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オリジナル短編集

自己救済措置

作者: のなめ

「――はい......。はい、申し訳ございません。失礼致します」


受話器を置き、はぁ、と暗い表情でため息をつく。


そんな彼女はスーパーの本社で働く社員であり、現在カスタマーサポートとして日々働いている。そして今日も、所謂クレームの対応をしていたのだ。


「今日はあと何件来るんだろ......」


小さい頃から人と話すのが苦手で、それを克服したいという気持ち。それから就職活動があまり上手くいかなかったために、取り敢えず業界関係なく適当に応募した結果、縁があったのか受かった会社。


クレーム数はいつも日によって異なり、厄介かそうでないかも客次第。ただ最近は運が悪く、厄介な客の対応をすることが多い。


だが幸い、その日のクレームは比較的少なく、いつもよりも心を込めて一人一人のクレーマーに対応していたため、割と穏便に事が進み退社時間となった。


帰りの電車で、スマホを見ながら彼女はいつも同じことを考える。明日はどんなクレームが来るのか。自分はどれだけ罵倒されるのだろうか。そして、この先自分はどうなるのだろうか。そんなことは思いつつも、じゃあ辞めようという気にはならなかった。それは、ここで頑張ろうとか、自分を成長させようとか、そういった前向きな理由からでは決してない。辞めたところで、また再び就職活動をして他の会社に入社出来る、その自信が無かった。そして何よりも、それを言い出す勇気が湧いてこない。退職を伝えた時の周りの反応、その圧のような空気は想像しただけでも恐ろしい。ただでさえ人手不足で毎日ピリピリしている職場。そんな職場の上司に自分の意思を伝えたらどうなるか。


そんな時こそ両親に相談できればいいのだが、生憎両親は彼女が幼い頃、彼女を保育園に迎えに行く途中で交通事故にあい、二人とも他界している。その為、彼女は母方の祖母に引き取られ育ったのだ。その祖母も今では認知症となり施設に入っている。友達も、人と話すのが苦手で暗かった自分には全くいなかった。つまり、頼れる存在がいないのだ。


「明日も、頑張るしかないのよね」


故に、どうすることもできない彼女は、明日も明後日も、今日と同じように出社し、心無いクレームに追われ、退社し、同じようなことを考えて帰宅する。


だが――最近は一つ、自分の中に見過ごせない問題が出てきてしまったのだ。


「あれ、もう無いんだ......」


夜中。彼女は瓶に入った残り二錠しかない薬を見て、そう呟く。そう、彼女はいつしか不眠症になっていたのだ。医者から処方された薬もそろそろ底を尽く。


「何にもやる気が湧かないけど、仕事にだけは行かなくちゃ」


彼女はそれから間もなく、死んだように眠りについた。


――それから数ヶ月の月日が流れた。


彼女は相も変わらずその日もクレーム対応に追われていた。


「おい!お前じゃ話にならん!責任者出せ、責任者!」


電話口では大声で捲し立てる老人の声が聞こえる。


「いえ、ですから......」


「お前、馬鹿なのか!?それとも日本語が通じないのか!?こっちはおたくの商品に殺されかけたんだぞ!!」


「はい、ただそれはお客様が......」


「うるさい!お前じゃ話にならん!!責任者を呼べないなら他の人間に変われ!!無能が出しゃばってくるな!」


相手はこちら側の意見に全く耳を貸そうとしない。だがそれは当たり前だろう。所謂この客は、自分の見落としで起こったアクシデントを、無理やり会社のせいにしようとしてきた害以外の何物でもないクレーマーだからだ。そんな人間は当然自分のミスを認めるはずもなく、執拗に罵詈雑言を浴びせ、相手が折れミスだと認めるのを待っている。そんな人間の相手をしないとならないなんて考えただけでも地獄だが、彼女は実際にその相手をしているのだ。


結局その日は彼女自身どうすることも出来ず、他の者に変わってもらい何とか事なきを得た。


「おい、ちょっといいか」


定時になり一呼吸ついていると、横から声を掛けられる。その声の主は先ほど電話を代わってくれた男だった。


「は、はい」


「お前さ、いい加減他人に任せてばかりじゃなくて自分でああいう客の一人や二人くらい処理しろよ」


「......」


「もうここに勤めて結構年月経ってるんだからさ、いい加減対応できないからって他人に振るのやめてくれ」


「そう、ですよね......。申し訳ないです」


「......ったく。使えねーな本当」


最後の言葉は小声で言ったようだが、彼女にはしっかりと聞こえていた。


帰りの電車内、彼女は今日あった出来事を思い返していた。理不尽で心無い客、仲間にも嫌われ、ますます仕事に行くのが憂鬱になる。そしてこれがあと何年、何十年も続くと考えると、はたして自分はどうなってしまうのか。


と、そんな事を考えていた時だった。


「あ、あれ?なんか、めまいが......」


突然のめまいに襲われ、彼女は掴んでいた吊革から手を放し、その場に膝をついてしまう。当然周りは彼女に視線を向けるが、彼女はめまいと同時に起こった激しい耳鳴りと動悸でそれに気付くことすらできない。


この明らかに異常な状況から本能的に手を伸ばし誰かに助けを求めようとするが、既に目の前は暗くなり、声も出ない。それどころか自分が今どんな姿勢かも分からない。


そして――翌日、彼女は病院のベッドで目を覚ました。


「――おそらく精神病だろうね」


「......精神病、ですか」


「そう。何か心当たりはない?」


「――」


彼女はぼんやりと、いつも送っている日常を思い浮かべる。


「まあ言いたくないなら良いけど、無理はしないことだね」


その沈黙から彼女の気持ちを推測した医者は、それに続けてこう言った。


「念のため、今日明日は入院すると良い。会社にはこちらから連絡しておくから」


医者はそう彼女に伝えると、その部屋から退室していった。


「はぁ......どうしてこうなっちゃったんだろ」


原因は明白だが、それを知りたいわけではない。


「やっぱり辞めるべきなのかな......」


しかし、辞める際の不安、辞めた後の不安が彼女には大きく、なかなかその一歩を踏み出せない。親に頼ることも、助けてくれるような友達もいない。


結局どうすれば良いのか分からないまま、彼女は二日後、病院を退院した。


――それから更に、数ヶ月の月日が流れた。


「おい!お前のあの対応は何だ!!」


職場にはそんな怒声が響き渡る。


「お前のせいで会社のイメージは最悪だ!え!?どう落とし前をつけるんだ、言ってみろ!!」


「あ~あの子が怒られてるんだ」


「仕事できなさそうだもんねぇ~」


小声で発せられた陰口が彼女の耳に入ってくる。


「おい!聞いてんのかって!!」


その上司と思しき人物は自分の目の前にある机を思い切り叩き、正面に立っている彼女を睨みつける。しかし、一体どうしてここまで怒るのだろうか。理不尽なクレーマーに対し、いつもとは違う、少しばかり強い口調で対応しただけなのに。


「お前はこの会社にいれば食いっぱくれがなくて安心だろうけどなぁ!?こっちはお前がいるせいで生きた心地がしないんだよ!!」


「申し訳ありません......」


「あ!?聞こえねぇよ!!」


再び机を思い切り叩く上司。


「あ、おい!なに疲れたからってその場で座ろうとしてんだお前!」


「いや、違くない......?」


「なんか腹抑えてるぞ」


「え......?」


――そこから先のことはあまり覚えていない。気付いたら病院のベッドにいたのだ。


「――」


またか、と彼女は思った。腹部に今まで感じたことがないほどの激痛が走ったことは覚えている。しかしそこから先は覚えていないため、もしかしたら激痛が走って間もなく意識が飛んだのかもしれない。そしてここに運ばれた、と見ていいだろう。


「精神病の薬は毎日飲んでるはずなのに......」


であれば今度は何か。そんなことを考えていると、医者が室内に入ってくる。


「どうやら目が覚めたみたいだね」


「――」


「先に病名を伝えておくよ。君も気になるだろうからね」


医者はそう言うと、ゆっくりと口を開く。


「――胃がん。それも、かなり症状が進行している」


「ぇ......」


「つまるところ、こういうことはあまり言いたくないのだが......」


「なんで、しょうか」


彼女は恐る恐る医者に尋ねる。


「君にはあと、もって半年の命しかない」


「――」


絶句した。何故ここまで酷いことになるのか。


「過剰なストレスによる飲酒や、長年によるストレスの蓄積が主な原因だろうね......」


「手術や薬ではどうにもならないんでしょうか」


「......そうだね、残念ながら」


「――そう、ですか」


どうやら全てが手遅れのようだ。


「一応、今の段階で伝えられることは全て伝えたかな。それじゃ、また後ほど」


医者はそう言うと、彼女の病室から出ていった。


「はぁ......」


外を見ると、夕陽が窓から差し込んでいて、彼女と彼女の病室を橙色に染めていた。赤くなった夕陽は地平線の彼方で切なげに揺れ動き、この日最後の輝きを放っている。


「こうなるくらいなら、もっと早くに仕事を辞めていればよかった」


今更そう思っても遅いことは分かっている。それに彼女自身、辞めた後のお先真っ暗な未来が不安で仕方がなかったのだ。辞める際だって他人からどう思われるか怖い。だから、その勇気がどうしても湧いてこなかった。


「あーあ、思えば私の人生、助けてくれたのはおばあちゃんだけだったな......」


唯一彼女の祖母が、両親のいなくなった彼女を温かく迎えてくれた。


「でも社会人になったら誰も助けてくれなくなっちゃった」


もちろん、他の会社であればもしかしたら同僚が、上司が、彼女が仕事で窮地に陥った時助けてくれていたかもしれない。理不尽な怒号も浴びせられず、そんな客とも出会わなかったかもしれない。ただ、彼女はそういった人達に恵まれなかった。それだけのこと。


確かに、そういう意味では誰も大人になった彼女を救ってくれる人間はおらず、それどころかどんどん追い詰めていった。


しかし――それはあくまで、他人がそうであっただけのこと。ならば、自分はどうだったのか。最初はまだ軽かった不眠症、次はストレスによるめまいで倒れ、入院。そして今、取り返しのつかないところまで来てしまっている。本当はめまいで入院したあの時にでも、身体の限界を感じ、勇気を振り絞って仕事を辞めればよかったのではないか。しかし、彼女は色々と考えることで生じる不安にすっかり怖気づき、一時の勇気を出せなかった。


自分の限界は自分が一番知っている。その内なる声を無視し、無理をし続けたのは自分自身だ。その結果、遂に身体は限界を迎え、もたなくなってしまったということ。


ここまで来ればもう分かっただろう。自分の身体はずっと、病になることで自分を休ませ、助けようとしていたのだ。


そしてお気づきだろうか。一見すると彼女の身体は限界を迎えてしまったことで、彼女自身を救うことが出来なかったように思える。だがしかし、実際は決してそんなことはなく、彼女の身体はしっかりと、死という形をもって彼女をこの生き地獄から救い出していた、ということに――。












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