【短編】僕は、かつて魔王を倒した賢者様の息子です。魔法は使えませんが、なにか?
古い木製の扉が閉まっている。
その扉を小さな手が、乱暴にノックした。
「ごめんください!」
その扉は山小屋の玄関扉だった。ノックしているのは一人の少女。時刻は昼過ぎで、あたりに人影はない。うっそうとした森が広がっているだけだ。
「ごめんください、ごめんください! 英雄様はご在宅でしょうか! ごめんください!」
「あのぉ……」
「わっ!?」
そのとき、物陰に一人の幽霊……ではなく少年が立っていた。昼間だというのになぜか少年の周りだけ、どんよりと暗い雰囲気がただよっているように、少女には思えた。
「……どちら様でしょうか……。借金の期日は……ええと、あ、一昨日だったっけ……」
「私は、借金取りではありません」
少女は襟を正して少年に近づいた。
「この家の方ですか?」
「……そうですね、住んでます。この家に」
「では、あなたが英雄様ですか?」
「英、雄?」
少年は首をかしげている。少女はしびれを切らしたように、少年の手を握った。
「あなたが、かつて魔王を葬った英雄の一人、大賢者様なのでしょう!?」
「いえ、僕は違います」
少年がいともあっさりと言うと、少女は口をあんぐりと開けた。少年は続けた。
「賢者様は一昨年死にました」
「ええええええ!?」
少女が顔に似合わない絶叫を発したので、少年は非常に驚いた。しかし少女が咳払いした瞬間、元の表情にきっちり戻ったことの方がずっと怖かった。
「失礼しました。では、あなたは……?」
「僕は賢者様の、息子です」
「あっ! 血縁の方ですか! なら……」
「あー、いえ、血は繋がっていません。拾われただけです」
少女は力なく片膝をついた。
「で、では、お弟子さん、ということですか? だったら……」
「いえ、弟子……というわけでもないですね。魔法、ひとつも教わってませんし」
「え?」
少女は首をかしげた。
「え?」
少年も首をかしげた。
「ひとつも、教わって……、ない?」
「はい」
「なんでよ!?」
少女は再び絶叫した。少年はこわくなって半歩下がった。
「なんで!? 賢者様に拾われておいて? 育てられてて? 一緒に暮らしてて? で、なんで魔法、習ってないわけ!? ひとっつも!? なんでよ!?」
「いや、あの、なんでって、聞かれましても……。そんなに不自然でしょうか?」
「不自然でしょうが!」
「ええ? そうかなあ……」
「そうよ!」
「でも、家庭の事情ってやつですよ。あるでしょう、そういうの……」
「無いわよ!」
少女は断言した。少年は恐怖した。
「無い! ないったら、無い! 賢者様のおうちに、家庭の事情もへったくれもないわよ! なんで、魔法、伝授してないのよ、賢者様ぁあああああ~!」
少女はついに膝から崩れ落ち、頭を抱えてごろごろと転がり始めた。少年は困り果てて、顔をかきながら誰もいない森を見渡した。誰もいなかった。
「あのぉ……」
「なによ!」
「立ち話もなんですから、入りませんか?」
「……入ります」
少女は咳払いして、すっと立ちあがった。
「お茶でも飲んで、落ち着きたいわ」
「あ、お茶は切らしてるので……」
「ではミルクでも、かまいません」
「いえ、ミルクもありません」
「じゃあ、なんならあるの?」
「水ですね。雨水なら少しあります」
***
「濁ってませんか、これ……」
「え、そうですか? いつも飲んでるので、気にならなくなってました」
少女は、山小屋の中で、テーブルについていた。目の前に出されたコップには水がつがれていたが、どう見ても濁っているように見えた。
「替えてください」
「はい。……どうぞ」
「ありがとうござ……、ん?」
交換してもらった水の濁り具合はさっきと大差なかった。むしろ、悪化していた。
「どうかしましたか?」
「……さっき替えてもらったコップは……」
「え?」
最初に少女にだされた水はすでに少年が飲み干していた。
「ふう、一仕事した後の水は美味しいですね」
「……」
少女は濁りの悪化しているコップに目を落とし、意を決して飲み干した。ほのかに落ち葉と土の味がした。
少年が、少女の正面に座った。
「それで、その、ご用件は? 賢者様をたずねていらっしゃったようですが……」
少女は疲れ切った様子で、やさぐれた目を少年に向けた。
「……その前に、自己紹介しても?」
「え? ええ、どうぞ」
少女は立ちあがって、背筋を伸ばして自己紹介した。
「私は、ミュゼ・ルルム・マッシュルーム。キンシ国の姫です」
「はあ」
「……姫です。王女、なんです」
「はあ、そうですか」
「……ルルムとお呼びください」
「わかりました」
ルルムは不服そうにじっと少年の顔をみつめていたが、しばらくすると黙って座った。少年は言った。
「トイレですか?」
「違います! 私は姫ですよ? しかるべきリアクションというものがあるでしょう!?」
「はあ……。たとえば?」
「もういいです! あなたのお名前は!?」
「ああ、そうですね。名乗っていただいたんだから、俺も名乗らないと。ええと……」
そう言ったきり、少年は黙って頭をかいている。
「どうしたんですか? まさか自分の名前を忘れただなんて言わないでしょうね?」
「忘れましたね」
「なんですって?」
「なんせ、久しく人と話していませんでしたから。えーと……、ああ、思い出しました。クロガネ・カガリです」
「? あなた、出自は? この辺じゃないの?」
「わかりません。捨てられてた時に産着に挟まれた紙に書かれていた言葉を名付けたそうです」
「へえ……、大変だったのね……」
「そうでもありません。覚えていないですし」
「あっそう!」
「水のおかわり、いります?」
「いらない!」
「俺はおかわりしてきますね」
クロガネがお代わりしている間、ルルムはむすっと頬をふくらまつつ、小屋を見渡した。きれいとは言い難い小屋だった。もう何年も掃除していないかのように、そこらじゅうほこりまみれだ。物陰という物陰に、新旧さまざまな蜘蛛の巣が張りめぐらされている。
「お待たせしました。続きをどうぞ」
「……」
「ルルムさん?」
ルルムはじっとクロガネを見つめた。よくよく考えれば、探していた大賢者はすでに死んでいて、一緒に暮らしていたと言うこの少年も、なにか魔法を伝授しているというわけでもないらしい。
帰ろうか、とルルムはおもった。
ここにいる理由はない。自分には時間がない。ここにいる意味がない以上、長居は無用だ。
しかし……、そう思っても腰は上がらなかった。疲れた。ここ以外に、頼みの綱があったわけでもない。だったら、私の苦労話の一つや二つ、目の前のこのどうにもボーッとした少年に披露してもいいのではないか。
ルルムはそう思いなおした。
「私がここにきた用件、だったかしら?」
「はい」
「まず最初に……、魔王が復活しました。ご存じでしたか?」
***
「いつですか?」
「半年くらい前です」
「へー……、知らなかったなあ」
「ですから、賢者様にご助力いただこうと思ったのですが……」
ルルムはそう言って、クロガネをにらんだ。クロガネはそれに気づくと、何を勘違いしたのかニコッと笑った。
「おかわりですか?」
「違います。魔王が復活して、世界中の魔族に号令をだしたんです」
「号令?」
「そうです。二百年前と同じ。無限の魔力を秘めた霊薬、エリクシルの強奪です」
「そんなもの手に入れてどうするんですか?」
「エリクシルの使用者の望みなんて決まっています。生命が最も恐怖し、忌避するもの、死の拒絶です」
「……?」
「つまり、不老不死です」
「なるほど。死ぬのは怖いですもんね」
「ええ」
「そのエリクシルは人間が持っているってことですか?」
「はい。ここにあります」
「ふーん。……え?」
ルルムは鞄から小さな瓶を取り出し、テーブルに置いた。
「これが、エリクシルです」
「え? ……は?」
「驚くのも無理ありませんね。まさか伝説の秘宝が目の前にあるなんて、とても信じられないでしょう。私もそうでした」
「本物ですか?」
クロガネは小瓶をまじまじと見つめた。青いガラスの瓶におそらくは黄金色の液体が封じこめられている。
「たぶん」
「たぶん?」
「私にも、わからないのです」
ルルムは小瓶を指で軽くつついた。
「エリクシルは最初、ヘイヴン国の封印禁庫に保管されていたそうです」
「はあ」
「で、ヘイヴンが陥落したのが三か月前です」
「んん?」
「しかし、ヘイヴンが陥落する前、その国の王子たちがエリクシルを持ち出して、近隣の国々に逃げたのです」
「……王子、たち?」
「そうです」
ルルムはうなずいた。
「ええと、エリクシルは元々複数あったってことですか?」
「いいえ」
「では、小分けしたと?」
「いいえ」
「なるほど。偽物ですか」
「そうです」
ルルムはうなずいた。
「逃げた王子たちは全部で七人いて、本物を持っていたのはそのうちの一人で、残りは偽物を持たされていました。真偽を知らされずに……」
「で、逃げた先でもまた偽物を増やしているってことですか?」
「そうです」
「今、エリクシルは何本あるんでしょう?」
「さあ……、王子王女の数だけあるんじゃないかしら」
そういってルルムは微笑んだ。
「だから、何百とあるでしょうね」
「……そんな話を俺にしてもよかったんですか?」
「いいんです」
ルルムはこてん、と突っ伏して、おでこをテーブルにくっつけた。
「私は昔から、運がないんです。きっと、私のエリクシルはハズレです。何百とある偽物の一つに違いありません。賢者様にだって、お会いできませんでしたし……」
「不運だったら、この場合、アタリを引いてることになると思いますけど……」
「アタリより、ハズレの方が不運です。ハズレを持ってるせいで殺されるなんて、不運以外のなにものでもないでしょう」
「ハズレでも、殺されるんですか?」
「当たり前です」
ルルムは鼻を鳴らした。
「魔族を何だと思ってるんですか? 人間の命なんて、なんとも思っていないですよ。偽物だとしても、エリクシルを持っているらしき人間は殺すんです。殺して、死体からエリクシルを奪うんです。その方が確実ですから」
「逃げればいいでしょう」
「逃げ切れないから、こうして賢者様を……」
そのとき、クロガネは自分とルルムの口に指を立てた。
「静かに。誰か来たようです」
(誰かって、誰?)
ルルムがそう言う前に、クロガネは「待て」と合図をして奥の部屋へと消えた。
(えっ?)
気づけばルルムは一人にされていた。意外とクロガネは素早いらしい。
誰が来たんだろう。まさか追手ではないはずだ。魔族たちはたしかにキンシ国の目前まで迫っていたが、私は護衛と一緒にこっそりと城を抜け出したから、誰にも見られていないはずだ。色々あって護衛ともはぐれてしまった。服装も地味だし、私をみても、エリクシルを持っているどころか王族とさえわからないだろう。
だから、追手ではないはずだ。まあ、あと何年もして魔王の軍勢が検問でも設置したりすれば一巻の終わりだが……。
「エリクシルを持つ者よ! 出てこい!」
どうやら一巻の終わりは、いま来たらしい。
***
「追手ですかね?」
振り返ると、クロガネが戻ってきていた。全身くもの巣まみれのほこりまみれだ。その手には、汚い木片のようなものが握られていた。
「なんですか、それ?」
「いやあ、いつも置くことにしていたのと全然違うところにありました。こういうの、よくありますよね。なんていうんでしょう?」
「知りませんけど……」
「出てこおおおおい!」
外からまた叫び声が聞こえた。ルルムは鼓膜がビリビリと震えるのを感じた。台所につるされていた金物ががちゃがちゃと音を立てている。
「出ますか。家を壊されたら嫌ですし」
「その……、匿ってはいただけないでしょうか?」
「えー……」
「そんな露骨に嫌そうな顔しなくても」
「だって、もう来てますし。絶対なにか確信があるんですよ。じゃなきゃこんな山奥まで来ないでしょう」
「そうですけど……。私、まだ死にたくないんです……」
「でしょうね」
「でしょうね、って……」
「出てこおおおおおい!」
「またか……。律儀なやつだな。ちょっと待っててください」
「え?」
クロガネは玄関扉を開けて、外に顔を出した。
「こんにちは」
「いるじゃねえか、小僧! 貴様がエリクシルを持つ者か!?」
「違います」
「持ってるやつがいるだろう! 出せ!」
「彼女、ちょっとゴネてまして、少し待っててもらえますか?」
「そうか……。どれくらいだ?」
「彼女次第ですが、まあ、二三分じゃないですかね」
「わかった。それくらいなら、待とう」
「どうも」
クロガネが扉を閉めようとすると、追手が言った。
「おい」
「はい?」
「逃げるなよ。逃げても無駄だからな」
「ん? ああ、まあ、はい。言っておきます」
クロガネは首をかしげながら扉を閉めた。
「待ってくれるそうですよ」
「なに私の寿命を勝手に残り数分にしてるんですか」
「あんまり駄々こねないでください。結果は変わらないでしょ?」
「だからって割り切れるもんじゃないですけど!?」
「困ったなあ……」
クロガネはルルムの正面に座ろうとして、動きを止めた。
「水、飲みます?」
「……」
「ルルムさん、どうですか、水」
「飲みます」
「わかりました」
クロガネはルルムのコップを手に取ると、台所へ消えていった。すると、ルルムは出していたエリクシルの小瓶をカバンに入れ、そっと立ちあがった。椅子を動かさないよう、ゆーっくりと足を動かす。そうしながら、急いでこの小屋の間取りを確かめた。
追手がいるのは、家の正面で間違いないだろう。
だから、逃げるなら、反対側だ。
歩くと床がぎしぎしと軋んだ。その音が鳴るたびにルルムは心臓が縮む思いがしたが、足は止めなかった。
台所の前を横切る。クロガネは水がコップに満ちるのを待っているようだった。この家の飲用水は、どうやら、ちょろちょろとしか流れない仕様らしい。
暗くてわかりにくかったが、ちゃんと裏口があった。ルルムはゆっくりと閂を外し……。
「お待たせしました。これでも飲んで……、あれ?」
クロガネが戻ってきて、閂を外そうとしているルルムと目があった。
「トイレですか?」
「違うわよ、バカ!」
ルルムは叫ぶと、閂を思い切り引いてはずし、外へ飛び出した。
***
「そんなに恥ずかしがらなくても、いいのに……」
クロガネはテーブルに水を置くと、席に着いた。そのまましばらく待っていると、外から声がした。
「おい、まだか! もう五分は経ったぞ!」
クロガネは玄関扉を開いて、顔だけ出した。
「すいません、彼女はトイレに行っています」
「トイレだと?」
「どうも我慢していたみたいで」
「トイレは中にあるのか?」
「いえ、外です」
「……本当にトイレか?」
「他に何が?」
「ちょっと、案内しろ」
「え、まさか、のぞくつもりですか?」
「おい、妙な想像をするな。違う」
「えー?」
「いいから案内しろ!」
追手があまりうるさいので、クロガネはしぶしぶ外に出た。追手は全身に鎧を着こんでいたが、よくみると、手足には鎧をつけていなかった。その手足はまるで狼のように毛深く、かぎ爪が生えていた。
「爪切った方がいいんじゃないですか?」
「ああん?」
「長すぎませんか。不便では?」
「お前なあ……」
追手は兜をはずした。兜の中身は、狼の顔だった。
「俺は狼の魔族だ。爪は武器なんだよ。爪切っていいわけねえだろ」
「毛深いですね。ヒゲも伸ばし過ぎですよ」
「狼だっつってんだろ! もういいからさっさと案内しろ!」
「はいはい」
クロガネはトイレの前に立って咳払いをした。
「あー……、ルルムさん、お取込み中失礼します。追手の方が、逃げたんじゃないかって疑ってて……。その、お恥ずかしいかもしれませんが、声を出した方がいいと思います。でないと、扉を開けなくてはならないので。ですから……」
「ええい、いるわけはねえんだ。どけ!」
「あっ、変態!」
「うるせえ!」
追手はかぎ爪をひっかけて扉を開いた。当然、中は空だった。
「そんな、ルルムさん、どこへ……?」
「だから、逃げたんだよ!」
追手は、トイレの扉を閉めるとくんくんと鼻をひくつかせた。
「こっちか。ああ、思いっきり足跡も残ってるな」
「どっちですか?」
「さあな。てめえはもう、用済みだ!」
「ぎゃっ」
追手はいきなりクロガネにむかってかぎ爪をふるった。クロガネは吹き飛ばされて、トイレに突っ込んだ。トイレはいとも簡単に壊れて、木片をそこら中にまき散らした。
「あん? なんか変な感触だったな……。まあいい、あばよ、小僧。あの世じゃあ、魔族への口の利き方には気をつけるんだな!」
動かないクロガネにそう言い捨てると、追手は四つん這いになって、走り去っていった。
***
ルルムは雑木林の中を慎重に進んでいた。道は、数日前に雨がふったらしく地面がぬかるんでいて、足跡を残してしまうことに気づいたからだ。魔族は、総じて足が速い。バレればすぐに追いつかれると思った。森の中に入ったところで、逃げ切れるとも思えなかったが、山道をそのまま走っているよりはマシなはずだった。
背後で、枝が折れる音がした。
思わず肩が震えた。
すると、
「おっと……、バレたか」
と声がした。続いて何かが素早く動く物音。
ルルムは振りかえり、目くらましの魔法を使った。しかし、同時に左肩に激しい衝撃を感じた。防護の魔法が一つ砕ける音がして、吹っ飛ばされた。
吹っ飛ばされた先は、坂になっていた。二秒か三秒ほどさらに転がり落ちたそこは、河原だった。丸い小石が敷き詰められていて、小川が静かに流れている。
あちこち擦りむいたし、あちこち打った。全身がひどく痛んだが、どこも折れてないらしく、立ちあがることはできた。
立ちあがったところに、追手が坂を滑りおりてきた。
「ったく、手間かけさせやがって……」
追手は、狼の顔をしていた。その牙、そして手足のかぎ爪の長さと鋭さをみて、それに身体が引き裂かれたらと想像した。身の毛がよだつ思いだった。
「俺は機嫌が悪い。大人しくエリクシルを渡せ。そうすりゃ、首を切り落として終わらせてやるよ。身体はきれいに残しといてやる」
「い、嫌だといったら……?」
「手足を切り落としたら、生きたままハラワタぁズタズタに引き裂いて、食ってやるよ!」
狼男はがちがちと牙を鳴らして笑った。
「死ぬまで、どんくらいかかるか知らねえけど、死ぬほど痛いだろうなあ!」
「……」
ルルムは身体の底から震えるのを感じた。狼男はじゃりじゃりと小石を踏みしめてこちらへ近づいてきた。
「さあ、早くエリクシルを渡せ! その霊薬を魔王様に献上して、俺はそのおこぼれに―――」
「あ。いたいた。探しましたよ!」
信じられないほど場違いな声が聞こえてきた。その声の主は、ルルム達がやってきた雑木林の中から顔をみせ、手を振りながら坂を下りて、足を踏み外し、河原までぶざまに転げ落ちてきた。
***
「いてててて……」
身体じゅうから砂利をぽろぽろと落としながらクロガネは立ちあがった。
「いやあ、疲れました。二人とも足が速いんだから……」
「お、お前、なぜ生きてるんだ?」
「え?」
「さっき殺したはずだぞ!」
「あー、そうですよ、痛かったじゃないですか! 肉球に当たりに行ってなかったら、ヤバかったですよ! 爪で切れたらどうするんです、バラバラになってましたよ!」
「いや、そうするつもりだったんだが……。待て。当たりに行っただと?」
「まったく、魔族にも非常識な人はいるんですね。いきなり暴力を振るうなんて……」
「あなたも相当非常識だと思うけどね」
ルルムはなんだか可笑しくなって、ちょっと笑った。
「どうして来たの? 殺されるわよ?」
「久しぶりに来てくれたお客人に何かあったら、寝覚めが悪くなりそうじゃないですか」
「それだけ?」
「それだけですね」
「変な人ね」
ルルムはくすくすと笑った。狼男が目の前にいるけれど、もうなんだか気にならなくなっていた。
「あ、そうだ」
クロガネが思い出したように言った。
「ちょっといいですか?」
「なに?」
「エリクシルをもらえませんか?」
「え、どうして?」
「渡しましょう。そうすれば、きっと許してくれますよ」
「いえ、渡しても首を切って殺すって言ってたわ」
「え?」
クロガネは狼男を見た。
「そうなんですか?」
「当たり前だ。お前たちは俺様を不愉快にさせ続けた。当然、息の根は止める!」
「ええ……。なにがそんなに気に障ったんですか?」
「お前のその態度だよ!」
「えーと、謝りますから、許してくれませんか?」
「ダメだ!」
「じゃあ、しょうがないですね」
「あ、でも」
ルルムが言った。
「エリクシルを渡さないと苦しめて殺すとも言ってたわ」
「へー」
「へーって……」
「つまり、どのみち殺すってことですね?」
「そうだ!」
狼男が叫んだ。肩を怒らせてのしのしと近づいてくる。両手を広げて、爪の鋭さをチェックしているようだ。
「もう、油断はしねえ。今度こそ確実に殺してやる!」
「そうですか。お名前を聞いても?」
「なに?」
「名前ですよ。あなたにもあるんでしょう、名前が」
クロガネは足元の砂利を払って、地面を整えながら言った。手にはさっき持っていた木片のようなものを持っている。それが光ったように、ルルムには見えた。
「当然だ。よく聞け、小僧。俺様の名前はウォルフ・フルール。まだ一介の戦士だが、いずれは魔王軍で何万もの兵を統率する将軍になる男だ!」
「名を教えてくれてありがとう、戦士ウォルフ・フルール。俺は、クロガネ・カガリ。あなたと勝負することができて光栄です」
クロガネは地面を整えるのをやめ、その場で構えた。手には木片を持っている。それをまるで剣のように構えた。
「勝負だと!」
ウォルフはせせら笑った。
「それはなんだ? そこの森で拾った棒切れか? それとも石ころか? どうせならもっと長いのを拾ってくるべきだったな!」
「いえ、これは―――」
クロガネは、まるで刀身があるかのように手を滑らせた。
そして、その通りに刀身が現れた。
ウォルフとルルムは絶句した。
「剣です。魔法剣、ミラージュ。賢者様の形見です」
それは虫の羽のような、透き通るような刃だった。クロガネは魔法剣を構えた。
ウォルフはわずかにひるんで息を飲んだようだった。
「こけおどしだろっ!」
「どうぞ、試してください」
「ああ、そうしてやる!」
ウォルフは吠えると、四つん這いになって、クロガネに飛びかかった。その体躯はクロガネの何倍にも膨らんでいるようにルルムには見えた。
「引き裂いてやる!」
「……」
砂利の音がした。
さっきまでクロガネが立っていた場所に、ウォルフが立っていた。両腕を振り下ろした格好だ。
ルルムはウォルフの攻撃を見ていた。非常に素早く、広い範囲を裂いていた。避けることができるとは思えなかった。
しかし、ウォルフは呆然とした表情をうかべていた。
肉を裂いた感触が、無かったからだ。
「……首を、」
どこかから声がした。
ウォルフの後ろ。クロガネの声だった。
「首を落とすんでしたっけ、ウォルフさん。それがあなたにとって、一番やさしい殺し方、なんですよね?」
ウォルフは振りむかなかった。その代わり、その場に崩れ落ちた。首と胴体を分離させて。
クロガネは、背を向けたまま魔法剣を振った。パキリ、とガラスのような刀身が折れて砕けた。破片は地面に落ちることなく雪のように消えた。クロガネは静かにウォルフの首に近づくと、片膝をついてかがみ、その両目を閉じた。
「どうか安らかに、戦士ウォルフ」
***
「手伝ってくれてありがとうございました、ルルムさん」
「ううん、命の恩人の頼みだもの」
「命の恩人だなんて、大袈裟ですよ」
クロガネは、ウォルフの墓の前で笑った。
彼は「ウォルフの墓をつくりたい」とルルムに頼んだのだった。ルルムは承諾し、ウォルフの巨体を河原の近くの少し開けた森の中に運ぶのと、墓を掘るのを手伝った。
「戻りましょうか。俺、のどが渇きました」
「ええ。……ねえ、私、気になってることがあるんだけど」
「なんですか?」
クロガネはルルムの分のシャベルもかつぎながら尋ねた。
「あなた、どうしてそんなに強いの? さっきはそんなこと言ってなかったじゃない」
「え? そうでしたっけ?」
「賢者様の養子だって話しか聞いてないわ。魔法は習わなかったって」
「ええ。ですから、魔法『は』習いませんでした」
「……騙したの?」
「いやいや、聞かなかったじゃないですか!」
クロガネはあわてて自由な方の手を振った。ルルムはクロガネをにらんだ。
「まさか、賢者様から剣術を習ったなんて、思わないわよ」
「習ってないですよ」
「はあ?」
「剣術にしたって、賢者様からはほとんど何も習いませんでした。あ、型だけは教えてもらいましたけど、見せてもらえたのは数えるほどです。しかも、何十年も前にお仲間の勇者様の型らしくって、全然、間違いだらけでした。それ以外だと……、この剣を作ってもらいましたね」
「つまり、どういうこと?」
「俺がやっていたのは、ただの一人稽古です。要は、素振りですね」
「じゃあ、あなたは誰にも何にも教わらずに、あんなに強くなったってこと?」
「うーん……。強いかどうかはわかりませんが、僕が剣術を覚えることができたのは、賢者様のおかげではあっても、教わったからってわけではないですね」
「あなたは強いわよ。私、あなたが何したのか、見えなかったもの」
「それは、ルルムさんが剣士じゃないからでは?」
「それは……、そうだけど……」
「ね? 僕なんか大したことないですよ」
「うーん……?」
そんなことを話しているうちに、クロガネの住んでいる小屋まで戻ってきた。
「疲れたでしょ。座っててください。いま、お水をいれますから」
「え?」
「え?」
「あー……、なんでもないわ。……ありがとう」
「いえいえ」
「あの、クロガネ、頼みがあるんだけど……」
「なんですか?」
クロガネは台所から返事をした。
「私の旅についてきてくれない? 護衛として……」
ルルムがそう言うと、台所から食器の割れる音がした。クロガネが台所から顔だけ見せた。青ざめていた。
「ルルムさんの旅に、ついて行く? 護衛として? 俺が?」
「そう」
「嫌です」
「おねがい」
「嫌です」
「そこをなんとか」
「い・や・で・す!」
クロガネの顔が引っ込んだ。台所から声だけが聞こえてくる。
「護衛なんかごめんですよ。もうさっきみたいな危ない目にあうのはこりごりなんです」
クロガネが戻ってきて、二人分のコップを置いた。ルルムは受け取った水を少し飲んだ。大自然の養分をふくんだ泥の風味が口の中にしっかりと広がった。
「剣の修行をしていたんですよね? だったら、剣の腕で名をはせたいと思っているのではありませんか?」
「いえ、全く」
「え? じゃ、じゃあ、なぜ稽古をしているのですか?」
「趣味だからです。こんな山奥じゃあ、これくらいしかやることがない。仕事はまあ、いくらでもありますが……」
「……」
ルルムは口元に手を当て、素早く家の中へ視線を走らせた。
「そういえば、ご職業は?」
「木こりです。この山の木を伐って売っています」
「この地域の木材は高値がつくと聞きます。どれくらい儲かるのですか?」
「ちっとも」
「ちっとも?」
「ええ。俺……、力が無いので、木をまともに伐れないんですよ」
「はあ……?」
ルルムは額に手を当てた。
「なっ……ええ……? 冗談か何かですか、それは……?」
「失礼な。これでも真剣に悩んでるんです」
「力が無いって、さっきの魔族を倒したじゃないですか」
「剣は振れます。ミラージュは軽いですから。でも、斧は、重いんです」
「では、その、ミラージュで斬ればいいじゃないですか」
「賢者様の遺言で禁じられているんです。ミラージュは、誰かを守るとき以外には使用してはならないと」
「賢者様は、ミラージュを誰かを守るために使え、とおっしゃったのではありませんか? 覚え違いでは?」
「護衛にしたいからって、賢者様の遺言を都合よく捏造しないでください。使ってはならない、です。……たしか」
「うろ覚えじゃないですか」
「とにかく、ダメです。だいたい、俺に一体何のメリットがあるというんですか。名誉で人は食っていけませんよ」
「? 私がいつ、無報酬といいましたか?」
ルルムがそう言うと、クロガネはぴくりと耳を動かした。そっぽをむいていた顔を、ゆっくりと、ルルムの方にむける。
「いま、なんと」
「ふっふっふっ……」
ルルムは、にっこりと微笑み、懐から小さな袋を取り出した。かすかに金属が触れあうような音がした。クロガネはごくりと唾を飲んだ。
「金貨はお好きかしら?」
「ルルム姫、どうか俺を護衛として仕えさせてください」
いつのまにかクロガネはルルムの隣でひざまずいていた。
「剣士の名誉にかけて、あなたを魔族の魔の手からお守りいたします」
「名誉にかけて、ですか。では、報酬は……」
「報酬は、いります!」
「冗談ですよ」
ルルムは笑って、クロガネの手を取った。
「ありがとう、剣士クロガネ。これからよろしくお願いしますね」
***
「準備はすみましたか、クロガネ」
「はい。ルルムさん」
ウォルフを倒した翌日、クロガネは支度をすべてすませて旅立ちの準備を終えた。
窓を板でふさぎ、水を止め、賢者様のお墓には花を添えた。
荷物はと言えば、例の魔法剣だけだった。
「身軽なものですね。遠慮していますか? もう少しくらい持っていってもいいのですよ」
「いえ。あまり重いと、歩けなくなってしまいますので」
「あ、そう」
「じゃ、行ってきます」
クロガネは誰もいない家にむかってそう言うと、扉を閉め、鍵をかけた。




