12話
その日の放課後。私は図書室にいた。午後から雨が降りはじめ、しばらく雨宿りがてら、図書室に篭ることにした。
馬鹿なことに、傘を持ってくるのを忘れていたため、こんな羽目になってしまった。まあ、予報ではあと一時間ほどで雨は止むみたいだし、気長に本でも読んで待とう。
広い室内には人も少なく、見渡す限り、私以外に人は二、三人ほどしかいない。あとは、カウンターで座っている図書委員が一人だけ。
人がまばらなのもあって、室内は快適なほどに静かである。
この凪いだように静かな空気感、控えめに言って最高ではなかろうか。
私個人の意見だけれど、図書室というのは、私のようなインキャの溜まり場と言っていい。
人生を充実させたリア充共が、わざわざ図書室に足を運ぶわけがないのだ。
図書室とはインキャの憩いの場。もとい、聖域だ。
図書室、万歳!
『お前、さっきから何をにやついてんだ?』
私が思い耽っていた矢先。隣で机の上に座る、マナーが欠落したクロノスに、奇異な目を向けられた。
「……別ににやついてなんかないわよ」
『いや、にやついてたって。またなんかくだらないことでも考えてたんだろ?』
「……うるさいなぁ。喋りかけないでよ、うざいから」
『へいへーい。相変わらずまともな会話のキャッチボールができないやつだぜ。つまんねぇの』
できないというか、こいつと会話したくないだけだ。この悪魔は、口を開けばすぐに皮肉や嫌味を言ってくる。こんなやつに割く時間は、人生の損失でしかない。
「やあ、夏凪さん。クロノスさん」
そうした矢先。聞き慣れた男子の声が、小声でこちらに届けられた。あぁ、また面倒なのが来た。時守監志である。
「なにしてるの?」
我々に話しかけるや否や、時守は私のすぐ目の前の席に腰を下ろした。
「見ればわかるでしょ。優雅に本読んでるのよ」
「ふふっ。なんか夏凪さんらしいね。放課後にわざわざ図書室で本を読むなんて」
「傘を忘れちゃったからね。というか、時守は何しに来たのよ?」
「君の監視かな。上司に僕がしばらくこの時代に留まる経緯を説明したんだ。そうしたら、それならしっかり標的の監視をしろって言われたからね。まあ、当然なんだけど」
「あっそ」
「にしても、朝は大変だったね。まさか白雪さんがあんな強い子だとは思わなかったから、びっくりしちゃったよ」
あの後、高井とその取り巻きたちは、松崎に職員室へと呼び出された。白雪から告げられた際の松崎の顰めっ面から察するに、こっぴどく説教を受けたことだろう。
あとついでに、その後私は、流れで白雪から連絡先の交換を迫られた。勇気を味方につけた直後の白雪は、無敵状態だったのだろう。私と仲良くなりたかったのか、一歩も引かずにぐいぐい迫ってきた。
あまりの勢いに、私はしぶしぶそれを受け入れた。
「……そうね。まあ、おかげで高井も松崎に怒鳴られてたし、私もせいぜいしたわ。今ごろ高井は松崎とマンツーマンで説教受けてるだろうし、ざまーないわね」
「ははっ。相変わらず口悪いねー、夏凪さんは」
「そう? これでも抑えてる方だけど」
「……抑えなくなった夏凪さんの口の悪さ。想像したらちょっと怖いな……」
「だったら不必要に私をイライラさせないことね」
いつも通りくだらない軽口を交わし合う。時守とは出会ってまだ数日しか経っていないけれど、いつのまにか、彼と話す時間が私の日常になってきた。
……なんだか不思議な感じ。誰かと関わるなんて、私には似合わないと思っていた。
さっきだって、「別に友達が欲しいだなんて思ったことない。周りに合わせて愛想笑いしたり、空気読んだり、ほんと馬鹿みたい」などと、偉そうなことを高井に言ったくせに。
私は気づけば、時守という一人の他者と関わっていた。その始まりが望んだものか否かはさておくも、私は今こうして、普通に人と話している。その現状に、自分でも驚く。
ずっと自分以外の人間が嫌いだった。故に、誰かと関わりたいなんて考えたこともない。考えたくもなかった。いつも関わる時は、必要最低限だ。誰かと話す時、私はいつもイライラしていた。
……でもどうしてだろう。何故か時守とは、関わってもそこまで悪くないと思える。
時守の過去を聞いたからか、その境遇が自分と重なったからなのかはわからない。けれど、時守と一緒にいると、居心地の悪い気はしなかった。
「にしても、最近本当に時間を止めてないよね。もう考えを改めてくれたのかな?」
「別にそんなことはない。……使ったら私は管理局に殺されるんでしょ? 使えるわけないじゃない」
「まあ、そうだね。あんまり女子高生に物騒な脅しはしたくなかったけど、事実そうなっちゃうからなぁ」
……まあ、正直私は別に死んでもいいと思っている。それほど時間の止まった世界が好きだったのだ。でも、今じゃない。そのうちまた時間を止めて、思う存分満喫したら、殺されればいい。いや、なんなら時間を止めたまま、餓死で自害することもできるだろう。
「いっそクロノスさんと契約を解消してくれたら、僕の任務はクリアなんだけどなー」
『まあ、俺はそれでもかまわねぇぜ? その代わり、お前が支払った寿命は返すことは出来ねぇけどな』
クロノスが私を見ながらそう言う。そんなの、私になんのメリットもないじゃないか。
「私が損するだけじゃない、それ」
その後、少し間を置く。
「……悪いけど、もう少し考えさせて。自分の考えに整理をつけたいから。こんな特別な力、そんなすぐに手放せられない」
「……いいけど、どの道力は使えないよ? 使ったら処刑は免れないし。まあこっちは別に、決断を待つ分にはいいけどさ」
「……うん」
ひとまず、その話はそれで止まった。ぶっちゃけ、もはや生きるか死ぬかの二択だ。その決断は、人生単位で重要なことだ。別に特別生きたいわけでもないし、最終的には時守に告げずに時間を止めて、そこで餓死でもしようと思っている。時守の過去を聞いて、彼には同情の気持ちもあるし、迷惑をかけるのも気がひけるけど、私にだって私なりの生き方がある。
それに、時間停止の世界で私が死んだら、クロノスも時間を動かすだろうし、世界が一生止まったまま、なんてことにはならないだろう。
「夏凪さん、何読んでるの?」
すると、時守が話題を変えるように訊ねてきた。視線は、私が読んでいる文庫本に向いている。
「小説だけど」
「うん、それはわかる。どんなの読んでるのかなーって」
「推理小説。名雲探偵シリーズのやつ」
「あっ知ってる! この時代で流行ってる小説だよね? 僕も一読したけど、なかなか面白かったよ!」
時守が、目を輝かせた。……驚いた。時守からすればかなり昔の作品にあたるだろうに、それを面白いと評価するなんて。大好きなシリーズだからこそ、なんだか嬉しかった。
「へぇ、なかなか見る目あるわね。ちなみにどこまで読んだの?」
「まだ三巻までだね」
「結構読んでるじゃん! 私は最新の五巻まで読んでるわ。今読んでるやつがそう」
「ネタバレしないでよ?」
「しないよ。どっかのデリカシーの欠落した悪魔じゃないんだから」
『おいおい、俺のことか?』
「あなた以外に誰もいないでしょ。ちなみに時守はどのあたりが好き?」
「えー、そうだなぁ……」
時守はしばらく考え込む。ケーキ屋で目を輝かせながらケーキを選ぶ子供のように。
「色々あって迷うけど、一番好きなのは登場人物たちの個性かな。ほら、この作品に出てくる人って、なかなかくせ強いじゃない? それが面白くてさ」
わかる! 作中に出てくる登場人物は、皆個性豊かで愛着が湧く。この作品が人気な理由の一つでもあるだろう。
現実にもいそうな性格をしたやつや、絶妙に共感できる思考回路など、キャラクターの内面が緻密に表現されていて、それが物語を彩る要素となっている。
作者はきっと、人間観察に優れた人なのだろうと思う。
「わかるわそれ! 特に主人公の名雲さんが渋くていいのよね!」
「そうそう! ちなみに夏凪さんはどこが好きなの?」
「うーん。私はやっぱり毎回最後に起こるどんでん返しかな。犯人が意外すぎたり、まさかの人が殺されたりするじゃん? いつも衝撃が走るし、気づかなかったトリックとか伏線とかがあると毎回悔しい気持ちになるけど、それがまたいいのよね!」
「わかるわかる! 特に三巻の犯人とかもさぁ」
「うんうん!」
つい饒舌になってしまった。
……でもなんだろう。なんだか、楽しい。
誰かと好きなものについて語り合うのって、案外悪くないかも。
そして、しばらく作品について話すうちに、話題は名雲シリーズを超えて小説の話になっていた。
「夏凪さんはどういうジャンルが好きなの?」
「特にこれっていうのはないかな。だいたい話が面白かったら全部好きだし。私は小説とか、物語が好きだから」
「そっか……」
時守が、急に優しい微笑みを向けた。嬉しそうな、心が温まったような、そんな顔に見える。どうしてそんな顔になったのかはわからないけれど。
「……なんか良かった。君にもちゃんと、好きだと思えるものがあって」
「……なんで?」
「なんか夏凪さんは、いつもこの世界を嫌っているような顔をしていたから。……君にもちゃんと、この世界で好きだと思えるものがあるんだって知れて、なんだか嬉しいよ」
時守は、またにこりと笑う。その笑顔には、裏を感じなかった。下心でも嘘でもない、純粋な気持ちなのだろう。人一倍人間不信な私がそう思うのだから、間違いない。
……面と向かってそう言われると、なんだか少しだけ、恥ずかしくなってきた。
「……あっそ」
恥ずかしさを隠すため、ついそっけない返しになってしまう。時守は続けた。
「そんなに小説が好きなら、小説家を目指せばいいのに」
急に突拍子もないことを言ってきた。いやいや、何を言い出すかと思えば、なんて安易なことを言うやつなんだろう。
「……あのねぇ。随分と簡単に言うけど、小説家になるのも険しい道のりなのよ?」
「そんなのわかってるよ。でも、そんなに好きならさ、夏凪さんも少しは考えたことあるんじゃない? 小説家になるの」
『おっ、そうなのか?』
「……それは」
……ないと言えば、嘘になる。無謀にも正直、憧れたこともあれば、考えたこともある。けれど、目指す前にすぐに諦めた。……そもそも、人を愛せない自分に、人の心を揺れ動かせるような物語が書けるわけがない。
「……考えたことはある。でも、すぐに無理だと思った。小説はさ、読むだけにとどめておくのが一番いいと思うんだ」
「無理かどうかより、やりたいかどうかだと思うけど」
「…………」
やりたいかどうか、か。聞き慣れた陳腐な言葉だけど、たしかにそうだとは思う。
けれど、私みたいな人の心を持ち合わせていない人間に、物語を書く資格なんてあるのだろうか。
ふと、窓越しに外を見ると、雨はまだ降り続けていた。
「……梅雨は嫌だね」
「……そうね」
「でも、来週には夏休みだ。僕は仕事だけど、夏凪さんは何か予定あるの?」
「……家で本読む」
『つまり何も予定ないんだな』
「読書は立派な予定でしょ」
「まあ、否定はしないけどね」
雨は、それほど嫌いじゃない。そりゃあ時と場合にもよるけど、このしんみりとした空気感は、どこか好ましく思う。
けれど今は、中まで響く雨音が、私に何かを急かしているように感じられて、憂鬱に思う。
……小説家、か。
あぁ、どうして人生はいつも、二択なんだろう。……やるかやらないか。
*
一週間後。一学期の終業式を終え、夏休みに突入した。
インキャな私は心が躍った。夏休み。なんて素敵なのだろう。
父は今日も、会社にお勤め中だ。長期休みがあるのは学生の特権。そう考えると、社会なんて出たくないなと改めて思う。
夏休みに入ってから数日が経ったが、私は今も自室にこもって、ソシャゲやら読書やらで忙しなくしていた。
誰にも邪魔されることなく、人と関わることもない、ただ一人だけの時間と空間。時間の止まった世界ほどではないけれど、それに匹敵するほどに素晴らしいものだ。
『せっかくの長期休みなのに、お前は今日も家に引きこもるつもりかぁ?』
……こいつさえいなければだけど。皮肉屋の悪魔は、今日も私の部屋にいる。
「もう、余計なお世話よ。私は極力暇でありたいの。外になんて出たくない」
『えー、退屈じゃねえか。白雪と時守誘ってどっか出かけようぜ』
「嫌だ。めんどい」
外になんて出たくない。暑い上に人も多いし、いいことなんて一つもない。夏休みの課題も、夏休み中の思い出を書く課題以外はすでに終わらせているのだし、このままずっと、クーラ
ーの効いた部屋でダラダラと時間を潰していたい。
そんなことを考えていると、突然スマホに通知がきた。
『お、誰からだ?』
画面を見ると、白雪小春からだった。
「……白雪から」
一瞬、何で彼女が私の連絡先を知っているのかと思った。けれど、思い返せば高井が松崎に説教を受けた日、白雪と連絡先の交換をしたのだったと思い出す。
メールのアプリを開いて、内容を確認する。内容はこうだ。
『もしよかったら、八月の中旬あたり、一緒に歴史博物館に行かない? 私行きたいんだけど、一人で行くより、誰かと一緒に行きたいなって。もし私と二人が嫌なら、時守君も誘っていいんだけど。どうかな?』
とのこと。正直、超面倒くさい。だるい。ずっと家にいたい。
『なんだったんだ?』
クロノスが画面を覗き込んできた。
『歴史博物館か。面白そうじゃねぇか』
「どこがよ。興味ない」
『なんだよ行かないのか? どうせ暇なんだし行けよ』
デスクチェアへと座り、クルクル回るクロノス。まるで暇な私を煽っているかのように見える。いや、決して私は暇じゃないのだけれど。
「絶対に嫌。外は暑いし、メリットがない」
『別にどっちでもいいけどよ。あっでも、最後に一つだけ残っている、夏休みの思い出を書く課題。なんかネタがねぇと出来なくね?』
学校から課された夏休みの課題は、初日に全て終わらせている。けれど唯一、まだ手をつけていないものがある。
それは、夏休みで起きた一番の思い出を一つ書くというなんとも面倒なものだった。
最初は、家でダラダラしている日々を書けばいいかと思った。けれど、さすがにそれは舐めすぎな気もしてきた。
ましてや、担任はあの松崎だ。内容が薄いと言われて、再提出とかになったらクソだるい。
どうしたものかと迷っていた。そうして、自然と残ってしまった課題だ。
夏休みの予定を全くの白紙で過ごすつもりだった。故になんの予定も入れていない。
……そう考えれば、課題のネタのためにも、一日くらい白雪に付き合うのもありか。
「……それもそうね。……気は進まないけど、行こうかな」
そうして私は、白雪に行く意思を示したメッセージを送る。ついでに白雪の提案通り、時守も誘うことにした。




