(第23章 同じ障害を持つ男)
俊一は、しばらくの沈黙を破って、伏し目がちに言った「自分も精子に異常があって、子供ができない」同じ境遇だと知り、二人はすぐに理解し合えた。
「妻が浮気するのも仕方なかったのかもしれない。でも、相手が悪かった。父との情事を目撃してしまい、気がついたら妻を殺していた」と言う衝撃的な告白に、さすがに奥野は言葉を失った。
「精神科医のおかげで警察は動いていない。しかし、このまま家業を他人に任せるわけにはいかない。事件を闇に葬り、仕事に戻りたい」そう依頼されたが、安易に受けるワケにはいかなかった。
「妻は結婚前に妊娠していた。それを隠して結婚した。この事実は誰にも知られたくない。同じ障害を持つ君に頼みたい。どうすれば社会に戻れる?仕事だけが生き甲斐なんだ」俊一は、悲惨な顔で泣きついてきる。
奥野の妻だった清美と同じ年齢の奥野は赤裸々に語る俊一に、同情は禁じ得なかった。一番仕事が波に乗っている時期だろう。自分も仕事だけが生きがいだから、わかる。どうにかしてあげたかった。弁護士の資格取り立ての若造の自分を指名するのは、同じ傷を持っているからだろう。他のどんな優秀な弁護士だって、この気持ちはわからないだろうし、知られたくないことだろう。
奥野は誰にも聞かせず、弁護士として努力した。ありとあらゆるコネと判例を吟味して。本人は精神科医に守られて出頭はしない。泰三氏とも施設で会ったが、強いて何も語らなかった。ただ「俊一君と同じなもんで、奥さんには離婚されちゃいました」と苦笑しただけで、全てを読み取ったようだった。
泰三さんは頭を深々と下げて、「お願いします。あの子を支えてやってください。そして、たまに教えてください。俊一が幸せになれるなら、何でも罪ほろぼしをするつもりです」と、しっかりとした声で、しかし小声で周囲を伺いながら言った。その優しい目は父親のものだった。愛した女を目の前で失ったというのに、恨んではいなかった。それどころか、自分が罪人なのだと懺悔していた。
そう、俊一にしても殺意などなかった。誰でも、間男に会えば思わず手が出ることだろう。ただ、打ちどころが悪かっただけ。つまり事故だった。間男が泰三氏だとは知られてはいけない。そんなスキャンダラスなことがあれば、事業にも暗雲が広がることだろう。俊一君にも、悠一君の将来のためにも、カスミさんには悪いが汚点を被ってもらうしかない。
裁判官に向かって奥野は訴えた。「相手はわからないが、家に帰ると妻のカスミが裸で横たわっていた。誰かが逃げるのを見て、カスミを問い正したが言わない。嫉妬にかられてつい手を出してしまった。女性に暴力を振るったのは、この時が最初だった。だから力加減がわからなかったのだろう。ラグビーで鍛えた強靭な体だったのも悪かった。本人は、そんなに力を入れたつもりはなかったが、カスミさんは倒れて動かなくなってしまった。近くに行って助け起こしたのだが、息をしていない。俊一氏は突然の思いも寄らない状況に、日頃病んでいた精神病が再発。今も入院治療している。本人は、事件のことを全然覚えていないし、奥さんを愛していると。早く良くなって帰りたいと、会いたいと言っている」と裁判官の涙を誘った。
泰三氏は、事件の時は既に施設にいたことになっている。カスミはレイプされ、困惑して自ら死のうと思ったのではないか、などと憶測まで上がったが、事件ではなく事故として処理された。裏では泰三氏による大金が動いていたことも耳に入っている。日本を代表する財閥に何かあっては、国の未来にも差し障る。カスミの死は門外不出で、葬式も密やかに行われ、従業員にも知らされぬまま喪に伏された。
そして、すぐに新しい母親が悠一のために用意された。この時から、俊一は、子供など必要としない、もう産むのは難しい年上の女性をターゲットにして近づき、結婚を重ねた。俊一よりも年上の妻は美しく、頭脳明晰だったので秘書として一緒に海外へ同行し、ビジネスパートナーとして活躍するも、数年で破綻した。悠一に母親が必要だと思って罪滅ぼしの意味でも次々と結婚していた。しかし、愛しても実を結ばないとわかっていて、夫婦の営みはなんと空虚で白々しいものだったろう。
しかも、あんなに愛して育てた息子が父の子だったというショックで、俊一は二度と悠一を抱くことも声をかけることもできなくなった。たまに姿を見かけても、カスミの姿がチラつき、罪の意識に苦しめられた。父の泰三がいる施設にも行く気になれなかった。奥野から様子は聞いていた。仕事にだけ邁進していた。
悠一の母親として娶った妻に愛情を注ぐことはできなかった。というより、女を愛する行為自体が不必要なことのように思われた。同時に女をカスミ以上に愛せるとも思えなかった。夫婦一緒でなければ出席できないパーティや社交場もたくさんあった。だから年上の優秀な妻は、ビジネスパートナーであり、かけがえのない秘書でもあった。
しかし、魔性の女から生まれた悠一の美しさに魅了されない者などいない。隣で絵本を読み聞かせながら悠一の成長を楽しみ、妻が毎晩添い寝しているのに、嫉妬した。自分よりも大切にされる悠一が憎かった。そこには、いつも父の泰三の姿があったからだ。永井家を繋ぐのは自分ではない。泰三の子である悠一なのだと考えると混乱して、仕事まで空虚に感じられることがあった。
しかし、たくさんの従業員たちの生活や家族を守り、養っていかねばならない。そんな使命だけが俊一を動かしていた。事実、俊一の頭の良さは秀でていた。視野も広く、ネットワークは世界中に張り巡らされていた。SNSにも興味を持ち、どこよりも早く新規事業として取り組んでいた。業界トップとして君臨。泰三氏の財産を超えた時、「僕は相続放棄するよ。財産は全て、悠一に継がせたらいい」と泰三に告げたという。
「もし、財産のためにカスミが利用されたのだとしたら、その絆を絶ちたい」と奥野に語り、涙を流していた。俊一の中での真実はどうだったのか、知る者はいない。俊一氏が財産を放棄すれば、ほとんどが国に相続税として取られてしまう。俊一氏と悠一の二人で相続しても同じことだ。泰三氏の財産を守るためには、相続税を払えなくて破産させるわけにはいかない。




