あの日
「よいか、カリア、ファギヌ。」
暗い部屋の中、中央に寝込むかなり高齢らしい老人が、小さなベッドの脇でひざまずく2人に弱々しく言葉をかけた。
「我々一族に与えられたこの力は、人を傷つけるためのものではない……。それが悪魔とのちがい。我らが神の使いである証なのだ。」
「はい。」
シギはそんな光景を2人の後ろからずっと見つめていた。
僕の親。
それがカリアなのか、ファギヌなのか。はたまた2人ともなのか。
それはまだわからないが、その親の記憶をたどることはとても新鮮だった。記憶はどれも鮮やかで、森の香り、木の温かみ、静かで穏やかな村の営みは、どこかどれも懐かしかった。
どういう仕組みなのか、光り輝く紋様を空間に描き、『魔法陣』と呼ばれるそれを発動することで不思議な力を使う一族は、ゆっくりと流れる時間の中、魔術の鍛錬を積んでいた。
記憶というのは断片的なようで、景色はころころと変わり、それに連れて2人ともどんどん成長している。もともと才能のあったカリアとファギヌは、18になったばかりだというのにその魔術の腕は村一番になっていた。
美しく育ったカリア、今も変わらず穏やかで優しいファギヌは、いつも一緒だった。
「決してその力を殺生に使ってはならん…!決して……決し…う、がはっ…!」
「老子…!無理をなさっては…」
カリアが静かに老人に近寄り、やせ細った小さな手を握りしめる。老人はしばらく苦しげに呼吸を繰り返し、ファギヌが口に差し出した水を飲んで落ち着くと、またしゃがれた声を発した。
「……わたしには時間がない……。早くこの使命を受け継ぐ『テルマ』が必要なのだ。それをお前たちに頼みたい…。」
「はい。わかっております。私たちでよろしいのならば。」
しっかりとうなずくカリアの瞳をしばらく見つめ、老人はうれしそうに微笑んだ。
「そうか……。ならば、この『かたりべ』を……」
そう言って老人はシギにも見覚えのある小石を差し出した何かの文字のようなものが彫られた方小さな石。
『我はこの時よりそなたが親を主とした。』
頭に響くその声にシギはうなずき、そして問いかけた。
「さっきこの人が言っていた『テルマ』っていうのはなんなんだ?」
『可。『テルマ』とは、この一族の古き言葉で『守護兵』というもの。そなたらが一族は我が祖よりある使命を与えられていた。その使命を受け継ぐために、村から数人、もしくは1人、魔術に長けた者が選ばれてきた。それが『テルマ』なり。』
「使命?それはどんな………」
「老子!!!!」
シギの声を遮り、暗く静かな部屋に突如悲鳴にもよく似た声が響いた。カリアとファギヌも勢いよく振り向き、そしてすぐさま何かに気づいたかのように顔を険しくした。
「まさか……結界が破れたのか?」
そんなカリアのうめき声に、部屋に飛び込んできた若者が何度もうなずきながら、恐怖に歪んだ顔を無理矢理抑えつけるかのように歯を食いしばって姿勢を整えた。
「す、すごい数の正規軍だ。確かに…王家の紋章があった。い、今は皆この老子の家に向かっている。」
「………そうか。」
ファギヌは静かにそう言って、カリアと目を交わした。そしてすぐさま老人に近寄り、再び膝まついて頭を下げると、カリアも同じく膝まつき、ファギヌの声が静かに響いた。
「老子、やはりこの時が来たようです。皆、覚悟はできております。降伏しましょう。」「…………そうか。」
そう言って、老人は思慮深いくぼんだ目を静かに天井に向けた。
そこでまた景色が変わった。
さっきまで穏やかだった村を、今は武装した何百もの兵士が囲んでいた。村人はみな固めて集められ、怯えているというよりは諦めたような、悟っているような顔で静かに座り込んでいて。
シギにはわからなかった。
たとえ田舎で育っていたとしても、王家の紋章くらいシギでも知っていた。目の前に広がっている白い鎧に刻まれた金の紋章は、王家のものだ。
なんで?
なぜ王家が襲ってたのか。
なぜ戦わないのか。
なぜ予測していたかのように皆諦めているのか。
戦えば必ず勝てるはずなのに、なぜ……
「王家の名の下に、この村を、異端の民の村とみなし、厳正な処罰を行う!貴様等は立派な反逆者であり、たとえ祖先のものであれ、犯した罪は子々孫々受け継がれるほどのものだ!こうして隠れ住んでいたことでさえ、大きな反逆罪に値する!!」
隊長らしい騎兵がそう言い放つと、一斉に周りの兵士たちがそれぞれの武器を構えた。紺色と金髪の民はみな肩を寄せ合い、母は子を守るように強く抱きしめた。
「やめろ………やめろ!!」
無駄だとわかっていてもそう叫んだところで、
「待て。」
静かに響く平坦な声に、村の民も兵士もみなが振り向いた。紺色の長い髪を風になびかせながら、カリアがゆっくりとこちらへ歩いてきていて。
「この村の代表だ。」
その姿はまだ少し小柄で、灰色がかった白い胴着に身を包んだ華奢な身体は、まだ18という若さを表している。しかし、ひどく美しい整った顔と、揺るぎない紺色の切れ長の瞳はその若さを忘れさせるほど、刃のように鋭い雰囲気を放っていた。
「処罰についてはみなが理解している。だが、取引がしたい。」
そう言ってひるむことなく隊長の前に歩み出たカリアに、村の者が何か言いたげに口を開いたが、すぐさま突きつけられた剣に、大人しく口をつぐんだ。
「取引?ふざけるな。」
冷酷にそう言い放って、隊長は馬を動かし甲高い音をたてて剣を抜くと、カリアの首筋にぴったりと突きつけた。
「貴様のような小娘に用はない。そして私たちは貴様等の能力を知っている。少しでも隙を与えるわけにはいかん。」
そう言う隊長を切れ長の瞳で見上げ、カリアの右手が少し動いた。
シギに見えたのは、そこまでだった。
カリアは目にも止まらぬ早さで剣をはじき、さらには左手ですごい勢いで魔法陣を描くと、完成と同時に視線だけを隊長が乗る馬の足元に向けた。途端に草が生き物のように伸び上がり、がっちりと馬の4本の足を絡みとる。驚いた馬は草を千切ろうと勢いよく跳ね回り、反応の間に合わない隊長はバランスを崩して馬から落ちた。
「うゎ……!」
そのまま馬に踏みつぶされそうになった隊長の襟元をカリアは掴み、馬から引き離して地面に叩きつけた。
「ぐぅ……貴様ぁっ!ただで済むと……」
「済むんですよ。」
その声にカリアに押さえつけられた隊長が首だけで振り向くと、さっきまで何人も兵士が控えていた場所にはファギヌが立っていた。穏やかな顔の前には輝く魔法陣が浮かび、足下には気絶させられた何人もの兵士。さらにファギヌの魔法陣の力らしく、他の何百もの兵士の足は、生き物のように盛り上がった土ががっちりと押さえつけていた。
「わたしも村の代表でね。わたしたちは戦いを望んではいない。殺すつもりもないんだ。取引がしたい。わかったかな?」
優しく細められた金色の瞳をさらに細め、穏やかだが殺気のこもった声を放つファギヌと、無表情のまま淡々とすごい力で押さえ込んでくるカリアに、隊長は唇を噛んだ。




