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16話

 ……静かだなぁ―。

……真っ暗で何も見えない。何も聞こえない。ただ静かで、辛さも悲しさも感じない。おかげで、心が凪いでいる。

 もういっそのこと、一生このままでいたい―。


「…………ん」

 ……気づけば、目の前には真っ白な天井があった。先ほどまで心地よい眠りについていた気がするけれど、どうやらその時間も終わってしまったみたいだ。

私は、目を覚ました。

「……うっ……ん」

 私はゆっくり、上半身を起こした。まだ意識がはっきりしない。けれど、あたりを見渡しながら、少しずつ落ち着いてきた頭で状況を整理する。狭い上に薄暗くてよく見えないけれど、いくつかカーテン越しにベッドが並んでいる。奥にはスライド式のドア。

 そして今さらながら、私はベッドの上にいることに気づいた。どうやらここは、病室のようだ。目につく他のベッドに人は寝ていない。この部屋には、私しか患者がいないみたい。

「……私は、何を」

どうして自身が病室にいるのかを考える。起きたばかりでまだ頭はうまく回らないけれど、なんとか思い出してみる。……たしか、白雪たちと歴史博物館に行って、それから……。

「……あっ」

……思い出した。……そうだ、私はトイレで倒れたんだ! たしか口から血を吐いて、そこから意識がなくなって。……それで、今に至る。

「……時守たちは」

再度周りを見渡しても、時守や白雪の姿は見られない。まあ、当たり前か。今が何時なのかは知らないけれど、見た感じもう夜も遅いし。

私のベッドは窓際で、微かに開いたカーテンの隙間から、夜空が見えた。星一つない真っ暗な空。窓から差し込む月明かりが、ちょうど私を照らしていた。

……なぜだろう。空で輝く月を見つめながら、私はふと、何かを悟った。……自分はもしかしたら、もうすぐ死ぬのかもしれない。特に根拠はないけれど、なぜだかそんな気がした。

『おっ。やっと起きたか?』

「きゃっ!」

部屋の出入り口に目をやると、そこには黒のローブを羽織った男性がいた。……悪魔のクロノスだ。

「びっくりさせないでよ……」

『ビビリだな』

「うるさい」

『へいへい。あっ、そういえばよぉ』

「……何よ」

クロノスはこちらに近づいてきた。そして窓の前で足を止めて、夜空を眺めながら口を開く。

『わざわざ言う必要もねぇけど、まあ、お前と俺の仲だ。一応言っておく』

クロノスはこちらに向き直る。

『時守のやつ。時間管理局とやらに戻って、時間補正制度を使いに行ったみたいだぜ?』

「……どうゆうこと?」

……時間補正制度。前に時守から聞いたことがある。うろ覚えだけど、たしか管理官だけが使えるやつで、誰かの寿命を代償に、本来の歴史を修正できるものだった気がする。

でも、どうしてそれを使おうとしているんだろう。その答えは、次のクロノスの言葉で明らかになった。

『お前はこのままだと、一週間後に死ぬんだよ。たぶんそれを止めるためだろうな』

「……は? 意味わかんない、どうゆうことよ」

クロノスは、淡々とした口調で全てを打ち明けた。

私は三年後に自殺すること。それで、私の残りの寿命が三年しかない上に、契約の際に三年分の寿命を差し出しているから、残り一週間しか生きられないこと。そんな私を助けるために、時守が時間補正制度を使って私の未来を変えるため、管理局へ向かったこと。

『時守のやつ、行く前に時間補正制度を使えば、って言っていたから、たぶんそれを使ってお前を助けようとしているんだと思うぜ?』

……けれど、その制度を使うには誰かの寿命を代償にしなければならないと聞いている。

いったい誰の寿命を……。いや、ある程度察しがつく。もしかしたらあいつは―。

「……もしかしてあいつ、自分の寿命を代償にするつもり…………?」

『かもな』

その可能性が頭をよぎった瞬間に、私はすぐさまベッドから飛び起きた。点滴の針が身体に張り付いていたが、すべて外して病室を抜け出す。

『前に興味本位で時守を自宅までつけたことがあってな。あいつの家の場所ならわかるぜ』

クロノスが近寄ってくるなりそう言ってきた。

「なら、早く案内して!」

『しゃーねーな。来い』

クロノスが前に出て、宙に浮きながら先導してくれた。私はそれについていく形で、薄暗い病院内の廊下を走り続け、やがて外へと出た。真夏の夜の、生暖かい空気が肌を撫でる。けれど、今はそんなことどうでもいい。クロノスと共に、止まることなく先を急ぐ。

今は患者衣を来ていたが、構うもんか。そのまま夜の街を走った。

そうして走ることしばらく。やがてクロノスが停止した。

『ここだな』

ややもすると、時守が拠点としているらしきアパートへと着いた。彼の自宅に来るのは初めてだけど、思っていたより一般的な、二階建てのアパートだ。

『たしかこの部屋だったな』

クロノスが部屋のドアノブに手をかける。鍵かかっているんじゃないかと思ったけれど―。

『おっ、空いたな』

なんと、鍵はかかっていなかった。おかげでスムーズに中へと入れた。

靴を手に持ち、中へとずかずか進んでいく。そして、部屋の端に目をやると、

「な、何これ……」

そこには、人が一人入れそうな大きさの、白いカプセルのような物体が、どしんと置かれていた。なにやら扉のようなものもついている。

「……もしかして、これがタイムマシンってやつ?」

『見るからにそれっぽいな。とりあえず中に入って動かしてみようぜ』

「……そうね。早く時守を追わないと」

カプセルについた扉を手探りで触っていると、下の方にとってのようなものを見つけた。それに手をつけ、車のトランクを上げるように、上に扉を開く。

そして、急いで中へと乗り込んだ。

「狭いから私一人で行くわ」

『おう』

中は一人しか入れないスペースなので、クロノスには外にいてもらい、ここからは私一人で時守を追うことにした。

中に入るなり操縦席に座ると、すぐに目についたのは、目の前にある操縦装置。ボタンやらレバーやらこれまたよくわからないものがたくさんついていて、電子ピアノとかについている、 音源を調節したりするパネルスイッチを彷彿とさせる。

あぁもう、いったいどれを押せばいいのやら。もはや考えてもわからないので、とりあえず操縦装置に手をつけた。

すると、手当たり次第あれこれ触っていくうちに、目の前にモニターが現れ、『過去の転送履歴』と書かれたものが出てきた。そこには、つい数分前に時守が利用したらしき履歴が残されていた。おそらくだけど、時守が向かった時代だろう。私はひとまず、それに手でタッチした。

すると、タイムマシンから『ただいまより、目的の場所へと転送いたします』と、機械的な音声が鳴り、タイムマシンが揺れ始めた。

『おっ、上手くいったか?』

外からクロノスがそう言う。彼の言葉通り、おそらく操作はうまくいったみたい。早く、時守のところへ行こう。自分なんかのために、時守が犠牲になっていいはずがない。早く、時守を止めに行かないと!

すると、やがて視界が光に包まれた。眩しくて、目が痛いくらいだ。


徐々に光がマシになっていき、視界が安定してきた。目を開けると、そこには一面真っ白なガラスで造られた空間が広がっていた。天井は透明なガラス張りで、青い空が窺える。そのガラス越しから、太陽の光が中へ差し込んでいる。

あたりを見渡すと、白のスーツを着た人々が、忙しなく行き交っているではないか。その一連の景色に、私はなんとなく理解できた。おそらくここが未来で、同時にここが、時守が言っていた時間管理局なのだと。

見慣れない景色に唖然としていたけれど、今はそんな場合じゃない。早く時守を探さないと。私は目の前を通る局員たちに、手当たり次第話しかけた。時守監志という局員を知らないか。

今はどこにいるのかと。彼の居場所がわかるまで訊き続けた。

この空間に私一人が患者衣を着ていて、どう考えても場違い感が半端ない。途中、局員の人たちから奇異な視線を向けられたり、怪しまれたりしたが、その場合はすぐさま事情を説明すると、納得をしてもらえた。もちろん、悪魔の存在や、私が時間を止められることを伏せた上での説明だ。

私が自殺する未来を時守が止めようとしており、そのために彼が時間補正制度を使おうとしていることを説明。それを止めるために、自分は今彼を探しているのだと、断片的な説明をした。

するとやがて、局員たちはその事情を受け入れてくれたのか、手分けして時守の現在地を探してくれた。

ややもすると、局員から彼の居場所を教えてもらえた。私はすぐさま案内を受け、彼の元へと急ぐ。

……願わくば、彼がまだ補正制度を使っていませんように。


 *


 《時守監志の視点》


一面真っ白なタイルに覆われた、広々とした一室。その奥の机に、上司の神崎さんがいた。黒のボールチェアに腰掛けている。

僕は今、その彼の目の前に立っていた。

「時守。なんの連絡もよこさずに、唐突に来るな。任務はどうした。何か問題でもあったか?」

神崎さんは相変わらず、冷静な表情をしていた。口調も淡々としたものだ。白髪が目立つ髪に、良い意味で年季の入った顔の皺。今はもうだいぶ歳をとっているようだが、若かれし頃はさぞかしモテたであろうと思わせる、整った顔つきをされた人だ。目つきこそ怖いが、その目の奥には、管理官としての真っ当な信念を感じさせる。

「ある意味、そうとも言えます。実は、お願いがあって参りました」

「なんだ、言ってみろ。私も忙しい。できれば手短に頼む」

僕は息を整え、神崎さんに自分の意思を告げた。

「時間補正制度を使わせてください。もちろん、僕の寿命を代償にです」

そう言った矢先。神崎さんは、珍しく目を見開いた。表情こそ変わらないが、目からは驚きを隠しきれていないことが伝わってくる。

「……話を聞かせろ」

「はい」

僕は、一連の成り行きを説明した。悪魔の存在を隠した形で、上手く神崎さんに事情を伝えた。悪魔の存在以外の事実を告げた。

話し終えると、神崎さんはどこか力の入ったような面持ちとなった。

「……話はわかった。だが、お前はそれでいいのか? 話を聞く限り、その少女の自死する未

来を変えるとなると、かなりの寿命を代償にしなければならん。単刀直入に言うが、お前の残

りの寿命を全て捧げなければならんだろう」

……覚悟はしていた。最悪、僕は死ぬだろうということは。……けれど―。

「……構いません。僕は、ずっと生き方を探していました。でも、あなたに生き方を教わったんです。僕は管理官として、誰かの幸せな生活を、未来を守りたいと思いました。……だから、誰かの未来を照らすことができるのなら、これ以上ない本望ですよ」

「……制度を止めるほどの権限は、私にはない。……止めても無駄か?」

「……はい。今までお世話になりました。どうか、時間補正制度を使わせてください」

「……了解した」

神崎さんは、なんとか許諾をくれた。そうして僕は、時間補正制度の手続きを始めた。


ややもあって、その場で書類やらの手続きを終えた。これでもう、後戻りはできない。手続きを終えた以上、もう取り消しはできないのだ。……けれど、これでいい。後悔なんてない。

願わくば、あの子の未来が幸せになりますように。

いざ、別室にある時間補正装置へと向かおうとした。けれど、その瞬間―。

「待って!」

唐突に、後ろのドアが勢いよく開かれた。そこには―。

「……夏凪さん。……どうやってここに…………?」

「そんなのどうだっていいでしょ! っていうかそれよりも―」

夏凪さんが、こちらに向かって走ってくる。そして、その勢いで僕にしがみついてきた。

 

 *


 真っ白なタイルに覆われた、広々とした一室。そこに、時守はいた。部屋の奥の机には、彼の上司らしき人も座っている。

「……夏凪さん。……どうやってここに…………?」

時守がこちらに目を向けながら、わけのわからなそうな顔を浮かべている。

「そんなのどうだっていいでしょ! っていうかそれよりも―」

私は思わず、彼に向かって駆け出していた。そして、その勢いで時守にしがみつく。

「ちょっ、夏凪さん?」

「クロノスから話は聞いた。あんた、自分の寿命を代償にして、私の未来を変えようとしているんでしょ!?」

私は時守の肩を強く抑え、怒鳴るように問いただした。対する時守は、そんな私に対して、穏やかな表情を作る。今の怒りと悲しみで滲んだ顔の私とは、対照的な表情で。

「……うん。もう手続きは完了したから、決定だよ」

「っ……!」

嘘であってほしかった。私の思い違いであってほしかった。けれど、時守のその表情から答えはわかった。時守は本気なのだと。

だからこそ、私は怒りを抑えられなかった。

「……何考えてんのよ、馬鹿じゃないの!?」

……本当に馬鹿だ。彼が何を考えているのかが、私にはわからない。しかも、もうすでに手続きを済ませてしまっている。なら、もう後戻りはできない。

どうして、どうして、どうして―。

「……どうして、私なんかのために…………」

そんな疑問が、私の脳内を埋め尽くしていた。本当に、どうして私なんかのために……。そう言って顔を下に落とす。すると、上から暖かな声が聞こえた。

「君が、まだ生きたそうな顔をしていたから」

「……え?」

私が顔を上げると、そこには穏やかな笑顔を浮かべた時守がいた。

「博物館で白雪さんと三人で一緒にいた時や、図書館で小説の話をした時も、君はいつも、まだ死にたくないって顔をしていたから」

……ずっと、自分以外の人間が嫌いだった。常に自分保身で生きてきた。自分が可愛くてしょうがなかった。

何事も他人のことなんて後回し。そんな生き方をしてきた。

母親が私と父を置いて亡くなったあの日から、人の愛なんて高が知れているのだと思うようになった。いや、今思えばそれも、ただの開き直りだったのかもしれない。

母は私を愛してくれていたし、確かな愛はそこにはあった。けれど、私に別れを告げずに遠くへと行った母に、当時幼かった私が覚えたのは、悲しみや怒りを通り越した絶望だった。

……どうして急にいなくなるの? せめて最後に何かお別れの言葉が欲しかった。……なんで? なんでこうなったの? なんで、なんで、なんで、なんで。……なんで、こんなあっさり終わっちゃうんだろう。もっと、お母さんと一緒にいたかったのに。

……そうだ。本当は私も知っていた。……私は母のことが大好きだった。母が私を愛してくれていたことも、本当はわかっていた。

だからこそ、母が急にいなくなって、悲しくて、寂しくて、辛くて苦しくて、怒りすら覚えて、絶望しかなかった。

このぐちゃぐちゃになった心の中をどうしていいのかわからなくて、もうわけわかんなくなって、私はいつしか、開き直るように他人を嫌った。

愛なんてない。愛なんて嘘っぱち。そう思いながら、他人が愛し合っていることを否定することで、自分を肯定してきた。

誰かを恨んでいないと、生きていけなかった。息をするのがどうしようもなく辛かった。

そうやって、散々今まで腐った生き方をしてきた私のために、時守みたいな優しい人間が犠牲になっていいはずがない。

「……何よそれ」

時守に、「君はいつも、まだ死にたくないって顔をしていたから」と、図星をつかれた私は、もう心を制御できなくなってしまった。今まで我慢してきたはずの涙が、水を溜め込んだバケツをひっくり返されるように一気に押し寄せて、止まることなく流れ落ちる。

「……私みたいなクズ、助けなくたっていいんだよ…………」

いつのまにか流れていた涙と共に、自然と溢れた言葉。私みたいな人間は、いない方がいい。いないことに越したことはない。本気でそう思っているのに、それなのに、時守はそんな私の言葉を否定した。

「君はクズなんかじゃない。君なんかよりも、僕の方がよっぽどクズみたいな人間だよ。歴史の改変は違法だって知っておきながら、僕は一度、家族の死ぬ歴史を変えようとした。別にそれが悪いことだったとは、正直今でも思わない。でも、歴史を変えれば、誰かの歴史を壊しかねないのも事実であって、実際やっぱり、良くはなかったと思っている。それなのに、そんなことをしていながら、今では心を改めて真っ当な管理官を目指しているなんて、烏滸がましいにも程があるよね。……僕の方が、君よりもよっぽどクズだよ」

「……なんでそうなるのよっ。そんなわけないじゃん!」

時守の理屈はあまりにも筋が通っていない。けれど、本気で過ちを犯したと思って自分を責めるのが、時守監志という人間なのだ。こいつは心底、自分よりも他人を優先するようなやつだから。

「あんたは悪くない! そんなの仕方ないじゃん! 家族を助けるためだったんでしょ? なら仕方ないじゃん!」

私が何度そう言っても、時守は優しい笑顔で私を見つめるだけだった。

「……やっぱり夏凪さんは優しいね」

時守は私の頬にそっと手をやった。暖かくて、心を包んでくれるような、優しい手。彼はそのまま親指で、私の涙を優しく拭う。

「……君はどこか、僕に似ている。だから、君のことを放ってはおけない。……あと―」

時守は、私の目をまっすぐに見つめた。

「君は僕にとって、初めてできた友達だから」

「…………」

「君のために、君を助けるわけじゃない。僕が君に、この先も幸せに生きてほしいだけだよ」

「……そんなんで、納得できるわけないじゃん」

「……僕が決めたことだから、それでいいんだよ。でも、もしもまだ自分を許せないんだったらさ。自分が大好きなことをやって、それを仕事にして、君のやりたいように生きて、僕の分も幸せになってよ」

「…………」

「元気でね」

 ……最後に時守はそう言い残し、部屋を去っていった。時間補正制度を使うつもりだ。おそらく、もう止めても無駄なのだろう。

 時守が部屋を出た後、彼の上司である人物に話しかけられた。

「……あいつのことを思うんなら、君はやるべきことがあるはずだ」

「…………」

「時守が今から時間補正を使う。彼の寿命を代償に、 未来を改変した後の歴史のズレを修復できるようこちらで調整する。君がやるべきことはただ一つ。今から三年後の未来へ行き、自分の未来を自分自身で変えることだ」

「……はい」

 私は神崎さんに促され、来る時に利用したタイムマシンで、三年後の未来へと向かった。

絶対に、時守の気持ちを無駄にしない。

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