ルミナ族
真っ白に靄のかかった視界がゆっくりと開けていくと、目の前に広がったのは森でも、村でもなく、見慣れた天井だった。ふわふわのベッドの感触と、嗅ぎなれたお香の香りに濁った意識が少しずつ晴れてくる。
「…………。」
いつの間に眠っていたのか、足だけをベッドからこぼし、両手を広げて仰向けになった状態の身体をゆっくりと意識していく。長い夢を見ていたような感覚に、しばらく呆然としていると、手のひらにわずかな重みを感じてそちらを向いた。
するとそこには、模様の刻まれた石があって。
それに一気に記憶が戻ってきた。
森。村。紺色と金の髪。魔法陣。魔術。兵士。
カリアと、ファギヌ。
「……………っ!!」
一気に身体を飛び上がらせ、恐ろしく跳ね上がった鼓動を胸の上から押さえつける。どくどくと血が巡る音だけが聞こえ、視界は晴れているのに認識できない。
村は……みんなは…………
『あの方が、いらっしゃいます。』
そんな声が響き、いつの間にか握りしめていた手のひらを開くと、小石が再び青白い光を放っていた。
それに顔を上げると、目の前の白い壁がなぜか水のように波紋を広げ、そこからあの旅人が出てきた。プラチナ色の肩まで伸びた癖毛は美しい輝きを放ち、底の見えない水色のような黄緑のような不思議な瞳がまっすぐにシギをとらえる。
「どうやら、信じていただけたようですね。」
整った唇から放たれた高めの澄んだ声に、頭が一気にさえ渡るが、同時にたくさんの疑問が頭を埋め尽くした。
「む、村の人たちはどうなったんだ!あの村は…カリアは?ファギヌは?彼らはまさか……」
「あなたのご両親ですよ。」
たった一言。その一言で、溢れる感情が体を巡るのがわかった。
両親を見つけた。
一度も気にしたことのなかった両親なのに、なんでこんな気持ちになる?
でも。
「じゃあ、あのあとどうなったんだ……?僕の父と母は……取引って?テルマって?なんなんだ?」
旅人は美しい整った顔を少しうつむかせると、ベッドに座る小さなシギの身体に合わせるように膝をつくと、吸い込まれそうな瞳で真っ直ぐにシギの目を見つめた。
「あのあと、ご両親は取引をしました。この戦闘能力を、王家に捧げると。その代わりに、村を襲わないでほしい。監視下に置いても構わないが、村の営みには手を出すなと、そう条件を出して。王家も2人の能力を買って、2人を戦闘兵器として様々な戦場へ送り込んだ。2人は必死で戦いました。2人で必死で働くうち、彼らは愛し合うようになり、ひとりの子供を授かった。それが、あなたです。」
「僕が………?」
さっきまで見ていた2人の姿を思い出す。
強く、気高く、賢く。
優しく。
「…………っ!」
目の奥がひどく痛くて、熱くて、シギは思わず強く目を閉じた。
昨日まで恋しくなかったのに。なんで今はこんなにも苦しいだろうか。
「……………2人に会わせてくれ。」
燃えるように熱い喉を必死で揺らし、声を絞り出した。
「みんなに会わせてくれ。村へ行きたい。あなたはあの場所を………」
「無理です。」
冷酷ではない、しかし温かみも感じない虚無の表情を浮かべた旅人が口だけを動かしてそう言った。美しい、この世の者とは思えないほど美しい少年の顔が、質素な部屋ではやたら際立って見える。
「なんで?あなたはある人に僕のもとを訪ねるように言われたんでしょう?それは父と母なんじゃないのか?」
「ええ、そうです。私はあなたのご両親にそう頼まれた。だからここへ来ました。」
「両親はなぜそんなことをした?僕が一族に戻るためなんじゃ…」
「いいえ。むしろ逆です。」
旅人はきっぱりとそう言い放つ。
「あなたのご両親は、あなたに自分のことを知って、その上で選択させるために私にここまでの旅をさせました。」
「選択……?」
「はい、選択です。」
混乱する頭を落ち着かせようと顔をしかめていると、旅人はすっと色白な手を差し出して突然シギの小さな手をとった。
冷たく、そして相変わらずなぜか身体を駆ける妙な感覚のその手に目を細めると、その様子を確かめるようにシギを見つめて旅人は手を離した。
「あなたは、その力を捨てられますか?」
突然の質問にまたせっかく整理した頭が暴走をはじめる。
さっきから意味が分からない。
まったく意味が……
「あなたの力は、自然を操ること、そして成長しないこと。それはただの不思議な力なんじゃない。あなたのご両親が命をかけて王家と取り引きしたように、何が何でも守らなければならないものなんです。なぜならそれは、『義務』を伴うもので、その『義務』を果たすことがルミナ族の存在理由だから。」
「いや、待ってくれ。『義務』についても何も知らないし、大体守らなければならないものを僕はなぜ捨てなきゃいけないんだ?それじゃあ一族の意に反することになる。」
「いえ、それがあなたの一族の総意なんです。確かにルミナ族は力を守らなければならない。しかしもうそれは必要ないんですよ。」
「え……?」
そこまで話して旅人は小さくため息をつくと、立ち上がってしばらく天井を仰いだ。そしてまたシギを見下ろすと、静かな声音で淡々と、しかし一気に話した。
「このことについてはあまり話したくないので、手短にお話します。かつて、ルミナ族にはルミナ族が力を与えられた当時から、ある予言が伝えられていました。それはあの『義務』が、果たされるときのこと。ルミナ族がその呪いから、解放されるいつかのことです。そしてそのときが訪れた。今、このとき、この時代。この世代で、やっと『その時』がやってきた。この時を逃せば、世界はこのまま崩壊するんです。だからこそ、あなたのご両親は必死でその運命を叶えようとした。王家を裏切り、一族を犠牲にしてまで、最後の希望に賭けた。ほんの少ししかない可能性に賭けて、やり遂げた。」
「え?……いま、なんて言ったんだ?いま……一族を……」
聞き捨てならないその言葉に思わず聞き返すと、旅人は冷静な、しかし穏やかだった顔で簡単にうなずいた。
「ええ、そうです。ルミナ族はもはや本当に伝説の存在となった。もう、この世には存在していません。あなたを残して。」
思いもがけないその言葉に目を見開くが、旅人はもうシギを待つことなく言葉を紡ぎ続けた。
「ですが一族もそれを望んだんです。王家を裏切り、カリアとファギヌが王家に追われることも、もし2人が逃げ切ったら見せしめとして一族が消されることも、すべてわかったうえでルミナ族は2人を逃がした。あのまま2人を軍に残してテルマを失うわけにはいかなかったから。そして………村の希望の子供を、つまりあなたを、失いたくなかったから。」
熱い涙が頬をつたって落ちていくのがわかった。
それが悲しみなのか、憎しみなのか。
愛しさなのか、切なさなのか。
それすらわからなかった。
「彼らは家族として、あなたに彼らの暗い歴史と、義務と、世界を、経験させたくはなかったんです。一族が待ち望んだ解放、自由を、せめてあなたには味わってほしかった。だからあなたのご両親は、一族を失っても、あなたを手放してでも、そんな犠牲を払ってまで、義務を果たしきり、『その時』を無事に迎えた。あとは、運命に任すのみ。あなたのご両親のおかげで、あなたは義務を果たす必要はなくなった。最後に、その力を私に渡しさえすればそこですべてが終わるんです。」
そこで旅人はまっすぐにシギへ手を差し出した。
「ですが、その力はあなたのもの。あなたが選ばなければならない。失うか、残すか。」
不思議な色の瞳が、果てしなく澄んだその瞳がまっすぐにシギを捕らえていた。
いつのまにか膝の上で握りしめていた両手は、ひどく冷たい感じがして、しかしその中には確かに熱い血が巡っていて。
この血には、ルミナ族の血が、両親の血が流れている。
彼らの希望、守り続けた血なのだ。
ここで力を手放し、普通の人間として生きることが、この血が本当に望むことなんだろうか。
「…………。」
黙り込み、ついにはうつむいたシギに旅人はまたため息をつき、シギの目の前にしゃがみ込むと握りしめていた小さな手に触れてゆっくりと開くと、そこに握られていたあの小石を手に取った。
「……この件に関して、私は他人ですし、むしろその力を返してほしいという点ではルミナ族に賛成です。しかし、それだけではない。私のいる、いや、あなたの一族のいた世界は、ここと同じ世界でありながら、別の世界なんです。見えているものがちがう。絶望に溢れている。」
そして旅人はうつむいたシギの顔をのぞき込むようにしてにっこりと微笑んだ。美しい微笑みだが、シギは別の意味でその顔に息をのんだ。
ひどく。
ひどく、悲しそうで。
「……あなたは、本当に、ご両親によく似ていますね。とくに、カリアに。」
今まで底の見えない微笑みしか浮かべなかった彼のそんな表情に、目が動かせなくなる。しかし旅人はまたいつもの微笑みになってにっこり笑うと、手を軽くシギの額にとんと当てた。
「あなたのご両親には本当にお世話になったんです。だから、私もあなたには幸せになってほしい。もう少しだけ、時間を差し上げましょう。一晩。一晩だけです。」
その言葉と共に、突然シギの頭が大きく脈打った。
「がぁ……うあ……」
どくどくと強く脈打つ頭に、痛みで思わずそんなうめき声をあげてしまう。しかし身体は石のように動かず、体中の力が旅人の手に触れている額に吸い取られていくようだった。
「あなたの成長しない身体は、あなたがどちらを選ぼうと関係ない力です。この現象はあなたにとって良いものではありませんから、これだけは今、受け取っておきましょう。もうひとつの力については、一晩よく、考えて。」
薄れていく意識の中旅人を見つめると、シギに触れている右腕だけが。
青白く、輝いていた。
「では、よい夢を。」
そんな言葉を遠くに聞きながら、シギは目を閉じた。




