約束
「ん………」
強い光を感じてゆっくりと目を開けると、そこは相変わらず小さな湖のほとりで。
湖から反射する太陽の光がちらちらとシギの目元に刺さり、それから避けるようにもたれていた木から身体をおこした。
すると湖面からしぶきをあげて、レイシアが現れた。
「起きましたか。」
そう言いながら水をしぼるように髪をかきあげるレイシアにうなずき、少し痛む頭を押さえる。
日の高さから見て、あれから数時間というところか。
「はは、なんだかここのところ気絶してばかりのような気がします。」
空笑いをこぼすと、レイシアもほんの少し微笑んで湖からあがってきた。
レイシアが手を軽く動かすだけで、どこからか風が現れて身体中の水をはらっていく。
「急進しようとすれば代償はあるということです。」
「そうですね………」
服を着るレイシアの横を通り過ぎ、しゃがみこんで湖の水をすくって顔を洗った。
まだ少し頭がぼーっとして、目も少し腫れているのを感じる。
「……母さんに、会いました。」
湖面を見つめたまま、そう言う。
「そうですか。」
「でも、幻だと……」
「はい。」
うしろから聞こえるレイシアの声はなんの変化もなく、そこからは彼の表情や感情を感じることはできない。
レイシアは、レイシアと父や母は、いったいどんな関係性だったのだろうか。
ただの道主と弟子?
それとも、家族?
少なくとも母からは、レイシアへの愛が感じられた。
彼らはどんな生活をしていたのか、どんな会話をしたのか、彼らの間になにがあったのか。
何もわからず、そして確実にこれから一生両親から話を聞くことがかなわないということに、憤りを感じるばかりだった。
湖面にうつる自分の姿が、たしかに母の面影と重なった。
「…………師匠。」
「はい?」
いつの間にか服を着終わったレイシアが、シギの少しうしろで腰をおろしたのがわかった。
湖の中の自分をただ見つめ、混乱したままの頭を静かな森にゆっくりと溶かしていく。
「師匠。僕はここ数日のあいだに一気にかわりました。その変化が大きすぎて、正直ついていけていないんです。
師匠から学んだことや与えられた情報も、すべてを整理できているわけではないし、むしろ謎が残っているものばかりです。」
「そうでしょうね。 」
「ですが、あえて今はあまりなんでもかんでも聞いたり知ろうとしたりしないことにします。」
「…………。」
そうだ。はじめから無理があったんだ。
村に守られ、箱入りで育ってきた自分がいきなり外界に行くことも。
普通の人生ならばけっして知らなくて良いような摩訶不思議な現象を理解することも。
まだわからない先のことに今から責任を持つことも。
背伸びをしていた自分が恥ずかしい。
師匠も父さんや母さんも、その重く濃い人生の中で、その能力や知識を培ってきたのだ。
それをたった数日でものにしようなどとは、傲慢にもほどがある。
「………今はわからないことばかりでいいと思うんです。
もちろんこの旅がそんな悠長なことばかり言ってられるものではないことはわかっています。
だけど、決めたことなので。迷いなく進もうと思うんです。」
しばらくの沈黙がその場を占める。
静かに吹く風が心地よく、シギの頬をなでていった。
「彼女はいつかあなたが『テルマ』を引き継ぐ日が来るのではないかとおそれていました。」
突然かけられたレイシアの言葉に振り向く。
レイシアは澄んだ瞳で空を見上げていて、その表情は世間話でもしているかのようななんでもない顔だった。
「母として止めたかった。でもルミナ族として喜んでもいた。
だからこそ彼女は自らの手で引き継ぎの儀を行いたかったんです。説教をして、ほめて、なぐさめてあげたかった。
それで彼女は自分の姿を記憶としてこの『かたりべ』に残した。わたしはその彼女の記憶を儀式の魔法陣に乗せて開放したんです。彼女にたのまれましたからね。」
レイシアは立ち上がってシギのもとまで来ると、『かたりべ』をシギにわたす。
「これはもう『テルマ』であるあなたのもの。わからないことはこれにすべて聞きなさい。」
「あ、はい……。」
レイシアはんーっと大きくのびをすると、その動きのままシギのほうへ指を向ける。
途端すごい風が舞い上がってシギの体を空中に持ち上げていく。
「うわっ、わ、わ、わ」
わたわたと空中で暴れるシギを見てレイシアは笑う。
「これからあなたが死なないように、あなたに体術と魔術を叩き込みます。カリアよりも厳しくいきますからね。覚悟してください。」
「え、あ、は、はい!とにかくまず、おろし………」
そんなシギににっこり笑うと、レイシアは大きく手を振り上げる。
「え、うわ、うわああああ!」
吹き飛ばされて遠のいていくレイシアの姿が、とても楽しそうに見えた。