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3話

 都内にあるマンション。その四階に、私は父と二人で暮らしている。私の一人部屋もあり、それなりに広い物件だ。家の中は、掃除はある程度行き届いており、それなりに綺麗だ。最低限の清潔さは感じさせられる。

 それは、綺麗好きな父が休日になると部屋の掃除をしているから。思春期の一人娘である私に気を遣ってのことだろう。

 大雨の中で学校を飛び出した私は、そんな部屋の中へと帰宅した。帰宅早々にお風呂に入り、上がった後はずぶ濡れになった教科書やノートを乾かした。正直、もう全てがどうでもいいため、教材が濡れたところで大して気にしてはいないけれど。

 そうこうしているうちに、数時間が経過した。父が帰ってきて、夕食の準備をし始めた。二人でリビングのテーブルを挟み、椅子に腰を下ろして食事をする。本日はカレーライスだった。もう外はすっかり暗くなっている。

 そんな中、私と父は黙々とカレーを食べた。食事中はいたって静かだ。会話は毎回、必要最低限といったところ。

 するとややあって、父が口を開いた。

「……学校は、楽しいか?」

 安直な質問。父に悪気はないのかもしれないが、私が一番嫌いな質問だ。父の問いかけに、私は素っ気なく返した。

「……ふつう」

「……そうか」

 また、沈黙が流れた。私がクラスの奴らにいじめられているなんて、わざわざ言う必要はないだろう。面倒なだけだ。それに、男一つで育てている一人娘が学校でいじめられているなんて知ったら、父はきっと絶望するだろう。

 別に父を心配しているわけではないけれど、いじめを知ったのを機に、子育てに嫌気がさして、今の生活が崩れてしまうのだけは避けたい。今はまだ最低限、食べて布団で寝られる生活を続けていたいもの。

 まあ、父は育児放棄をするような人ではないけれど。

 するとしばらくして、父は「あっ」と、思い出したように立ち上がり、台所を一度経由して、部屋の隅にある仏壇へと向かう。その手には、カレーのルーが少量入った小さなお椀。

 父は仏壇の前にそれを置き、手を合わす。

「…………」

 父は、仏壇に置かれた写真の人物に、心の中で話すように、数秒目を閉じた。少しばかり、部屋の中に静寂が流れる。

 ちなみに、その仏壇に置かれた写真の人物の名は、夏凪幸子かなぎさちこ私の母だ。私が、心底人間嫌いで、自らの孤立精神を獲得するきっかけとなった人。そして、私が一番嫌いな人。

「……わざわざそんなことしなくてもいいのに」

 気づけば私は、父に向けた心の声が漏れていた。父はいつも、食事前や職場に行く前に、必ず母に手を合わすのだ。

「時恵……。そんなことを言わないでくれよ」

 私の言葉を聞いた父は、どこか悲しそうな表情をしている。

 けれど、罪悪感はなかった。だって私は、間違ったことは言っていない。なぜなら母は、見ず知らずの子供を助けて亡くなったのだから。……私と父を残して。

 もう思い出したくもない過去だけれど、話は私が小学一年生の頃まで遡る。私と母、父の三人で、休日の土曜日にショッピングに出掛けていた帰りのこと。信号待ちの交差点にて、当時の私と同い年くらいの少年が、赤信号にもかかわらず、ボールを追いかけて道路を飛び出し、そこにやってきた大型トラックに跳ねられそうになった。

 けれど、そこに母が飛び出し、少年を押しやってことなきを得たが、その代わりに、少年の身代わりとなって飛び出した母は、私と父の目の前で、そのまま大型トラックに轢かれて亡くなった。

 その時の光景は、今でも鮮明に思い出せる。横になった母に血相を変えて駆け寄る父とトラックの運転手。周囲からは悲鳴や嗚咽を吐いている大人たちの声。母の血で塗りつぶされた横断歩道。そして、他人の子なんかを助けるために、さっきまで手を握っていた母に手を離された、あのなんともいえない物悲しさ。

 そんな中で私は、ただその光景を眺めながら立ち尽くしていた。まだ幼かった当時の私には、すぐには理解が追いつかなかったのだ。おそらくあの時が、私の人生の大きな分岐点であったと思う。

 それからは、父と私の二人で暮らしている。生活は、はっきり言って貧しい。こうなったのはすべて、母のせいだ。自分の家族を置いて、他人の子のために命を落とした。母がすべて悪い。

「だってそうじゃん。お父さんも、もっとあの人のことを罵ればいいのに。家族を置きざりにしたあんな最低な人に、気を使う必要なんてないよ」

「時恵!」

 父は仏壇の前で立ち上がり、怒声を上げた。部屋が小さいのも手伝い、より声が大きく聞こえる。

「いい加減にしなさい! お母さんは、目の前で死にそうになっていた子を助けたんだぞ!? それなのに、その言い草はなんだ!」

「だからそれが意味わかんないって言ってんの! 自分の母親を誇れって? 側から見ればあの人は子供の命を救った、勇敢な正義の味方なんだろうけど、私はそんなの納得いかない! 他人の子を助けたから何? 自分の家族は? 旦那さんと娘を置いたまま死んで、何が正義よ!」

「……時恵」

 父は押し負けたように、少し黙った。けれど私は、まだ続けた。

「……あの人はさ、……なんで私を置いて死んじゃったの? 私みたいな聞き分けの悪い子より、他人の子の方が大事だったの? ……そりゃ、私は昔っからわがままで、聞き分け悪くて、嫌な娘だったかもしれないけど……そんなに私のことが大切じゃなかったのかな? 私、そんなにあの人に愛されてなかったのかな?」

 ある程度話し終えると、自身の目に涙が流れていることに気づいた。いまさら、母のことなんてどうでもいいはずなのに……。そんな中、私の主張を聞いた父は、また小さく口を開く。

「……ごめん。たしかに、時恵の言っていることはもっともだよ。でもな? ……母さんは何も、時恵のことを愛していなかったわけじゃ……」

「もういいって! そんなのわかんないじゃん! あの人が私のこと愛してたかどうかなんて、いまさらわかるわけないじゃん! だってもういないんだから!」

 そう。母はもういない。いまさら、母が私を愛していたかどうかなんて、確かめようがない。けれど、もういいのだ。今はもう、確かめたいとも思わない。それよりも、先のことを考えずに、ゆったりと時を過ごしたい。……けれどそれすらも、この世界は許してくれないのだ。

「……時恵ももう高二だろ。もうそろそろ母さんを許してやらないか? いつまでも恨んでばかりいないで、前を向かなきゃ」

「……何よそれ」

「父さんは時恵の将来が心配だよ。いつまでも過去に縛られて、立ち止まってる場合じゃないんだって。松崎先生からも連絡をもらった。時恵、進路希望表白紙で出したらしいな。いったい進路はどうするんだ? 時恵は一体何がしたいの?」

「っ……」

 ……どうして、どいつもこいつも将来の話をしだすんだ。もう、たくさんなのに。今の時間すらまともに生きられない私にとって、将来のことを考えるのは苦痛でしかない。自分でも何がしたいかなんてわかんないのに、進路なんて決められるわけがない。

「……何がしたいかなんて、わかんないよ……。……もう、何もかもが嫌なの……」

「……時恵」

 父は、どこか辛そうな顔を浮かべた。けれど、私はそんなの気にしない。もうこれ以上、話すことなんてない。

 私はこれ以上何も聞きたくなくて、逃げるように家を飛び出した。

「ちょっと、待ちなさい時恵!」

 玄関のドアを押し開いて、私は寝巻きのまま夜の外へと駆け出した。背中から父の呼び止める声が聞こえたが、どうでもいい。母の見方をするのならば、父も母と同類だ。父も、私の敵だ!

「くそ、くそ、くそくそくそくそ!」

 あぁ、何もかもがくそだ! 全部くそ! 起こること全てにイライラする。私以外の全ての人間は、みんなクソみたいなやつばっかり。

 私はしばらく、夜の路上を走った。けれどやがて、息切れをしだした。その後は、ゆっくりと足を動かして、行くあてもなく、ただダラダラと歩いた。

 今はだいたい、夜の九時くらいだろうか。スマホを持ってきていないから、正確にはわからないけれど。

「…………」

 まだ九時といえど、周囲に人はいない。住宅街を歩きながら、通り過ぎる家々を眺める。まだどこも部屋の明かりがついていた。たまに中から、家族で楽しそうに話す幸せそうな声が、かすかに聞こえてくる。

 それを聞きながら、私は自身を見つめ返す。

 ……あぁ、私は本当に一人だ。この世界に、私のことを理解してくれる人なんていない。私は、一人ぼっち。誰からも愛されず、誰からも特別に思ってもらえない。哀れで可哀想で、まるで小説に出てくるような、悲劇のヒロイン。

「……くそっ」

 また無意識に独り言が出ていた。あぁ、もう何も考えたくない。考えるのがしんどい。

 けれど、時間は無慈悲で最低なもので、そんな私にかまいもせずに、今こうしている間にも、私を置いて刻一刻と進んでいく。だからこそ、ちゃんと将来のことを考えなくてはならないことくらい、松崎や父に言われなくたって、自分でもわかっているのだ。

 けれど、頭と精神は別物だ。頭ではわかっていても、心がうまく動かない。要は、面倒くさいのだ。考えたり、将来のために頑張るのが。

 あぁ、……神様。どうか、この否が応でも進み続ける、無慈悲な時間を、どうか、止めてください。

と、いるわけもない神に、痛々しくも病んだように祈っていたその時。横から、白い光が差し込んできた。それに気づいたと同時に、クラクションのような音も鳴り響く。

 私が反射的にその方向を向くと、大型トラックがこちらに向かってきていた。

歩行者の信号は、完全に青だった。つまり、先方のトラックが信号を無視してきたのだ。夜の暗がりも手伝い、私もトラックが接近するギリギリまで気づかなかった。

 運転席の人も、慌ててハンドルを切ろうとしたのがうっすらと見えたが、たぶん間に合わない。

 ……あ、これ死んだわ。

 私はこの時、すぐに察した。自分は、死ぬのだと。……神様、時間を止めてほしいって、死なせてほしいってわけじゃかったんだけどな…………。

 けれど私は、自分でも意外なくらいに、潔く死を受け入れた。おそらく、私の人生はそれほどまでに軽く、価値のないものなのだと、自分で理解していたのだろう。   

 けれど、私が全てを諦めたその瞬間―。

「…………え?」

 ……突然。世界から音という音が、一瞬にして消えた。

「……は?」

 目を瞑っていた私は、その異変に気づき、そっと目を開いた。その目の前には、接近してきていた大型トラックが、あろうことか私の目の前で、完全に静止していた。

「……え、……何これ…………」

 私は、今起きている事態を把握することができていない。一番驚いたのは、下を見ると、トラックのタイヤに回転していたような残像があり、それが固まったような形で静止していたこと。よく見ると、トラック事態も前に走っていたような残像が視認できる。……止まった形で。

 しかも、外から覗ける運転席の人も静止していた。私を轢きそうになり、慌てた表情のまま。まるで、写真のように。

 そして周囲を見渡すと、やけに静かに感じた。……というか、あまりに静かすぎる。耳が急に聞こえなくなったのではと焦ったくらいだ。なんの音も聞こえない。

 けれど、自分が発した声はちゃんと聞こえるため、耳が終わったわけではないと、すぐに考えを改めた。

ただ、だとしても。……いったい、何が起こって―。

『驚いたか?』

「きゃっ……!」

 背後から急に声をかけられ、無様にも私は、思わず声を出してしまった。その声の主から、バックステップで距離を取る。

「……ちょ、……誰!?」

 私は数秒、先方の姿を確認した後、この上ない率直な質問をした。先方は、正体不明の見知らぬ男だった。大学一、二年生くらいの。

 けれど、男はその問いかけにすぐには答えず、話をひとまず逸らした。

『助けってもらっておいて礼はなしか? まず、言うことがあるだろう』

「……助けてもらった?」

 一瞬、何を言っているのかがよくわからなかった。けれどよく考えてみれば、少しだけ、自身の置かれている状況が理解できた気がした。

「……もしかしてこれ、……あなたがやったの?」

 私は指を、静止したトラックに恐る恐る向けた。それを聞いた目の前の男は、にこりと微笑む。

『ビンゴっ。その通りだ!』

「……」

 男の声は見た目相応の低い声だ。若々しい青年の見た目だけれど、ちょっとハスキーな感じもするくらい。

 いや、声の話はどうでもいいか。今はこの異常すぎる状況に、私はいまだに情報の収拾が追いついていない。けれど、助けてもらったのなら、先方が言うように、ひとまず礼は言っておこう。

「……助けてくださり、どうもありがとうございました」

 私は、頭を下げてお辞儀をする。

『うむ。素直で何よりだな』

 しかし、まだ私は状況を飲み込めていない。一体今はどういう状況なのか。その心境が顔に出ていたのか、先方は私を宥めた。

『動揺しているようだな。まあ、少し落ち着けよ。まずは自己紹介からだ』

 先方は高身長なのも手伝い、必然的に見下ろすような視線で喋っている。初対面だというのにタメ口だし、先方が意図せずなのかは定かじゃないが、なんだかやたらと上から目線な雰囲気を感じて、それがやけにイラっとする。……最近の私はイライラしてばかりだな。

 それはさておき、男は続ける。

『俺の名はクロノス。時間を止めることのできる悪魔だ』

「……悪魔」

 一見頭のおかしい輩の発言に聞こえるが、今の現状を合わせて吟味すると、納得はいった。

「……なるほど。……たしかにそういうことなら合点がいくわ。このトラックが静止しているのも、悪魔であるあなたの力ってことよね……」

 私の発言に、悪魔は歯に物が詰まったような顔をする。

『……お前、飲み込みが随分と早いな。もうちょい頭抱えたままでもいいんだぜ?』

「そう? でも事実、本当に時間も止まっているみたいだし。あなたが悪魔と言われれば、割と納得はいくと思うけど?」

『まあ、俺的にはそっちの方が話が早くて助かるけどよ』

 クロノスと名乗ったその悪魔は、気分の良さそうな顔を浮かべた。

 それはそうと、もう少し訊きたいことがある。

「というか、なんで私を助けてくれたの? 悪魔なんだから、ふつうはわざわざ人を助けたりなんてしないよね?」

 これは私の偏見とイメージだけれど、悪魔というのは悪しき超自然的存在で、悪の象徴という感じがある。善意なんて微塵も持ち合わせていないような存在が、人助けなんてするとは思えない。まあ、それはただのイメージだから、実際のところどうなのかはわからないけれど。

『酷い言い草だな。まあ、確かにお前の言う通り、俺たち悪魔は好き好んで人助けなんてしないし、したくもないね。……理由がなければ』

「理由……?」

 悪魔は、立ち止まった私を中心に、周りをゆっくりと歩きながら語る。

『そう。お前に提案があるんだよ。めちゃくちゃ良い提案。お前ならきっと気に入るよ』

 私ならきっと気に入る? その言い方が何だか引っかかる。まるで私のことを知ったような口ぶりだ。

「……あなたに私の何がわかるの?」

『そりゃあ全部はわからねぇよ。でも、俺は随分前からお前のことを見ていたんだ。俺の提案に乗ってくれそうな人間をたまたま見つけてね。それがお前だった』

「……いつから?」

『うーん。一週間くらい前からか? 俺の提案に乗ってくれそうな人間を探して、人間界をぶらぶら散歩していたらお前がたまたま目に入ってな。表情からビビッときたよ。この人間なら、きっと俺の提案に乗ってくれるってな!』

「……そうなの?」

『ああ! 顔を見ただけで伝わってきたんだ。こいつは世界を嫌っているってな。まるで自分以外の人間が大嫌いだと言っているような顔。お前のような人間なら、俺の提案を気に入ると思ったんだ。それに悪魔ってのは、お前のような根暗で闇深い人間が大好きなんだよ』

 なんか悪口を言われている気もするけれど、事実そうだし、否定するつもりもない。私は、何食わぬ顔で悪魔を見る。

「で、その提案ってのはなんなの?」

『単刀直入に言うが、俺と契約を結ばねぇか?』

「……契約?」

 契約。なんだか怖い響きだ。

 今まで小説や映画、漫画などのエンタメは嗜んできた。けれどフィクションとはいえ、どの世界でも悪魔が持ちかけるような契約は、大抵碌でもない物だ。だからこそ私は、今しがたクロノスから契約という言葉を聞き、少し身構えてしまった。

 それを察知した悪魔は、そんな私を小馬鹿にするように笑う。

『ハハハッ。そんな怖がんなって。言ったろ? きっと気に入るって』

「なら早く教えてよ」

『はいはい。契約の内容はシンプルだ。お前の寿命を三年分もらう代わりに、俺はお前に、一日に一回だけ時間を好きに止められる力をくれてやる。今俺が使っているようにな』

「時間を……止める力…………」

 私は改めて周りを見渡しながら、悪魔のセリフを復唱した。……時間を止める力。

「……その時間を止める力について、もう少し詳細な説明を要求したいんだけど」

『そうだなぁ。じゃあもう少し具代的に説明してやる』

 そう言って悪魔は、時間を止める力について説明してくれた。

 説明の内容を軽くまとめると、


1、一日一度だけ使える。

2、一度使って解除するまでは、止められる時間は無制限。

3、特定の物や時間は止められない。時間を止めるのは世界全体のみ。

4、時間は完全に止まるため、物に触れることはできても、動かしたりはできない。全てのものがその場に固まっているような状態。

5、能力を使った自身の体のみは自由に動かせる。また、自身が身につけていると完全に認識したものは能力の適応範囲外にでき、自由に食べられたり持ち運べたりする。(例:能力を使う前に自身が背負ったり手に持っているリュックサック、リュクサックの中に入れた品々、衣服、靴、髪留め、など)

6、時間の止まった世界では、自身はふつうに動ける分、己の時間だけは進むため、腹も減れば、自身の時間は進み続ける。(例:自身の寿命など)

7、自身が能力を使っても、悪魔だけは効果の適応範囲外。(悪魔と自身のみが普通に動ける)


 ……まあ、ざっとこんな感じだ。

「……まあ、だいたいわかったけど。あなたはこの契約を結んで何かメリットがあるの? 寿命を三年分差し出すって言っていたけど、そんなものもらってどうするのよ?」

『寿命は言い換えると時間だ。時間を止める悪魔である俺は、人間の寿命はエネルギーになるんだよ。まあ、三年分ももらえれば当分は人間から寿命をもらう必要もないし、俺からすればかなりいいものだな。もちろんお前からしても、この契約の話はそれほど悪いもんじゃないだろう?』

 たしかにそうだ。自信をおいて否が応でも進み続ける時間に嫌気がさしていた私にとって、時間を止める力とやらはかなり興味深い。その力を使って、時間の止まった世界を過ごしてみたい。それが叶うならば、寿命の三年くらい安いものだ。

 元々、自分の人生や未来に希望なんてない。だったら、この目の前の素敵な力に寿命をかけるのも、悪い話じゃない。

 私は迷うことなく、すぐさま契約を結ぶようお願いした。

「そうね。わかった。契約を結ぶ! ……どうせ、私の未来に希望なんてないし。三年くらいくれてやるわ!」

『決断が早くていいじゃねぇか! じゃあ、今からお前の寿命を吸い取らせてもらう。その後に、ちゃんと力を与えてやるよ』

 悪魔はそう言い、私の頭に手を置く。何やら身体の力が、下から上半身へと流れ、やがて頭をつたって、乗せられた悪魔の手へと吸い取られていく感覚がした。このことから、今まさに寿命を吸い取られているのだとわかった。身体全身が妙に温かくなり、僅かながらに身体中の血液が頭の方へと流れていくような、何とも言えない気持ち悪さを感じた。

 何がともあれ、私はクロノスと名乗る悪魔と契約を結び、寿命を吸い取られた後は、約束通り時間を止める力を得た。

 けれど、私はまだ知らなかった。この時から、私の人生の大きな歯車が動き出したことを―。


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