2話
青年の中の時間が一瞬だけ止まった。それくらいの驚きがあったのだ。
「父親……なのか」
乾いた口で発したその声は掠れており、まるで普段とは異なっていた。
「ええ。ちゃんと父の墓よ」
何事もないように首肯をする少女。青年は困惑せざるを得ない。
「いや……でも……なんでそんな、態度なんだ?」
「たいど?」
「だって……」
青年は腰掛けていた棺から降りた。
「普通はもっと……怒ったりとか、悲しんだりとか……俺は墓を荒らそうとしたんだ。しかもお前の父親のだ! ただ金目のもの欲しさに! 踏みにじったんだぞ、色んな人の思いとか………………」
青年が吐き出した言葉の数々。それらはナイフのように鋭く尖っていた。誰を切り裂いたのか? ……それは少女ではなく、青年本人だった。
青年が襲われたのはどす黒い罪悪感だった。言語化することで、自身が行ったことをまざまざと突き付けられる感覚に陥ったのだ。催した吐き気が酷く気持ち悪い。
一方、少女はけろっとした様子で
「父親かどうかで変わるのかしら?」
なんて言ってみせた。
「……はぁ?」
「だって、死んでしまったらもう終わりなのよ? この棺の中にあるのは白骨化した死体なのだから。それ以上でも以下でもないわ」
「なっ……」
「金目のものが欲しいのね? 確かにこの棺の中には入っているでしょう。もし持っていきたいのなら、そうすればいいと思うわ。誰かに使ってもらったほうが良いに決まっているもの」
長い白髪をくるくる指に巻き付けながら言う少女。対して、青年は激しく頭を掻いた。
「めちゃくちゃだ。おま……君、おかしいよ」
「あら、心外ね。墓を荒らすような人に言われたくないわ」
「……」
無論、青年は何も言い返せない。
「ねぇ良かったら……私とのお喋りに付き合っていただけないかしら」
「お、お喋り?」
「ええ。私、屋敷を抜け出したのはいいものの、ずっと暇していたのよ」
「抜け出した……」
青年は改めて少女のことを見た。確かにその格好は他所行きのものとは思えない。それに、少女はちゃんとした靴を履いていなかった。部屋用のスリッパを履いていたのだ。 ……どうやら抜け出してきたのは確からしい。
「ね? 少しだけでいいから。お願いできないかしら」
「……」
青年は声を出す代わりにゆっくりと頭を振った。
「いや……ダメだよ。俺はここに長く居られない。バレてしまったらきっと処刑だ。それに、君にも見られてしまった」
「別に私は誰かに言うつもりはないわ」
「そんなの……分からない」
青年は目線を落とした。汗と土が混じり合い泥が付着したような腕は震えている。今更になって、この状況への焦燥が溢れてきたのだ。
そんな青年の心境を知ってか知らずか、少女は笑みを浮かべながら言う。
「まず私以外の誰かにあなたがバレることはないわ。それはあなたが一番分かっていることでしょう? ほら」
少女が指差したのは大空の先。
ドーーーーーーーーーン
今日何度目かの爆発音が轟いた。
「大きな花火の音……きっと王都の大広場は盛況なのでしょうね」
「そう、だな」
「ほとんどの方々は今日お休みよ。王国の建設記念日だったかしら? こんなめでたい日にお墓を訪れる物好きなんて、居るわけがないもの。 ……ね、墓荒らしさん」
「…………」
居心地が悪そうに、青年は目を逸らした。少女の言葉は全て図星だったからだ。青年は今日という日を見計らって、墓荒らしを決行した。
「で、でも……君はここに来たじゃないか」
「当たり前よ。そんな人が多いところに行ってしまえばバレてしまうわ。すぐに屋敷へと連れ戻されてしまう」
「……屋敷から、出られないのか?」
「あら。お喋りしてくださるの?」
両手をペチンと合わせ、パァっと笑う少女。キラキラとした瞳はまるで子供らしかった。……いや、今までの少女が随分と大人びて見えていただけかもしれない。顔つきだけ見れば、少女の年齢は14か15に見えた。
そんな様子の少女を見て、青年は大きくため息を吐いた。完全に毒気が抜けてしまっていた。
「……分かった。ただ少しだけだ」
「やった!」
両手を空に突き上げた少女。本当におかしな子供だと青年は苦笑いを浮かべた。
「それで、俺なんかと何を話してくれるんだ? 学校か? それとも、友達のことか?」
「……そうね。誘ったのはいいけれど、何を話せばいいかしら」
そう言うと、少女の蒼の瞳がキョロキョロと動いた。何か話題を探しているのだろうか? やがて、その目線は一点で結ばれた。
少女は青年の隣にある棺を見据えて言った。
「墓荒らしさん、あなたは死んだ後の世界ってあると思うかしら?」
「死んだ……後?」
予想外からの切り口の質問に、青年は困惑した。
「少しだけ、考えていいか?」
「ええ。もちろん」
顎元に手を当てた青年。彼の脳裏に浮かび上がった言葉……死後、天国、そして地獄。それらの言葉をゆっくりと咀嚼し、やがて結論を出した。
「……あって欲しいと思っている」
「欲しい、なの?」
「だって、実際には分からないじゃないか。死後の世界があるなんて。だから“欲しい”だ」
「なるほどね。なら何故あって欲しいと思ったのかしら?」
「そう、だな……」
小さく息を吐いた青年。思い浮かべたのは、今までの自身の人生だった。
「……俺は、今までたくさんの悪いことをしてきたんだ。スリは当たり前で、詐欺紛いのことをやったし、バレた罪のなすりつけだってやった。 ……そうやって集めた金と、食い物と、情報でその場しのぎの命を生きてきた」
青年の脳裏に一人の男性の表情が浮かんだ。すっかり抜け殻となった財布を手にし、その場で泣き崩れた男性だ。
「悪さがバレ出したら、街を転々と渡り拠点を変えた。王都に来たのもちょうど七日前だよ。そして三日前、計画したんだ。王都でパレードがある今日に貴族の墓から金目のものを盗むってな」
吊り上がった青年の笑み。言うまでもなく、それは自虐の類だった。
「人を不幸にすることで俺は生きてきた。今までやってきたことなんて、たったそれだけなんだ。 ……酷いものだろう? だから俺は……地獄を望むんだ。死んでから苦しまないと……俺は……」
青年は右の拳を強く握りしめた。伸びきった爪が掌の皮膚に鋭く突き刺さった。
「そうだったのね」
「……すまない。君に話すようなことではなかった」
「いいのよ。あなたの考え方を知れてすごく興味深かったわ。人を不幸にしたから地獄があって欲しい、ね」
ゆっくりと目を閉じた少女。その時、一陣の風が吹いた。少女の髪が風に揺られて靡く……
「もしかしたら、あなたと私。少しだけ死生観が似ているかも知れないわ」
「……それって」
「でも、あなたと一緒にしないで頂戴? 私は地獄に堕ちたいなんて思っていないわ。似ていると言ったのは、死後の世界を信じていないことよ。 ……そんな不確かなものを考えたって無駄なだけよ」
身も蓋もない少女の意見。青年は指摘せざるを得なかった。
「……なら、何でこんな話を振ったんだ。真剣に考えた俺が馬鹿みたいじゃないか」
そんな青年の言葉に少女は眉を上げた。
「……確かに、そうね。ごめんなさい。振る話題としては不適切だったわ。でも……仕方のないことだと思って欲しいの」
「仕方のない?」
「…………実は、私ね」
ゆっくりと胸に手を添えた少女。その口元には笑みを浮かべている。確かに笑っているのだ。 ……しかしながら、青年は影を感じざるを得なかった。どうしようもない寂寥が少女からは溢れていたのだから。
「私、もうすぐ死んじゃうのよ。 ……心臓の病よ」