第十七話 病「人」
「!?!?今何時だ!?」
チュンチュンという子鳥のさえずりで柊真の目は覚めた。しばらくして、自分がソファの傍で眠っていたことに気づいた。どうやらチアキに血を吸わせていたまま眠ってしまっていたようだった。咲良は相変わらず赤い顔をしながら柊真の腿に頭を預けて眠っていた。
柊真は病人をベッドでしっかり眠らせてやれなかった罪悪感に苛まれる。眠っている咲良を起こさないように、ひとつ伸びをしてポケットに入ったままのスマホを取り出し、担任に電話をかける。
「あ、すいません……大井です……」
『なに?どしたの?』
「はい……あの、僕と……長良さんが……どっちも風邪で……」
『え?二人とも?ラブラブだねぇ』
「二人ともです……はい……すいません……そういうことで……失礼します」
自分も休んでよかったのだろうかという疑問は少し残るが、病人を放っておく訳にはいかない。というか彼女をないがしろにする彼氏は最低、というのが柊真なりの回答だった。
「んぅ〜……あれ、朝?」
「あ、起きた?今日は学校休みにしたから、じっくり休んでね」
「うん〜……」
寝起きということもあってか、四人のうちの誰なのかも分からない。少女は目を半開きにして応えた。
「さて、どうするかな……」
柊真は病人をどうするか考える。真っ先に病院という単語が思いついたが、ぐみが「人間の医療技術じゃ吸血鬼の病気は治せない」と言っていていたような気がするし、病院で事情を説明する訳にもいかない。
……ここはあんなことを豪語していたぐみに診て貰うことにするか。しかし、今は八時過ぎ。今電話をかけたらはっきりいって迷惑だ。ここは下校時刻まで待つことにしよう。
では、どうやって時間を潰そうか……看病するのは当然なのだが、それ以前にここに病人を寝かせていたら病気が悪化するかもしれない。故に、とりあえずベッドに移動させなくてはいけない。しかし、ベッドは二階にしかない。どう動かそうか。
柊真は咲良の頭をゆっくりどかし、一度ソファから立ち上がる。そして、物は試しと言わんばかりに咲良の体を両腕でガッチリと持ち上げ、お姫様抱っこの格好をしようとする。しかし、重い。いや、標準的な男子高校生の筋力で考えればそこまで重くはない。ただ、これで階段を上るのは厳しい。そのくらいの絶妙な重さだ。
一度、咲良をソファに座らせ、次の方法を考える。柊真の頭に浮かんだ方法はおんぶであった。咲良の腰を持ち、踏ん張ってしっかり持ち上げる。これでもまだ少し重いが、先程よりはだいぶマシである。
そんなことより問題は咲良の背中に当たる胸である。思春期の男子高校生にとっては、女子の胸を合法的に触る機会なんて彼女でもいるかナンパでもしない限り無理……あれ、柊真には彼女がいるじゃないか。しかも背負ってるし。同棲することが決まってるし。だとしても、これは少年にとってあまりにも刺激的であった。恋愛経験がないのだから。柊真は複雑な思いを抱きながら階段をゆっくりと登り、自分の部屋のベッドへと寝かせた。
ベッドに彼女を寝かせると、少女の瞳に紫色の光が灯る。
「あら?もしかしてわたし、寝ている間にイタズラされちゃった?」
「病人にするのは良心が痛むわ……昨日は疲れて寝ちゃったんだよ」
「病人じゃないわよ〜!」
「いや、病人だろ……とりあえず熱、測ってみて」
柊真は下から持ってきておいた体温計を心亜に渡す。心亜は「熱なんかないよ〜」と言いながら熱を測る。
「七度三分……ビミョーだなぁ…」
体温計のデジタル画面を見ながら柊真が言った。微妙、とは言えど微熱は微熱だ。このくらいの熱、人間でいえばただの風邪かもしれないが、特殊なこの子にとっては大病かもしれない。今日は一日しっかり看病しよう、と柊真は決意し、心亜に食欲の有無を聞く。
「ねぇ、食欲ある?」
「あるよ〜」
「じゃあ……お粥作ろうか」
「嫌だぁ……血飲ませて」
心亜は突然、柊真の腕に噛みつき、強めに血を吸う。柊真は「うわぁぁ!」と叫び、反射的に腕を離そうとするが、心亜はがっちりと腕を掴んでいるので離れられない。柊真が心拍数を上げていくと、とある事実に気がつく。吸引時間が長いのだ。
「ちょ、ちょっと!そんなに吸ったら死んじゃうって!!」
心亜はかれこれ十五秒ほど吸っている。その様子に柊真は不安になる。痛みはないと言え、失血死という恐怖が付きまとってくる。
「ぷはっ。美味しいぃ」
「て、ていうかなんで心亜が血を吸ってんだよ!昨日も咲良が血を吸いたいとか言ってたし!」
ぽわんとした表情を浮かべている心亜は右目に紫、左目に赤色を光らせている。昨日の咲良とは違い今度ははっきりとオッドアイだとわかった。
「衝動には勝てないよぉ」
これも病気が影響しているのだろうか。今までに見た事ないことが発現している時点でただの風邪では無さそうだ。
「と、というかお粥は……?」
「いらなーい」
心亜はベッドに寝転びながら答える。柊真は呆れながらも、失った分の水分を取るために部屋を出ようとする。
すると、ぐらっと体が揺れ、ベッドにドサッとダイナミックに倒れる。もちろん故意ではない。急激な失血による貧血だ。
「ふふっ、二人とも病人になっちゃったね〜」
「笑い事じゃないだろっ」
笑っている心亜にツッコミを入れながら、柊真は体を動かそうとする。しかし、血が回らない。このままじゃ何も出来ない。どうにかしなくては……看病どころではない。
「『黄金の血』を持つ人間は、血の回復力が一般人の五十倍。水さえ取れれば回復するわよぉ」
「動けないんだからその水が取れねぇじゃねぇか!」
柊真はベッドの上でもがく。しかし、体が痺れて動かない。それは多少の焦りを与える。
「――知ってる?人間の七十パーセントは水分なんだよ?」
「知ってるけど、それがどうしたんだよ」
柊真はちょっとでも気を抜いたら意識がどこかに飛んでいってしまいそうな中、心亜の言葉に耳を傾ける。
「……わたしの水、分けてあげよっか」
「……え?」
……柊真は少しだけ不安になる。なにか、変なものを飲まされるのでは無いか、と。
「ちょっとまて、水を分ける……ってどう言うこと?」
「ん〜?なんだと思った?」
「え、えっと、体液……とか?」
心亜は赤色の顔を柊真に見せながらあははと笑う。柊真も心亜と同じくらい顔を赤くする。
「ふふっ、実は変態さんなの?違うわよ。魔力を使って体にある水をテレポートさせるのよ」
「て、テレポート?」
「そう。私の中の水を、柊真くんの体の中に送るの。口を通してじゃなくて、体の中に直接、ね」
そう言って心亜は柊真の手と自分の手を恋人繋ぎのようにがっちりと組み合わせる。そして、目をつぶりながら腕を三回振った。
「よし、繋がったね。それじゃ、水を送るよ」
柊真には何が繋がったのかイマイチ分からなかったが、それでも、確かに「流れ」を体の中に感じた。体が川の中にあるような……そんな感覚だ。
「よし。どう?血、回復した?」
「う、うん。たしかに貧血って感じはもうしないかな……」
柊真は不思議な感覚に驚きながら、心亜の顔をもう一度確認する…さっきよりも赤い……!?そして息も若干荒くなっている…!
「だ、大丈夫か!?」
「う、ん……大丈夫……」
明らかに大丈夫そうじゃない!!病人が魔力なんて使っちゃいけなかったんだ……!!
柊真は凄まじい罪悪感を覚えながら、元気になった体を全力で動かしながら階段を駆け降りた。