25
昼休みの終わりかけ。
人の流れが途切れた廊下。
「鷲尾さん」
低く呼ばれて、振り返る。
「……橘。珍しいな、お前が話しかけてくるなんて」
軽く言う。
いつもの調子。
いつもの温度。
橘は笑わない。
その時点で、嫌な予感はしてた。
「なんでそのままにしてるんですか?」
「なんのことだよ」
分かってる。
分かってるから、雑に返す。
「七瀬さんのこと」
目が合う。
逸らせない。
「……っ、そんなわかりやすいか?」
笑って誤魔化す。
笑いが、少し乾いてるのは自覚してる。
橘は表情を変えない。
「わかりやすいですよ」
「2人とも、無理してるの見えます」
胸の奥がざらつく。
無理?
してない。
……してない、はず。
「無理なんかしてねえよ。普通だろ」
「“普通”にしてるんです」
やけに刺さる言い方。
普通。
七瀬の笑顔が浮かぶ。
朝のキッチン。
軽い声。
完璧な彼女。
昨日の夜の涙が、まるで嘘みたいだった顔。
あれは“普通”か。
それとも。
橘が続ける。
「七瀬さん、何も伝わってないです」
静かに落とされる。
強くないのに、重い。
伝わってない。
あのとき、七瀬の目は。
嬉しそうじゃなかった。
どこか、疑ってた。
俺はそれを見ないふりした。
好きって言ったんだから、十分だろって。
でも。
十分じゃなかったのか。
喉の奥が詰まる。
言葉が出ない。
橘はそれ以上言わない。
責めない。
教えない。
ただ事実だけ置いて、少し距離を取る。
その沈黙が、余計にきつい。
「……俺、どうしたらいい」
気づけば、そう聞いていた。
プライドとか、見栄とか、
全部どこかに落ちてた。
橘は一瞬だけ視線を柔らげ、戻る。
「自分で考えてください」
淡々と。
「じゃなきゃ意味ないです」
それだけ。
助言も、解決策も、何もない。
背中を向けて去っていく。
残された空気だけが、妙に重い。
自分で考えろ。
俺は今まで、
衝動で動いてきた。
欲しいと思ったら掴む。
楽しいなら続ける。
でも今は。
楽しくない。
満たされない。
それでも、手放したくない。
七瀬の笑顔。
あの一瞬だけ見せる、本音の顔。
俺はあれが欲しい。
軽い仮面じゃなくて。
疑いも、弱さも含めた七瀬。
でも。
俺は何を渡せてる。
好きだと言った。
それで満足したのは、俺だけじゃないか。
七瀬は、
俺の言葉を受け取るたびに、
どこかはかってる。
重さを。
本気を。
俺は、まだ逃げてるのか。
廊下の窓に映る自分の顔。
思ったより、余裕がない。
これが、本気か。
楽しくないのに。
苦しいのに。
それでも離したくない。
こんな感情、知らなかった。
どうしたらいい。
誰も教えてくれない。
自分で考えろ。
ああ。
「面倒くせえ…」




