(第13章 名を捨て現実逃避の日々)
このまま他人となり、あの事件とも無関係な人間になれば、逃げ通せるだろうか――。
そんなことを考えている間にも記憶が飛び、気がつけば全然違う場所にいた。どこをどう逃げたのか。突然乗っ取られる人格に翻弄されながら、殺人をしたというリアルな感触だけが生々しく残っていた。罪悪感に震え、捕まり牢獄で過ごす未来を想像して、死にたくなった。怖くて、どこにいても安心できなかった。
とにかく、逃げた。警察からか、世間からか。二度と永井家には戻ってはいけないとさえ思い、放浪した。
奥野や永井家の皆は、てっきり殺されたのだと思っていたらしい。それから数か月して、悠一は記憶喪失で保護され、遠くの町で発見された。もちろん、殺人を知られないように記憶喪失のフリをしていただけなのだが、本当は永井家から離れて別人となって生きたかった。しかし、まだ15歳の中学生だった悠一には、勉強しなければならないことが多かったし、社会で働ける年でもなかった。
数か月は、山奥の使っていない小屋で過ごしてみたり、マコになって夜の町で男を誘って奢らせたり、ゲームセンターに入り浸って遊んだりと自由を謳歌していた。そのうち、そんな自堕落で生産性のない生活にも飽きていた頃、奥野弁護士によって救い出されたのだ。
何者でもなく、何の力もない時分に嫌気が差していた悠一は、放浪しながら残酷な場面にも遭遇して驚いた。場末の吹き溜まりで、暴力や理不尽な扱い、差別や貧困を目の当たりにし、助けられなかった自分の不甲斐なさに憤慨し、情けなさを覚えた。今まで知らなかった、貧困と暴力に支配された世界を垣間見て、犯人たちを殺したことを弱肉強食の必然とまで思うようになっていた。お金や力によって奴隷のように扱われる非人道的な世界が、まだ日本にもあるなんて信じられなかった。夜の町で、隼人だけは、そんな暗黒の夢も希望もないハングレたちを従え、水を得た魚のようにイキイキと活動していた。次第に悠一の人格は出番を失い、隼人に占領されつつあった。安っぽい正義や善意のようなものに、子供だった自分は嫌気が差していた。
まだ中学生の悠一が、いくら身代金として奥野から騙し取った三億円を手にしていたとしても、世間は思ったよりも不自由だった。その時、自分の中の4つの別人格が決定的に悠一を支配し始めた。強い味方であり、共犯者として悠一を縛りつける存在だ。一人では絶対に不可能なことも、やりたくないことも、別人格が現れてこなしてくれる。便利だが、コントロール不可能な人格に乗っ取られるというリスクを考えると、将来に暗雲がかかっているとしか思えなかった。不自由で不安に満ちた危ない世界への幕開けでもあった。




