かみさま
太古の昔、そこには天も地も水もないころ。
神がこの世界を創られた。
まず自らの身体の一部を切り取り、大地を作り、草を作り、花も山も森も作った。
そこには神の力が移り宿って、理に沿って色を変え、形を変えるように神は操った。
世界がその理に馴染み、形を完成させたころ、ついに神は人間を創った。
自分と同じ形の、生き物を。
人間は賢く、美しい生き物だった。
自然と共存し、いつくしみ、お互いを愛し合う。
神の分身として授かった『神の力』は、分身とはいえ恐ろしく強大で、それは理をねじ曲げるだけの力を持っていた。
しかし、人間が交配し、増えれば増えるほど薄まっていく。
神は安心し、人間に世を任せ、この地を去った。
しかし、人間は神の予想を遥かに上回り、力をつけた。
土地を耕し、領地を作り、さらにはその欲望は争いを生んだ。
争いは悲しみと、憎しみを生んだ。
神がそれに気づいたころには遅く、人間の中の『神の力』はため込まれた悲しみと憎しみを吸い、はじめに神が人に分け与えたのよりも大きく膨らんでしまっていた。
『神の力』、つまり全能の力は、人間の欲望に応えて人間が人間を呪うモノになった。
『呪い』は様々な形になって、人間と人間を渡り歩き、その人間のすべてを奪い去って成長し続けた。
もはや神に匹敵する大きさになっていた『呪い』を神は恐れ、すべての力をかけて4つの『白い呪い』を作り出した。
ひとつは、大きくなった『呪い』を呪う術。
ひとつは、すべての歴史を記録する、『かたりべ』というモノ。
ひとつは、選ばれし人間に与える、世界に残った『神の力』に干渉する『調和』という力。
そしてもうひとつは、『呪い』を食べる、悪魔。
神は最後の力を振り絞りひとつ目の術だけを完成させ『呪い』の動きをわずかに封じると、『化身』を作り、すべてを託して消えられた。
『化身』は残りの3つの『白い呪い』を世界に運び、ひとつの一族を選び『調和』の『呪い』と『かたりべ』を授けると、その力の代償に義務を与えられた。
それは、最後の『呪い』、『白い悪魔』を見守ること。歴史を守り、『白い悪魔』に力と歴史を伝え、導く義務。
そして『化身』は『白い悪魔』を世界に放ち、『呪い』との戦いがはじまったのを見届けると、選ばれし一族の地のそばに眠り、その時を待った。
そこまで話して、レイシアは小さく息をついた。
「まあ、かなり簡単に話しましたが、大まかに言えばこんな話です。」
手に入れたたくさんの情報を整理するように数回うなずくと、シギはレイシアを見上げて、
「それで…………その選ばれし一族っていうのが、ルミナ族なんですか?」
そう聞くシギにレイシアは古文書から顔を上げ、にっこりとほほえむ。
「あなたは聡明ですね。そう、選ばれし一族とは、ルミナ族のこと。あなたのその力は、神から与えられた『調和』の力です。」
「そんな……………」
思わず自分の手のひらを見つめ、その力の強大さと重大さを噛み締めた。
この身体は、神によって呪われているのだ。
広げた巻物を戻しながら、レイシアは話を続けた。
「この世界のどんな生き物にも、物質にも、父である神の力はわずかながら含まれています。あなたたちルミナ族は他の人間の数十倍多く『神の力』を有し、それによって周りの『神の力』に作用することができるんです。魔術を使うには、まずその『神の力』を感じることから始めなければいけません。これ以上の話は、それができてからにしましょう。」
それに食い入るように聞いてうなずき続けていたシギの顔を見て、レイシアは小さく笑った。
「なぜ笑うんです。」
自分がどんな顔をしているのかわからなくてシギは少し恥ずかしそうにムッとする。それにまたレイシアは笑い、立ち上がりながらシギを見つめて言った。
「いえ、ずいぶん興味深そうに聞いているものですから……そんなにおもしろいですか?」
「おもしろいというか……今まで全く自分のこもを知らなかったので…」
その答えにレイシアは小さく微笑み、すぐに背を向けて巻物をしまいに行ってしまう。いつもとは違う微笑みだったような気がして違和感を感じたが、勘違いだと思えてきてすぐにやめた。
「どんなことをするんです?」
レイシアの背中にそう聞くと、プラチナ色の髪を揺らして振り向いたレイシアがにっこり笑った。
「あなたはどうやら才能は持っているようですし、すぐでしょう。まずは、そうですね………」
そう言うやいなや、レイシアはあの夢で見たのと同じ、光り輝く『魔法陣』を両手の指先で描きはじめた。何もないはずの空間に、七色に輝く美しい文字と模様がすごい速さで動く指によって刻まれていく。それに見入っていると、
「さて、これが『魔法陣』というもので、これによってルミナ族は魔術を発動することができます。」
とレイシアが言う。
「この七色のモノも、世界に満ちている神の分子によって創られています。ですからまだ『神の力』を見ることのできないあなたには、この魔法陣は触れない。」
それにシギが実際に魔法陣に指を近づけると、やはり指先には何も感じず、魔法陣も微動だにしなかった。
「どうしたら見られるようになるんですか?」
「それはとても簡単で、ただ瞑想すればいいんです。」
「瞑想?」
「はい。瞑想はルミナ族が5歳の子供に行わせる修行で、長い者は1ヵ月、才能のある者なら1週間もすれば『開眼』します。」
「一週間?!って、え?早くて一週間ですか?」
思わずそう聞いてしまうシギに、レイシアはまた小さく笑った。
「それも修行です。あなたの才能次第ですが、あなたのご両親は3歳のころに3日間の瞑想を経て『開眼』したと聞いていますよ。」
「3日……………」
「それだけ才能があったということです。あまりにも異例ですし、それが同じ時期に2人もいたとなればルミナ族はさぞ大騒ぎだったことでしょうね。まあそれも、予言通りだと言えば必然なのかもしれませんが………」
そこでレイシアは言葉を止めたが、シギはその予言という言葉に反応せずにはいられなかった。あまりにも知らないことが多い現実に、少しもどかしさを感じる。
「……それはさておき、とにかくあなたには今日から瞑想に入っていただきます。」
「え、あ、はい。」
「瞑想といっても、ただ何もせず座っていればいいというわけではありませんよ。人によってやり方は様々ですし、立ったままの人もいれば、ある程度動き回る人もいます。それよりも大切なのは、あなたの周りの存在を、深く認識すること。それらの息づかいや、鼓動をしっかりと感じ取ることが必要になります。」
それにシギがしっかりとうなずいたことを確認してレイシアがにっこりと微笑んだところで、レイシアの足下の地面がずぶずぶと音をたてて盛り上がってくる。レイシアは土に飲み込まれるようになりながら、微笑んだまま言った。
「それでは、あなたが瞑想に集中できるように、私はしばらくあなたの前から消えます。
あなたが『開眼』し、すべてを見られるようになれば、自然と私の居場所もわかるでしょう。」
「え、ちょ、師匠!」
「では、健闘を祈ります。」
そこまで言ったところで、シギの制止を聞くことなくレイシアは地面に飲み込まれ、人型の土が地面に戻っていったときにはレイシアの姿はそこにはなかった。見るといつの間にかレイシアの荷物もすべてなく、そこにはシギと、シギの荷物と、静かな森だけが残された。
「…………………。」
人の気配もなく、ただわずかな風に葉がこすれる音と、ほんのりと漂う緑の瑞々しい香りだけが立ち込め、落ち着きと、少しの不安がシギを襲った。
思えば、物心ついてからこのかた、これだけ何もない場所に一人になったことはなかった。常に壁に守られ、人に囲まれた生活はもうここにはない。
それだけで、もう自分が一歩踏み出してしまったということを重く実感する。
温かく見送ってくれた村の人たちのことを思い出すと、頭の芯がほんの少ししびれる感じがした。
自分がいなくなれば、観光客は減り、厳しい環境が戻り、村の暮らしはまた辛いものになるというのに。それが本来の姿であり、また旅に出ることもシギのあるべき姿なのかもしれないと、涙をためた目で言ったノルの顔が頭に浮かぶ。
いつかこの旅が終わり、すべてを終えたころには、また村に戻ろう。
それまでどうか、みな、元気で…………
目の奥がじんわりと痛むのを感じながら、いつどこでレイシアが見ているかもしれないと思い、動かずにいたその場所から移動してみることにした。
森は本当に静かで、小さな小鳥一羽見つけるのにも一苦労するほど、生き物の存在を感じなかった。いくらか歩いたところで小さな小川を見つけ、シギはそのほとりに腰かけることにした。
「………瞑想、か…………」
レイシアは瞑想について何も詳しいことは言わなかった。周りの存在を意識するといっても、それはいつもしているつもりだ。その言葉の真意はなんなのか、どういうことで、どういう感覚なのかさっぱりわからず、少しずつ焦りがわき上がってくるのがわかる。
シギは一度目を閉じ、全身を使って自然を感じた。
冷たい澄んだ空気、草の香り、風の音。様々なものがシギをとりまき、そして一瞬一瞬で姿を変えている。
父さんと母さんは3歳で開眼したらしい。物をよく考えることもできないような年で、どんな気持ちで瞑想していたのだろうか。ルミナ族では5歳で子供たちに瞑想をさせるようだし、もしかしたらこうしてなんだかんだ考えてしまう年になる前にさせたほうが良いことなのかもしれない。
「ああーーーだめだ!」
成功する気がしなくなってきて、仰向けに横たわる。
穏やかな空。
これだけの高所だと、雲もやたらと近く、すぐに触れられそうな距離にある。
「............気持ち良いな............」
目を閉じると、静かな風の音だけが聞こえてきた。
あまりにも静かなこの土地では、レイシアの言っていた通り、生き物すべての時が止まったような、眠りについているような感覚に包み込まれる。時間だけが淡々と過ぎて、絶対的なその力すらも受け流す堂々とした大地がそこにある。
世界には、時間と、大地というこの大きな力があって出来上がり、成り立っているのだと思っていたが、神という存在がいるとしたらそうでもないらしい。それに比べたら自分の存在なんて、どれだけ小さいことだろう。
そんな小さい人間が、このルミナ族の血によって、その大きな力と手を結ぶことができるのだという。
それはとても、恐ろしいことなのではないだろうか。
改めて、自分の力の重さに気づく。
するとそこで、突然の突風に身体が包み込まれた。木もざわざわとうるさく鳴き、木の葉が襲いかかるように降り注いだ。
「もしかして.........怒ってる?」
まるで叱咤されているようなその空気に、少し笑いがこみ上げてきた。
『今日の森は、ずいぶん機嫌がいいね。』
そこでなぜか、あの夢で見た父さんの声が聞こえてきた。
森の機嫌。
それは、よくシギが感じることのできる森の空気のことなのだろうか。ならば、この森に来たときに感じたあの古い香りと、落ち着いた空気はやはりこの森の性格そのものなのだろうか。
いや、そもそも森の機嫌とは、ただの感覚なのか?本当に、森には気持ちがあるのではないだろうか。生きているのではないだろうか。
「そうか、そうなのか……。」
そこでシギは目を開け、目の前の小川に右手をつけみる。より高いところからきた雪解け水なのか、小川はひどく冷たい。しかしそれよりも、水が生き生きと、まるで子供のようにはしゃいでいるような声が聞こえてきたような気がするのだ。
ならば、この草は?
手をついていた先にある地面の草は、まるでこれから来る春を予期しているかのように、少しまだ鈍く、それでいて目覚めようとしているかのようだった。
ならば木は?空気は?空は?
「ああ………そうなのか。」
手と、目と、耳と、鼻と、すべてで世界を感じれば感じるほど、あれだけ静かだった森からうるさいほどの囁きが聞こえてくるようだった。
それは木の呼吸であり、土の寝息であり、蕾の歌だった。
もはやシギには、ただ座っているなんていうことはできなくなっていた。
もっと声を聞きたい。もっと語り合いたい。
広がっていく世界にどんどんと足を踏み入れていくのは、とても留まる余裕などなかったのだ。
日が暮れ、辺りにひとつの光もなくなったころ、シギは星の見える大きな木のてっぺん近くの枝に腰かけていた。
家も少なく、日暮れと同時にだれもが床についていたあの村でも星は美しく見えたが、やはり人に触れられることのないこの山の上からは、よりたくさんの、人が作る灯りよりも明るく星が見えた。ここの標高が高く、空気が澄んでいるからなのか。
いや、もしかしたら、人がいなかった神々の時代では、どこでもこんな風に星が見えたのかもしれない。
ならばルミナ族のあの村ではどう見えていたのだろう。あの村では、あの星も神の力としてまったく別のものに見えていたのだろうか。
いや、まずあの星の光も、神の力によってなのだろうか。
なぜ神は星を作ったのだろうか。
今もなお聞こえる世界の声の中でも、星の声は遠くまったく聞くことができなかった。
しかし思考の糸は、果てしないあの空の向こうに続いているかのように、留まることを知らない。深く、深く考えを進めるにつれて、視野が広くなっていくような気がする。いまこの瞬間、この一時に感じられる世界が、今までよりも明確に広くなっていった。いま腰が触れている枝でさえも、まるで身体の一部であるかのように溶け合っているかのような感覚。
眠気など知らず、むしろあの夜空に吸い込まれるように見開かれる目に飛び込む一面の星空も、このまま目に張り付いてしまいそうだ。
自分の鼓動が、徐々に、徐々に世界の鼓動と重なっていく。
太鼓の音が胸の骨に響くように、頭の芯を振るわせる世界の大きな鼓動に身を任せるのは、ひどく心地よかった。
母の胎内のことなど覚えているはずがないのに、今のこの感覚は確かにそれと同じ確かな安心感に包まれていると、感じることができた。
ルミナ族の中でも最高の才能を持った母の中で、父の血を受け継ぎ、そして今は、確かに世界に満ちているルミナ族の力、神の力を感じる。
そうか、だからなのか。
この安心感は、やはり母の中と同じなのだ。
結局は、神の力に守られているのだ。
もしも神の力を操ることができるようになれば、きっと自分は、父さんと母さんに、触れることができる。
一族と、いっしょになれる。
シギは一度目を閉じ、もはや自分のものなのか世界のものなのかわからなくなった鼓動に耳をすました。
世界と、いっしょに。
父さんと、いっしょに。
母さんと、いっしょに。
みんなと、いっしょになる。
静かに、目を開いた。
「ん。」
わずかに揺れた空気に、レイシアは大きな瞳を美しい星空に向けた。
ひどく澄んだ、太古から生き続けるこの地の空気に、ほんの少しの違和感が混ざる。
「…………思ったより、早かったようですね。」
くすりと笑って空を見つめるレイシアに、静かな風がまとわりつく。
「そうですね、彼の血はとてもきれいだ。」
その風に答えるように手を差し出してレイシアが笑うと、足元に転がっていた光る小石が語りかけた。
『一晩、なり。』
「すごい才能ですね。」
『あなた様ほどではありませぬ。』
「はは、そうやって君はすぐに私を誉めたがりますね。」
『我は忠誠を尽くしているのみ。』
「買い被りですよ。」
そこまで言って、レイシア大きく息を吸って乾いた笑い声とともに、ため息をついた。
「彼の中の血には、とてもかなわない。気高さという面では、ね……」
静かな森に、レイシアのつぶやきは無情に吸い込まれていく。長く生きた古き森は、良い意味で冷たく、来訪者を包み込む。
『……我は歴史を記録するもの。その我があなた様を見て『予言』の実現を感じた。それは確かなり。』
そう淡々と答える『かたりべ』に、レイシアは一度振り向いてから小さく笑うと、美しく、底の見えない微笑みを浮かべて静かに語りかけた。
「明日彼がここに来たら、儀式をして正式に彼を『テルマ』として名を刻みます。そのときからあなたは彼のものです。いいですね?」
『御意。あのことに関しては………』
「もちろん、言いません。彼には、彼が知るべきことだけ話しましょう。」
『御意。』
そう答えてその青白い輝きを失い、ただの小石に戻った『かたりべ』を懐にしまい、レイシアは別の石を取り出した。
黄緑の若葉の色を思わせる、磨かれていない原石。
首にかけたそれも、今では昔よりも小さくなっているような気がする。わずかな明かりをすべて吸い込むように不思議と輝くその原石を、月に向かってかかげてみると、きらきらと美しい輝きがレイシアの目を覆った。
こんなにも、こんなにも汚いこの世界で、何も知らないかのように輝き続ける小石。
それは、まるで………………
朝靄のかかる森を、シギは確かな足取りで進んでいた。
レイシアを探して。
これはまるで村を出るときと同じ状況のような気がするが、あのときとは確かにちがうことがあった。
今、シギに見える世界は黄金郷のようにまぶしく光り輝いているのだ。
空中の靄もきらきらと輝き、木や草や花でさえ、その表面に金をまとっているかのように、金の粒がそこら中に浮遊していた。
昨晩、このキラキラが見えるようになったのがレイシアの言う『開眼』だとしたら、目の前に広がるこの金の粒は、『神の力』の具現化だと考えられる。確かにこの世界には、『神の力』が今もなお息づき、いや、むしろ『神の力』によって構成されているようだ。
『開眼』してからというもの、あまりの興奮に一晩寝られなかったのだが、しかしあることに気づくことができた。
こうして『神の力』を見続けているのは、ひどく疲れる。
少し意識を集中している状態が続いているからなのか、それともこの状態自体がルミナ族の力であり、力を消耗してしまっているのか、どちらなのかはレイシアに聞くまでわからないが、基本的には今までと同じ何も見えない状態でいなければいけないらしい。
しかし今は、『開眼』を維持している。昨日レイシアは、『開眼』すれば自分を探すことができると言っていた。つまり、レイシアは『神の力』を利用して何かしらの合図を出しているのではないかと睨んで、朝から森を探しているのだが…………
それは予想以上に、わかりやすかった。
『開眼』をしてすぐに気づいてしまったのだ。ある方向に、膨大な量の『神の力』が集中しているのである。きらめくとかそういうレベルではない。世界に散らばっているのが金の粉だとしたら、それは金の塊でできた山だ。
それがナニなのかはわからない。しかし、あの、レイシアの手に触れたときのような、村を出るときにこうしてレイシアを探したときのような、悪寒とも、歓喜ともとれる不思議な感覚が、その金の山から発せられているのだ。
朝日が昇ってから森を進み始めてからというもの、それに近寄れば近寄るほど輝きは増し、もはや目が開けていられないほどになってきた。
「ぐ……………」
目が潰れてしまいそうな感覚に陥り、思わず力を抜いて『開眼』をやめると、やっと目の前が見えるようになる。そこでやっと、その先から滝壺のような水の落ちる音がしてきているのに気づき、その音のする方向へ感覚を頼りに進んでみる。
するとやはり、その先に彼を見つけることができた。
岩場を縫うように流れる小さな滝の落ちた先には小さな湖ができていて、その真ん中に、レイシアはいた。こちらに背を向け、あぐらをかいて湖面に座っている。空中に浮くでもなく、ただ湖面が地面であるかのように錯覚してしまいそうなほど、なんの違和感もなくレイシアは座っていたのだ。
「師匠。」
もうあの膨大な『神の力』の正体がナニかわかっている以上、その光景にもあまり驚くことなく、静かにシギはそう声をかけた。それに輝くプラチナの髪を揺らして振り向くレイシアの顔が、シギをとらえてふわりと微笑んだ。
「おはようございます。早いですね、いろいろ。」
湖面の上に立ち上がってこちらに歩いてくるレイシアを、ただ見つめて待っていると、裸足の足をふわりと草原に下ろして、レイシアはシギの切れ長の瞳をまっすぐに見つめ返した。
「どうですか?新しい世界は。」
大きな澄んだ瞳を細めて微笑むレイシアに、自分の右目を軽く抑えてシギは答える。
「なんというか、予想以上にはっきり見えて妙な気分です。それよりも………」
何をシギが言わんとしているのか分かるのか、レイシアはにこにこと微笑んだまま表情を変えずにシギの言葉を待っていた。
目の前の、自分より少し背の低い少年に、いや、少年に見えるソレを見つめて、シギは鋭く目を細めて口を開いた。
「師匠は……あなたは、『かみさま』なんですか?」
レイシアは、まだ表情を変えず、淡々と答える。
「いいえ。」
「それは本当に?」
「はい。」
「じゃああなたはなんなんです?」
「ナニに見えます?」
「何も見えません。」
「何も?」
レイシアの質問に、シギはしっかりとうなずいた。
ここに来るまでの、あのまぶしい輝き。
さっきから何度か『開眼』を試みているが、未だまぶしくて普通の世界でしか目を開けることができはいままだ。
輝きは神の力の結晶のはず。ならばあれだけの輝きを放っていれば、もしかしたらレイシアは神の力そのものなのかもしれないと思っていたが、神ではないという。
ならば、なんなのか。
「……じゃあ、聞き方を変えます。」
「はい。」
「師匠は、人間ですか?」
その質問に、なぜかレイシアはまたふわりと微笑んで、ほんの少し肩をすくめて答えた。
「いいえ。」
レイシアの微笑みは本当に美しく、朝日を浴びて一層きらきらと輝くプラチナ色の髪が目にまぶしかった。レイシアの首にかかった、あの不思議な黄緑色の原石が妙に目に付いた。
「……あなたは、『白い呪い』のひとつなんですね。」
「はい。」
ほんの少し予想してはいた。
レイシアの力、知識、すべて総合して、もしかしたらそうなのだろうと思っていた。村を出てまだ一週間も経っていないのに、信じられないようなことが起こりすぎてもう頭が着いて行かない。いや、むしろ夢を見ているかのように、妙に頭が冴え渡っているようだ。本来疑問に持つべきところに、疑問がわかない。
「『白い悪魔』、なんですね?」
「はい。」
何がそんなにうれしいのか、レイシアはシギの言葉にまた微笑んで、シギに背を向けて草原にゆっくりと座った。
「私は、『白い悪魔』として、この世界に生まれました。もちろん、人間の父と母のもとで命を受けましたし、見ての通り形は人間で、生まれたころもほとんど人間だったと思います。しかし、すぐに『白い悪魔』として覚醒し、そして私の導主として現れたのがあなたのご両親でした。ふたりのもとで私は『白い悪魔』として完成したんです。」
静かな声は、なんの躊躇もなく簡単にすべてを明かした。少しずつ、わからなかったことがほどけていく気がする。
「私が神に与えられた宿命は、『呪い』を食べること。食べて、吸収し、取り込み、神の力に戻していくことが、私が成すべきことなんです。すべての元凶となった神の力を、人間の手から奪い、消さなければならない。だから、たとえ神から与えられたものとはいえ、立派な『呪い』であるルミナ族の力も、いつかあなたから奪わなければならないんです。」
そこまで言ったレイシアが、首だけシギのほうを見て小さく笑った。
「あなたもようやく、すべてを見られるようになってきましたね。」
その顔はいつもと変わらない、整いすぎた、しかしその奥底には何も浮かんでいない微笑みが貼り付いていた。
もうレイシアは普通には見えなかった。
その正体もはっきりわからず、どこまでが人間の部分なのかも、わからない。気持ちも、考えも、過去も。
「まあ、そういうことで、とにかく今日はあなたに、ルミナ族の儀式を受けてもらう必要があります。」
「儀式?」
あまりに唐突な話に聞き返すと、レイシアは立ち上がって適当な枝を広い、地面に大きく何かを書いていく。
「はい、儀式です。あなたは無事に『開眼』を済ませましたし、これで正式にルミナ族として認められ、さらにはルミナ族の風習では成人である15もにもなり、加えて神聖なる『テルマ』にもならなければならない。本来なら3つの儀式を行わなければならないのですが、まあ、簡易版でいいでしょう。」
そう言う間に、レイシアはナニかを書き上げたようだ。
「魔法陣………?」
それは確かに、大きな魔法陣だった。
人の3倍はありそうな大きな円に、簡単な5方星が大きくひとつ。
「さらに…………」
レイシアはそうつぶやくと、今度は空間にさらさらと次は大きいが、地面のよりもより複雑な魔法陣を描き出す。完成したその魔法陣にレイシアは軽く触れ、小さく何かつぶやくいた。
「ヒール レシナム テルマ」
すると浮かび上がった魔法陣がわずかにきらめき、消えると同時に地面の魔法陣にかさなるように再び現れた。
「……これで、全部いけると思うんですが……どうです?」
レイシアのその一人ごちに首を傾げると、
『応。完璧であると。』
いつの間にかレイシアの手のひらに載せられいたあの小石がそう答えた。レイシアはそれに満足げにうなずき、
「では、その真ん中に立ってください。」
とシギに言うので、シギは言うとおりに光る魔法陣と5方星の真ん中に立った。そのとたん、魔法陣はよりいっそう強く輝き、七色の光が足元からシギを包んだ。
「では、『開眼』してください。」
そう言うレイシアのほうを振り向くと、レイシアは『かたりべ』を左手の上に置き、なぜかその青白く輝く模様に右手の指を触れている。そのまま『開眼』するとレイシアの輝きに目がつぶれるので、シギは前を向いて意識を集中した。
途端、景色が変わる。
目の前だけではなく、景色全体が真っ白に染まり、振り向くとレイシアもそこにはいなかった。ただ足元に、あのふたつの魔法陣が重なったようなものが光り輝いているだけで。
『血を。』
突然頭に直接降ってきたような声に驚く。
『血を。許されし証を、陣に。』
それは確かに『かたりべ』の声で、シギは大人しくその指示に従い、指先を噛んで出した血を足元にたらした。すると、静かに光っていただけだった魔法陣が赤く強く輝き、丸い縁だけが不思議な炎に包まれた。
「なっ………!」
『血は、認められた。』
次に頭に鳴り響いたのは、『かたりべ』の声ではなかった。
確かに、女の…………
『我らテルマの成すべきことはふたつ。
ひとつ、『神魔』現れしときには、探し出し、使え、支えること。』
姿は見えない。
しかし、その声には聞き覚えがあった。
『ふたつ、我らルミナ族の里を人の手から守り、『ハクメ』の地をそのときが来るまで隠し続けること。』
そのとき、足元の大きな魔法陣が一瞬また強く光り、その光が目の前で人の形を形作っていく。
『我らが性を。』
それは。
『我らが力を。』
なぜ……………
『我らが定めを、守り抜くことを誓うか。』
目の前で、カリア・サンが、淡々とそう述べた。
確かに、目の前のそれは自分の母親だった。あの夢で見た、気高く、美しい姿が、そのままそこにいる。紺色の切れ長の瞳が、確かにシギの瞳をとらえていた。
「………か、母さ……………」
『誓うか。』
シギの声を遮って響くその声に、うなずく。
それと同時にまた白い世界が光り輝き、目の前が、いや、意識が白く染められていくのがわかる。
白い世界が歪み、消えていこうとする。
母と共に。
「え、か、母さん!!母さ………」
『我が子。』
白くなっていく意識の中で、目の前の母の声がはっきりと頭に響いた。
『我が子。
これは幻。私も、お前の父も、お前がこれを見ているときには死んでいる。私はお前が今私を呼んでいるのか、どんな顔をしているのか、見ることは叶わない。それは私が幻で、私はいないから。
だが、私の声をこうしてお前に伝えることはできる。
だから、聞きなさい。
お前がいま選び、歩もうとしている道は決して正しいとは言えない。幸せになる道は他にあったはず。だが、そう思うのは、私がお前の母だからだ。
ルミナ族として、先代のテルマとして、お前の選択を、本当に誇りに思う。お前の今の選択で、世界の救済にまた一歩近づいた。
お前がこれを見ているということは、レイが、レイシアがそばにいるのだろう。あの子はこの世界のカギだ。お前はあの子を、世界を救うあの子を、救いなさい。
決してあの子をひとりにしてはならない。あの子はその運命ゆえ、感情を失ってはいるが、だれよりも優しい。優しいがゆえに強いが、同時に弱い。あの子のそんな人間の部分を消してはならない。同時にあの子が消えてしまうから。
だが、何よりもお前が守らなければならない義務はひとつだ。』
もはやほぼ残っていない意識の果てで、母が笑ったのを感じた。
『生きろ。自分自身の幸せのために。
愛しているよ。我が子よ。』
聞きたいことはたくさんあるのに。
伝えたいことはたくさんあるのに。
そして伝えても、その声は届かないことはわかっているのに。
これだけは。
ただひとつこれだけは。
「母さん……………」
「……ありがとう……………」
ぼろぼろに涙を流しながら、そうつぶやいて膝を崩したシギを、レイシアは後ろからふわりと抱きとめた。
地面の魔法陣の光が徐々にうすれ、それと同時に、ほのかに感じる、彼女の魔力が薄れていくのもわかった。
「…………師匠。確かにあなたとの約束、果たしましたよ。」
ひさびさに大量に使った体中の魔力が抜け、身体が石のように重くなるのを感じながら、レイシアは空を見て、笑った。