第32話 大演習迷宮・終幕
残り時間、5分。
鎧砕鬼がユアンへ向かって咆哮を上げた。
全身は黒い装甲に覆われ、片腕だけが異常なほど大きい。
長い尾が、歩くたびに地面の瓦礫を薙ぎ払っていた。
物理防御が高く、正面から斬っても致命傷判定には届きにくい。
さらに巨大な右腕は、低位の防御魔法ごと相手を叩き潰すだけの威力を持つ。
高得点。
残り時間と現在地を考えれば、今のユアンが狙える中で最も効率のいい相手だった。
問題は時間だ。
鎧砕鬼が巨大な右腕を地面へ叩きつけた。
衝撃で石畳が波打つ。
ユアンは横に跳び、着地と同時に距離を詰めた。
鎧砕鬼が左腕を振る。
右腕ほど長くはない。
だが、動きは速い。
ユアンは身体を沈め、頭上に通す。
長剣を脇腹へ当てる。
硬い。
刃が浅く弾かれた。
装甲の下。
関節。
首。
脇。
狙える場所はある。
だが、鎧砕鬼も弱点を守るように動いていた。
前世で似た構造の敵を見たことがある。
重い装甲。
片腕だけが巨大。
正面防御に優れ、攻撃の直後に身体が大きく開く。
違う魔獣。
違う世界。
それでも、重い身体が動く理屈は変わらない。
ユアンは一度距離を取る。
鎧砕鬼が追い、右腕を引いた。
叩きつけ。
ユアンは、ぎりぎりまで動かなかった。
腕が落ちる直前、右へ飛ぶ。
地面が砕け、魔獣の巨体が前へ傾く。
首元。
装甲の隙間。
ユアンは踏み込み、長剣を振る。
だが、背後から尾が迫った。
見えている。
しかし、避ければ攻撃の機会を失う。
次に同じ隙が生まれるまで、また時間がかかる。
残り時間は、3分。
ユアンは避けなかった。
短剣を尾へ合わせる。
相手は魔力ではない。
受け流せる。
衝突。
重い。
左腕が押され、足が地面を滑る。
それでも、尾の軌道をわずかに上へ変えた。
尾が肩を掠め、戦闘服が裂けた。
強い衝撃と痛みが体に響く。
それでも、長剣は止めない。
首元の隙間へ刃を突き入れた。
鎧砕鬼が咆哮する。
青い光は出ない。
浅い。
致命傷判定へ届いていない。
魔獣が身体を起こす。
ユアンは長剣を引き抜いた。
次の右腕が迫る。
近い。
避ける時間はない。
正面から受ければ終わる。
ユアンは魔獣の内側へ入り、大きな腕が届きにくい胸元へ身体を寄せた。
鎧砕鬼が左腕で掴もうとする。
短剣を指の関節へ滑らせる。
魔獣の手が止まった。
ユアンは首元を見る。
先ほど斬った場所の装甲が、わずかに浮いている。
あと1度。
同じ場所へ届けば終わる。
だが、鎧砕鬼も学んでいた。
顎を下げて首元を隠し、尾と左腕を交互に使う。
さらに巨大な右腕を、至近距離から横へ薙いだ。
範囲が広い。
ユアンは後方へ跳ぶが、右腕が胸元を掠めた。
直撃していない。
それでも衝撃だけで身体が吹き飛び、地面へ転がった。
呼吸が詰まる。
長剣は手放さなかった。
立ち上がる。
数度の攻防を重ねる間にも、残り時間は容赦なく削られていた。
残り2分。
鎧砕鬼が走る。
巨体に似合わず速い。
正面から衝突するつもりだ。
ユアンは長剣を構えた。
剣には、まだ熱が残っている。
魔力へ触れなければ、刃としては使える。
だが、柄を握る右手も、短剣を持つ左手も、疲労によってわずかに力が落ちていた。
確実な一撃を。
鎧砕鬼が迫る。
残り10メートル。
7。
5。
巨大な右腕が上がる。
次の叩きつけ。
魔獣は先ほどと同じ攻撃を選んだ。
いや、違う。
同じではない。
今度は、避けた先を潰すつもりだ。
右へ逃げれば尾。
左へ逃げれば左腕。
後方へ下がれば、叩きつけの衝撃に巻き込まれる。
なら。
前しかない。
ユアンは地面を蹴った。
鎧砕鬼の右腕が落ちる。
その真下へ飛び込み、魔獣の足元を滑り抜けた。
地面が爆ぜ、飛び散った石片が背中へ当たる。
ユアンは魔獣の脚へ足を掛けた。
膝。
腰。
装甲の段差を足場に、巨体を駆け上がる。
鎧砕鬼が身体を激しく振り、振り落とそうとする。
ユアンは長剣を装甲の隙間へ突き立てた。
支点。
それで身体を固定する。
首元まで、あとわずかだ。
魔獣の左手が迫った。
ユアンは短剣を投げる。
回転した短剣が指の関節へ突き刺さり、一瞬だけ手が止まった。
長剣を抜いて両手で握る。
首元の先ほど作った傷へとめがけ、
全体重を乗せ、振り下ろした。
刃が装甲の隙間へ深く入る。
青い光が、鎧砕鬼の巨体を包んだ。
魔獣の身体が消えていく。
足場を失ったユアンは地面へ落ち、受け身を取って転がった。
すぐに顔を上げる。
ポイント加算。
高得点。
残り時間、1分11秒。
まだ、足りたかどうかは分からない。
簡易地図を見る。
近くに低得点反応が3つ。
間に合う。
ユアンは短剣を拾い、再び走り出した。
◇
実習終了まで、残り30秒。
大演習迷宮の全域へ鐘の音が響いた。
30。
各区画で、生徒たちが最後の魔法を放つ。
29。
ルビアの炎が、目の前の魔獣を貫いた。
28。
ミリアスは風で3体をまとめ、水と雷で一度に仕留める。
27。
メルディは倒れた生徒へ水の膜を残し、最後の魔獣へ光を帯びた水槍を放った。
26。
ダルタスの黒い土槍が、大型魔獣の核を正確に砕く。
25。
ユアンは走る。
簡易地図の反応は近い。
崩れた建物の向こう。
24。
小型魔獣。
3体。
甲殻は薄く、魔法攻撃も持たない。
23。
1体目が飛び出す。
ユアンは速度を落とさない。
22。
短剣を喉元に。
青い光。
21。
2体目が横から迫る。
20。
長剣を返す。
胴。
浅い。
判定に届かない。
19。
尾が迫る。
避ける。
18。
もう一度踏み込む。
首元。
青い光。
17。
3体目が逃げる。
追う。
16。
距離がある。
15。
残り時間を告げる音声が、迷宮全体へ響く。
14。
魔獣が崩れた壁の隙間へ入った。
13。
回り込む時間はない。
12。
ユアンは長剣を投げる。
11。
回転する刃。
10。
魔獣の脚へ当たり、体勢が崩れた。
9。
ユアンは走る。
8。
手元に残るのは短剣だけ。
7。
魔獣が立ち上がる。
6。
飛びかかる。
5。
ユアンは、その内側へ入る。
4。
短剣を逆手へ持ち替える。
3。
首元。
2。
刃が届く。
1。
青い光が弾けた。
同時に、迷宮内の各所で転送術式が起動し、白い光がすべての生徒を包み込んだ。
『実習終了』
声が響く。
ユアンの前に浮かんだポイント表示へ、最後の数字が加算された。
直後、すべての表示が消える。
順位は出ない。
最終集計へ移行したらしい。
ユアンは、その場に片膝をついた。
息が荒い。
肩も、腕も、脚も重い。
短剣を握る左手には、ほとんど力が残っていなかった。
5位に入ったか分からない。
最後の大型魔獣と小型3体。
それで届いたのか。
他の生徒たちが、最後にどれほど点を増やしたのか。
考えても答えは出ない。
白い光が強くなり、身体が浮くような感覚だ。
転送。
迷宮内の風景が消えていくなか、ユアンは目を閉じた。
やれることは、すべてやった。
◇
視界が戻ってくる。
大演習迷宮の正面広場。
実習前、約700人が集まっていた場所へ、
転送された生徒たちが次々に姿を現していた。
その場へ座り込む者。
地面へ寝転がる者。
仲間と順位を予想する者。
戦闘不能となり、先に退場していた生徒たちも、すでに広場へ集められている。
学院の治癒担当者たちは、結界が介入する前に負った軽傷や、
魔力枯渇の状態を確認して回っていた。
安全結界があったとはいえ、疲労は消えない。
痛みも、完全には防がれない。
誰もが、実習前とは違う顔をしていた。
ユアンは双剣を確認する。
短剣。
長剣。
どちらも壊れてはいない。
だが、虚環銀の周辺には、まだ熱が残っている。
あと1度、判断を間違えていたらどうなっていたか分からない。
後でディムローへ見せる必要がある。
「ユアンくん!」
声に振り向く。
ミリアスが、人混みの向こうから手を振っていた。
戦闘服は所々焦げ、ピンク色の髪も少し乱れている。
それでも、表情は明るかった。
「お疲れさま!」
「ああ。ミリアスも」
「すっごく疲れた。でも、楽しかった!」
彼女らしい感想だった。
少し後ろでは、メルディが助けたらしい生徒たちに囲まれていた。
礼を言われるたび、困ったように笑っている。
疲労は隠せていない。
それでも、怪我をした生徒を見つけると、自分からそちらへ向かっていく。
実習はもう終わったというのに、治療を止めるつもりはないらしい。
反対側には、ダルタスが立っていた。
周囲には、すでに何人もの生徒が集まっている。
彼は実習前と変わらない爽やかな笑みを浮かべ、1人ずつへ声をかけていた。
ユアンと目が合う。
ダルタスは、わずかに口元を上げた。
何も言わない。
ユアンも、視線を返すだけだった。
そして。
少し離れた場所に、ルビアが立っている。
銀髪。
赤い瞳。
灰白色の長杖。
戦闘服に大きな損傷はなく、背筋も真っ直ぐに伸びている。
外から見れば、実習前と何も変わらない。
だが、長杖を握る手にはわずかに力が入り、呼吸も普段より浅く見えた。
ユアンは、そちらへ歩きかける。
だが、途中で止まった。
今、何を言う。
大丈夫か。
そう尋ねれば、きっと彼女は大丈夫だと答える。
そして、それ以上踏み込める関係でもない。
それでも、彼女から視線を外すことができなかった。
ルビアが気づく。
赤い瞳と目が合った。
ユアンは、言葉の代わりにわずかに笑みを浮かべ片手をあげた。
無事でよかった。
そのつもりだった。
ルビアはほんの少し目を細める。
何を受け取ったのかは分からない。
ただ、小さく頷いた。
「全員、前を見ろ」
拡声術式を通したザルティの声が、広場へ響いた。
ざわめきが収まる。
大演習迷宮の正面には、複数の教官が並んでいた。
その頭上へ、巨大な光の板が現れる。
最終集計。
その文字を見た瞬間、生徒たちの空気が変わった。
疲労。
興奮。
期待。
不安。
全員が光の板を見上げる。
ユアンも呼吸を整えながら、結果を待った。
表示が変わる。
最終順位。
まず、1位。
光が集まり、名前を形作った。
ダルタス・エルヴェイグ。
周囲から、歓声とどよめきが上がる。
帝国代表。
暫定順位でも上位にいた男が、最後にルビアを抜き、1位を獲得した。
ダルタスは大きく喜ぶことなく、
周囲から向けられる声へ穏やかな笑みを返している。
続いて、2位。
ルビア・フォルテア。
広場中の視線が、彼女へ集まった。
暫定1位。
圧倒的な炎。
ミリアスとの戦闘。
高危険度魔獣の討伐。
それでも、最終順位は2位。
ルビアは表情を変えなかった。
ただ、灰白色の長杖が、黒手袋の中で小さく軋んだ。
その事実を、どのように受け止めているのか。
外からは、それ以上読み取れなかった。
だが、ユアンの知るルビアは、
自分が1位を逃したことを簡単には許せない少女だった。
きっと、誰かへ見せることもなく、自分自身を責める。
そういう彼女だった。
3位。
ミリアス・セレネ。
「わ、3位だ」
ミリアスが目を丸くした。
すぐに、嬉しそうな笑みが広がる。
周囲から声をかけられ、何度も頷いていた。
4位。
メルディ・トリステア。
広場がざわめく。
治癒魔法を主に扱い、誰かを助けるために何度も足を止めていた少女。
それでも、戦闘でも結果を残し、4位へ入った。
メルディ自身も予想していなかったのか、
青い瞳を見開いたまま光の板を見上げている。
近くにいた生徒たちが、自分のことのように喜んだ。
メルディはしばらく戸惑っていたが、やがて小さく笑った。
残る。
5位。
ユアンの心臓が、一度だけ強く鳴った。
名前が浮かぶまでの時間が、妙に長く感じる。
右の掌へ、遅れて痛みが走った。
ルビアのもとへ走り出さないため、自分で爪を食い込ませた傷。
あの時、自分が選んだ答えが正しかったのか。
その結果が、今から示される。
光が集まる。
文字が形を得る。
ユアン。
一瞬、音が遠くなった。
入った。
5位。
狙っていた場所へ。
ぎりぎり、届いた。
広場の各所から、驚きの声が上がる。
魔力ゼロ。
クラス0。
上位4人とは、まるで異なる方法でユアンはそこへ名前を並べた。
「ユアンくん、5位!」
ミリアスが、自分の順位を見た時よりも大きな声を上げた。
「ああ」
返事は、それしか出なかった。
メルディも遠くからこちらを見て、柔らかく微笑んでいる。
ルビアは光の板からユアンへ視線を移した。
赤い瞳に驚きが浮かぶ。
それ以外にも、何かがあったように見えた。
だが、すぐにいつもの静かな表情へ隠れる。
それでも、彼女がこちらを見ている。
それだけで十分だった。
ダルタスも笑みを浮かべていた。
まるで、この結果を面白がっているように。
ザルティが再び口を開く。
「上位5名には、事前に伝えた個別報酬を与える」
光の板が切り替わった。
1位。
ダルタス・エルヴェイグ。
教授・教官による特別個別指導権。
2位。
ルビア・フォルテア。
学院保管の希少触媒素材・優先選択権。
3位。
ミリアス・セレネ。
上級授業1科目・仮受講資格。
4位。
メルディ・トリステア。
学院秘蔵記録庫・限定閲覧権。
5位。
ユアン。
アトラス根。
目当ての報酬。
筋肉、骨、腱。
身体の成長限界を、一度だけ引き上げる霊薬素材。
今の身体では届かない場所がある。
受け流せない攻撃も、追いつけない速度も、耐えられない衝撃もある。
経験だけでは埋められない差を、わずかでも縮めるための報酬だった。
「6位以下の報酬については、後日通知する」
ザルティは続ける。
「実習記録も、各担当教官から返却される。順位だけを見て終わるな。自分が何を誤り、何を見落とし、何に助けられたかを確認しろ」
視線が広場全体を巡る。
「安全結界がなければ、死んでいた者もいる」
空気が静まった。
「今日は生き残った。それを、自分の実力だと勘違いするな」
ザルティらしい厳しい言葉。
だが、誰も反論しない。
青い光へ包まれた瞬間を覚えている。
どの攻撃を受けた時、本来なら戦えなくなっていたのか。
全員が、身体で理解していた。
「以上。大演習迷宮実習を終了する」
光の板が消えた。
張り詰めていた空気が、一気に崩れる。
歓声。
悔しさ。
安堵。
疲労。
生徒たちの声が広場へ広がっていった。
ユアンは自分の双剣へ目を落とす。
熱は少しずつ冷めている。
壊れなかった。
だが、限界は見えた。
5位へ入った。
だが、ダルタスには勝てなかった。
ルビアの炎が遠くで上がった時、すぐに駆けつけることもできなかった。
足りない。
それでも、前よりは確実に先へ進んでいる。
「ユアンくん」
ミリアスが近づいてくる。
隣にはメルディ。
少し離れて、ルビアもこちらへ歩いていた。
ダルタスは周囲の生徒たちに囲まれながら、こちらを一度だけ見ると、先に背を向けた。
1位。
2位。
3位。
4位。
5位。
同じ実習で、それぞれ異なるものを得た5人。
大演習迷宮は終わった。
けれど、そこで生まれた差も、焦りも、興味も学院の外へ出たわけではなかった。




