第弐話『躑躅の花』 真田幸村 × 猿飛佐助
【今回の戦国マンは、この二人!】
真田幸村(真田信繁)
武田家の家臣だったが、主家滅亡後は各大名の傘下を
転々として、最終的に秀吉に仕える。妻は大谷吉継の
娘・竹林院。関ヶ原合戦では父の昌幸と共に上田城に
籠城して、徳川秀忠の軍勢を足止めした。関ヶ原の後、
紀州九度山に追放されるが、慶長19年大坂の陣が勃発、
豊臣秀頼から援軍を求められ、大坂城に入城。冬の陣
では真田丸という出城を築いて徳川軍を大いに苦しめ、
夏の陣では家康の本陣まで迫り、さすがの家康も幸村
の鬼気迫る勢いに、自害を決意したほどだったという。
猿飛佐助
幼少の頃より真田幸村に仕える忍で真田十勇士の筆頭。
幸村とは兄弟同然に育てられたとされるが、諸説あり
真偽の程は不明。一説では、森長可の家臣だった鷲尾
佐太夫が小牧長久手の戦いで主君を亡くした後に信州
鳥居峠に定住、その息子佐助が戸隠で甲賀流忍術開祖
の戸沢白雲斎の弟子となり、鳥居峠近くの角間渓谷で
修行をしていたところを幸村に見出され、俊敏な動き
から「猿飛」佐助と名付けられ配下に加えられたとも。
※作者註
タイトル見て何の花だか分からなかった人へ
「躑躅」と書いて「つつじ」と読みます。
(フリガナ出てくるけど最後の方だから先に説明)
慶長20年(1615年)5月7日 大坂夏の陣※ 茶臼山
徳川本陣と対峙する真田陣営に猿飛佐助が帰陣する。
「幸村様…… 佐助、ただいま戻りました」
「うむ、大儀であった。戦況は?」
「はっ。木村様、後藤様をはじめ、大坂方武将、
ことごとく、討ち死に……!」
「むう。多勢に無勢とは申せ、歴戦の猛者が次々と…… 」
「かろうじて陣を保ち、徳川方と相対するは、今や、
われら真田隊のみ……」
「やれやれ、僅か三千足らずの兵で、幕府の大軍を
迎え撃つのか」
「幸村様、これより如何なされます? ご下知※を」
「そのことよ…… 佐助、あれが見えるか?」
「む…… あの馬印※は、まさに徳川本隊の…… 」
「家康め、もはや勝ったつもりで、われらの真正面に
堂々と陣を敷いておるのだ」
「舐められたものでございますな。手も足も出せぬが、
口惜しい限り…… 」
「いや、むしろこれは千載一遇の好機。わしは格好の
死に場所を得たぞ!」
「幸村様……? 」
「家康は油断している。そこが狙い目だ。今桶狭間を
見せてやる!」
「突撃を仕掛けるおつもりで?」
「左様。三千に満たぬ陣容とはいえ真田の赤備え※は
世に聞こえた精鋭揃い…… 意表を突いて真正面から
突入すれば、徳川方は浮き足立ち、混乱をきたす!」
「いかさま、仰せのとおりにございましょう」
「その隙にわしは、敵陣深くに侵入し、徳川の旗本を
かわし家康を仕留めてみせる。おまえと草の者※は、
わしと同じ鎧兜を身につけ、影武者として敵を攪乱
するのだ。良いか、良いな!」
「幸村様…… 」
「佐助よ…… 幼き頃、おまえは約束してくれたな……
生まれたときは違えど、死ぬときはこのわしと共に
死んでくれると…… ! 今こそ、その約束を果たして
もらうときが来たぞ!」
「幸村様、幸村様…… 真に申し訳もございませぬが……
佐助、此度はその約束を、果たせませぬ」
「な、何だと? もう一度申してみよ!」
「すでにこの戦、大坂方の敗北は避けがたき有り様。
かくなるうえは、命を無駄になどせず、何としても
落ち延び生き長らえ、捲土重来を期すが上策かと」
「ぬう、臆したか、佐助? おまえはこの左衛門佐※に、
おめおめと逃げよと申すか?」
「幸村様が捨て身の奇襲を仕掛け、首尾よく大御所※
の首を討ち取ったところで、天下の趨勢は既に徳川
に帰しております。そう易々とは覆りますまい」
「天下など、如何でもよい。わしはただ、宿敵である
家康に一太刀浴びせて、一泡吹かせてやりたいのだ!
家康の心に、真田幸村の名を刻み付けてやるのだ!」
「なかなかに勇ましきお言葉…… されど我らの使命は、
徳川を討つことのみにあらず…… 何を置いてもまず、
秀頼公のお命をお守り申し上げることこそ、肝要か
と存じ上げます」
「なればこそ、このように死力を尽くし、戦っておる
のではないか! ここで、我ら真田まで兵を引けば、
大坂城は家康の軍勢に蹂躙されてしまうわ!」
「仮に秀頼公が、密かに城内より脱け出され、無事に
落ち延びられたとしても?」
「馬鹿も休み休み申せ。あの臆病な大野治長と淀君が、
そのようなことを許すわけがない!」
「しかし、千姫様は違います」
「千姫? 家康の孫娘がどうしたというのだ?」
「佐助、秀頼公のご出馬を請う幸村様の書状を携え、
城内に潜入いたしました折、誰あろう千姫様より、
何としても真田の力で、秀頼公を救われたしとの
密かな懇願を受けました」
「な…… 何だと? なぜ、わしに黙っていた?」
「今、こうして話しております」
「とぼけおって…… しかし、たとえ千姫の願いとて、
大野と淀君の目を盗み秀頼公を城の外に連れ出すは
至難の業。城内には徳川の間者も目を光らせておる」
「…… してのけました」
「何っ!? 佐助…… 今、何と申した?」
「難儀はいたしましたが、秀頼公におかれましては、
無事に大阪城を脱け出されました。穴山小助と配下
の草の者が、安居天神にお匿い申し上げております」
「小助が? 大野と淀君は、何も言わなかったのか?」
「それが、豊臣家の行末を儚く思召され、お二人とも、
自刃めされたとか……嘆かわしきことにございます」
「あの二人が自刃だと? 馬鹿な、俄には信じがたい。
佐助、おまえ、まさか…… まあよい、千姫様は?」
「城内に留まり、大御所に秀頼公のご助命を請い願う
振りをして、時間をお稼ぎになるとの由。あの姫君、
たおやかで可憐にございますが、なかなかどうして、
肝が据わっておられます。さすがは徳川の血筋」
「何たることだ…… 佐助、おまえはそれだけの謀を、
この幸村に一言の相談もせず、ただ己の一存にて、
勝手気ままにしてのけたと申すか? 不忠の極み!
申し開きがあるならしてみよ!」
「責めは、戦が終わり次第、この佐助、いかようにも
お受けする覚悟。しかし今は何をおいても、秀頼公
のお命をお救いすることこそが、先決にございます。
ただちに安居天神へ!」
「いやだ! わしはここに残って、徳川本隊と戦うぞ!
わしらが敵を食い止める隙に、秀頼公をお連れして、
速やかに大坂から逃げ延びるよう、小助に伝えろ!」
「お心得違いをなさいますな。真田は豊臣家の恩顧を
賜った家臣にござりますぞ。幸村様御自ら、秀頼公
のお傍に駆けつけ、身命を賭してお守りいたさねば、
君臣の道に悖りましょう」
「くっ…… 佐助、知恵を絞って、わしがどうあっても
拒めぬ仕儀を算段いたしたか?」
「滅相もございませぬ。佐助はただ、天に愧じぬ道理
を説いておるだけにございます」
「減らず口を叩きおって…… 真田の草の者は、主君を
蔑ろにする恩知らずな不逞の輩ばかりよ」
「いかさま、面目次第もございませぬ」
「ふん…… 是非もなしか。陣を引き揚げろ。真田隊、
これより急ぎ、安居天神に馳せ参じる!」
「いや、お待ちくだされ…… 安居天神に参られるは、
幸村様お一人にございます」
「何、わし一人だと? どういうことだ!」
「佐助以下、草の者、真田隊全軍…… 茶臼山に留まり、
徳川本陣に最後の突撃を仕掛けまする!」
「突撃だと? 佐助。気は確かか? 今日のおまえは
どうかしているぞ!」
「幸村様が無事に安居天神に到着されるまで、我らが
敵を引き止め、攪乱いたします。あわよくば混乱に
乗じて、大御所の首を挙げることも叶うやも…… 」
「それはついさっき、この幸村が立てた策ではないか」
「まさに。大殿昌幸様譲りの機略と武勇を兼ね備えた、
真田の面目躍如たる上策なれば、我ら一同この身を
投げ打ち、幸村様の戦を最期までやりおおせる所存」
「…… 死ぬぞ…… 」
「何の。全軍討ち果たされようとも大御所の首ひとつ
挙げれば勝ちにございます」
「ならぬ、ならぬ! 断じてならぬ! 真田隊は全軍、
これより安居天神に赴き、秀頼公をお守りするのだ!
一兵たりとて離脱は許さぬ。これは主命である!」
「いきなりに全軍が陣を払えば、幕府方も此方の動き
に気づきましょう。追撃された挙句に、安居天神を
突き止められては元も子もございませぬ。枉げて、
お聞き届けの程を!」
「ならぬ。ならぬ、ならぬ! おまえはこのわしの傍
を離れてはならぬのだ、佐助! この幸村を残して、
おまえのみ先に死ぬようなことは、断じて許さぬ!」
「幸村様、真田の兵は皆、既に覚悟を決めております」
「ならばわしも戦う! この真田左衛門佐幸村、苟も
一軍の将として、兵を見捨て、己のみが逃げ延びる
ような卑怯な真似ができるものか。わしに末代まで
の恥を掻かせる気か!」
「お許しください。この佐助、何としても、幸村様を
死なせる訳には参りませぬ」
「なぜだ、佐助…… なぜわしを謀った? なぜ、腹を
割って話してはくれなんだ?」
「話をしたところで、お聞き届けくださいますような
幸村様でもございますまい」
「しかし…… わしとおまえとの約束は、どうなるのだ!
あれは…… あれは嘘だったのか!」
「嘘ではございません…… ただ、この佐助には、もう
お一方との堅い約束がございますれば」
「何だと? 聞き捨てならぬ! 誰だ? わし以外に、
誰と約束をしたのだ!」
「亡き大谷刑部吉継様にございます」
「大谷殿? わが岳父※ではないか。どういうことだ?」
「十五年前、関ヶ原の合戦前夜、佐助は、信幸様より
信州上田に密かに伝えられた、小早川秀秋裏切りの
一報を知らせるべく、夜を日に継いで大谷様の陣所
に馳せ参じました。ご出陣を思い留まっていただく
べく、懸命に言葉を尽くしましたが、その甲斐なく、
かえって大谷様は、小早川の前面に布陣され、身を
呈して石田様本陣を守ろうと…… 」
「敦賀の父上はそういう御仁だ。負け戦となることを
知りながら、石田三成殿との友誼に殉じられたのだ」
「余人に真似のできることではございませぬ」
「しかし、わが岳父と此度の仕儀、どのような関わり
があると申すのだ?」
「あの夜、大谷様は、真田家からの心遣いに深く感謝
された後、こう申されました…… 」
『佐助殿。死に損ないのわしのことで、これ以上気を
揉まれる必要もない。それより…… 婿殿をたのむ。
わが心眼に映じる真田幸村なる男のたたずまいは、
古今に並びなき、日本一の兵。あたら散らせるには
惜しい器。死地に赴く舅に代わって、わが娘婿を、
何とぞお守り下され。大谷刑部少輔吉継、これこの
とおり、佐助殿に平伏叩頭、お願い申し上げる次第…… 』
「勿体なくも、一介の忍働きの前に深々と額づかれ、
言葉を終えられた大谷刑部様は面を上げられました。
既に病は深く、お顔は白い頭巾で隠されていました。
しかしそのとき、不思議なことに、佐助には見えた
のです……穏やかな慈しみに満ちた大谷様の微笑みが
……光を失われた両の目に浮かぶは、幸村様に寄せる、
誠に満ちた崇敬と情愛のみ…… 佐助は、ただ、ただ、
感極まるばかりで、言葉もありませぬでした…… 」
「…… 敦賀の父上が、そこまでわしのことを…… 」
「今、ここで、幸村様を死なせてしまっては、佐助、
六道の辻※にて大谷様に合わせる顔がございませぬ。
真田の草の者はかくも頼りなき惰弱の徒であったか
と笑われてしまいます。重ねて、お聞き届けの程を。
佐助、このとおりにございます!」
「分かった…… もう言うな」
「では、秀頼公と共に、お逃げくださいますか?」
「うむ…… どこまで逃げ切れるかは、分からぬがな」
「まこと、かたじけなく存じたてまつる…… ご無礼の
数々、平にご容赦の程を!」
「捨ておけ。佐助の無礼は今に始まったことでもない」
「いかさま。さ、お急ぎ下され。安居天神で秀頼公が
お待ちでございます」
「まあ、待て…… 最後にもう一度、よく見せてくれ。
わが目に焼き付けておきたいのだ」
「幸村様 ……?」
「茶臼山に立ち並ぶ、六文銭の赤い旗に、赤一色の鎧。
まるで躑躅の花のようだ。これが徳川十五万の軍勢
を震え上がらせた、勇猛無比なる真田の赤備え ……」
「盛りを過ぎた躑躅花…… 最後にもう一花、咲かせて
ご覧にいれましょう」
「ふ……威勢のよいことよ……佐助、近うまいれ。幸村、
最後の下知を伝える」
「はっ」
幸村が、近づいた佐助を、いきなり強く抱き寄せる。
「ゆ…… 幸村様?」
「佐助…… 死ぬな」
「…… 幸村様…… 」
「わしとの約束を守れ。幸村と佐助、生まれたときは
違えど、死ぬときは同じときに死ぬと誓い合うた。
死んではならぬ。生きて必ず、この幸村の元に戻れ。
良いか、良いな」
「……御意!」
※脚注
大坂夏の陣
慶長 20年(1615年)江戸徳川幕府がかつての支配者
であった豊臣宗家を滅ぼした戦い。前年の大坂冬の
陣と併せて「大阪の陣」「大阪の役」とも呼ばれる。
この戦いによって、応仁の乱以来 150年近く続いた
戦国乱世の時代が終焉を迎えたとして、江戸幕府は
元号を「元和」と改め、天下が太平となったことを
内外に宣言した。世に云う「元和偃武」である。
下知
命令。指図。
馬印
戦国時代の戦場で武将が自分の所在を明示するため
馬側や本陣で長柄の先に付けた印。馬標、馬験とも。
真田の赤備え
武将や兵士が着用する甲冑や旗指物などの武具を、
赤や朱を主体とした色彩で統一した真田隊の編成。
主家であった武田の赤備えを幸村の父・真田昌幸が
継承。大坂夏の陣では、勇猛果敢に幕府本陣に突撃
した真田隊の奮戦ぶりが称賛を浴びて人口に膾炙し、
赤備えは真田の代名詞となった。
草の者
忍者の隠語。
草むらに伏して偵察や隠密行動をとることから。
左衛門佐
幸村が朝廷から受けた官位左衛門府 次官の通称。
間者
敵方の様子を探る者。間諜。スパイ。
大御所
征夷大将軍の職を退いて隠居した前将軍の尊称。
ここでは家康のこと。
岳父
妻の父親を夫から指す敬称。義父、舅のこと。
平伏叩頭
身を屈め額を地面に打ちつけるほど深く頭を下げて、
相手に最大限の敬意や謝意、懇願を示す様子
六道の辻
仏教の六道=地獄道/餓鬼道/畜生道/修羅道/
人間道/天上道へ通じる分岐点。
この世とあの世の境とされる。
三途の川の渡し賃が半分足りない鉢巻の幸村エコルン
【作者贅言】
皆様よくご存じで今更いうまでも有馬温泉が真田幸村
という名前は大阪の役が終わってから半世紀以上経過
して書かれた「難波戦記」が初出の(おそらく)架空
の名前で、この人の本当の名前は(きっと)真田信繁。
夏の陣の大活躍が幕府や大名家の史料等にも記録され、
軍記読物や講談や絵本草紙にもなって大人気、強大な
敵に勇敢に立ち向かい潔く散っていくその姿が日本人
の心の琴線に触れまくり、レジェンドというか国民的
ヒーローとなっていく過程で、据わりのよい?架空の
名前の方が広まって、定着したようです。猿飛佐助も
モデルはいたようですが人気が出たのは立川文庫など
の講談本で、悪の支配者家康と戦う正義の武将幸村が
率いるスーパー忍者戦隊〈真田十勇士〉のリーダーと
して誰もが知る存在に。私が子供の頃は白土三平原作
の忍者アニメ「サスケ」が大人気でした。今もその名
を冠したスポーツ番組がありますね。忍法、影分身!
さすがの猿飛エコルン佐助とお猿の皆さん「ウキーッ!!!」
☆予告☆
さーて、次回の戦国マンは?
鳥なき島の蝙蝠と呼ぶな!四国の雄:長宗我部元親、登場!
もう一人はまさかまさかの(まさかでもない?)明智光秀!
次回もまた読んでくださいね~! ジャン・ケン・ポーン!
ンガググ。




