(第29章 真実は闇の中。解釈を変えれば光が見える)
祖父の泰三も、息子の俊一も、あの事件以後、会うことはなかったらしい。祖父は老人ホームに入り、父・俊一は精神を病んで入院。奥野弁護士のおかげで、妻殺しの罪は精神錯乱のせいだと認められ、数年間入院した挙句、退院後は海外に居を移した。たまに日本に帰国しても、まるで避けているかのように姿を見せなかった。だから、本人から真実を聞くことはできなかった。たとえ話ができたとしても、それは父の解釈であり、事実はわからないのだ。
遠い昔、愛おし気に見守ってくれていた父の面差しは、思い違いではないと確信していたから、声だけでも聴きたかった。母のカスミの気持ちも、死んでしまったので聞くことはできない。ただ、カスミの母親が祖父・泰三の憧れの女性で、恋焦がれてカスミを預かり、引き取りに来たら結婚する約束を交わしていたこと。俊一の母親と政略結婚させられ、預かっていたカスミを妻亡き後にお手伝いとして雇い、男女の関係になっていたこと。お腹に子供ができたと知ると、軽井沢の別荘に追いやったこと。そこで偶然、俊一と出会い恋に堕ち、泰三氏の子供がいることを隠して結婚した。忙しい俊一が留守がちなため、泰三と情事を重ね、ある日父に見つかり人情沙汰になったこと。
最初は堅かった口も、酒が進むうちにハル爺やは悠一の知らなかった永井家の悲劇を教えてくれた。怒りに任せて母を死に至らしめた俊一の苦悩を初めて理解することができた。裁判では明かされなかったが、奥野弁護士が甲斐甲斐しく俊一の元に通い、事の顛末を語ってくれたおかげで、泰三が自分の妻を横取りしたという誤解は消えた。泰三が淫行に興じた修羅だと恨んでいたが、先に付き合っていたのは父親の方だったと知っただけで、俊一の精神は快方に向かったらしい。それでも父と息子は反目していた。
父親の死によって、帰国し成長した母親そっくりの悠一に再会した時の苦悩。ハル爺やが偶然耳にした俊一の本音。奥野弁護士にだけ吐露していた。
「もし、自分の精子に異常が無かったなら、妻の不倫など気づかずにいたことだろう。悠一が生まれた時の至福の日々があったことすら忘れていた。いや、むしろ妻の裏切りに愛情が憎悪に変わって、頭が変になってしまった。それほど、カスミを愛していたのだ。殺す気など無かった。生きてさえいてくれたら、誰を愛そうが、近くにいてくれさえすれば、それでいい。あれから、カスミの面影を追い続けている」
悠一もヒトミママを本当に愛していたから、父の気持ちは痛いほどわかる。急な別れは耐えがたい。背徳故に燃え上がった。祖父の気持ちも、わかりすぎるほどわかるので辛い。好きという気持ちは誰にも止めることができない。当の本人ですら。カスミが祖父の女性だと知っていても、俊一の恋心は止められなかったのではないだろうか。
何から正せば、皆が幸せになれたのだろう。自分さえ生まれなかったら、悲劇は起こらなかったのではないだろうか。悠一はハル爺やの話を聞きながら、愛の破壊力を恐れた。長い歴史と因縁に翻弄された祖父・泰三に思いをはせ、幼い頃のかすかな記憶を探る。母と共にいなくなった祖父。たった一人で、使用人しかいない広い邸宅に置き去りにされた理由を、今頃知ってどうする。




