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(第9章 孤独な夏休み)



悪徳の宴の後遺症十代の自分が背負えるはずもない大罪に、贖うことすらできない自分への憤りと自責の念から、左腕にはカッターで傷つけた痕が絶えなかった。

それなのに、そんなことを気にしてくれる者もいない。

季節は夏で、半袖から出た素肌は白く、弱々しく、包帯の白が不自然なほど際立っていた。学校もない。自分から出かけない限り、誰とも会えず、何も始まらない。それでも、何もしたくなかった。体が動かず、意識も朦朧としていて、誰かに占領されているような感覚があった。しかし目覚めても、何も覚えていない。ずっと夢を見ているようだった。

持て余した時間の中で、ヒトミママとの思い出に胸を痛めた。ヒトミママはいったいどこで何をしているのだろう。お腹の子供は無事なのだろうか。そもそも、僕の子供と決まったわけではない。無事に生まれたら、僕にも兄弟ができるのだろうか。

ヒトミママは自分の子供だと言っていたが、父とも関係していたはずなのに、なぜそう思ったのだろう。父はお腹の子供のことを知らされていたのだろうか。知っていたなら、そんな身重な大切な時に棄てたりはしないだろう。

――などと、何事もなかったかのように明るい未来を想像してみたり、この世にいない悠一の母がヒトミと重なって、「自分が知らないだけで、この庭園のどこかにヒトミママの死体が埋められているのかもしれない」などと、サスペンスドラマのような妄想をして夜を怖がったりした。

庭園にはヒマワリが、太陽の方向に一斉に顔を向けている。それは、何ひとつ疑問を抱かず妄信している人間の顔にも見えた。そして、それが父の姿と重なり合う。自分の方には決して振り返らないヒマワリたちに、「ねえ、こっちを向いてよ。太陽ばかり見ていると、僕の位置からは君たちの後ろ姿しか見えないじゃないか」と、恨めしげに声をかける。

蝉のけたたましい声が響く。東京には、案外自然が多く残されている。遠くには新宿の高いビル群と東京都庁が見える。天気が良ければ、富士山が見える日もある。「大きな男になれ」と言って可愛がってくれた祖父も、もういない。自分を愛してくれた人々は、皆いなくなってしまった。孤独だった。

何不自由のない、

たぶん満ち足りた生活をしていると、周囲は羨んでいることだろう。しかし、一番肝心なものが欠けている。自分の中心に、大きな空洞が空いている。だから、何をしていても虚しい。

親しい友人もいない。もちろん、好きな女の子も、付き合っている彼女もいない。ずっと母の面影ばかりを追いかけている赤ん坊のようだ。

母に似たヒトミとの禁断の恋。決別しかないと分かっていながら、堕ちていった。悪いことだと知りながら、溺れてしまった。

悪徳とか頽廃というものは、なんと完備されているのだろう。正義や常識が、ひどくかったるい年頃だった。美徳の悦び。それが大人への入り口でもあるような気がしていた。

悠一はヒトミママの面影を家のあちこちで感じ、同時に喪失感に苛まれて自暴自棄になっていた。思春期特有のもやもやした感情を、誰にもぶつけることができず、躁鬱状態になっていたのだろう。この時、幼い頃から徐々に悠一を支配していた別人格が、暴れ出しているのを感じていた。特に、凶暴な隼人という人格が、ほとんどの時間を占領しつつあることを悠一は知っていた。意識がない時もあった。しかし、遠くで隼人の所業を観察していたこともあった。それは夢のようで、朦朧とした記憶に過ぎなかったが、何もかも失った悠一にとって、それはどうでも良いことだった。

あり余る時間を持て余していた。中高一貫校に通っていたため、高校受験に必死になる必要もない。うるさく言う親もいない。やりたいことは何でもできる経済力もあり、女にはモテる容姿も備わっていた。努力せずともすぐに手に入る日々は、なんと退屈で面白くないことだろう。ヒトミ以上に愛せる女性には、もう出会えないとさえ思っていた。人生が若くして燃え尽きたかのような空虚な夏休みだった。

だから悠一は、隼人となって夜の歌舞伎町を冒険し、ハングレ仲間を金で操り、好き放題していた。マンネリ化した日々に飽き飽きしていたから、隼人の好きにさせていたのだ。貴公子のような容貌と残酷な一面を併せ持つ隼人にはカリスマ性があり、崇拝する者も多かった。そのため、隼人の代わりに悪事に手を染める男たちも少なくなかった。

永井家の後継者に関わりのない、悪仲間との付き合いに眉をひそめる使用人も多かった。「きっと脅されているに違いない」と説教して追い払ったのは、ハル爺やだけだった。しかし実際には、悠一は無理やり仲間にされたわけではなかった。荒くれた波動が合ったから縁を持った。居心地が良かったから、仲間でいられたのだ。悠一の別人格・隼人が率先してハングレたちを誘導していたのだから、もはや彼は主体的な行動者だった。

生粋の悪者たちは、仲良くしながらも常にカモを狙っている。悠一はその標的であり、隼人の巧みな策略に翻弄される。お金をばらまき、他人を操る隼人の前では、服従していると見せかけ、崇拝しているふりをしながら、チャンスをうかがう者もいた。遊び回り、利用し、さらなる利益を貪るための策略を張り巡らせる。生まれ育ちの違いは、埋められない大きな溝を作る。富める者は、貧困の地獄を知らない。善意が憎しみを生むこともある。悠一の無邪気な豊かさが、周囲のコンプレックスを刺激していたのだ。



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