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誘蛾灯  作者: 野山橘/ヤマノ
2/2

1話

 なんとも蒸し暑い日だ。


 6月にしては暑すぎるほどの陽射し。まるで盛夏のようである。


 そこから逃れようと潜り込んだ木陰なのだが、木の葉から差し込む木漏れ日がまたピンポイントに首に当たっており、非常に熱い。そしてそんな木漏れ日から肌を守るために首に巻いたタオルが蒸れてきてまた暑い。


 こんなこともあろうかと水分補給のために空のペットボトルに冷たい麦茶を詰めてきた。だが、酷暑に対してなんの対策もしてこなかったものだからあっという間に生ぬるく温まってしまっていた。


 こんなにも蒸し暑いのに、雲も出ておらず、日差しが雑草のクチクラに反射して目がチカチカするほどだ。もう少しだけカラッと晴れてくれると話が変わってくるのだが。



 だが、そんな中でも子どもの熱量というものは。


 体温も高ければ、好奇心への熱も高いときたものだ。



 少女は、物珍し気にあたりを調べながらずっと動き回っている。


 濁った用水路の中で泳ぐメダカを追い。(とう)が立って黄色い花を咲かせたハクサイに集まってきたモンシロチョウに翻弄され。何年生きているのかというようなクスノキの巨木に登ろうとして。最後のは危ないので止めたが。


 ただ、やはりというべきか。


 元気に動き回ってはいるものの、暑くない訳ではないらしい。活発に活動し続けているせいで大量に汗をかき、Tシャツがベトベトである。絞ったらぽたぽたと雨だれの様に汗の雫が垂れてくるに違いない。


 大きな麦わら帽子の下に覗くおさげは、先天的にメラニン色素が産生されないために真っ白だ。黄色いTシャツとデニムの短パンからむき出しになった手足の色も、ずいぶんと薄い。まるで夏に舞い降りた冬の精か、擬人化した雪虫みたいだ。どちらも季節外れである。


 日焼け止めを塗ってはいるが、今日は風呂に入るときにひりひりした痛みで悩まされることになるのだろう。色白仲間としては同情を禁じ得ない。


 だが、そんなディスアドバンテージをものともせず、少女は晴天の下を駆け回っている。走るのを楽しんでいるというよりも、見慣れぬものに囲まれていて興味津々といった様子だ。


 彼女は、何か気になるものを見つけるたびに僕の休んでいる木陰までやって来る。そして僕の腕を引っ掴み、陽光の下へと引きずり出そうとしてくるのである。


 沸き立つ知的好奇心を満たしたくて仕方がないらしい。


 最初のころ、彼女は、在るもの有るもの全てを口に入れて確認しようとしていた。それを見て何度肝を冷やしたことか。いくら自然豊かとはいえ、何が付着しているかわかったもんじゃない。毒のある動植物だって存在しているのだ。血の繋がりはなくとも、保護者として監督責任が発生するゆえに、彼女を危険な目に遭わすわけにはいくまい。


 だからこそそれを咎め、多少面倒くさくとも僕が逐一教えてやることにしたのだった。


 とはいえ、難しい言葉を使っても伝わらないだろうし、それがどういう物体もしくは生物なのかを教えてやっているだけだ。そんな単純な回答でも、彼女は答えてやるたびにキラキラとした目を向けてくる。毎回毎回、随分と嬉しそうな反応を返してくれるのでちょっと面白い。



 さて、できる限り少女の知的欲求を満たしてやりたいとは思うが、そうもいかない由々しき事態が発生した。


そろそろ質問に答えてやるのにも疲れてきたのだ。


 この暑い中、立ったり座ったりを繰り返すのは中々にしんどい。また、分かりやすい言葉にかみ砕いて説明するのにもかなりの労力を要する。一語ごとに血糖値が下がっていくような気分だ。


 せっかくの休日だ、ゆっくりと体を休めていたい。ゆっくりと休めていたいのはやまやまなのだが、保護者活動に休みはない。休日だから遊びに連れて行ってやると断言してしまった矢先、無視するというのもなんだか済まないような気がする。


 しかしながら、これでおそらく五十何回目かの招集である。


 知りたいことをいくつか纏めてから呼びに来てほしいところではあるが、気になっちゃうもんは仕方ないよね。一方で、何度でも言うが、こちらの疲労はピークに達しつつある。


 この状況から逃れ出るには、知識よりももっと魅力あるものを差し出すよりほかない。



 彼女に腕を引っ張られながら、今回の目的地まで歩いて行く。


 どうやら今回は、木の下に真っ赤な実をつけたヘビイチゴを見つけたらしい。


『ヘビイチゴ』とは、蛇が食うイチゴとか、逆に蛇も食わぬイチゴとかいう伝承に由来した名前らしい。栽培品種としてのイチゴとはもちろんのこと分類上の種が異なっている。


 イチゴの可食部として利用される花托の部分だけを視覚的に比べてみても、その違いは歴然である。ヘビイチゴの方がずいぶんと小さくて丸っこい。そして気味が悪いぐらいに赤い。表面のツブツブした種子が妙に密集していてなんだか毒々しい。花托の付き方も上向きだし。


 名前に『蛇』と入っているところや、この鮮やかすぎる見た目ゆえ、この植物には毒があると思われがちだ。まあ、実際のところは無毒なのだが。緑生い茂る中に補色である赤い果実が映えて毒々しいという意見には完全に同意する。


 さて、そんなヘビイチゴに関する豆知識。というか、これは食用品種のイチゴも同じである。


 実は、食用にされる赤い『実』の部分は、生物学的観点から見ると本物の果実ではないのだ。というのも、先ほども触れたように、この部位は花托と呼ばれる茎の一部が膨らんだものなのである。


 では本当の果実はどこなのかというと。


 なんと、表面のツブツブした種子を覆っている薄い皮のような部分なのだ。


 ナワシロイチゴやキイチゴを摘んだことがある人ならわかるだろうが、あの類のイチゴは液果の集合体が台座からポロリと取れるだろう。取れた液果を口に入れれば、果実の薄い皮が割れ、強い酸味とほんのりとした甘み豊かなゼリー状の果汁が口に広がり、意外と粒が大きい種子が奥歯に挟まってイライラする。


 そんなキイチゴで言うところの“液果”の部分がイチゴやヘビイチゴでは退化していて、キイチゴで言うところの“奥歯に挟まって腹が立つ種子”に張り付いているのである。栽培品種のイチゴのおいしい花托は、キイチゴだと果実がくっ付いていた台座の部分なのである。



 …といった内容をできるだけ簡単にかみ砕きながら彼女に説明してやる。年端も行かぬ少女にとっては少し難しい話だったようで、彼女は曖昧な顔をしながら頷いていた。


 それでいいのだ。


 あえて分かりにくい説明をすることで、後々で説明しなければいけないことを生み出すことが目的なのだから。



「はは、比奈にはまだ難しかったかな。じゃあ、西山商店にアイス買いに行こう。アイスを食べながら、もうちょっとだけ説明してあげるよ。」



 そこにすかさず別の目標の提示である。


 効果覿面。それを聞くや否や、少女はさっきまで僕が籠っていた木陰に向かった。そして、瞬く間に自分のリュックサックを回収し、僕を置いていく勢いで村の方へと歩き出した。


 あんなに慌てていたら、転んでしまいそうだ。怪我をされると困るので、こちらも夏バテした身体に鞭打って、駆け足で彼女の白い後姿を追った。




 ◆ ◆ ◆




「らっしゃーい…。あぁ、なんだ先輩か。とすると…、ヒナちゅわーん!」



 昔は町中でいくらでも見かけられたような個人商店も、スーパーマーケットの台頭に伴って姿を消していった。


 そんなどこか淋しい時代になっても、スーパーマーケットという概念が浸透していない希少なこの村では、西山商店のような天然記念物をあと2つは見つけることが出来る。むしろ、この辺りの爺さん婆さんにとってはこういった店こそがスーパーマーケットなのである。


 そんな西山商店で面倒臭そうに店番のバイトをやっていたのは、僕と一緒にこの村へ調査にやって来た学生のうちの一人、羽村ちゃんである。僕の研究の専攻は水生苔なのだが、彼女は今回、この村にしか生えていない腐生(ふせい)植物を採取しにやって来たのだ。


 羽村ちゃんは、比奈が汗でベトベトになっているにも関わらず、果敢にもスキンシップを挑んでいる。暑苦しさのあまり抜け出そうとする比奈が、大人の膂力の下でねじ伏せられている。



「やめてあげてよ。さっきまでオシラ原で走り回ってたから、疲れてると思うんだ。」



 一般家庭で使われているような冷蔵庫の最下段の冷凍庫から、ミルク味とレモン味のアイスバーを取り出す。紙コップを型に、割り箸を持ち手にして作られたこのアイス。店長の爺さんお手製という話だが、非常に美味いのである。



「いいっすよねー、さっさとサンプル回収できた先輩は。ウチなんて、明日からはまた森ン中だもん。同情したなら、かわいそうな後輩にもアイス奢ってくださいよー。」


「だから、明日は手伝ってあげるって言ってるじゃん。レモンでいい?」


「ミルク。」



 図々しい後輩のせいで、冷凍庫にあったミルクアイスの在庫は残り1個になってしまった。個人的には商店の裏庭で取れたレモンを使ったレモン味の方がさっぱりしていて美味いと思うのだが、村人も学生たちも隣村産の濃厚なミルク味を好みがちである。


 黒っぽい焼杉材の年季が入った勘定台に3つのアイスを置き、100円玉と50円玉をそれぞれ1枚添える。費用対効果及び時間対効果を考えれば、もっとぼったくってもいいような気がする。だが、物々交換でも十分に暮らしていけるこの村であるからこそ、これで適正価格なのかもしれない。



「はいまいどー。よーし、おやつ休憩にしよっと。いっただっきまーす。」



 客よりも先に店員が手を付けるなと言ってやりたいが、おやつ休憩ならば仕方ない。


 店先に置かれたビール箱の椅子に3人で腰かけ、今になって入道雲が立ち昇り始めた青空を眺める。


 ガリっとアイスに噛みいたものの、知覚過敏に陥って顎を抑えている羽村ちゃん。そんな彼女の様子にほんわかしつつ、ミルクアイスを紙コップから引っこ抜いて比奈に手渡してやる。



「そいえば先輩。頭大丈夫ですかー?」


「その言い方やめてよ…。もう大分マシになってきたよ。あと3日ぐらいで包帯も取って良いってさ。」



 1週間も前に起こった、とある畦道での生物の大量不審死。


 ちょうどシーズン真っ盛りである蛍がその珍事によって数を減らした。古田のおばさんが餌をやって可愛がっていたデブ猫が姿を見せなくなった。蛍が死んでいた田んぼに紛れ込んでいた鮒が腐って物凄い匂いを放っていたし、鮒の死んでいた田んぼの稲が異様な枯れ方をしていた。


 さらに奇妙なことに、死んでいる生物は全てが眼球を失っており、高圧電流に感電したかのように焼け焦げていた。しかしその日に落雷があったという報告はないし、仮に落雷があったとしてもこうはならないだろう。


 ある学生は悪霊の仕業だと語ったし、ある学生は何かの危険な薬品が作用したのだと語った。ちなみに羽村ちゃんは地下空間に封印されていた菌かウイルスがこんなことを引き起こしたのではないかと考えているらしい。



 実のところ、僕はこの事件の真相を知っている。巨大な蝶の形をした光が、あらゆる動物を引き寄せ、そして殺してしまったのである。


 字面だけだと後輩たちと同レベルなのだが、それが真実なので仕方ない。


 そう。何を隠そう、僕は事件の際には頭を殴られて事件現場で倒れていたのだ。そして至近距離でその光景を観止めていたのだ。まあ、その途中で気を失い、朝になってから村人に発見されて診療所へとぶち込まれたのであるが。


 こんな荒唐無稽な話を語っても、リアリストな後輩たちはてんで信じてくれなかった。好き勝手な仮説を述べていた彼らだが、それが現実的にはあり得ざる仮説(もうそう)だからこそ好き勝手言っていたのだろう。脳の失血が原因で見た幻覚だと何人からも諭され、僕もだんだんとそうだったのかもしれないと考えるようになっていた。


 村人もおおよそはそんな反応だった。迷信が数多く根付く閉鎖的な村内ではあるが、ラジオ電波による外界との文化的接触により、幾何(いくばく)かは科学的なジジババが完成してしまっている。僕の話はちょっと間違った横文字を訛りたっぷりに交えながら、焼酎のつまみとして笑い飛ばされたのであった。


 ただ一人。この村で一番若い文化学者のお姉さんだけが、僕の話を真剣に聞いてくれた。学者業の傍らで書いている小説のネタにするつもりらしい。


 こうなってくると、僕の言うことをまともに信じてくれるのは事件の際に同じ場所に居た比奈だけなのである。彼女の証言もあれば、多少は信憑性が上がるのかもしれないが、残念なことに彼女は声を出すことが出来ないのである。



「ヒナちゃん、お口がクマさんみたいになってるよー?フキフキしようねー。」



 現在、羽村ちゃんによって口の周りに付いたアイスを拭ってもらっている比奈は、僕があの事件当時のことを問いかけても首を傾げて見せるばかりだ。思い出したくないのか、はたまた覚えていないのか。あいまいな反応が返ってくる度、もしかしたらみんなが言うように、本当に自分が光の蝶の幻影を見ていただけなのかもしれないと不安になってくる。



「先輩、相変わらず食べるの早いっすねー。そのお箸ガジガジするの、やめた方がいいですよ、お行儀悪いんで。」


「ん…?あ、あぁ~、そうだね。ごめんごめん。」



 手持無沙汰になってレモン味の沁み込んだ割り箸を噛んでいたら、羽村ちゃんに怒られてしまった。ちろちろとミルクアイスを舐めていた羽村ちゃんは、咎めるような上目遣いで僕の顔を軽く睨んだ。



「先輩って、ほんとに子供みたいですよねー。図体ばっかりでっかいのに、テーブルマナーの1つもなってないし。朝っぱらからカブト虫取りに行くし。わんことガチげんかするし。あと、ユータロー君からカセーだって聞きましたよ。」


「えっ!?そ、それは日本人男性の40%がそうだし…。じゃなくて、比奈も聞いてるんだからそんな話はやめてよね!」


「…あと、女々しいし。急に居なくなった矢鱈先輩のほうがよっぽど大人で男らしかったっすよ。あの人、女だったけど。」



 そう言って彼女は、まだアイスが残っている割り箸で頬を突いてきた。溶けたアイスがべたりと皮膚を冷やし、そこから甘ったるいバニラの香りが漂ってくる。


 不思議そうに見上げてくる比奈を手持ちのチョコレートで誤魔化した後、口止め料なんぞと言って同じようにチョコをねだってくる羽村ちゃんにも献上した。



 それから1時間ほど、商店にお客さんがやって来るまでの間、店先のビール箱ベンチでのんびりとだべっていた。比奈にヘビイチゴの話の続きをしたり、羽村ちゃんや追加でやって来た後輩たちにからかわれたり。


 穏やかな時間が流れ、時間の経過とともに腹の虫が鳴いたので、間借りしている古民家で冷たい素麵を食べた。



 のんびりとしているようで忙しないド田舎の日常の裏で、何やら蠢いていることに気が付くのはまた次のお話である。


主人公の名前は天河紬 (てんかわ つむぎ)といいます。紬の人間性のテーマは『ちょっときしょい』です。


彼は筆者の別作品の登場人物が通っていた大学の同じ研究室所属の院生(博士課程)です。

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