15話
終章 誰がための未来
《時守監志の視点》
……夏凪さんが倒れた。
トイレへと駆け込んだ彼女を心配して、白雪さんは彼女を追った。けれど、すぐにトイレの中から、白雪さんの悲鳴が響いた。
それを聞いた僕は、漠然と嫌な予感がした。慌てて僕も、弾かれたようにトイレへの中へと駆け込んだ。女子トイレだったけれど、もはやそんなことを考えている場合じゃなかった。
トイレの中には、洗面器とトイレの個室が四つほど。その一番手前の個室から、大っぴらに開かれたドアと地面に血が付着していた。
そこには、泣き叫びながら夏凪さんにしがみつく白雪さん。そして、まるで人形のように動かない、口と服が血まみれの、夏凪さんの姿があった。
その光景を目の当たりにした僕は、考えるよりも先に携帯で救急車を呼んだ。
今僕は、博物館付近にあった病院の待合室にいる。隣には、クロノスさんと白雪さん、そして、夏凪さんのお父さんもいた。
僕と白雪さんは、病院でお父さんと出会ってから、一言二言挨拶した後、すぐに話さなくなった。今は各々、夏凪さんの安否が心配で、言葉を交わせるほど心に余裕がなかったから。
夏凪さんのお父さんは、ずっと頭を抱えて座っていた。一人娘が倒れたのだから、無理もないだろう。
「……夏凪さん。本当に大丈夫かな」
隣で、白雪さんが涙目になっていた。僕も現状、不安で胸が締め付けられている。
「……きっと大丈夫だよ」
今は、そんなことしか言えなかった。頭がうまく回らない。
そうこうしているうちに、医者の先生がやってきた。
こちらにやってくる先生を見るなり、夏凪さんのお父さんはすぐに立ち上がり、駆け寄った。
「先生! 娘は、時恵は大丈夫なんですか!?」
先生の肩を揺らし、院内に響き渡るほどに声を張る、夏凪さんのお父さん。対する先生は、それを宥めるように、彼の手を抑える。
「……時恵さんは、ひとまず一命を取り留めました。ただ、彼女は心臓の病気にかかっている状態です」
「……心臓の病気? 何ですかそれ、あの子は心臓に持病なんて持っていませんよ!」
「どうやら、彼女の心臓の病気は、突発性のもののようです。私としても、これほど突然に患う患者は初めてでして、たいへん珍しいケースです」
「……あの子は、治るんですよね?」
「……全力を尽くさせていただきます」
先生はそう言い残し、一礼してからその場を去った。
……嫌な予感がした。そういえば、この前バスに乗っていた時も、夏凪さんは胸を苦しそうにしていた。
「……ごめん。ちょっと外の空気を吸ってくる」
「……うん、わかった」
僕は、白雪さんにそう伝え、一度外へ出た。外はもう真っ暗。星一つない暗黒の空だった。それが、この身の毛がよだつ状況を強調しているようにも感じて、寒気がした。
その心境を今はひとまず取り払い、近くにいるはずの彼を呼ぶ。
「……ねぇ、クロノスさん。出てきてよ」
病院の入り口付近で僕が呼ぶと、悪魔は上の階から飛び降り、見事に着地して、姿を現した。
『よぉ。どうした?』
契約者の夏凪さんが倒れたというのに、悪魔は奇妙なまでに平然としていた。妙にそれが、不気味に感じられる。
「……君は何か知らない? どうして夏凪さんが倒れたのか。特に根拠があるわけじゃないけど、彼女は普通の病気じゃない気がする」
僕は若干、尋問寄りな問い詰め方をした。……なんだか、この悪魔が関係しているような気がしてならない。
すると、悪魔はため息を吐き、両手を上に上げ、観念したような口ぶりで喋り出す。
『はぁ。……まあいい。言ったところで俺に不利益はないしな。教えてやるよ』
悪魔と目が合い、ほんの数秒の沈黙が流れた。そして、悪魔は左手に三本の指を立たせ、僕の前に突きつけて、口を開いた。
『俺と契約を結ぶ前から、元々あいつの寿命は残り三年間しか残っていなかった』
「…………は?」
淡々とした態度で、悪魔は続ける。
『俺は契約を結ぶ際、契約者の頭に手を当てて寿命を吸い取るんだ。その時にそいつの過去や未来のことも俺に伝わる。俺もその時までわからなかったが、あいつは三年後の大学二年生の八月下旬に、自殺するみたいだぜ?』
「……なんだよ、それ…………」
『俺も断片的でしか見れなかったが、どうやら就職だの将来のことだのに不安を覚えて死ぬみたいだ。マジ笑えるよな、動機がしょぼすぎるっつーの』
「……笑えない」
『あっそ。まあ、とにかくだ。あいつは契約の際、俺に寿命を三年差し出している。今から三年後の八月下旬に死ぬわけだから、今は八月の中旬で、三年を差し引いたらあいつの寿命は現状、残り一週間くらいしかねぇ状態だな』
……いろいろと合点がいった。残りの寿命がわずか一週間ほどだから、夏凪さんは倒れたのか。たぶん、自死を心臓病に置き換えられて、今まさに彼女は、生と死の狭間を彷徨っているのだろう。
だけど、この悪魔の言葉を信じるのなら、彼女は一週間後には命を落としてしまう。
……彼女が残りの寿命が三年しか残っていないと知っていた上での契約ならともかく、……問題は―。
「……そのこと、夏凪さんは知っているの?」
『知らないな。だって俺、教えてねぇもん』
その言葉を聞いた瞬間、身の毛がよだった。僕は思考が飛んだ。
そして、気づけば悪魔の肩を壁に強く押し付けていた。
「なんで言ってないんだよ! それはいくらなんでもあんまりだろ!」
ただ怒りに身を任せるように、怒声を出していた。けれど、悪魔は一貫していた。顔を崩すこともせず、平然とした面持ちのままだ。
『俺は寿命さえもらえたらなんでもいい。契約者の人生なんてどうでもいい。俺は悪魔だぜ? いちいち人間に情なんてわかねぇよ』
「っ、あれだけずっと一緒にいたのに!」
『関係ないね。そんなこと』
どれだけ責め立てても、悪魔は悪びれる様子を見せない。悪魔と聞いて、最初は少し恐れたものだ。けれど、一緒にいるうちに少しずつ、意外と気のいいやつなんだと思っていた。
でも、違ったみたいだ。
……僕は、悟った。結局こいつはどこまでいっても、悪魔なのだと。
「……いや、もういい」
もはや、悪魔の相手をしている時間はない。どうにかして、夏凪さんを救わないと。
頭を全力で回した。思考を巡らせた。そして、あることを思い出す。
「……時間補正制度」
一瞬頭の中をよぎったそのワード。以前、喫茶店で夏凪さんにも説明したやつだ。
時間補正制度。時間管理局の局員だけが使える制度。本来時間の修正や改変は固く禁じられているが、どうしても変えなければいけない時のみ、自身の残りの寿命(時間)を代償に、時間の流れを修正できるというもの。
なお、使った局員の残りの寿命(時間)の長さや短さによって、修正できる範囲は限られる。
「……それを使えば。……時間補正制度を使えば」
その制度を使えば、夏凪さんを救えるかもしれない。僕の寿命を代償に、未来で大学生の夏凪さんが死ぬところを止められれば、寿命が伸びて、この時代の夏凪さんも死なずに済むはずだ。
そうとなれば、早く向かおう。まずは、時間補正制度を使わせてもらいに、時間管理局へ。
僕は、早速自宅のアパートへと駆け出した。
『おい、どこ行くんだ?』
悪魔が訊いてきたけど、無視だ。今は一刻も早く、時間管理局へ向かわないと。
すぐに自宅のアパートへと向かった。もうすっかり夜だが、真夏となれば夜でも蒸し暑い。
街灯が照らす夜道の住宅路を、地に汗を落としながら駆ける。途中何度か転けそうになったけど、止まることなく走り続けた。
小型化したジェットバイクがポケットにある。それに乗れば、一分もかからずにアパートに着ける。けれど、この時代で堂々と未来の機械を使うわけにもいかない。夜でも、どこで誰が見ているかわからないし。
ジェットバイクが使えないことを惜しみながらも、そのまま走り続けた。
ややもあって、やっと自宅アパートへと到着した。所々寂れていて見るからにボロいけど、ここがこの時代で僕が拠点としている仮の家だ。
部屋へと入る。鍵をかける時間も惜しいから、鍵をかけずにそのまま中へと進む。
部屋は手狭な1K。靴を一度脱ぎ、手に持ったまま中へ。
そうした先、部屋の端っこに白の球体がある。大きさは二、三メートルくらいで、人がギリ入れるくらいの大きさ。球にはこちら向きに、中へと入るドアがついている。ちなみに、ドアは上に開ける形の構造になっている。
これが、タイムマシンだ。
ちなみにこのタイムマシンは、マシンごと転送はしない。人体のみを過去や未来に転送させるものだ。
僕はドアに手をかけ、上に開けた。イメージ的には、車のトランクを上に開けるみたいな開き方だ。
ドアが開いたら、タイムマシンの中へと乗り込む。中は操縦席しかないシンプルな構造になっている。操縦席は黒色をしたソファのような形になっていて、座り心地が良い造りをしている。
ドアを閉め、早速目の前にある操縦機を操作する。向かう時代は、僕が生きる時代。つまり、
僕がやってきた元の時代だ。必要な操作を終えると、タイムマシンはすぐにアクションを見せた。
近所迷惑にならない程度にタイムマシンが揺れ、やがて僕は光に包まれて消えた。
やがて光がおさまり、視界が開けた。
真っ先に目に入ったのは、一面真っ白なガラスで造られた空間。天井は透明なガラス張りで、
青い空が窺え、太陽の光が中へ差し込んでいる。
あたりを見渡すと、白のスーツを着た人々が忙しなく行き交っていた。この場には自身だけ、さっき博物館に着て行った私服のままだから、随分と浮いてしまう。
そう。ここが僕の務める職場、時間管理局である。
僕は早急に、上司の神崎慎二さんがいる部屋へと向かった。




