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墓荒らしと少女  作者: 榛葉 涼
3/3

3話

ポツポツと言葉を紡ぐ少女。青年はその言葉に耳を傾けることしか出来なかった。


「物心がついた頃から、私は病気にかかっていたの。墓荒らしさんは“悪魔の吐息”なんて知っているかしら?」


 青年は首を横に振った。


「……そう。この国では、私の罹っている心臓の病がそう呼ばれているわ。過呼吸状態の声が、まるで悪魔が泣いているようだから……って理由だったかしら。忌み嫌われているのよ」


「……大丈夫、なのか?」


 青年が恐る恐るの口調で聞くと、少女は胸元に手を添えた。


「幸い、今日はすこぶる体調が良いの。発作だって起きていないわ」

「……そうか」

「そんなに心配しないで頂戴。少なくとも、今日くたばることはないでしょうね」


 少女の声に青年は小刻みに首を振った。


「物心がつく前に父上は死んでしまったわ。母上は……あの人は、私の存在が許せなかったみたいなの。そそくさと屋敷を出ていってしまわれたわ。結局残ったのは、屋敷が1つと最低限の使用人だけ。 ……むしろ、それだけ残ったことを喜ぶべきかしら」


 少女は吐露を続ける。


「使用人は何事もないかのように接してくれていたけれど、恐らく……私のことを嫌っていたでしょうね。誰とも打ち解けられないまま、誰をも頼れないまま私は15の誕生日を迎えたわ……それがちょうど2週間前のお話。 ――それでね」


………………。


 そこで、突如黙り込んでしまった少女。青年は口をわななかせながら訊いた。


「だ、大丈夫か?」

「……ええ。少しつっかえただけよ」


 青年には、もう少女の一挙手一投足が気が気でなかった。


「それでね……その時お医者様から聞いてしまったのよ。もう私の命は長くないらしいの。よくて、1ヶ月」

「1ヶ月……」


 たったそれだけなのか? 1ヶ月も経てば……月の満ち欠けが終わってしまえば、目の前にいる少女は死んでしまうのか?


「そんな悲しそうな顔をしないで。私はもう、受け容れているのよ」

「受け容れるって……死ぬのが、怖くないのか?」

「……少しだけ怖いわ。死んだらどうなるかなんて分からないもの。目の前の父上だって、私には白骨となっていることしか分からないわ。生きている人からは、本当にそれだけしか分からない」


 青年の目線が自然と棺へ注がれた。蓋を外してしまえば、少女が言うような景色が広がっているのだろう。


「……でもね、墓荒らしさん。私にはもっと怖いことがあるのよ。それはね……誰の記憶にも残れないことよ」


 心なしか、少女のそんな声が上擦っているように青年には聞こえた。


「だってそうでしょう? 生まれてこの方、まともに屋敷を出たこともなければ、ほとんど一人で塞ぎ込んで生きてきたのだもの。頼る宛てだってどこにもない……一体私は今まで何をしてきたのかしら? 何が出来たのかしら? こんな私のことを、誰が覚えていてくれるのかしら?」


 青年は少女を見上げた。目と目が合う。少女の目は蒼色に透き通っている。 ……涙で濡れて、透き通っている。


「死んで、何事もなかったかのように忘れられて……私はそれが怖いの。今まで生きてきたこと全てを否定されているみたいで……私は怖いのよ」

「…………」


 青年は何も言うことができなかった。かける言葉なんて見つからなかった。今まで人を不幸にすることでしか生きてこれなかった青年に、目の前の少女を励ますナニカなんて……そんなものがある筈なかった。


 青年が何も言うことができないまま、(いたず)らに時間は過ぎていった。少女もそれ以上に何か言葉を溢すことはなかった。


「……ごめんなさいね。こんなしんみりした空気にするつもりはなかったのよ」


 しばらく腰掛けていた少女は立ち上がった。そして大きく伸びをする。空高く伸びる華奢な腕は、すぐにでも折れてしまいそうだった。


「じゃあ私行くわ。流石に長く居すぎたもの。あなたの為にも良くないわ」


 そう言って、少女は笑みを浮かべた。無理して作った笑みだった。


「ま……」


 青年は少女を引き止めようとした。しかし腕が伸びるだけで、身体が前傾になるだけで、そこから先が続かない。


「色々とありがとうね。お話に付き合ってくれて、私楽しかったわ。 ……ここでのことは口外しないわ。では」


 ひらひらと揺れる少女の手。間もなくして少女は歩き出した。丘を下っていく。少女が遠ざかっていく――


 一人残された青年。荒らした墓の中で立ち尽くす青年。死者の尊厳を踏みにじった青年。


「……本当に、いいのか?」


 青年は悩んだ。本当にいいのか? このまま少女を返してしまっていいのか? こんな救いのない話があっていいのか? 




――人を不幸にするだけだった青年に何かできることはないのか?




「待て!!!」


 腹の底から叫んだ声。掠れきった痰絡みの声。叫ぶだけで青年は満足できず、土塊(つちくれ)の山へと手をかける。


「くっ……ガ……!」


 疲弊しきった腕は相変わらず回復をしてなんかいなかった。それは自身の身体を持ち上げられないほどに。


「上がれ……! 上がってくれ……!」


 その腕で土を掴む。その足で土を蹴る。その身体で土を這う。青年は地上を目指す。少女と話をするために。


 懸命に力を絞った青年。ようやく、彼は穴から這い出ることができた。


「待て……待ってくれ!!!」


 満身創痍の身体をなんとか持ち上げる。傾く身体を倒すまいと地面を踏み締める。

しかし、ぐらつく視界が捉えた少女の影は限りなく小さくなっていた。


「頼む……まだ、いかないでくれ!!!!!」

「おいお前! ここで何をやっている!」


 返ってきた返事は明らかに少女のものではなかった。振り返るとそこには大柄な男の影が。男は怒気の篭った声で青年に言った。


「あの墓は……お前が荒らしたのか!?」

「くっ………!」


 青年は駆け出した。棒になった足で身体を引き摺る。それは墓守の男から逃げるためではない。少女の影を追いかけるためだ。


 しかし、疲弊しきった青年の身体が逃げ切れるなんてことはなく。


「ガッ…………!」


 呆気なく青年は地面に伏せられてしまった。

 

「待ってくれ! 待ってくれ!」

「待つわけがないだろう!」

「待って……くれ……」


 遠ざかっていく少女の影。もう見えない。緩やかな丘の向こうに広がっているのはただの墓地だけだ。この場に少女は居ないのだ。救われない少女は、もう居ないのだ。




※※※※※




 結局のところ、生きるとは何なのだろう? 死んでしまうと終わりなのだろうか?


 そんな問いに対する答えなんて、きっと山ほどある。そしてどの答えを聞いてもそれが正解に聞こえてしまうと思う。なぜなら、真実は誰も知らないのだから。死人は何も、語らないのだから。


 ある国の少しはずれにある、穏やか起伏の丘は墓地だった。これまで死んでしまった者が土の中に埋められている。それは丘のてっぺんだって例外ではなかった。


 今日は生憎の霧だった。視界がどうも不明瞭で……だから、こんな日に墓地を訪れる人なんていないだろう。一人の男はそう考えてこの墓地を訪れた。


「墓碑に花を添えることを献花というらしい。死んだ人への思いとか気持ちを花に込めるんだとさ。花屋の店主が言ってたよ」


 男が取り出したのは一輪の花だった。


「これはシオンという花だ。紫の花は献花にあまり向いていないらしいんだけど、色々調べてさ。どうしてもこれにしたかったんだ」


 花を墓碑の前に添えた。それだと風に飛ばされてしまいそうだったから、男は茎の部分に石を置いた。


「……よし、やることはやった。(ようや)くやれた」


 ふぅと一息つく男。彼は背負っていた重荷から解き放たれる感覚に襲われた。


「ここからはさ、俺の独り言なんだけど……」


 男は軽く深呼吸をした。


「生きるというのはたぶん、足跡をつけるってことなんだと思う。君と出会って、それから色々あってさ。俺はそう思うようになったんだ」


 男は自身の右手へと目を移した。痙攣を繰り返す右手は、傷つきすぎた後遺症だ。


「足跡って、歩いたら出来るだろう? 当然だけどさ。でもずっと長くは残らない。浜辺の足跡は波に攫われて消えてしまうし、道路の足跡は(わだち)に塗り替えられてしまう。長くなんて、残らない。 ……でもさ。足跡がついた事実は確かなんだ。歩いている方はそんなこと気にしないよな? 一々後ろを振り返ったりなんてしないから。振り返ったって、もう見えなくなっているかもしれないのだから。 でも――」


 青年は自身の胸に震える右手を添えた。


「足跡がつけられた方は、結構覚えていたりするよ。忘れられなくて、ならないんだ。だからこうやって足を運んだ。もう一度……君と話がしたくてね」


 上擦る声で話す男。こみ上げてくる嗚咽を必死に押さえ込む。


「そっちは……どうだい? 死後の世界ってあるのかな。そんなの生きている方は分かんないし、もし無くて、君の意識とか存在が跡形もないんだったら……今俺がやってることは全部エゴなんだろうね。君に届いて欲しいなんて、こんな気持ちだって」


 青年は墓碑に手を触れた。 ……ザラザラとした感触。青年は何度も撫でた。何度も、何度も。


「……自己満足なんだよな、たぶん。死者を弔うのって。生者の自己満足なんだよ」



 ――霧深い丘の上。昔、人を不幸にするだけだった男の背中は妙に小さかった。


読んで下さりありがとうございました。

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