はじめの一歩
「師匠、あの……………」
「ですから、その呼び方はやめてください。」
クル山脈の端、山脈の中でもかなり標高の高い山の中腹にレイシアとシギはいた。
村を出て険しい道なき山を歩き続けること2日、やっと歩みを止めたレイシアにシギは思わず口を開いた。
「師匠は自分に何を教えてくれるんです?」
それにまたため息をついて何か言おうとするレイシアを、シギは真っ直ぐ見つめ返して口を挟んだ。
「あなたが力を授けてくれる以上、師であることに変わりはないんです。師匠と呼ばせてもらいます。」
「そういう問題ではありません。第一あなたに教えるのは一時的なことではありませんか。それになにより…その呼び方はどうも調子が狂います。」
「…………。」
それでも頑としてレイシアを見続ける無表情な青年に、レイシアはもはやため息をつくことしかできなかった。
「はあ………まあいいでしょう。」
周りには針葉樹の森が広がり、どこからか川のせせらぎのようなものも聞こえた。高所とはいえ見渡せばわずかながらの木の実も見つかるし、足元にはたくさんの食べられる植物も育っている。
それを再び確認すると、レイシアは荷物を肩から下ろして一度大きく息を吸い、吐く。
「…………ここならいいですね。これからしばらくはこの付近で活動します。あなたも休んで良いですよ。」
そう言ってコートを脱ぐレイシアにうなずきシギも足元に荷物を置くと、コートに着いたフードをとって辺りを見渡した。遠くから小鳥の声は聞こえ、村のあったところよりも高いこの場所の空気はひどく冷たく、澄んでいる。同じ針葉樹の森とはいえ、村とは少し違う雰囲気が漂っているような気がした。
それはとても………
「何か感じますか?」
まるでタイミングを計らったかのように聞くレイシアに、シギは森を見渡しながらうなずいた。
「はい……。村よりももっと……静かですね。あまり活発じゃないというか…息づかいも深く静かで。」
その回答が満足なのか、レイシアは微笑んでうなずくと、近くにあった大きな針葉樹の幹に触れ、見上げる。
「やはりあなたには自然と語り合う才能が備わっているようですね。この森はこれだけ高所にあるわけですから、下手に人の手に汚されることなく、この世界が生まれたころからずっと、ほぼ変わることなくこの地に根付いてきた。だからこそ、古く、歴史を刻んだ、時の止まっているかのような雰囲気が漂っているんですよ。」
レイシアはもう一度深く、まるでこの場の空気を味わうようにゆっくりと深呼吸をすると、木から離れてシギへと近寄り、続けた。
「これから私はあなたに、ルミナ族の術のすべてを叩き込みます。もちろん人の前で魔術を使うわけにはいきませんから、人と戦う術、つまり体術も教えますよ。人前で魔術を使えばどうなるか、それはあなたも夢の中でご両親の記憶と共に見たと思います。時間はありません。ついて来なければ、そこまで。世の中に出てあなたが殺されるのを見届けなければなりません。よろしいですね?」
薄く笑みを浮かべたままそう言うレイシアに、シギはしっかりとうなずいた。それにまた微笑むレイシアの顔はまだ15歳という年齢にふさわしい子供っぽい表情で、自分がこれからたくさんのことを教わる師匠だとは思えなかった。
「さて、しかし早速魔術の訓練を、というわけにはいきません。魔術を学ぶにはまず、世界のはじまりの話をしなければ。」
そう言ってレイシアはシギに座るようにうながすと、荷物から何やら古い黄ばんだ紙を取り出し、目の前に広げた。巻物のように長いそれにはよくわからない文字のような模様と、たくさんの絵が描かれていて。
「これは?」
「『テルマ』、すなわちルミナ族の長となり、術と義務を受け継ぐ者たちに代々受け継がれてきた古文書です。この世界の創造と、それに伴うルミナ族の歴史が記されています。」
「歴史…………」
「はい。あなたにはルミナ族の古語は読めないでしょうから、私が簡単に話します。それでも長い話になりますが、よく聞いてくださいね。」
それにうなずくと、レイシアはまるで読みなれ、覚えてしまったかのように朗々と、歌を唄うように話し始めた。




