6話
翌日の朝。私は昨日と同じように、制服に着替えて学校の荷物を持った後、玄関へと出た。それから一回のエントランスを通って外に出て、一度立ち止まる。
「よし。いっちょやりますか!」
私は昨日と同様に手のひらを空に掲げ、合言葉を唱えた。
「時間よ、止まれっ」
そう唱えたと同時に、目の前が白い光に包まれた。というか、世界全体が光りだしたかのような感覚。そして、すぐに光はおさまり、視界も少しずつ安定してきた。
すると、気づけば世界から音という音が消えていた。まるで自身の聴覚を唐突に失ってしまったかのようだ。それからほんの数秒で、私は安心感を抱いた。あぁ、この感覚だ。待ちに待った世界。待ったのはたった一日の間だったけど、それでも嬉しかった。あぁ、なんて素敵なのだろう。
「さぁ、今日ものんびり暮らしましょう」
私は軽快なリズムで歩き出し、あてもなく路上を進む。だんだんスキップとなり、気づけば鼻歌も歌っていた。
けれど傍には、不本意ながらクロノスもいる。
『今日は何をするんだ?』
クロノスがそう訊ねてきた。
「とりあえず、溜め込んでいた小説でも読もうかな。せっかく時間を気にせずに過ごせるんだから」
基本的に、この時間の止まった世界で物は動かせない。無論、本も止まっているため、本を読むなんて無理だ。
けれど例外として、自身が身につけていると完全に認識したものは、能力の適応範囲外にでき、自由に食べれたり持ち運べたりすることが可能なのだ。
例をわかりやすく上げると、能力を使う前に自身が背負ったり手に持っている鞄、鞄の中に入れた品々、衣服、靴、髪留めなど。
私はさきほど能力を使う前、要するに家を出る際に、本棚から文庫本を何冊か鞄に入れてきたのだ。
つまり、私が持ってきた小説たちは、私が身につけているものと認識している鞄の中に入れてあったため、この時間が停止した世界でも自由に動かせるということになる。
そういわけで、私は気楽に本が読めそうな場所まで向かった。
ややあって、私は高速道路の上へとやってきた。朝の時間帯も手伝ってか、周りに車はそれほどなく、黒い道路が綺麗に続いている。私はこの高速道路のど真ん中に寝っ転がる。
「ふー……」
一度やってみたかったんだよなぁ。道路の上で寝っ転がるの。本来なら車が走る危険な場所で、大の字になって寝る。なんとも爽快というか、非日常感を感じる。いざ横になってみるとなんだか心細くなるけど、それがいい。
今時間が動き出したら自分は確実に死ぬだろうなという状況で、こうして無防備に横になって寝る。ちょっとしたスリルというか、なんだか悪いことをしている気にもなり、それが逆に心地良さを与えてくれる。
そうやって小一時間くらい軽く寝た後に、私は鞄から文庫本を取り出した。ここでこのまま、横になりながら読もう。
仰向けになった状態だから、ちょうど目の前には雲ひとつない青い空が広がっている。本日の天気は快晴だ。まるで終わりを知らないような、どこまでも延々と続く青空。白紙のキャンバスの青色バージョンみたいだ。
ずっと見つめていると身体が吸い込まれていきそう。そしてそのまま、風船みたいに空まで浮いていっちゃいそうな錯覚を感じてくる。
なんだか、不思議な感覚だった。まるで宇宙空間に浮いているみたいで。
私はそんなふわふわした気持ちになりながら、身体を横にひっくり返し、うつ伏せ状態になる。そのまま文庫本を手に持ち、開いて読む。
『俺が昨日読んでいたやつだな。ネタバレしてやろうか?』
「やめて。あと鬱陶しいから、喋りかけないで」
『へいへい』
クロノスはつまらなさそうな顔で、私から少し離れた。そして、退屈なのか私の鞄から私が持ってきた他の文庫本を取り出して、クロノスも小説を読み始めた。
この雰囲気だとしばらくは、かまってちゃんな悪魔に邪魔されることなく、静かに過ごせそうだ。
体内時間的に、丸一日くらいが経った。こんな静かで自分しかいない世界で丸一日。常人なら気がどうにかなるかもしれない。けれど私の場合、精神は全くもって正常運転だった。むしろ、時間が進む今までの世界で過ごす一日よりも、この時間が止まった世界で過ごす一日の方が気分のいいくらいだ。たぶん私は、心の底から、時間に縛られることのない一人の世界に憧れていたんだと思う。
そんなことを脳裏で思いながら、ちょうど読んでいた小説を読み終わった。この高速道路の上で丸一日小説を読み続けていたから、三冊も読破してしまった。いやぁ、なかなか有意義だったなぁ。
三冊目を読み終わったあたりで、読後の余韻に浸る。やっぱり物語は素敵だなと、改めて感じた。
すると急に、お腹からぐぅ〜と音が鳴る。
「……」
お腹……空いてきちゃった……。
『そろそろ元の世界に戻すか?』
「うーん……」
私の体調具合を察したのか、クロノスが側からそう提案してくる。たぶん私のことを心配しているわけじゃなくて、私と二人だけという世界に飽きたためかもしれない。
たぶん、クロノスは自身の力で時間を動かすこともできると思うけど、契約を結んだ私が力を使った手前、彼的にも自身の力で元の世界に戻すのは気が引けているのだろう。だから、 私が自分の意思で時間停止を解除するのを待っているのだ。
それとは裏腹に、私は一生この世界で過ごしていたい。けれど、持ってきていたお弁当も六時間くらい前に食べちゃったし、現状今は食料がない状態。……そろそろお腹が空いてきた。
「……名残惜しすぎるけど、そろそろ戻そうかな。……心底不本意だけど」
『明日も使えるんだしよ、そう気を落とさなくていいんじゃね?』
「はいはい、そうですねー」
何が明日も使えるんだしよ、だ。こちとら時間が進む世界で過ごすだけで憂鬱だっつーの。なんなら一秒たりともいたくないくらいなのに。
けれど、今はそんなことを言っている場合じゃない。餓死する前に、早く時間を進めてやろう。
私は気乗りしない体を起こし、荷物を持ってだらだらと高速道路を降りた。やがてコンビニ前に着く。誰かがいる場所で解除すると、側から見れば私が急にその場に現れて映ってしまう。 そのため、周囲に誰もいないことを確認してから時間停止を解除。
今日は登校時間ギリギリに力を行使しなかったから、登校時間まで余裕がある。だから昨日みたいに学校の自販機で炭酸を買って急ぐ必要はない。
コンビニでサンドウィッチとシャケおにぎりを購入して、歩いて学校まで向かった。
その日の授業が終わり、放課後となった。私が自席で帰りの帰宅をしていると、後ろから誰かが近寄ってくる気配を感じた。……どうせまた高井麗奈だろうと思った。けれど―。
「夏凪さん。ちょっといいかな?」
声をかけられた瞬間、はっきりとした違和感を感じた。女子とは思えない低い声。そして、いつもの高井のような攻撃的でいやらしい声じゃない。どこか控えめで、まるで割れやすい卵にそっと触れるような声。
後ろを振り返る。
「やぁ、元気?」
そこには、以前下駄箱で話しかけてきた男子、時守監志がいた。いやお前かい。
目の前に立つ彼は、普段通り丸メガネと、ぼさぼさした薄茶の髪をしていて、頼りない草食系男子オーラを漂わせている。
彼と私はあまり話す仲じゃない。わざわざ自席まで来て声をかけられるなんて、滅多にないこと。いったい何のようだろう。
「……何かよう?」
私はあからさまに鬱陶しいオーラを漂わせながら問う。こっちは早く帰って、一人で本を読みたいのだ。
「急にごめんね。今日の放課後、暇かな? ちょっと夏凪さんと二人っきりでお話がしたいんだけど……」
「……は?」
先方から出されたセリフは、私が予想していないものだった。二人っきりで……お話? ……こいつはいったい何を言っているんだ。
「えっ、何それ? 急になんかキモい……」
「いやいや! 別にやましい気持ちで言っているわけじゃないんだよ!?」
「じゃあ何を話したいの?」
私が睨みながらそう言うと、時守は表情を固くして、どこか真面目な雰囲気を出してきた。さっきまでのおどおどした感じとは、まるで別人に映る。
『なーんか、ただならぬ雰囲気を感じるな』
私の傍で、クロノスが囁くように言う。悪魔の姿や声は私以外の人間に視認できなければ声も聞こえないため、時守にはクロノスの存在はわからない。
「……まだ確証があるわけじゃないけど、君に少し訊きたい事があるんだ」
「何が訊きたいの?」
すると時守は、ゲームのラスボスと対峙したような面持ちになり、私に向かって口を開いた。周りに聞こえないよう配慮するように、声を抑えながら、強い口調で―。
「……夏凪さんってさ。……時間を止められるよね?」
「…………え」
夏の生暖かな風がカーテンを巻き込んで、ちょうど教室内に強く入りこんできた。
開いた窓から差し込む日差しの暑さ。それが今この瞬間だけは、忘れたように気にならなくなる。




