ドッペルゲンガー
校門を出て、坂を下ると、すぐに駅前商店街に繋がる。元々学校の敷地が広大な為駅の方が、校門から校舎までより近いという、不思議な事も起こる。
学校の設立案の際に、駅を校内にとの声も上がったらしいが、地下鉄化するには予算が足らず、構内を地上電車が走ると騒音など弊害が出るため、今のようになったらしい。
どちらにせよ、学生寮のある街ともあり、帰宅学生が溢れ返っている。もちろん、この街に由岐の自宅もあるのだが、それは同時に幼馴染みの店もあるという事になり。
「ゆきちゃーーーーーん!」店の前を出来るだけ離れて歩いたにも関わらず、大声でわか姉に呼び止められる。
もちろん、周囲は他の学生で溢れていて、こちらからは姿は見えないのだが……。
このまま無視すると、翌日通学を待ち伏せされ、腕を組まれる事になるのは、去年味わい懲りている由岐は溜め息を付き足を店に向ける。
温見精肉店。それが、わかなの家、兼家族の店であった。
「やっぱり、ゆきちゃんだった」
「なんで、わかるんだよ。わか姉、絶対見えてなかっただろ?」
「一瞬だけ見えたよ。コンマ一秒くらいだけど」
「どんな、動体視力よ? それ」
「はい、揚げてコロッケわかな特製バージョン」
揚げたてのコロッケを油紙に包み、差し出してくるわかなから、由岐は受け取り一口頬張る。
衣が、軽い歯ごたえと共に破れ、中からふっくらとしたじゃがいもと、炒めた玉ねぎ、そして、ほのかな辛みと塩味が口内に広がる。
「ん! これ、新作?」
「そ、名付けて辛味噌コロッケ」
「へぇ。辛味噌だったんだ。うん、旨い」
「えへへぇ。で、ゆきちゃんは今帰りなの?」
私服にエプロン姿のわかなは胸を張り、そのタイミングで後ろから男子生徒のどよめきも発生する。
他にも、舌打ち、まるで拳銃でもコッキングしたような音、シャッター音、などなど聞こえたが由岐は無視をして、今思いついた買いたいものを告げる。
「うん。あ、ついでに豚バラを百頂戴。晩飯、豚バラのしょうが焼きにするから」
「良いなぁ、ゆきちゃんのしょうが焼き……私も食べたい」
「来週から授業始まるから、その時弁当に入れておくよ」
「やったぁ! 絶対だよ? でも、ピーマンは少なくね?」
「いや、あれにはピーマンは必須だ。脂の多いバラ肉にピーマンの苦味と玉ねぎの甘み。これは譲れない」
「ぶー! ま、ゆきちゃんの作る料理はどれも美味しいから良いけどね。あ、でも夏のゴーヤチャンプルーだけは本当に無理。苦すぎる」
「わか姉は本当に苦いの嫌いだねぇ」
「良いのっ! うちは肉屋だもん! お肉大好きっ!」
「はいはい。あ、そう言えばおばさ——」
「おかぁさーん、ゆきちゃんがおばさんって言ったらどうする?」
「ミンチねっ!」
店の奥で休んでいるだろう、わかなの母、青葉が即答で大声で返ってきた。
「……えっと、前に青葉さんからゴールデンウィークがどうのって言われたんだけど何かあるの?」
「あぁっ! それはね。うん。秘密! でも開けといてよ? 絶対だからね?」
手際よく、手をアルコール消毒し、豚バラ肉を秤に乗せ、百二十グラム位のとこでそのまま肉を包みながら続ける。
「はい、百円ね」
安い。安すぎる、その上、二割増しだ。
「いや、普通の値段とろうよ。そこは」
「いいの。家族公認の値引きなんだから。あと、弁当用の分だよ」
「わかった。いつもありがとう」
そう言って、お金を払う。ここの肉はほとんどが国産有名肉で、元々少しお高いはずなのだが、どうにも感覚が狂うのだ。
肉を手渡してる際に、わかなの眼が一瞬、由岐の背中を通り越して右から左へ流れた。
「どうしたの? わか姉」
「ん? いや、いま咲桜ちゃんが通ったんだけど……おかしいな。どこで着替えたのかな?」
「何が?」
「んとね、私服だったのよ。咲桜ちゃん。あと、なんか雰囲気が少し違ったような。いつもなら、こっちに視線くらいは送ってくれるのに」
「ん? それは、僕が居たからじゃなくて?」
「おや? まだ咲桜ちゃんとは仲良くなれないのかね? ゆきちゃんは」
「いや、わか姉わかってるでしょ? 仲良くなる、ならないじゃないんだよ」
「はいはい、自宅内別居のようなものだもんね」
「いや、それだと結婚してることになるから」
「むぅ。それは困るね」
「いや、こっちが困るわ」
などと、会話をしばらくしたあと店を後にする。この時、わかなの放った言葉の意味を深く考えては居なかった。
自宅に戻るまでは。
自宅に戻り、買ってきた肉を冷蔵庫にしまい、自室で制服から私服へ着替えるべく、階段を上り、一つ目の部屋、由岐の部屋に入る。
中は、良く言えば片付いている。悪く言えば殺風景であった。あるのは本棚、机、ベッドにクローゼット兼タンスである。
制服から私服へ着替え、ハンガーに制服を掛けてしまうと、部屋を出る。階段を降り、キッチンに繋がるダイニングに入った所で玄関の開く音がする。咲桜が返ってきたようだ。
「おかえり、咲桜」
そう、明るく声を掛けるが、返ってきたのは舌打ちの音であった。悲しくなるのを堪え、冷蔵庫から、買ってきた肉を取り出し、手を洗ってから自家製のタレに漬け込む。
タレは前もって仕込んである。醤油、砂糖、みりん、生姜のすりおろしの他に、りんごジュースを入れてある。
元々良い肉のため必要は無いが、より柔らかく口の中でほどける様にするために果汁を加えている。
ラップをし、冷蔵庫に戻し手を洗い、今度は野菜室から玉ねぎ、ピーマンを取り出し、刻んでいく。時計を観ると、ちょうど昼時だった。
帰りに寄ったスーパーで買っておいた弁当をレンジにいれ、暖めを押し、湯沸し器に水を入れスイッチを入れる。カップ麺を開け、テーブルに置き、冷蔵庫から年中常備してある水だし麦茶をコップへ注ぎ、四人掛けのテーブルの席に座るお湯が沸くのを待つ。
麦茶を一口のんで、一息付いたときに、二階から暴れるような音が響く。虫でも出たか? と由岐は首を傾げるが、一向に音は止む気配がない。
仕方ないな、と椅子から腰を浮かせたそのタイミングでお湯が沸き、レンジも軽い電子音と共に動作を止める。
まぁ、すぐに済むだろうと、お湯をカップ麺に注ぎ、二階へとその足で向かう。
階段を上ると、さらに音は激しくなり、まるで誰かと争っている様な物が倒れる音、大きな物が壁に当たる音、くぐもった声、さまざまな音が咲桜の部屋から響いていた。
これは、ただ事ではないと感じ、走り咲桜の部屋の前に移動し、ノックをしながら声をかける。
「咲桜っ! 咲桜っ! おいっ! 返事をしろっ! 大丈夫かっ!」
返事がないのに、焦れてノブを回す。幸い鍵は掛かっておらず、すんなり引き開けることが出来た。
そして、音の止んだ咲桜の部屋の中で観たものを、由岐は瞬時に理解出来ずにいた。
白の下着姿の咲桜に、私服姿、ワンピースを着た咲桜が首を絞めていたのだ。
「――――っ! 何をしてるっ! 咲桜!」
どちらの咲桜に言ったのかわからないが、由岐は叫び、私服姿の咲桜に体当たりを行う。
が、まるで見えない壁に当たったように弾かれ、廊下の壁に激突し、意識が暗く沈むのを止められなかった。
「――ちゃん。お兄ちゃんっ! てば、ねぇ、起きてよ」
誰かに呼ばれ、由岐は眼を醒ます。そこにいたのは、あどけなさの残るような笑顔を浮かべた咲桜だった。
「一体なにが?」
「もうっ! お兄ちゃんてば、わたしの下着姿観たいなら、お風呂も一緒に入るのにっ! 急に開けるから、つい花瓶を投げちゃったよ」
咲桜に言われ、周りをみると、割れた花瓶が散らばっていた。だが、痛むのは後頭部で、決して前頭部ではない。
「で、お兄ちゃん。なんの用かな? 本当に着替えを覗きに来ただけ?」
相変わらず、昔見たきりの笑顔で話しかける咲桜の顔をした誰かを僕はわからずに聞いた。
「君は、誰だ?」
「なに言ってるのお兄ちゃん。お兄ちゃんの義妹の咲桜に決まってるじゃん。花瓶でやっぱり、変なとこ当たって頭が」
「違う! 咲桜はそんな風に笑って僕に話しかけたり、ましてお兄ちゃんとか呼ばない!」
そう由岐が言いきると、溜め息をついて咲桜はボソリと呟いた。
「強制力の効果はもしかして、時間のズレがある?」
「強制力? なんだそれは?」
「……」
「さっき、咲桜と咲桜が争っていた、アレはなんだ?」
その言葉を聞き、彼女は眼を見開き驚き口を開く。
「お兄ちゃん、アレが見えたの?」と。