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澄渦

「おかえりなさぁい」

 

 (みなと)が家に入るなり、声をかけられる。

 しかし、その声を完全に無視した。


「ちょっとぉ、無視!?まあ、いつものことかぁ」


 湊に声をかけたのは、人間の形をしたなにか。

 見た目は、兄弟のように湊とよく似た、高校生くらいの少女。

 少女は家の中にいたはずなのに、その白い着物は、全体がわずかに濡れていた。

 

「まったくぅ、少しはかまってくれてもいいじゃん。暇なんだからぁ」


 少女はめげずに湊に話しかける。


澄渦(すみか)、歩き回るな濡れる」


 そこで初めて湊が反応した。

 湊の言う通り、少女、澄渦が歩いた場所は濡れてしまっている。

 今も、ポタリ、ポタリ、と不規則な音を立てて、水は滴り続けている。


「そうだねぇ、濡れちゃうね。湊、拭いてよ」


 澄渦は不遜に言い放つ。

 湊はそれを鬱陶しそうに一瞥したが、すぐに目線を逸らす。


「それにしても、機嫌悪いねぇ。私の可愛い澪波(みおは)ちゃんに何かあったのぉ?」


 澄渦は湊の顔を正面から覗き込む。

 澄渦の髪からも水が垂れ、湊の服を濡らす。その水はとても冷たい。


「んー、うるさい、離れろ!」


 湊は苛立ちが募ったのか、声を荒げる。

 服を濡らした水がじんわりとしみこんでいく。冷たい水が湊の肌に触れる。


「やだぁ。澪波ちゃんのこと聞かせてくれるまで離れないからぁ」


 湊はしぶしぶといった様子で語りだす。

 澪波を調べるとか言った、傲慢なオカルト研究部の話を。

 しかし、自分がうっかり一人殺してしまったことは黙っておくつもりのようだ。


「だから澪波を実験動物としか見ていないゴミどもが」


 語り終わった後、湊が言葉を吐き捨てた。


「それぇ、君が言う?」


 澄渦が訝し気な目で湊を見つめる。

 湊は澄渦の言葉の意味が分からないのか、首を傾げている。


「いや、だってぇ。君だって私のこと妙な物体としてしか見てないでしょ?表は優しいと見せかけてぇ、裏の性格は悪いんだからぁ」


 澄渦が湊の頬を突っつく。

 それによって濡れた顔を、湊が鬱陶しそうに手で拭う。


「裏も表も関係ないだろう、お前は妖怪の澄渦。それ以上でもそれ以下でもない」


 湊が澄渦の目を真っすぐに見つめる。

 それは、妖怪におびえる少年の目ではない。

 妖怪を恐れてすらいない強者の目だった。


「つまらない男の子は、嫌われちゃうぞ」


 澄渦が不貞腐れたように言いながら目を逸らす。


「ずっとそれでいい。澪波さえいれば」


 湊は澄渦を一瞥もせずに淡々と答える。


「せっかく綺麗な顔してるのに、勿体無いなぁ」


 澄渦が天井に向けて手を伸ばす。

 その水色の指先は光に透けていた。


「のんきだな。顔ならお前のがいいだろう。だって澪波の体なんだから」


 湊はそう言って窓から外を見る。

 外は快晴。

 その目は真っ直ぐに太陽を見つめていた。


「澪波ちゃんが可愛いことには同意するけどさぁ」

 

 澄渦も窓を見る。

 そのガラスに反射しているのは湊の姿だけ。

 

「綺麗に映ることはない、写真というものは……肖像画って案外画期的だったのか」


 湊がガラスに映らない澄渦を見て呟く。


「そう言うんだったら、湊が描いてよぉ」


 澄渦が窓ガラスに触れる。

 ガラスも、そこについた水も、澄渦を映すことはない。


「随分と無茶な……描くには澪波は可愛すぎる」


 湊は澄渦から目を背けた。

 その時、澄渦の背中を刺すような痛みが襲った。だけど、澄渦は何も感じなかったことにした。


「そうだねぇ、澪波ちゃん可愛いし。ちゃんと守ってあげてよね」


 澄渦はそんな湊の背中に一つ、言葉を投げた。



ーー



螺婁(らる)さん、マジっすか?」


 ある雨の日の山の中、一人の青年が神社の前をうろついていた。彼は『妖断隊(ようだんたい)』というグループの構成員だ。

 彼は山登(さんと)と呼ばれている。とはいえ、それは本名ではない。

 その神社の鳥居は青かった。そして、鳥居の真ん中には『澄渦』の文字が刻まれている。


「いいから早くやれ」


 鬱陶しそうに体についた水滴を払いながら、螺婁さんと呼ばれた青年が悪態をつく。彼は『妖断隊』のリーダーだ。

 螺婁もまた本名ではない。というか、妖断隊は誰も本名を名乗っていない。

 冷たく激しい雨が再び体にしみこんでいく。


「わ、分かりました。死なないでくださいよ……流澄渦(りゅうじゅんか)様、どうか螺婁さんを殺してください」


 山登は螺婁の怒りを恐れ、慌てて神社に祈る。

 その時、あたりは雨の音が消え、静寂に包まれたような気がした。


「よし、それでいい。流澄渦を呼び寄せる……狩るために」


 螺婁は満足げにうなずく。


『すぐに、いくからね』


 螺婁の頭の中に激しい雨の音と共にノイズが響く。背筋が凍ってしまうような、静かで透き通った声。

 だが、螺婁は嬉しそうに笑う。

 それと共に雷の音が激しく響く。


「よぉ、流澄渦さんよ」


 そして、頭の中の声に返事をする。

 そんな螺婁を山登は不思議そうに見つめている。


「戦闘態勢を整えろ、強敵だぞ」


 螺婁はそんな山登に乱暴に言い放った。


 組織『妖断隊』。

 つまり妖怪のハンターだ。

 組織名は妖怪を殺すための武器である『妖断刃』にあやかってつけられている。

 今までの失敗はゼロ。

 この前だって、川の妖怪である縛底を葬ったばかり。

 今回も流澄渦を狩るために動き出した。


「まあ、螺婁さんにかかれば楽勝っすよね」


 今までの妖断隊の功績を思い出したのか、山登は安心したように笑う。


「もちろん、妖断刃が手に入ればもっと楽だが……こいつもなかなかいい仕事をする」


 そう言ってリーダーは愛刀を抜く。

 その刀身に刻まれた文字は『斬螺婁(きるらる)』。

 渦のように回転しながら使うことでその本領を発揮する刀だ。

 よく手入れされた斬螺婁の刀身は輝いていた。

 獲物を待っているかのように。



ーー



 ちょうど同じ時のこと。(みなと)の家で。


「湊、まずいことになった」


 澄渦(すみか)が慌てたように湊に話しかける。

 水滴がポタポタと高速で垂れていく。それは、外の激しい雨に勝らずとも劣らない。


「分かっている」


 そんな澄渦を一瞥もせず、湊は呟く。

 その声は苛立たしげだ。


「愛しの澪波(みおは)ちゃんが殺されでもしたら私、死んじゃう……」


 澄渦がその場にへたり込む。

 その体は恐怖に震えていた。


「そうだな、お前は物理的に死ぬ。でも、僕も精神的に死ぬから」


 湊がそこでようやく澄渦を見る。その目は恨みで濁っていた。

 その手で押入れを開け、そこにあった、ひやりとした重々しい箱を取り出す。

 真っ赤に塗られたその箱を開けると、中にあった二本の短剣があらわになる。


「きゃっ、いやぁ、やだぁ」


 澄渦がそれを見るなり、慌てて湊から距離をとろうとするが、恐怖のあまり体が動いていない。

 湊はそんな澄渦を無視して短剣を左右の手に一本ずつしっかりと握る。

 その時、刃から濁った青い液体が数滴落ちた。その液体は不吉な光を放ち、空気に溶けるように消えていく。


「やめてっ……」


 澄渦が全身を震わせる。

 湊が構えた短剣の名は『妖断刃』。

 湊は昔、その短剣で一度澄渦を殺している。

 刃に澄渦の恐怖の表情が反射する。


「僕には武器がこれしかない。これで戦うよ、妖怪狩りと」


 自分を狙っているわけではないと分かった澄渦の表情がわずかに緩む。


「澄渦、行ってくる。澪波は守らないとね」


 そう言って湊は靴を履いて家を出ていった。

 激しい雨の中、傘を持つことも合羽を着ることもなく。


「……行く」


 澄渦が慌ててその後を追う。はだしのまま。

 

 こうして二つの存在は雨の中へ駆け出して行った。

 

 澪波を妖怪狩りから守る。


 その同じ目的に向かって。


ーー


『んー、こわい?』


『だいじょうぶだよ、すぐにいくからね』


 頭の中に響くノイズ。

 それの一つ一つに満足げに頷くのは組織、妖断隊のリーダーである螺婁。


「調子はどうですか?」


 構成員の青年、山登が不安げな顔でリーダーに尋ねる。


「順調だ、直に流澄渦が現れるはずだ」


 螺婁は笑っていた。

 それは、獲物を前にした捕食者の笑みだった。


『うずみたいに、ぐるぐる』


「楽しみにしているぞ、お前がそうなるのを」


 頭の中に響くノイズに螺婁は楽し気に返事をする。

 第三者視点から見ると、螺婁が意味の分からない独り言を呟いているように見えるため、不安になるのも仕方がない。


『ずっと、まってたの?』


「待ってるぞ、楽しみだ」


 螺婁は流澄渦との戦いを楽しみにしていた。

 なぜなら流澄渦は渦の性質を持っているから。だからこそ、首をねじ切って人を殺すという特徴がある。

 螺婁の刀の斬螺婁も、同じく渦の性質を持っている。

 

『のろいはとけないよ』


 渦同士がぶつかり合う。

 その戦いが楽しみで仕方がなかったのだ。


「解きたくもない」


『なんどだって、ねじねじするから』


 頭の中に響く不穏なノイズも、そんな螺婁にとっては快感でしかない。


『がんばるよ、ころすから』


「ははっ」


 螺婁は腹を抱えて笑っていた。

 流澄渦を殺す気満々な螺婁にとって、全ての言葉は弱者の戯言でしかないのだ。


『れいせいだね』


「そう見えるか?」


 螺婁を見つめる山登の目がさらに不安げなものになっているが、そんなもの螺婁の視界に入ってすらいない。


『のぞみどおりにはいかないよ。みなとがいるから』


「みなと?弱い妖怪さんだから、そんなものに頼るんですか?」


 だけど、流澄渦の次の一言で、螺婁の笑みは完全に消えた。


『……』


 その沈黙は、螺婁の背筋を凍らせるほどに冷たかった。

 螺婁は妖怪の怒りを感じたのだ。


「ひえっ」


 直接ノイズを聞いたわけではない上、流澄渦の沈黙を感じたわけでもないのにもかかわらず、近くにいた山登、そしてまた別の青年の二人は衝撃と悪寒で尻もちをついた。


「案外侮れないかもな」


 螺婁はそう言って窓の外を見つめた。

 外はまだ、晴れていた。



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