(第24章 祖父が遺したもの)
泰三氏が生きているうちに、やり遂げなければならなかった。これだけの相続に関わったことのある弁護士は過去にいなかった。奥野は太い本の隅々まで読み、外国の富裕層の節税方法を研究し、三つの財団法人を立ち上げるという手段を講じた。個人財産ではなく財団を運営し、日本の未来に貢献するということは、泰三氏の願いでもあった。
子々孫々、相続税に苦しまず、富を活かして社会貢献に尽力する。有り余る金持ちが最終ラウンドで考える【お金の使い方】。つまり、何のために金儲けに奮闘していたかの答えでもあった。弁護士の奥野が若くして数少ない相続税のオーソリティとして名を上げ、その後も超売れっ子となったのも、永井家の相続に関与したおかげだとも言える。
個人の財産はほとんど財団に変えてあった。だから、泰三氏が亡くなって相続を迫られた時、俊一氏が放棄しても、ほぼ悠一に遺すことができた。しかし、その財団の代表として悠一の名前が登録されていたが、まだ未成年だったので、奥野が後継人として実務を任されていたようだった。
そのため、悠一は世界を旅し、奥野に被災地や戦争下で苦しんでいる地域への資金や物資の支援を何度も頼み込んできた。挙句、国にも働きかけてほしいと言ってきた。自衛隊の力が必要だと言った。国のトップからの依頼なら動くだろうが、個人からの依頼で国が協力してくれるはずはなかった。しかし、外務省は話に乗ってくれた。総理を動かし、自衛隊や医師団を結成して援助の手を貸してくれた。悠一の情熱が国を動かしたのだ。とんでもない逸材だと確信した。
彼は日本に帰る前にニューヨークに渡米し、アメリカで人権問題に果敢に挑む団体と繋がり、国際協力隊を派遣した。国連にも多大な寄付を行い、貧しい国々の悲惨な状況を報じた。世論は動き、世界中から支援物資が届き、多くの命が救われていった。
ベトナムに新会社を設立。日本とベトナムが手を繋ぎ、新たな未来へ羽ばたこうとしていた時のことだ。奥野に託された泰三氏の遺産を悠一に渡す時が来たと、奥野は判断した。




