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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

カルカンサイト

作者: 詐渡礼
掲載日:2026/05/10

 誰にだって虫を傷めつけた経験はあるだろう。僕も例に漏れず蟻を指先で潰したり、蜻蛉の翅をもいだり、蛹を半分に割ったりしたものだ。そして僕たち男子の極めて悪質な奴ばらはそのまま動物虐待へと昇華し、野良猫や野良犬をしばき倒したりしていたが、僕らの世代の場合はそこであの有名なS事件が発生してしまった。


 逮捕された少年は日ごろより努めて動物虐待をおこなっており、それでは我慢できなくなったのだろうか、とうとう児童を手にかけてしまった。この残虐非道な事件に我々悪辣な男児たちも幼いながら衝撃を受け、親からも「一寸の虫にも五分の魂」という教えを受け、厳しく目を光らされることとなった。


 僕の良くないところは、代替を見つけてしまったところだ。


 たとえばそれが石であればどうだろう?これには魂など無いはずだ。


 続けて良くないところは、それを思いついたのが中学一年生という、世間的に見ればある程度人格形成が済んだ年齢だったことだ。


 ある下校時、すかさず路傍の石を見つけて蹴りつける。この行為に、僕はあの、蜻蛉の翅をもぎったり首を引っこ抜いたりする感覚と同種の快感をあろうことか憶えてしまった。お、これはいいぞ。なかなか興味深いぞ。無生物を虐めていたところで誰も注意などするはずもなく、どんどんエスカレートしていく石虐待。さらに石を拾ってアスファルトへと投げつけ、半分に割ってやる。その断面を見て蛹を半分に切ったことを想起する。今にも生命へと成り上がろうとするそのドロドロと、無機質な石ころの断面を重ね合わせてしまう。


 下校時だけに飽き足らず、灰色黒色白色問わず、手ごろな石ころを持ち帰っては自室で密かに解剖を試みる。コンパスの針を押し付けて上から強い力で叩きつけた。当然針のほうがだめになったから、親父の工具箱からハンマーをくすねて石を殴る。無残にも砕け散った石ころの破片に僕はゾクゾクとする。絶頂に至る。ああ、やっぱり弱いもの虐めはやめられない。クレしんのボーちゃんにはブチ切れられるかもしれないが、僕には今これ以上の愉悦を伴う趣味などないのだ。皆がポケモンやってる間も僕は石を砕き続け、引っかき続け、蹴り続けた。あまつさえその凶行をクラスメイトに勧めていたのだ。


 聞かされたクラスメイトもたまったものではない。もう中学二年にもなろうという男子が、「虫を虐めるのに飽きて石を虐めてる。お前もやってみろ」などと勧めてくるのだ。前橋くんなどはあからさまに僕を避け始めたし、それを聞いていた誰か知らない女子は恐怖を感じて担任に告げ口した。残念なことに担任からの指導は受けられず、思春期における精神的発達途上の妄執であるとか、所謂厨二病であるとかと判断して両親への連絡とかもやっぱりなかったのだった。


 ただこんな僕にすらこの時分となると否が応でも好きな女の子の一人や二人はできてしまう。それが隣のクラスの元木さんだった。吹き出物まみれで休み時間は本ばかり読んでおり、お世辞にも可愛いとは言えない感じの彼女は当然と言えば当然だが友達などおらず、むしろ忌避されているような感じで、それが何故か僕をあのゾクゾクとした感覚へと導くのだ。放課後、誰もいなくなるのを見計らって彼女のもとへと行き、一言、準備していた言葉を投げかける。


「何読んでるの?」


 元木さんは細い目で僕を一瞥して、ため息混じりに「知らない」とだけ答える。「知らないわけないでしょ。だって表紙に書いてある。どんな話なの?」「じゃあ表紙見ればいいじゃん。知らないよ」「そっか、じゃあこれってラノベ?」「知らない」と散々無下にされて僕は気付く。こいつは望んでひとりでいるのだ。心底人間が厭なのだ。とはいえ僕は腹の底から湧き上がる怒りを認識していないではなかった。ポケットの中の小石をコロコロと弄びながら憤る。せっかく喋りかけてやってるのにこの女はなんだ、僕を虫けらみたいに扱いやがって、あ~あ話しかけて損した。諦めて立ち上がると今度は向こうから話しかけられる。


「あんたさ、ここんとこ誰にも話しかけられてないの分かってるから私なんかに話しかけてきたんでしょ」

「は?」ドキリとする。

「そういうのキモいから。同族だと思って絡んできたのかもしらんけど、私はあんたと違う。石なんか持ち歩いて、ニヤニヤしながら石砕いて、気持ち悪いんだよ。もう話しかけてくんな」

「お前には分かんないだろうけど、僕にとってはライフワークなんだよ。ページをめくるのと同じ」

「同じなもんか。あんた自分で気づいてないの?あんた虐められてるんだよ」

 図星だったのだろうか、僕は思わず拳を振り上げて彼女を殴りつけるべく振り下ろそうとする。その時元木さんは僕を確と見て、開いた文庫本で口元を覆う。ギョッとした目つきに心躍らせながらしばらく拳を振り上げたままにしていると、彼女は「あんたなんでネイルしてんの?」とせせら笑った。


「キモいって男のくせに。もう出てってよ!」


 胸元に本を投げつけられ、僕は返す言葉も手段もなくすごすごと退散する。そして指先を見つめてみると、何だろうか、爪の生え際に青い結晶が成っている。爪で擦り取ると案外脆く、粉々に砕けていった。初めてだ。石を砕いて、青ざめたのは。


 そうそう、言い忘れてたけど家の庭ではゴールデンレトリバーの花ちゃんを飼っていた。学校から帰ってくると頬ずりして来るので花ちゃんのほっぺたを両手でワシャワシャしてグシャグシャにしてから玄関へと入っていくのが日課である。この日も同じルーティンで帰宅し、シャワーを浴びるとジャージに着替えて、食卓につく。八宝菜を箸でつまもうとすると、親父が「その爪どうしたん」と訊いてくる。「知らない」と答えると「そうか」とだけ返ってきて、母親も親父も黙り込む。皆多感な僕を気遣ってくれているのは分かるが、実際、この現象に一番驚いているのは僕のほうだ。なんとか言ってほしい。親なのであれば、これが何なのか教えて欲しい。親なのにわからないのであれば病院にも連れて行って欲しい。ところがその晩、病院に連れて行かれたのはあの可愛い可愛い花ちゃんだった。


 おそらく懸命な処置が施されたのだろうが、花ちゃんはほどなくして亡骸となり、午前三時、僕は花ちゃんに縋りつき泣いてしまう。死因はまだ詳しく分かっていないが、その時には青い結晶が爪全体を覆い尽くしていて、僕は一考する。この青い石は何だろうか。翌日、図書室で鉱物図鑑を借りて読み耽る。サファイアかもしれない、と一旦納得して授業を受けていると結晶が指を侵食していることに気付く。シャープペンを握ろうとすると、青い粉がボロボロとこぼれて仕方がない。もちろんクラス中から奇異の目に晒され、とうとう厨二病も行くところまで行ったのかということになり、ただでさえ無視されているのに輪をかけて避けられるようになった。隣近所の机もあからさまに離れていき、僕もできるだけ指を握り込み、結晶を見せないようにした。ふと廊下側の窓越しに元木さんがこちらを横目に通り過ぎるのが見えた。なんだかもう恥ずかしくなり、僕はいつも持ち歩いている小石を握りしめる。早くコイツを苛め抜かないと……。


 帰宅後、僕は借りてきた鉱物図鑑を開く。するとどうやらこの忌まわしき結晶が、サファイアではないことがわかった。鉱物にはモース硬度というものがあるらしく、サファイアはあのダイヤモンドに次いで硬い。であればこれは何なのだろうか、明くる日も明くる日も、僕は図書室で鉱物関連の本を借りる。一通り目を通しては、核心へと近づいていく。そうして春休みに入るとインターネットでも調べていく。もう二の腕まで結晶に蝕まれていたから、さすがの両親も僕を病院へと連れて行くだろうと思っていたが、同時に二人とも体調を崩し、しばらく入院してしまうこととなった。


 なんてバッドタイミングなのだろう。僕はこんなにも助けを欲しているのに、両親とも非道い奴らだ。どうせそんなに大した病気ではないのだろう。少なくとも僕と比べては。


 親父の手配で新学期は祖母の家から通学することとなっていたが、この頃には僕も青い結晶の正体にうっすら気づいていた。適当に祖母へ連絡を入れておき、自宅から新学期一日目の学校へと向かった。


 お決まりの全校集会で、元木加奈さんの死が全生徒に向かって告げられる。死因は教えてもらえなかったが、集会終わりに僕一人呼び出され、保健室へ。しかしあの勝手知ったる保健室ではなく、ビニールシートに部屋中覆われて異様であった。まるでドラマの事件現場のようだ。


「君、その腕につけてるのは何?」


 現れたのは担任、教頭、校長という錚々たる面子だ。三人とも虚ろな目つきで僕を見据えている。何事か、もはや僕にもわかった。僕があの、元木さんを殺してしまったと思われている、そういう疑惑をかけられていて、今から僕はその判決を受けるところなのだ。


「はっきりとは分かっていないんですが」

「分かっていない、では済まないんだよ。君、それおしゃれのつもり?」

「いや、違って」

「ふざけるのも大概にしろよ。お前のせいで、人が死んでるんだよ!」


 担任が感情を露わにする、のも無理はない。気圧されるのは人生で初めてのことだったし、僕は半ば泣き出したい気持ちで、ヤケクソになりながら上裸になった。腕だけでなくへそまで侵された身体は、まあ、どうやらおしゃれではなかったらしい。三人とも悲鳴を小さく上げながら僕の上半身へ顔を近づけようとするが、一番正気を保っていたのだろう、教頭が両脇の二人を制止する。


「……君、体調は?」


 おもむろに僕を睨めつけながら教頭は言う。


「万全です」


 僕に悪気がないことは火を見るより明らかだった。だってこれはおそらくカルカンサイト、硫酸銅を主成分とした劇物だ。綺麗な見た目に反して非常に脆く水に溶けやすい性質を持つらしく、拡散性も高い。僕はぼろぼろと泣きながら、元木さんのことを、あの元木加奈さんのことを考えた。ああ、そういうことか。彼女なりに僕を案じていたのだ。僕と同じように、僕の身体を蝕む結晶を調べてくれていたのだろう。図書室の本にはカルカンサイトが混入していて、彼女はそれを吸い込んだりしてしまったのだろう。そうして春休み中に腎不全だか肝不全だかを患って、亡くなってしまったのだろう。


 気づかないわけがない。花ちゃんの急逝も、両親の体調不良だって僕のせいなのだ。僕は今まで虫を傷めつけたことこそあれど、虫について知ろうとしなかった。石を虐めたことこそあれ、その石が花崗岩なのかサファイアなのか、知ろうともしなかった。思うにこれは罰が当たったのだ。さんざん虐げられた石たちが、石の神様が僕にカルカンサイトを植え付けたのだ。


 思いつく限りを吐露して泣き喚いていると、一点修正が入る。違う、元木さんは自殺だったのだと。遺書に君の名前が書いてあったのと、腎不全を患っていたのはホントで、先生たちも僕が身につけているのはカルカンサイトだと分かった上で、この場を設けたのだと。僕は彼女の書いた遺書の内容を知りたいと言ったけど、教えてもらえなかった。


 その後、病院やら研究施設やら大学をたらい回しにされながら、養生された病室で卒業までを過ごした。両親のほうが先に快復しており、せっせと僕の妹や弟を拵えていた。僕は高校受験のタイミングすら逃して、今年から一年遅れで通信制高校に入学する。


 外部から途絶された空間で、僕はあの元木さんと同じような進化を遂げる。いっときは結晶に覆われた腕もすっかり元通り、代わりに顔を吹き出物まみれにしてしまい、ついでにニキビ治療薬を処方されている。あの日から僕の興味は石ころなどではなく、専ら己の股間と異性の裸体に向いている。かつて石ころを虐めていた右手は、まったく別の挙動を見せている。時々、元木さんを思い出して、罪悪感で押しつぶされそうになる。今もなお彼女の遺書の内容は教えられていないが、それを考え続けることで僕の身体は十全になっていく、そういう気がする。

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