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2話

「夏凪ぃ、お前はいったい進路どうするんだ?」

 高井に椅子ごと押しはねられた日の放課後。激しい雨音が絶え間なく聴こえてくる教室内にて、私は担任の松崎から進路面談を受けていた。進路面談といっても、呼び出されたのは私だけで、他の生徒たちはまだ面談をする時期ではない。私が個人的に呼び出されたのだ。

窓から見られる空の色は薄暗く、大雨が絶え間なく降り続けている。……傘はあるけど、この雨の中で帰るのは嫌だなぁ。

 そんなことを考えながらぼーっとしていると、正面に座る松崎から、声をあげられた。

「……おい。聞いているのか、夏凪?」

 松崎に問われ、気を戻した。松崎から問われた質問の答えは、NOだ。全然聞いていなかった。進路面談なのだから、何となく進路の話をされていたのはわかるけれど、正直に言って、真面目に聞いてはいなかった。

「すいません。……聞いていなかったです」

「…………」

 私が正直にそう申し上げると、松崎はわかりやすく沈黙した。ふつうは適当に嘘をついて「聞いてますよ」と、お決まりの返答をすればその場は済むのだろう。けれど、事実、私は話を聞いていなかったわけで、わざわざ嘘をつく理由も見当たらなかったので、正直にそう告げた次第だ。

けれど、松崎の表情は優れない。顔を顰め、なんだか睨むように私を見ている気がした。

「……お前なぁ。俺のことなめてんのか?」

「いえ。決してそんなことはありませんが」

 別になめているわけじゃない。単に、自身の進路のことに興味がないだけだ。進路のことよりも、今はこの大雨の中でどう帰ろうかと考える方が、今の私にとっては重要なことだったというだけ。

 というかそもそも、進路面談なんて私から頼んだ覚えはない。よって、顰めっ面をしたいのは私の方だ。

「お前もちゃんとわかっているだろう? なんで呼び出されたのか。この前出してもらった進路希望表、いったいなんなんだこれは?」

 そう言いながら、松崎は机の上に、私も見覚えのあるA4サイズの紙を出してきた。今しがた松崎が言ったとおり、数日前に私が出した進路希望表だ。

「お前……、白紙で出しやがって。ふざけてんのか?」

 ふざけてなんていない。そもそも、こんなことでふざける理由がない。私はただ、事実を書いただけだ。……いや、白紙だから書いてはいないのだけれど。

「見ての通り、やりたいことがないんですよ。なのに、何を書けというんですか?」

 私は思うがままのことを言った。別に、ひねくれで言っているわけじゃない。何度も言うが、本心なのだ。すると、松崎はため息をつくように、また口を開いた。

「はぁ。……夏凪、やりたいことがないんなら、とりあえず大学は出ておけ。前回の面談の時、お父さんもいいって言ってくれていただろう? そろそろ受験勉強に励んで、これからの将来のために―」

「ですからっ!」

「っ……!」

 ……つい、大声を出してしまった。松崎も、少し動揺しているような表情を見せた。

「……将来のこととか、……考えたくないんですよ。……何にも考えたくない」

 将来の話とか未来の話とか、私が一番嫌いな話。このなんの価値もない世界で、どんな素敵な未来があるというのか、私には全く理解できない。というか、こんな偽りの愛情で溢れて汚れ切った、この気色の悪い世の中を生きたって、素敵な未来なんてあるはずない。

「……そりゃあ、将来のこととか、先のことを考えたくない気持ちは、先生にもわかるさ。だがな、酷な言い方かもしれんが、もういつまでもそんなことを言っている場合じゃないのはわかるだろ? まだ二年生の夏ではあるが、そろそろ将来のことも少しは考えなきゃならねぇ時期なんだよ。お前ら二年も、進学をするなら来年には受験だ。いつまでも先のことを考えずに立ち止まっていちゃいかん。その間にも、時の流れは止まっちゃくれ―」

「だからわかってますよ!」

 私は勢いで、机を叩いて立ち上がった。反射的な動作だった。頭がパンクしそうで、どうしても松崎の話を遮断したかったのだろう。

「……失礼します」

 私はカバンを肩に背負い、その場から立ち去ろうとした。もうこれ以上、話す気なんてない。

「おい、夏凪! まだ話は終わってないぞ!」

 背中から、なんとか引き留めようと声を荒げた担任の声が、背中を刺すように伝わる。けれど私はこれを無視して、ドアを横にスライドし、教室を後にした。


 *


 一階の昇降口にある下駄箱で、上履きから外履に履き替えようとした。けれど、自身の下駄箱を覗いた瞬間、私は思わずため息をついた。

イライラした今の感情に追い打ちをかけられたかのような気分だった。私の外履の中に、画鋲がみっちりと詰め込まれていたのだ。まるで、ピーマンの肉詰めがごとく、ひき肉のようにみっちりと。いや、そんなにいいものではないか。なんせ、ひき肉と画鋲では概念が違いすぎるし。

「……はぁ、……くそっ」

 本当にくそ。一応、こんなのはよくあることで、今に始まったわけではない。昨日の下校時も、私の下駄箱には使い古されたティッシュが敷き詰められていた。鼻をかんだのをわざわざ集めて、私の下駄箱に入れたのだろう。本当に意味がわからない。こんなことをして、いったい何が面白いのだろうか。

まあ、おおよその犯人はわかっている。高井玲奈と、その取り巻きたちの仕業だ。

彼女らは、去年の夏あたりから、孤立している私をおもちゃのように扱うようになった。友達を作る気なんてさらさらなかった私は、一年の春から一人で過ごしていた。それが彼女らからすれば面白かったのか、目をつけられるようになった。特段、私が彼女らに何かをしたわけではないけれど、単に暇つぶしのおもちゃとして美味しかったのだろう。

しかも、うちの学校は学年が上がってもクラス替えは行われないため、高井玲奈たちと縁を切ることはできない。そのため、二年になった今でも、私に対する行いは継続されている。

「……くそが」

私は小さく独り言をこぼし、自前のポリ袋を鞄から取り出して、下駄箱に敷き詰められた画鋲を流し入れた。下駄箱に何かしら敷き詰められているのはいつものことなので、いつも自前の袋を持参している。一度校舎内に戻って、ゴミ箱に捨てないと。

そうして私が校舎内に戻ろうと足を向けた瞬間、目の前に見知った人物が立っていた。

「……夏凪さん。……大丈夫? それ」

クラスの男子生徒である、時守監志ときもりかんしだ。今年の春に、私のクラスに転校してきたやつ。

特徴的なボサボサ髪をした茶髪ヘアに、丸メガネをしており、気の弱そうな冴えない男子高校生といった人物。けれど背丈が高く、高校生というよりも大学生くらいの雰囲気がある。私と同様にクラスでも基本一人でいることが多く、クラスでも浮いている。

昇降口に来たということは、たぶん、今から帰るのだろう。……面倒なタイミングで鉢合わせてしまった。部外者から心配をされるのが一番ムカつく。

「……なんでもない。……ほっといて」

「いやいや! なんでもないことないよね? それ、画鋲でしょ? 誰かに入れられたの?」

……あぁ、本当にめんどくさい。先方はあたふたと動揺しながら、私を心配していた。先方の彼とはあまり話したことはないし、心配される間柄じゃない。ただの他人だ。

だから、彼がどうしてここまで気にかけるのかがわからない。なんにせよ、さっさと画鋲を捨てて帰宅したい私からすれば、いちいち絡まれるのはだるいの一言に尽きる。

「しつこい、本当に大丈夫だから。っていうか、そこどいてくれない? 邪魔なんだけど」

「あっ、いや……ごめん」

 先方は、おとなしく引き下がった。この手の地味系男は、なにかとしつこいイメージがあったけれど、彼はわりかし物分かりのいいやつのようだ。

 私はとっとと用を済ませようと、階段を昇ってその場を立ち去ろうとした。けれど、階段に足を置いたあたりで、背後からまた声をかけられた。

「夏凪さん! ……余計なお世話かもしれないけど、何か困っていることがあるなら先生に言ったほうがいいよ?」

 ……イラっとした。本当に余計なお世話だ。安全圏である外野から余計な口ざしをされるのが、結局のところ一番ムカつく。お前に何がわかるというのか。私は笑顔を取り繕うこともせず、素直に顔を顰めながら、時守に向けて刺すように言葉を飛ばした。

「うっさい、クソ偽善者! バーカ!」

 私は彼にそう吐き捨てて、その場から走り去る。すると彼は、道を歩いている際にクラスメートから急に蹴り飛ばされたかのような顔をして、その場に立ち尽くしていた。いい気味だ。



 画鋲を捨てに行った後、下駄箱で靴を履き替え、今度こそ外へ出た。けれど、空は薄暗く曇り切っており、雨が絶え間なく降り続けていた。傘は持っているから帰宅することはできるけど、たぶんこれほど降っていれば完全に濡れずに帰宅するのは難しそうだ。傘からわずかにはみ出た肩や鞄が、少なからず濡れてしまうだろう。

「……チッ」

 気づけば舌打ちをしていた。本当にイライラする。何もかもが。けれど、ぐだぐだしていても仕方がない。携帯の天気予報アプリでは、一時間後に雨がおさまってくるらしい。やはりそれまでは、図書室で待機していようか。そう考えながら立ち尽くしていた矢先、昇降口の横から声をかけられた。

「あれー? 夏凪さんじゃん! さっきあなたの靴に画鋲がみっちり入っていたけど、大丈夫だったー?」

 そこには高井玲奈と取り巻きたちがいた。壁にもたれかかりながら、いやらしい笑みを浮かべてこちらを見ている。こいつらも、雨宿りをしていたようだ。たぶんその暇つぶしに今、画鋲の話を持ち込んできたのだろう。

「……あんたたちがやったんでしょ」

「んー? なんのことー?」

 白々しく、しらばっくれるような態度を見せてきた。こいつらが私に何か嫌がらせをしてくるのはいつものことだ。けれど、今日の私は無性にイライラしていた。ついさっきは担任の松崎に将来の話をどうのこうのとされていたため、私はすでに疲れ切っていた。

だからだろう。いつもは関わるだけ時間の無駄だと判断して、無視して帰るけれど、今日は自分の心のストッパーが緩んでいたみたいで、私は自分でも思いもよらなかった行動をとった。

たぶん、今までのこいつらに対する積もり積もったストレスの蓄積が、爆発してしまったのもあると思う。

私は高井に近寄って、彼女の右頬に力強くビンタした。パチンという割れたような音の響きが、外の中庭中に響き渡った。……爽快だった。

叩いてから遅れて手に伝わってくる熱と、電気が走ったような痺れが痛快だった。

そして、今までの怒りをストレートに高井へぶつけられたことが、私をこの上ないほどに、心地よい気分にさせた。

一方で高井は、急なことに何が起きたのかがわからないような顔を浮かべている。動揺していることがよく伝わってきた。取り巻きたちも、みんな動揺したような様子を見せていた。

「今までのお返し」

私はそう言って、高井を冷ややかな目で睨んでやった。するとしばらくして、彼女はようやく今しがた起きた事態を理解したらしく、叩かれた頬を軽く手で抑え、こちらを見つめてきた。   私を今すぐにでも殺してきそうな、睨むような目つきで。

「……てめぇ…………」

すると、今度は高井がそう呟き、私の頬を思いっきり叩こうと手を振りかざした。けれど、私はそれを腕でガードして防いだ。高井はイラついたような表情を見せ、次は私の肩を手で掴み、地面へと押し倒してきた。

「ぐっ……!」

私も流石に防ぎきれず、地面へと倒された。

「死ね! 死ね!」

高井は仰向け状態の私に馬乗りになり、手で何度も私の顔を叩く。私も必死に顔を腕で守るが、互いの背後にいる取り巻きたちは、動揺したようにその場に立ち尽くして、困惑したように、お互いの顔を見合っていた。ここまでのことが起こるとは考えていなかったのだろう。

私の見る今の世界は、高井が叩く音と雨音で覆い被されていた。けれど、ややあって―。

「おいお前ら! 何やってるんだ!」

先ほどまで自身と面談をしていた担任の松崎がやってきた。騒動に気づいてこの場に来たのだろう。

「おい、やめないか高井! 離れろ!」

 松崎は高井を、馬乗りにされた私から強引に引き離した。高井は松崎に取り押さえられたが、いまだに私に向かってこようと手を伸ばし続けている。まるで、猛犬のように。

「おい! 何があったんだ?」

 松崎は取り巻きたちの方に目をやり、説明を促した。

「か、夏凪さんが急に高井さんの顔を叩いたんです!」「それで高井さんもかっとなって!」

取り巻きたちが次々にそう言い出した。言っていることは概ね事実だが、その説明では私は納得いかない。そもそも、先に喧嘩を売ってきたのはこいつらだ。

「夏凪! それは本当か!?」

 私がゆっくりと立ち上がり、スカートについた埃を叩いていると、松崎は顔を顰めながら私の方を見て、怒鳴るように問いかけてきた。

「違います。こいつらが先に喧嘩を売ってきました」

 私は冷静にそう伝えた。けれど、あろうことか松崎は、顔を顰めたままだ。

「……それでも、先に手を出したのはお前なんだな?」

 ……は? それがなんだというのか。

「……そうですが、それが何か? 先に喧嘩を売ってきたのはこの人たち―」

「それでも人に手を出すな! たしかにこいつらが先にちょっかいを出してきたのかもしれんが、だからといって暴力を使うな! お前ももう高二だろ! やって良いことと悪いことの区別もつかんのか!」

 ……こいつは何を言っているのだろう。いったいどういう理屈だ。というか、暴力といえば昼休みの時、先に高井が私を突き飛ばしてきたのに。

「……ですが、それを言ったら昼休みに高井さんが先に―」

「言い訳をするんじゃない!」

 松崎は私の言い分に全く聞く耳を貸さず、私の言葉を断ち切るようにそう怒鳴った。松崎に取り押さえられたままの高井は、もう暴れることなく静かになっていた。けれど、松崎を味方にした高井は私の顔を見て、煽るような、鼻で笑っているような、そんな笑みを私に向けた。

「……まじで……どいつもこいつも、くそ…………」

「なんだって?」

 私が独り言のようにつぶやくと、松崎が首を傾げて訊いてきた。それを無視し、私はその場から走り去って、校門を出た。

「おい夏凪! まだ話は終わってないぞ!」

 後ろから松崎の呼び止める声が聞こえたが、聞く耳なんてかさない。まだ雨は強く降っていたが、もはや関係ない。というか、もう雨が降っていることさえどうでもよかった。つい昇降口へと置いてきてしまった傘も、走り去る間は存在も忘れ、ただ大雨の中、私は学校を飛び出した。

 ああっ、もう……。どうしてこんなにイライラすることばかりなんだ。あんなクソみたいな人間しかいない学校なんて、潰れてなくなればいい。マジで全員、消えてなくなればいい!

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