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ほぼ無人のフロア。
鷲尾と時間をずらすために
わざと手を止めて、わざとコーヒーを淹れて、わざとメールを一本余分に返した。
エレベーターのボタンを押したとき
もういないはずだと思っていた。
……なんで。
無言で乗り込み、端に立つ。
閉まる扉。
ゆっくりと下降する箱の中で、空気だけが妙に濃い。
三階を過ぎたあたりで、突然がくんと大きく揺れた。
身体が一瞬浮き、次の瞬間、完全に止まる。
「……え?」
思わず小さな声が漏れる。
「…止まったな」
非常ボタンを押す鷲尾の横顔を
見ないふりで見てしまう。
応答があり、しばらく待つように言われる。
待つ。
二人きりで…?
「怖いか」
静かに問われる。
「別に」
即答したけれど、声が少しだけ硬い。
鷲尾が一歩近づく。
狭い箱の中では、その一歩がやけに大きい。
「何もしねえよ」
低く、抑えた声。
“今は”と続きそうな気配を感じて
喉がひくりと鳴る。
昨日の資料室を思い出す。
触れかけて、止まった距離。
「七瀬」
名前を呼ばれると、逃げ場がなくなる。
視線を逸らそうとして、逸らせない。
近い。呼吸の温度が分かる距離。
「この前の続き、今でもいいけど」
冗談めいた言い方なのに、目は笑っていない。
「やめてください」
きつく言うつもりが、少しだけ震える。
鷲尾はすぐには返さない。
代わりに、七瀬の肩の横に手をついた。
触れてはいないのに、体温が伝わってくる気がする。
「俺、あのときキスしそうになった」
分かってる。
「なんで止めたと思う」
七瀬は唇を噛む。
「会社だからですか」
強がりの返答に、鷲尾は小さく息を吐いた。
「お前が泣きそうだったからだよ」
胸の奥がきゅっと縮む。
泣いてない。
泣くつもりなんてなかった。
「泣いてません」
「泣きそうだった」
否定を許さない声音。
「俺が本気になったら、逃げんなよ」
衝動ではなく、静かな覚悟の響き。
その目は、からかいでも軽さでもなく、真っ直ぐだった。
息を整える。
怖い。嬉しい。腹が立つ。全部混ざっている。
「……本気になってから言ってください」
なんとか言い返すと同時に
エレベーターが再び揺れ、ゆっくりと動き出した。
体勢を崩し、思わず京太朗のシャツを掴む。
指先に布の感触。鼓動。
目が合う。
ほんの数秒。
近い。近すぎる。
でも、触れない。
「……失礼します」
振り返らずに外へ出る。
背中に視線を感じながら、早足で歩く。
好きになんて、ならない。
そう決めたはずなのに。
密室で交わした言葉が、頭の中で何度も繰り返される。




