強制力
朝だ。カーテンの隙間から漏れる光が、フロアリングと顔を照らし、強制的に春の暖かな惰眠から意識を引きずりあげる。
あのあと、ふやけたカップ麺入りチャーハンを食べ、家事を色々と咲桜とこなし、夜は久々に二人で夕飯を囲んだ。風呂は……乱入されかけ、本当に困ったが。
起き上がろうとして、腕の感覚が無いことと、体がやけに重く足も片方は動かない。視線を、左下へと持っていくと、咲桜が抱きつき眠っていた。猫のプリントが細かく入ったピンクのパジャマを着て。
「マジか。やっぱり、咲桜は変わったままなのか。というか、おかしいな。鍵を掛けて寝たはずなんだが」
「んにゅ……おにぃちゃん。えへへぇ……んん~ダメだよぉこんな外でなんて……もう~おにぃちゃんのえっちぃ~」
おいっ! どんな夢見てやがる! 止めろっ! 可愛いけど、僕の知ってる咲桜はそんなことは絶対言わないっ! そう由岐は心で叫びながらいまだに眠る義妹を起こすべく、揺らす事にした。
「起きろ! 咲桜っ! おいっ!」
「んんっ? あぁ、お兄ちゃんおはよ~ん~」
口をすぼめ眼を閉じ、由岐の顔に接近してくる咲桜を何とか右手で止める。左手は咲桜に抱きつかれ、感覚が無い。
二の腕当たりに柔らかな感覚があるが、気にしたら負けだ。そう言い聞かせた由岐は、なんとか咲桜を引き剥がす。
「何をする気だ?」
「ん~? 目覚めのキス?」
「なぜ、そうなる!」
「なら、目覚めの子作りにする? 明るい時間帯になんて、お兄ちゃんのえっち……」
咲桜の思考ルーチンはどうなっているのか? ドッペルゲンガーの影響なのか、本当にただの可愛い義妹だけでなく、態度はもはや恋人以上の親密度に困惑し続ける由岐の語気は強くなるのは仕方ないだろう。
「なに、朝から発情してるんだ! 起きろ!」
「ぶー! いいもんっ。昨日寝てるときに、たくさんしたから」
唇を押さえながら、咲桜は頬を膨らませつつ身を捩る。
「なっ! 嘘だよな? な?」
「えへへぇ、さぁどっちかなぁ?」
こうして、新たな日常が幕を開けた。
朝食も、二人でとる。本当に久しぶりなのだが、目の前の咲桜は、記憶の咲桜とは似ても似つかず、やはりどこか引っ掛かるのだ。そして、懐かしいと心の何処かで思っている。
「お兄ちゃん、学校一緒に行こうね?」
「学校……通学……ん?」
そこで、ふと時計を見て焦ることになった。時間はうちからなら余裕だ。通学時間徒歩十五分だ。だが、昨日、剛くんに頼まれた事を思い出す。
「ヤバイ! 帆乃佳忘れてた!」
「え? ほのっちと行くの? わたしは?」
「いや、今日帆乃佳の入学式だろ? というか、こっちの記憶はあるのか?」
「あるよ、両方の世界の記憶。首を絞めてたように見えて、あれは情報共有をしてたの。見えてたんだよね?」
「あぁ、とりあえず時間無いときに、そんなことさらっと言われても理解が出来ない! 僕は帆乃佳を迎えに行く。咲桜も遅刻するなよっ!」
パンの残りを口に放り込み、飲みかけの冷えた牛乳で流し込み、皿を重ねてると「ほら、あとは片付けて置くからお兄ちゃんは行っていいよ」と、初めて咲桜に気を使われた事に感動しかけたが、この咲桜は別人だ。
その思いもあり、素直に感動することが出来なかった。
「はぁ、はぁっ、はぁっ……お、おはよっ、帆乃佳」
家から全力疾走で、駅を越え、路地を駆け抜け、帆乃佳の家、本郷酒屋に着いたときは息もきれ、汗もかなりかいていた。
「おはよう。由岐くん、ごめんね?」
由岐の息が整うのを待って、ハンカチを取り出し由岐の汗を拭いながら帆乃佳は謝ってくる。
「いや、いいよ。ありがとう帆乃佳。で、荷物は?」
「うん。これなんだけど……」
帆乃佳の後ろにはギターケースを厚く大きくしたようなケースが立て掛けてある。
コロも付いているが、明らかに重そうである。
「楽器……大きいな」
「うん、一応チェロだから」
帆乃佳の見た目は、細く身長は百六十位で、髪は腰までのロング、今日は少し耳の斜め上で両側をまとめて止めてある。
どう見ても、こんな大きな楽器を演奏する体には見えない。不思議そうに、眺める由岐に帆乃佳は手を振りながら聞く。
「由岐くん? 時間はいいのかな?」
その言葉で、現実に引き戻されチェロを引きながら、歩き出す。
「剛くんは?」
「朝練だっていって、早くに出ていったよ」
「そっか。まぁ、柔道部の部長だしなぁ」
「うん。あれ? そういえば咲桜ちゃんは一緒じゃないの?」
「え?」
帆乃佳の言葉にここでも違和感を募らせた。どう言うことだ? 咲桜との不仲は帆乃佳も知っていて、相談すらしていたはずだ、と。
なのに、咲桜が一緒に居るのがあたりまえのように聞いてきた帆乃佳を由岐は凝視する。
「えっと……制服の着方変? もしかして似合ってない?」
どこか、ずれた事を口にするが、ブレザー姿の帆乃佳は可愛かった。
学科により、リボンの色と、スカートのギンガムチェックの色合いが変わるが、青と灰色のギンガムチェック、青のリボンは帆乃佳にとても似合っていた。
「いや、似合ってるし変じゃないよ。今さらだけど、入学おめでとう帆乃佳」
「ありがとう」
頬に少し朱を帯びさせながら、少しうつむいたあと、顔をあげ笑顔で答えた帆乃佳に、由岐は少し見とれていた。
「でも、さっきの間はどうしたの?」
「いや、咲桜と一緒に僕が登校するってとこ」
「え? しないの? 咲桜ちゃんこないだ、お兄ちゃんと、毎日仲良く登校するんだって張り切ってたよ? ほら、中学は別だったからって」
由岐は公立、咲桜は私立の中学に通っていた。
だが、その理由は、咲桜が由岐と同じ学校を避けたからに他ならないのだ。
「どうなってるんだ?」
由岐は独り言を呟き、歩みを止める。
「由岐くん?」
ちょうど横断歩道の手前で信号は赤に変わる。
「ごめん、ちょっと考え事してた」
「もしかして、咲桜ちゃんとケンカした?」
「いや、そう言うわけでは」
以前の、昨日の朝までの咲桜とはケンカにすらならない。常に冷戦のような状況だったはずだと、その記憶もあるし、言われてみればケンカしたような記憶が産まれたような違和感すらも覚える。
「なぁ、帆乃佳。僕と咲桜って仲良かったっけ?」
「? 変な由岐くん。今更だよ。前からスッゴい仲良くて羨ましかったんだからね? ほら、うちの兄は荒れてたから……」
(そうだ。帆乃佳の兄、剛くんは今では仲の良い兄妹ではあるものの、前は兄が妹を避け、妹は兄を心配して色々と手を尽くしていた。元々の出会いもその流れからだ。だが、咲桜との仲が良いってのはどうして……)
そこで、昨日の咲桜の言葉が由岐の脳裏に浮かぶ。
『強制力で、入れ代わったのが無かったことになる』と。
つまり、元の、本当のこの世界の咲桜を覚えているのは……本人の咲桜と、何故か今も違和感を覚えいる由岐だけであるのだと。
その現実が、春の朝日に照らされた街を何処か遠い場所の様に見せていた。
横断歩道の信号が青に変わり、帆乃佳は歩き出す。その背中を見て、我に返った由岐も後に続く。
次回更新は来週の日曜日になります。まとめて数話あげようかと思ってますが、納得いく文面になるまで書き直すので、もしかしたら単話更新もあるかもです。
どうか、お付き合いよろしくお願いいたします。