3、一人でM眼科
そうしてやってきた3月某日。世間はWBCの熱狂でわいていました。私は緊張の初一人病院。道中ずっと緊張。とりあえず受付で予約した旨話し、待合室に到達。そこではまさに気もそぞろ。とにかく、新しい場所への緊張で、何もできない。ただ待つ……ちなみにこれ、その後の別の病院でも全く同じでした。待っている間は緊張で何もできません。
タツノオトシゴとフクロウの時計が可愛いかったことを覚えています。検査室に呼ばれ、看護師が機械や透明の棒で検査してくれます。「今、二重になりましたね」とやってくれて、「何でわかんの!?」とビックリです。そして今度は眼科医の診察。診察室に呼ばれ入ると、マスクしているけど、若くてイケメンの先生に見えます。何だか、質問をスルーされた感じがして、ちょっと苦手意識が生まれてしまいます。質問しづらい雰囲気もありました。「極度の斜視です。子供の頃言われたことない?」と言われ、調べて薄々そうかなと思っていたのですが、やっぱりでした。だけど、先生は斜視の説明を全くしてくれませんでした。「今後、脳とか調べます」それだけ。「次回は瞳孔を開かせるので、迎えの人を呼ぶかタクシーで帰ってください」と受付の人に言われます。タクシーを呼ぶのはハードル高すぎるので無理です。
そして、二週間後。M眼科で「眼底検査」をしました。目薬で瞳孔を開かせる。ちょっとモヤモヤ視界。若くてイケメンのあの先生は、院長先生でした。「あちゃー」と正直思いました。今回も病状の説明が全くなく。「来週、手術などの話で、S総合病院のT先生が来ます」と言われ、「え? ここ病院じゃ……」と言ったら、「ここ、クリニック」と鼻で笑われました。何じゃその態度(怒)。家に帰って家族に愚痴りました。
すると弟は「治ればいいんじゃない?」母と兄は「原因が実際わからないのでは。心配させたくなかったのでは」との意見でした。何だかSSTみたいな感じに。でも「斜視」の説明くらいあってもよくない? と思います。今後の予定だって……こっちは何をされるかわからないまま物事が進んで行くんだから、そりゃ不安だよ!
母が「一緒について行ってやろうか? ヘルプマーク(障害者が役所でもらえる赤に白十字のマーク)つけていけば余裕だよ」と言ってきて、でもそれは私の中で「それはありかも……でも駄目だ!」という気持ちがあったので断りました。ヘルプマークはこの頃あんまり普及していなかったイメージがあります。都会なら違ったかもしれませんが。
初一人病院は、行けたけど、不満の残る展開となってしまいました。その不満を晴らすのは、やはりというか人に相談すること。喜ばしいことに、私の通うA型作業所には看護師が常駐しているのです。ただし、この看護師のところへ話に行くのも、それは結構緊張だしストレスなので、なかなか救いようがないですね。