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1-06 泉


店に着くとイグレッツィオが店内の壁に絵を描いていた。

石造りの町並み。

海と夕日の見える風景。


「すごいっすね、さすがプロ。俺、萌絵しか描けないっす」


「それもすごいと思うけどな」


集中しているようなので挨拶は後回しにして、試作を始める。


「今日はどうするんすか?」


「とりあえずシート焼くか」


シートというのはたまご工房で使用していた天板型のスポンジだ。

ロールケーキの生地なのだが、丸型で抜いて重ねればデコレーションケーキにも出来る。


「んじゃ計量しますね」


「頼むわ」


計量を滋郎に任せ、貴人は買出しに出た。

目的は果物である。



こちらの果物の旬はよくわからないが、アカの実・ヨシの実・ブルーベリー・モモなどが並んでいる。

元の世界にあったものもあれば、見たことのないものもある。

見た目が同じでも味が同じとは限らない。

試食のためにも一通り買ってみよう。


ついでに近くのケーキ屋にも寄ってみた。

10種類以上の生ケーキとたくさんの焼き菓子。

この店に限らず、生ケーキよりも焼き菓子の種類が多い。

籠の中に焼き菓子を入れたギフト品もあり、焼き菓子に力をいれていることがわかる。


「ギフトか……」


売れるのであれば何か考えないとな。

元の世界にもあった乾燥剤や脱酸素剤の役割を持つものもあり、賞味期限はさほど変わらないだろう。


「その前に焼き菓子か」


マドレーヌが花の型になっているくらいで、他はそんなに変わらないように見える。

エトランはあまり他国の文化が入ってきていないので全体的な種類はそんなに多くない。

定番の商品は早めに試作してみよう。

店の改装が終わったら早めに営業を再開したい。





シートを冷ましている間に、果物を試食してみることにした。

ブルーベリーやモモは見た目通りの味だった。

拳大くらいの緑の実はスイカ味、ただし食感がメロン。

そしてこちらのバナナは中身は一緒なのだが皮は茶色だった。


「……うん、まぁ味覚が同じで良かったすよね」


確かに。

味覚が違ったら食べ物の確保が厳しくなっていたかもしれない。


冷めたシートにクリームを塗り、巻く。

ロールケーキである。

これの上にクリームを絞り、フルーツを飾りデコレーションしたロールケーキも作った。

クリームにアカの実を混ぜ込んでみたり、チョコクリームにしてみたり、バリエーションも様々。

カットしたものとロールのままのもの、両方を売り出す。


「普通の白と、アカの実が美味しいです」


「俺はチョコがいいっす」


これは単純に好みの問題だと思うので、出来るだけ種類を並べたい。

あとは売れ行き次第で絞っていけば良いし、期間限定品にしても良い。


基本は一緒なので試作はしないが、丸型のデコレーションケーキも並べよう。

このシートはタルトや他のケーキにも使うので多めに焼かないといけない。

冷凍保存が出来るので、焼けるときにまとめて焼いておこう。

残りを冷凍庫に入れる。


「え?」


貴人が振り返ると、イグレッツィオが目を丸くしていた。


「何だ?」


「そこ、冷凍庫ですよ?」


冷凍庫を指差して、首を傾げている。


「うん」


当たり前だ。

冷凍保存するのに冷凍庫にいれずにどうするというのだ。


「え?」


「え?」


「……この生地、冷凍保存出来るんっすよ」


見兼ねた滋郎が助け舟を出す。


「えぇっ!?」


何その驚き様。


「冷凍技術はあるのに冷凍保存はしないのか?」


不思議だ。

もしかしたらこいつが知らないだけで他の店ではしてるんじゃないだろうか。


「え、だって、でもそんなことメモには……」


確かにメモには作り方しか書いてなかった。

菓子の基礎の本にも冷凍保存のことは載っていない。


「まさかと思うけど……ケーキ、毎日一から作ってたのか?」


「え、はい」


「…………すごいっすね」


「ありえん。だからこの店だけ種類が少なかったんじゃね?」


「たぶんそうっすね」


「え? え?」


よくわかっていないのか、イグレッツィオは滋郎と貴人を交互に見ておたおたしている。


「まぁいいや。この生地は焼いたあと、冷凍保存出来る。他にも冷凍出来るもんは教えるから」


一人で毎日、よく頑張った。

すごい、すごいようん。


「とりあえず今日は帰るわ。また来る」


お土産兼試食にケーキを持って帰ろう。

シュー、ケーキと来たら次はタルトかパイか……。

そういえばメモにも本にもパイがなかったなと思いながら、2人は帰路についた。





◇◇◇








「帰りたい……帰りたいよぅ……」


膝を抱え、蹲る。

この世界で暮らしていける気がしない。

春日はひとり、泣いていた。


今春日いるのは地下の一室。

室内なのに泉があり木も生えているという不思議なところだ。

人も来ないので春日のお気に入りになっている。


「うぅ~……」


泣き言を言ってもどうにもならないことくらいわかっている。

そうは思っていても、涙が勝手に出てくるのだ。



この世界に馴染めない。


戦うことも出来ないし、かといって働くことも出来ない。

異世界の人の中に入っていくことが、怖い。


どうして皆、入っていけるんだろう。

自分がおかしいのだろうか。



勉強は好きだけど、趣味という趣味はなく、特技もない。

テレビや映画、雑誌は好きだし、買い物も好き。

だけどそれが仕事に繋がるかといえばそうじゃない。


魔法だって先輩達は3つ以上属性がある。

それなのに春日2つ。

それも水と風で、光という貴重な属性でもない。




どうしたら良いのだろう。






春日は溜息を吐いた。

冷たい水に手首を浸す。

気持ちいい。

ちゃぷちゃぷと遊んでいるうちに水底の文字に気が付いた。


「ん……?」


詩だろうか。

興味本位で読み上げてみる。

覚えたての言語が楽しくて、つい色々読んでしまうのだ。


「えっと……」



『チカラが欲しければ 我を呼べ 我が名は―― 白く気高き――なり』



「名前、ないのかな」


名前の部分が読み取れないようになっている。

文字が消されているというか、削り取られているのだろうか。 


「名前かぁ」


家で飼っている子犬を思い出す。

白いロングコートチワワだ。


藤花とうか、元気かな」


きゃんきゃんとかわいらしい子犬。

春日がソファに座ると、膝の上に来たがるのだ。

まだ小さいので自力で登ることは出来ず、抱きかかえるのことが常だった。


また目が潤む。

帰りたい。

家族も心配しているだろう。


帰れないと説明されたが、どうにかならないだろうか。

宮尾君なら出来そうな気がする。

なんとなくだけど、宮尾君だし。



『帰るために、チカラが欲しい。チカラを下さい。……白く気高き――さん』




何がなく、呟いてみただけだった。


その一言で、何かが起きるとも思わずに。



驚愕で見開かれた目、そして叫び声。

その声を聞きつけて騎士が、及川が、走る。

そしてその場に駆けつけて来た時見えた光景は――。





人を丸呑み出来そうなほど大きい白い蛇と――――。










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