(第19章 祖父から始まる永井家の物語)
悠一の祖父、永井泰三は戦後の混乱期に東京にいた。
食べるのにやっとだった頃、大学に入れてもらえたのはありがたいことだった。しかし、田舎からの仕送りは途絶えがちだった。それでも東京に居られたのは、大学の学友たちのおかげでもあった。
さすがにその当時、大学まで行ける友人宅はみんな裕福で、どこかの下宿にたむろして何かしら食べさせてもらいながら生き延びていた。混乱の時代だったので、闇市で暴利を貪ったり、豆の相場でボロ儲けをしたりと、泰三の商魂の逞しさは友人たちの目を見張った。
当時、やっと株や銀行、保険機構などを中心に経済が統制され始めている気配を感じていた。卒業と共に田舎に帰って稼業を継がなければならなかったが、途中大阪に降り、その活気のある様子に魅入られて数年をそこで暮らした。
友人のつてで商社のようなところで、世界情勢を知りビジネスチャンスを模索した。そんな時、昔父親が経営していたカフェで働いていたミカコという女性と再会した。美しい女性で、泰三の憧れの人でもあった。何度も勤め先のカフェに足を運び、親しくなった。
彼女との結婚を求めたが、ミカコには既にパトロンがおり、父親違いの子供が数人いた。女ひとりでは育てられなかったため、子供たちは皆どこかで奉公していたり、身売りされてバラバラに暮らしていた。しかし、まだ3歳のカスミだけは、幼いせいもあってミカコの元で育てられていた。色の白い、目鼻立ちの美しい女の子だった。ミカコは泰三にこう哀願した。「この子のパパは外人なの。でもアメリカに帰国して迎えに来ると約束したのに、連絡さえつかない。私は遊ばれただけなのね。最近、愛人に囲ってくれるという旦那が現れたけど、カスミを連れては行けない。どこかの孤児院に預けなければいけないのだけど、まだ小さいでしょう?お願い。この子を数年でいいから面倒見てくれないかしら? 私を愛しているなら。きっと3年後には、この子を迎えに行くから。その時には私はあなたのもの。今は、旦那からは逃れられない。あなたのことを知られたら命だって危ない相手だから。愛しているわ。だから3年だけ時間をください」
泰三はカスミを連れて田舎に帰ることにした。ミカコには、「田舎では、俺の名前を知らない奴などいないから。いつでも、旦那から逃げられたら来るといい。待っているから」と約束した。しかし、田舎に帰ると婚約者が待っていて、無理矢理結婚させられた。カスミは親戚の子供のいない家に引き取られて育てられた。ミカコが泰三を頼って来ることもなかった。もしかしたら泰三を慕って来たかもしれない。しかし、他の女性と結婚してしまった泰三に失望し、声もかけられず去ったとも考えられる。
三年後、泰三夫婦には俊一という息子が生まれた。長男の誕生に永井家は喜び、泰三もそのおかげか仕事に精力的に励み、事業を拡大していった。大学時代の友人たちのネットワークで、稼業の繊維会社とは別に貿易会社を創立した。学友たちは外交官として海外に赴任し、ライブな情報や儲けの話を持ち掛けてくれた。
日本の好景気も追い風になり、日本を代表する大富豪となった泰三は、毎年長者番付の上位に名前を挙げていた。多忙のため子供は俊一しかできなかったが、父親そっくりの容貌と頭の良さで、一流大学に入り、数年大手商社で鍛えられ、優秀な秘書と恋に落ちて結婚した。しかし二人にはなかなか子供が生まれなかった。その頃、泰三は妻を病気で亡くし、身も心も病んでいた。
そして、寂しさ故に遠い親戚に育てられていたカスミを家に招き、身の回りの世話をさせていた。憧れのミカコにそっくりな美しいカスミに過ぎし日の面影を見たのか?カスミと泰三が深い中になるのは必然だった。
しかし、当時の泰三は地位も名誉もある有名人。こんなに年齢差があるカスミとの情事を周囲のの人々に知られたくなかった。日陰の女として囲うつもりだったのだろう。
そして、運命の悪戯だろうか。周囲の目を憚って、泰三は妊婦のカスミを軽井沢の別荘の管理人として移り住まわせた。
そこへ、一人で遊びに来たのが俊一だった。その頃、離婚して傷心だった俊一は、美しくて優しく、よく気がつくカスミに一目惚れ。カスミも泰三によく似た俊一に心を寄せたのは言うまでもない。
お腹に子供がいることを隠しての交際に悩みつつも、一人ぼっちで心細く寂しかったカスミには、俊一と暮らす日々が夢のようだった。若い二人はテニスや乗馬に興じ、次第に距離が縮まった。そして、男女の関係になるのに時間はかからなかった。
カスミの妖艶な色気たっぷりの、まさに女盛りの肉体に溺れない男はいなかった。子供もできないし、冷めきった夫婦関係に終止符を打ったばかりだったが、病んだ俊一を蘇らせてくれた恋に夢中になった。
泰三は難色を示したが、魅かれ合う二人を止められるはずもなく、そんな権利も持っていなかった。泰三の子供はカスミのお腹の中ですくすくと大きくなっていた。結婚前にカスミのおめでたが俊一に告げられたが、疑うどころか待ちに待った子供の誕生に、俊一はもろ手を挙げて喜んだ。カスミのお腹はまだ目立っていなかったので、「できちゃった婚」ということは世間的には伏せられていた。
「お腹の子は、貴方の子です。でも、結婚相手が貴方の息子で良かった。これで、安心して育てられる。ずっと貴方の傍にもいることができる」
美しい純白のウエディングドレスに身を纏ったカスミに、泰三はすれ違い際に耳元で囁かれて、言葉を失った。カスミは俊一よりも4歳上の姉さん女房だったが、そんなことは少しも感じさせない美しさで、披露宴に出席した男たちは思わず羨ましさにため息を漏らしたほどだった。
その時の俊一は幸せの絶頂にいたことだろう。そして生まれてきた悠一も母親似の色の白いパッチリした目で、クオーターだとわかる容貌だった。
しかし、次の子供がなかなかできなかった。仕方なく検査をしたら、カスミの方には支障は何も見つからなかったが、俊一の精子には異常があり、子供はできないと言われてしまった。大人になって、おたふく風邪にかかったことが影響したのか、それとも環境や化学物質やストレスのせいかは特定できなかった。
そうなると、悠一の存在さえも不審になった。『前に男がいたかもしれない』という疑惑に耐えかね、秘密でDNA鑑定を行った。結果は95%の確率で俊一の子に間違いないと言われた。
『きっと悠一の時までは精子は活動していたんだ。一人だけでも息子ができて良かった』と神に感謝した。家族のために必死で仕事にも励んだ。バブル好景気もあり、泰三の事業も順調で、節税のための財団法人は3つにもなった。
半分、現役を退き東京の豪邸で庭いじりに興じている泰三の分まで仕事をしなければならなかった。




