。。
「ベートーベンの「英雄」って曲はね、はじめはベートーベンがナポレオンを賞して作った曲なんですって。」
母は少し苦笑いで僕のに楽譜を見せる。
「初め、”英雄”って曲は”ボナパルト”っていう題名だったらしいの。」
僕はびっくりして楽譜を見つめた。
ボナパルト、と言うのフランスの大英雄、ナポレオン=ボナパルトの事だ。
ナポレオンって知ってる??なんて聞かれてもみんな名前くらいは聴いた事があるだろう。
「でもね、ナポレオンは自らフランスの皇帝となった。
それを知ったベートーベンは、”ボナパルト”から”英雄”と名前を変えたのだそうよ。とは言っても諸説あるわ。別の英雄をたたえた曲ともいわれているし、真相はわからないけれど。」
母は話を続けて、もう一つの楽譜を僕に見せた。
フランスの国歌。
「ラ・マルセイエーズ!」
「この曲はね、フランス革命の時の歌なのよ。」
母は言った。
「この曲は、フランス革命の時にマルセイユの志願兵たちが歌いながらパリを凱旋した。フランス革命の象徴的な歌になった。
・・・・つまりね、フランス革命を促して、多くの人が戦った。
歌は革命をする人たちに勇気を与えたかもしれないわ。
けれど、王様を守っていた兵隊達は死んでいった。もちろん、革命をした国民も、傷ついた人は沢山いる。
音楽は人を戦いへ促してしまうこともあるのよ。」
その話を聞いた時、納得した。
そして、よく考えてみた。
ヒットラーが好んだワーグナー。
ワーグナーが嫌いなわけじゃない。しかしそれをきくと恐怖が忘れられない。
そんな人もいるらしい。
そんな音楽、僕は嫌だ。
音楽が幸せのきっかけになれば、それよりもいいことはない。
それが音楽にとって一番いいあり方だと思うのに。
しかし、音楽には人を動かす大きな力が隠れているのだ。
「じゃあ、コラールは人を幸せに出来ないの?」
「出来るわ。希望に溢れた優しい歌ならば。 神を讃え、力に驕らなければ、きっとね。」
やっぱり、母は凄いと思った。
母の打楽器の秘密がわかったようで嬉しくなった。
音楽は色んなことに通じている、凄く深いものだと。
母は楽譜を本棚に戻すために立ち上がった。
そして、あっ、と小さく叫んだ。
「そうだわ、母さん水色に聞きにきたんだったわ。」
「なにを?」
「今日の夕飯!今日はお父さんご飯いらないっていうから、何か食べに行こうと思って。」
もし何処かのレストランだったら、予約をしなくちゃいけないじゃないの。と付け足して、僕を見た。
「前に母さんが一緒に行こうって言った店は?」
「あら?私そんなこと言ったかしら?」
「言ってたよ。スタジオの近くで、値段がそこそこなのにすっごく美味しいって言ってたイタリアンレストラン。」
「あぁ、あそこね!オッケー。予約しておくわね」
演奏家というのはよく売れると金銭感覚は少し変だ。
普段は倹約家なのに、こうゆうときと打楽器を買うことにお金を出すことを渋ることはない。
普段使わない分、使うのだろうけど。
僕は、楽器庫を出た。
楽器庫のひんやりとした空気が、肌に残る。
そして、自分の部屋に戻るとレストランに行くための洋服をタンスから引っ張りだした。




