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恋愛小説のはずでした

婚約破棄の夜、絶交した親友に謝りに行きました

作者: 堀吉 蔵人
掲載日:2026/10/02

 小広間から、セシルの笑い声が聞こえた。

 私は足を止めた。開いた扉の向こうで、彼女が一枚の紙を掲げている。そこに何が描いてあるのかは見えなかったけれど、卓を囲む人たちはみんな笑っていた。

 あの中に私もいたはずだった。半年前までは。


「イレーヌ。こちらへ来てくれ」


 婚約者のエドガール様に呼ばれ、私は小広間に背を向けた。

 今夜の夜会には、晩餐の後に絵当て遊びがある。デュラン伯爵夫人からの招待状を見たとき、セシルも来るだろうかと最初に考えたことは、彼には言っていない。

 エドガール様の隣には、リディ様がいた。銀の髪飾りも、深い青のドレスもよくお似合いで、私は何を話せばよいか考えながら近づいた。


「君との婚約を破棄したい。私はリディ嬢と結婚するつもりだ」


 彼の口が動いているのを見た。

 ついさっきまで、今日の私の髪の結い方について話していた口だった。もう少し落ち着いた飾りの方がいいと言われ、次はそうしますと答えたばかりだった。


「お二人で、もうお決めになったのですか」

「そうだ。君には、私にふさわしくなろうと努力してもらったが……無理をさせるのも、よくないと思ってね」


 親切そうな声だった。それを聞いた途端、指先が冷たくなった。

 声を上げて笑うなと言われれば、口元を押さえた。くだらない遊びはやめろと言われれば、見ている側へ回った。いつも、次こそは褒めてもらえると思っていた。

 それを今になって、無理はしなくてよかったように言うのだ。


「私はあなたと結婚したくて、していたんです」


 かろうじてそれだけ言うと、エドガール様は困った顔をした。


「気持ちは分かる。だが、リディ嬢とは話も合うし、何より一緒にいて気を遣わずに済む。君にも、もっと合う相手がいるだろう」


 私は彼といる間、ずっと気を遣っていた。

 婚約したばかりの頃は、違ったはずだった。苦手な葡萄酒を飲みきれずにいると、果実水を持ってきてくれた。無理をしなくていいと言ってくれた、その人を好きになった。

 けれど、いつからか、私だけが直すところばかりを指摘されるようになっていた。


「お父上への話は、明日、こちらから申し入れる。今夜はもう帰った方がいい。控室で落ち着いてからでも――」

「婚約破棄は、お受けします」


 自分の声に、私が一番驚いた。

 エドガール様も言葉を止めた。引き留めたい気持ちはあった。ここで泣いて、今度こそあなたの好きなようになりますと言えば、振り返ってくれるかもしれない。

 その、好きなようになろうとした二年間の先が、今夜なのに。


「正式なお話は、両家できちんと済ませてください。母にも、私から伝えます。帰るかどうかは、その後で決めます」


 お辞儀をして離れた。背中に何か言われた気がしたが、足を止めると、戻りたくなってしまいそうだった。

 大広間の窓際に母を見つけ、事情を話した。短く済ませるつもりだったのに、他の方と結婚なさりたいそうです、と言うところで声が震えた。

 母は私の手を取り、近くにいた知人へ断ってから、柱の陰へ連れていってくれた。


「帰りましょう、イレーヌ。今夜はもう、誰にも愛想よくする必要はないわ」


 優しくされると、余計に泣きたくなった。

 でも、小広間から、また声が聞こえた。今度はセシルではない。答えが分からない誰かが、困った声を出していた。

 私には、帰る前に言わなければならないことがあった。


「お母様。少しだけ、セシルと話をしてきてもいいですか」


 母が、私の顔を見直した。


「……ええ。ここで待っているわ。帰りたくなったら、いつでもいらっしゃい」


 私はうなずいた。

 エドガール様に嫌われることより、セシルに会うことの方が、今は怖かった。


 * * *


 小広間の卓には、紙と鉛筆が並んでいた。

 セシルが掲げていたのは、夫人が遊び方の説明に使った絵だったらしい。出題役が題を書いた札を渡し、二人一組で、片方が絵を描いて、もう片方が当てる。描き手は言葉で説明してはいけない。

 昔から、この家の夜会ではおなじみの遊びだ。絵が上手な人より、下手な人の方が長く覚えられる。


 セシルは知り合いのご婦人と話していた。その方が夫君に呼ばれて隣の卓へ移るのを待ち、私は近づいた。


「セシル。少し、お話ししてもいいかしら」


 彼女は顔を上げた。

 驚いて、それから、笑みを消した。私が知っている表情だった。怒っているとき、セシルは唇の内側を軽く噛む。


「何か御用ですか、イレーヌ様」


 呼び方が痛かった。でも、そう呼ばせたのは私だ。

 半年前、私たちは私の家でお茶を飲んでいた。セシルが今夜と同じ遊びの話をして、私も笑って、途中から来たエドガール様に叱られた。

 帰り際、セシルは私に言った。好きな人の前で、そこまで笑うのを我慢しなくてはいけないの、と。


 私は彼女を責めた。

 エドガール様は私のことを考えてくださっているのに。あなたは私が結婚するのが面白くないのでしょう、と。

 そして、もっとひどいことを言った。


「あなたといると恥ずかしい、なんて言って、ごめんなさい」


 セシルの指が、卓の縁で止まった。


「もう家へ来ないでと言ったことも。私が言ったの。誰かに代わりに謝ってもらえることではないと、分かっています」


 用意していた言葉は、そこまでだった。

 会えたら、きちんと謝ろう。何度かそう思ったことはある。でも、また断られたらどうしよう、今さら蒸し返したくないと言われるのではないかと考え、手紙一通出せなかった。

 今日も、彼女と目が合ったのに、挨拶だけして通り過ぎた。


「何があったの?」


 セシルが聞いた。私の目元を見ている。

 ここで隠せば、また、自分に都合の悪いことを言わないで済ませてしまう。


「エドガール様に、婚約を破棄したいと言われたの。さっき、お受けしました」


 彼女はすぐには答えなかった。

 出題役が札を混ぜる音が聞こえた。私たちのいる卓でも、別の二人が組を作り、紙を手元へ寄せている。


「彼とうまくいかなくなったから、私を思い出したのね」


 否定したかった。ずっと会いたかったと言えば、少しはましに聞こえる。

 でも、彼の婚約者でいられる間は、謝るのを先へ延ばしていた。


「そう思われても、仕方がないわ。会いたいとは思っていたけれど、今日まで何もしなかったもの」


 喉が詰まり、私は一度息を吸った。


「慰めてほしくて来た、と言われたら、違うと言いきれない。でも、かわいそうだから許してとは言えない。あの言葉を言ったことを、ちゃんと謝りたかったの。あなたといるのが、恥ずかしかったことなんてなかったから」


 セシルが目を伏せた。

 私が彼女を責めていた日、彼女は怒って帰った。だから、会ったら、ほら見たことかと言われると思っていた。あの人はやめた方がいいと忠告したでしょう、と。

 そう言われても、仕方がないと思っていた。


「私、あの時、あなたが私の言うことを聞かなかったから怒ったんじゃないのよ」


 声が、思っていたより小さかった。


「私と遊ぶのが恥ずかしかったのかと思ったの。私だけが楽しくて、あなたはずっと我慢して付き合ってくれていたのかって」


 私は顔を上げた。


「違うわ。そんなこと――」

「でも、そう言ったでしょう」


 その通りだった。

 急いで打ち消せばなかったことになるように、私はまた言いかけていた。


「ええ。言ったわ。あんなふうに言ったら、そう思うわよね」


 目にたまった涙が、とうとう頬を伝った。


「あなたと遊ぶのが好きだったの。笑っているところを彼に見られるのが、怖くなっただけなのに、あなたのせいにした。ごめんなさい、セシル」


 彼女はハンカチを出しかけ、手を止めた。私は手首に掛けていた小さな手提げから、自分のハンカチを取り出した。

 この涙まで、彼女に何とかしてもらおうとしてはいけない。


「今日、あなたに挨拶された時ね、もう平気なふりをしようと思ったの」


 セシルは言った。


「他にも友達はいるし、あなたがいなければ何も楽しくないわけじゃない。でも、一緒に笑っていたことまで恥ずかしがられるのは、嫌だった」

「ええ。楽しかったことは、本当だったわ。私も」


 彼女は私をしばらく見ていた。それから卓の紙を一枚取り、自分の前に置いた。


「すぐに前と同じにはできないと思う。次に誰かに何か言われたら、また嫌になるんじゃないかって、考えてしまうもの」


 私はうなずいた。許してくれないの、と聞く資格はなかった。


「でも、今夜、一回くらいなら。一緒にやる?」


 セシルが、隣の空いた椅子を示した。


「いいの?」

「私もやりたいのよ。あなたの絵、相変わらずかどうか見たいし」


 親切だから、とも、かわいそうだから、とも言わなかった。

 私は泣いた顔のまま笑ってしまい、慌ててハンカチを畳んだ。


「たぶん、相変わらずだと思う。練習していないから」

「それなら、私にも当てられそうね」


 席に着くと、セシルが鉛筆を一本、私の前へ転がした。

 それを受け止めるまで、指が震えていることに気づかなかった。


 * * *


 私に渡された札には、白鳥、と書かれていた。

 白鳥なら描ける。そう思って、まず胴を描いた。水に浮いているのだから足は要らない。首を長くして、先に頭をつける。

 どう見ても白鳥のはずだった。


「……水差し?」


 セシルが、真剣な顔で言った。

 違うと首を振り、私は羽を描き足した。


「羽のついた水差し」


 説明をしてはいけないので、必死に首を振った。水も描いた。横線を三本引いたせいで、卓の上に置いてあるように見えてきた。

 セシルが私の紙へ身を寄せる。


「待って。その点、目なのね。……白鳥?」


 私は勢いよくうなずいた。

 出題役の夫人が小さく鐘を鳴らすと、セシルは椅子の背に倒れかかり、声を上げて笑った。


「よかった! 途中から、自分が何を見せられているのか分からなくなったわ」

「私も、何を描いているのか分からなくなったの」


 言ってから、笑ってしまった。

 久しぶりだった。口元を押さえるのを忘れるほど笑ったのは。

 隣の組の方が紙をのぞき込み、なるほど、と感心した声を出した。


「この白鳥なら、お茶も注いでくれそうですわね」


 もう駄目だった。私は卓に手をつき、セシルと二人で笑った。

 息が苦しくなっても、誰も声が大きいとは言わなかった。


 次はセシルが描く番だった。

 札を確かめた彼女は、得意そうに二つの丸を描いた。それを横線でつないで、上に大きな四角を載せる。

 セシルは昔から車輪だけはうまかった。何故か丸を描くのだけは得意なのだ。


「馬車ね」


 すぐに答えると、彼女は、まだ言わないで、という顔をした。

 私は口を閉じた。出題役の夫人が正解の鐘を鳴らした後も、セシルは馬を描き足そうとしている。


「当たっているのに、まだ描くの?」

「馬まで描いて見せたかったのよ。練習したんだから」


 そこで、私は少し黙った。

 私の知らない半年の間にも、彼女はこうして遊んでいた。私がいなかった日々が、彼女にもちゃんとある。


「それなら、見せて。どんな馬か見たいわ」


 セシルは紙へ目を戻し、慎重に耳を足した。

 長い耳だった。


「……馬なのよ」

「まだ何も言っていないわ」


 彼女が私を見た。私は我慢したけれど、結局、二人とも噴き出してしまった。

 セシルは鉛筆を置き、笑いながら目尻を押さえた。その指先が一度だけ止まったのを見て、私も笑いきれなくなった。

 こんなに好きだった時間を、自分から終わらせたのだ。


「セシル」


 名前を呼ぶと、彼女は顔を上げた。


「もう一回、組んでもらってもいい?」


 謝罪の続きを聞かせる代わりに、今、一緒にいたいと言った。

 彼女は少し考えてから、紙を重ね、まだ何も描いていない一枚を私の方へ寄せた。


「次は私が先に描くわ。途中で当てても、最後まで見てね」


 私はうなずいた。

 その時、後ろから名前を呼ばれた。


「イレーヌ。何をしているんだ」


 エドガール様が、小広間の入口からこちらへ歩いてきた。

 私は振り返った。彼の顔を見た途端、笑っていた自分が急にはしたなく思えた。体が覚えているのだ。注意される前に口を閉じ、背筋を伸ばすことを。

 でも、椅子からは立たなかった。


「絵当てです。次も、セシルと組むことになりました」

「それは見れば分かる。ついさっき、あんな話をしたばかりだぞ。何故、そんなに楽しそうにしていられる?」


 セシルが鉛筆を卓に置いた。

 私は彼女が何か言うより先に、エドガール様を見た。


「あなたが私と結婚しないことと、私が今夜何も楽しんではいけないことは、別のお話でしょう」

「当てつけなら、やめてくれ。周りの人にも迷惑だ」


 彼はセシルへ目を向けた。


「君が何か吹き込んだのか。イレーヌは、こんなことをする娘ではなかった」

「私は今、お誘いを受けて遊んでいたのですけれど」


 セシルの声は硬かった。

 以前の私なら、彼女を止めただろう。お願いだから、彼を怒らせることは言わないで、と。

 今夜は、私も話したかった。


「セシルのせいにしないでください。彼女ともう会わないと言ったのも私ですし、今夜、謝りに来たのも私です」


 エドガール様が眉を寄せた。


「あの時は、君も分かってくれたと思ったのだが。彼女といると、子供みたいになるから――」

「私は、楽しかったんです」


 声が震えた。もう叱られないように答えようとしている自分を、ようやく止めた。


「でも、あなたに嫌われるのが怖くて、やめました。友達にまで、ひどいことを言いました。それでも、あなたの好きな人にはなれなかったでしょう」


 言うつもりのなかった悔しさまで出てしまった。

 セシルの前で泣き言を並べたくはない。それでも、あの二年間、私が何とも思っていなかったことにされるのは嫌だった。


「婚約を破棄されて、悲しいです。今でも。でも、あなたのために、ここを立ちたくはありません。セシルと約束したんです」


 彼は私を見て、それから卓の紙を見た。

 描き損なった白鳥も、長い耳の馬も、きっと彼にはくだらないものに見えただろう。けれど私は、それを裏返して隠さなかった。


「二人だけで話そう。こちらへ来なさい」

「必要なお話は、母と一緒に伺います。婚約についてのお返事は、先ほど申し上げました」


 小広間の入口に、リディ様が来ていた。


「エドガール様。私、今夜、ご両親にお話ししたいと言われてお待ちしているのですが」


 彼が振り返った。


「もう少しだけ待ってくれ。イレーヌが、どうも話を分かっていなくてね」

「婚約破棄はお受けすると、私も聞きましたわ。それ以外に、何をお決めになりたいのですか」


 リディ様は私たちの卓を見てから、彼に向き直った。


「お友達と遊ぶかどうかまで、あなたのお許しが必要なのでしょうか。私も、結婚したらそうなるのですか」


 エドガール様は何か言いかけたが、うまく言葉にならなかった。

 初めて見る顔だった。私が謝って話を終わらせるのを待っているようにも見えた。

 私は、さっき自分の方へ寄せてもらった白い紙を、セシルの前へ戻した。次の絵を描いてもらうために。


「私は、ここにいます。母は大広間におりますので、お話が必要でしたら、そちらへお願いいたします」


 それだけ伝えた。

 エドガール様はしばらく立っていたが、リディ様が先に背を向けると、彼女を追って小広間を出ていった。

 隣の卓にいた夫人が、続きを始めてもよいかと尋ねた。私は、はい、と答えた。


 セシルが札を受け取り、鉛筆を持つ。

 紙へ目を落とす前に、彼女は私の方へ少し顔を寄せた。


「帰りたくなったら、言ってね。約束したからって、無理に座っていなくていいわ」


 私は彼女を見た。

 優しくしてもらったから、すべて解決したことにはならない。彼女がまた私を信用してくれるまで、これからの私を見てもらうしかない。

 でも、今、自分がここにいたいことは、はっきり分かった。


「ありがとう。まだ、あなたの絵を見たい」


 セシルはうなずき、紙に大きな丸を描いた。

 それは、どう見ても車輪だった。


 * * *


 結局、その丸は皿だった。

 その上に、七面鳥が載るはずだったそうだ。私は最後まで馬車だと思い込み、時間切れになった。

 休憩になって飲み物を受け取っても、セシルは時々思い出して笑っていた。


「車輪が上手だったから、またそうだと思ったの」

「私の絵だって、少しは上達するのよ。伯母の家で、何度も遊んだんだから」


 私は、その伯母様の話を聞いた。

 夏に海辺の町へ泊まりに行ったこと。そこで初めて、大きな船に乗ったこと。怖くて甲板の手すりに近づけなかったのに、帰る頃には自分から先端へ行きたがったこと。

 知らなかった。手紙を一通も交わさなかった半年の間に、セシルには話したいことがこんなにあった。

 私は聞いた。自分の婚約の話へ戻さず、伯母様も船にお乗りになったの、と尋ねた。


 帰る時、セシルが私の前で立ち止まった。


「来週の木曜日なら、家にいるわ。午後、お茶を飲みに来ない?」


 嬉しくて、すぐ返事をしようとして、私は一度考えた。

 別の予定を入れていないか。母と約束していないか。もう、会いたいからという気持ちだけで引き受けて、後から断りたくなかった。


「木曜日の午後ね。ええ、伺いたいわ。お母様にも確認して、明日お返事していい?」

「もちろん。都合が悪かったら、別の日にしましょう」


 セシルは少し迷うように目を動かした。


「嫌なことがあったら、言って。私にだって、言っていいのよ。何でも同じように好きになってほしいとは思っていないから」


 私はうなずいた。


「あなたも、私に言ってほしい。今夜、言ってくれてありがとう」


 セシルは、今度は名前を呼んでくれた。


「じゃあ、またね。イレーヌ」


 たったそれだけで、帰りの馬車でまた泣いてしまった。

 母は何も言わず、私の肩を抱いてくれた。恋が終わったことも、言ってしまった言葉も、今日一日で痛まなくなるわけではなかった。

 でも、来週の木曜日が楽しみだった。その気持ちまで、悲しみに遠慮して小さくする必要はなかった。


 婚約は、その翌週、両家の話し合いを経て正式に解消された。

 エドガール様からは、少し距離を置いて考え直そうという申し出があった。私は母を通してお断りした。あの人を好きだった二年と、これからもあの人の隣にいたいかは、同じ答えにはならなかった。

 リディ様とのお話がどうなったのかは、聞いていない。


 約束した木曜日、私はセシルの家を訪ねた。

 母に予定を確かめてから、翌朝には返事を出してあった。玄関で彼女の顔を見るまで、少し緊張した。

 セシルも最初は、どこかぎこちなかった。半年前のように、何も言わずいつもの席に座ることはできなかった。

 それでも、彼女は自分の隣を示した。


「ここでいい? 船の絵を見せたくて、持ってきたの」


 卓に一枚の紙が置かれた。

 大きな船に、細い手すり。その向こうに、二人の女性が立っていた。片方は両手を上げ、もう片方はその腰に必死にしがみついている。


「伯母様、そんなに怖かったの?」

「違うわ。しがみついている方が私よ」


 私は絵を見直した。

 セシルは真面目な顔で、自分はもう少し勇ましく描きたかったのだと言った。けれど伯母様に見せたら、これでも十分勇ましいと褒められたらしい。

 笑っていいのかと思い、顔を上げると、彼女もこちらを見ていた。


「笑ってよ。笑ってもらおうと思って、描いたんだから」


 私は笑った。

 セシルも笑った。今度は、どちらも遠慮をしなかった。

 笑い終わってから、私は紙を自分の方へ少し寄せた。知りたいことが、まだたくさんあった。


「ねえ、船に乗るところから、詳しく聞かせて」

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