極秘情報A
――私だけが知っている。
*
みんな知っている。
天才少女・二階堂あすかを。
彼女は頭脳明晰、運動神経抜群、その上 容姿端麗。
成績はガリ勉を超え、体力はスポーツマン並み、そしてモデル顔負けの美貌を持っている。
つまりは学校中に名を馳せる、天才少女だ。
一方で、その実態を知るものはいない。
皆、抜け目ないまっとうなあすかの姿だけを見、恋い焦がれているのだ。
しかし、私は知っている。
彼女の風変わりな趣味、訳アリな性癖を。
知悉している、といっても過言ではない。
そして、それら全てが記されているのが『極秘情報A』である。
見た目こそはただの大学ノートだけれど、中身は…
是非とも、ご照覧あれ。
*
【情報Ⅰ 顔がだいすき】
あすかは、顔という顔が好きだ。
ほんとうに好きだ。
目、目、鼻、口で構成されていれば、美醜問わずこよなく愛す。
コンセントの差込口が顔みたいだと知った時は、底抜けに喜んでいたし、福笑いはもう夢の玩具だった。
理由は、幼馴染の私でもわからない。
もっとも、純粋な「好き」に理屈めいた理由などないのだろうけれど。
「おじゃましまーす」
玄関ドアの開閉音に続き、聞き慣れた声が鼓膜をくすぐる。
また来たかとひとり苦笑し立ち上がると、着古されたピンクのキュロットが見えた。なにかに夢中だと、あすかは服装にも無頓着になる。
「あすか、君さ、何回来れば気が済むの?」
「駄目?趣味だもの」
いいでしょ、としおらしく言うものだからまたも許容してしまった。
彼女がうちの常連さんになったのは、私の甘さが原因なのだ。
不敵の笑みを浮かべて、毎日やってくる姿は、なついてしまった野良猫を思わせる。
仕方ないなと嘆いて、途端、絶句した。
あすかが、壁に、顔を、描いている!
「やめて!困る!うち賃貸だから」
しかし、当のあすかはこともなげに壁に顔を描いてゆく。
困った。
顔好きのあすかは、顔で埋め尽くす主義なのだ。
この前だって、私の部屋の姿見に、厚紙でつくった目・目・鼻・口を淡々と貼っていた。しかも糊で。
「この前の鏡の件といい…どうしてくれるんだよ!」
再度一喝するが、馬の耳に念仏。
彼女はただ飄々と、壁に顔を量産してゆく。
諦めかけたその時、突然、彼女はつぶやいた。
「こんなことしちゃ やだ?あなたの顔も、描いたよ」
ビリリと全身感電したような錯覚に陥る。
「ほんと?」
「ほんとだよ」
そう言って、ことさらに上手く描かれた顔を指差すあすかは、どことなく いじらしかった。
「いいよ。好きにしな」
私は指でオーケーサインを作った。
*
【情報Ⅱ 夢】
「悪夢もさいこうの夢も、それぞれ、違ううつくしさを持っているの」
昼寝から目覚めたあすかは、まどろむように言う。
まだ彼女には夢の続きが見えているのかもしれない。
くりりと澄んだ瞳は、焦点の合わないまま右往左往している。
「ここ最近、どんな夢を見てるの?」
訊いてみると、
「教えてあげよっか?」
彼女は嬉々として、そっと「夢記録帳」を開いた。
あすかには夢を執拗に追い求める癖がある。
その、壮烈な夢ブームの象徴的存在が、この「夢記録帳」なのだ。
これが、凄い。
見た夢に関する、走り書きの文字、なぐり書きの絵に溢れかえっており、もはや、殺伐としている。
習字コンテスト、写生コンテストで金賞を取り続けている“二階堂あすか”とは似ても似つかぬ汚さだった。
「もっと綺麗にかけそうなもんなのに」
いつか言ったが、
「嫌。丁寧とか綺麗とか、懲り懲り」
そうすげなく返された。
あすかはそういう子なのだ。
「そういえばさあ」
長年の思いを口にする。
「あすかは、どうして、夢が好きなの?」
彼女はひとたび考える仕草をして、おもむろに口を開いた。
「だって、夢っていいじゃない」
「え?」
「現実なんて、修羅場よ」
そういうあすかは儚げで、輪郭は淡く、いまにも消えてしまいそうだった。
*
【情報Ⅲ 禁句】
あすかは、「頑張れ」と言うと目をむいて怒る。
「さすが」と言うと苦虫を噛み潰したような顔で、
「期待なんて…だいきらい」
と吐き捨てる。
じゃあなんて言われたい、と訊けば、
「今日の夢教えて、かな」
とはにかむ。
あすかは、夢の話が好きである。
クロールの動きで飛べた夢とか、血管が破裂寸前まで浮き出てきた夢とか、彼女の話はバラエティーに富んでいておもしろい。
だからある日、
「あすかの夢、面白い!夢を愛してるだけあるね」
と褒めてみた。
しかし、彼女は冴えない顔で、
「やめて。そういう事言われると苦しくなる」
と うめき、耳をふさいでしまった。
夢の話はなんでも歓迎だと思っていたのに、タブーがあったとは。
やれやれと頭を抱えて「気を悪くしてごめん」と謝る。
「別に」
こういうときの彼女は、一途に冷たい子だ。
人情のかけらもない声を背中で聞いて、ふと“禁句”という語を連想した。
“禁句”
聞き手の気持ちを害する言葉。
きっと、あすかに、期待をにじませた言葉、あからさまな褒め言葉は禁句なのだろう。
とはいえ、夢については、期待でもべた褒めでもなく、はたまたお世辞でもなく、心から「面白い」と思ったのだが。
つんと澄ましたあすかのシャープな横顔が、心なしか歪んで見えた。
*
【情報Ⅳ 実力】
あすかは、学校で、高嶺の花だ。
ヒロインだ。
引っ張りだこだ。
担任の、堅実でやけに気難しい男にも、何故か一目置かれていて、クラス目標から何から全てあすかが最終決定を行う。
一見すると、絶対君主のような有利な立場に思えるが、彼女いわく、巧みに利用されているだけらしい。
「私、利用されているみたい」
そう言った彼女は中2にしてすでに達観していた。
「やり手のいない仕事は、全部私のところに流れてくるし」
現にあすかは、学級委員・風紀委員・学級新聞担当・校外学習実行委員・校内清掃隊隊長…
その他人気のない役割をひとりで幾つもこなしていた。
そして今は哀れにも、社会科見学のレポート作成を数人から頼まれているようだ。
「高木さんの字の癖はこう。文章はこれくらいのレベル。あー、彼女絵はうまかったから、こんなかんじ?」
彼女が本領を発揮すると、いつも驚く。
完成したレポートは、もはや高木さんのかいたそれだった。
その超人的な能力に、私は何度 自尊心を失いかけただろう。
とにかく、あすかは、凄い。
「すごいなあ!少し休憩したら?」
キンキンに冷えた麦茶を手渡すと、あすかは
「ありがと!」
と破顔一笑した。
それから彼女は水面に揺らぐ顔を見つめて、一口、あおるように飲む。
カランと軽快な音を立てて、コップと氷が触れ合った。
*
【ご報告】
まるで、操り人形の糸が切れたように、つっかえ棒が外れたように、あすかは全てをやめてしまった。
生真面目キャラは一掃。
授業中は、ノートの片隅に意味不明な記号を書くか、あてもなく空虚なまなざしを送り続けているかの二択になった。
「どうしたのあすかちゃん」
「保健室行く?」
初めこそはそうやって気にかけていたクラスメイトも、
「は?放っといてよ」
と、けんもほろろに返すあすかに愛想を尽かした。
「優等生の座を、奪回だー!」
と跋扈する者もいたし、
「おごれるひとも久しからず」
と覚えたての平家物語の一文を借りて、揶揄する連中もいた。
でも、あすかはびくともせず、そのまま さらりとうつくしく、クラスから姿を消した。
あすかはたしかに変わった子だけれど、ここまで来ると心配で、私は放課後にお見舞いに行った。
「なあに」
チャイムの音に玄関を開けたあすかは、あすかだった。
「しかめつらして、どうしたの?」
余裕綽々とした態度に、「お見舞いにきた」という語は引っ込んだ。
異様な消え方をした彼女は、思いのほか平然としている。
私だけが大丈夫だろうか、と気をもんでいたようだった。
「心配した?大丈夫。あのね、いい夢見れた」
唐突に、まるでうわ言のように、あすかは言った。
「無数の顔がういていて、私を取り囲むゆかいな夢」
「そうなんだ」
こくりとうなずく彼女は、無垢だった。
「何度かみたことがある、大好きな夢」
あすかはうっとりと天井を仰ぎ見て、途端、眉根を寄せる。
「でも、学校の課題に追われて、ここ数年、見れなかった。スランプみたいになってた」
つたない日本語は、彼女の辛苦を物語っていた。
「大好きな夢、見れて、よかったね」
「うん。そういえば、あなたもいたよ」
「え?」
聞き返すと、彼女はこの上なく嬉しそうに言った。
「覚えてる?いつか壁に描いたやつ。あの顔がういてたよ。ニコニコ、優しそうな笑顔で」
瞬間、彼女はニコリと邪気のない笑顔を振りまいた。
そのとき、こぼれた白い歯を、私は忘れられない。
*
――私だけが知っている。
あすかは、あすかだってこと。
あすかはあすかのままで良いってこと。
あのあと、彼女の人気はすっかり低下して、この情報、『極秘情報A』の価値はほぼほぼ無くなった。
「極秘」というしゃれた名前も機能しない。
もはや、スパイの真似事と同類だ。
でも、あすかはあすか。
私のたいせつなあすか。
だから、このノートの名前は、永遠に、
『極秘情報A』、なのだ。