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プロローグ

夕日が海に差し掛かり、完全に消えるまでのおよそ3分間。海から詩の無い優しい歌のようなものが聴こえることがある。


それは、視覚的効果や波の音、海鳥のさえずりなども合わさってそう感じるんだ、と昔誰かから教わった。


「あれ?百瀬さん?」


そんな帰り道の途中、街灯の元で懐かしい顔を見かけて思わず足を止めた。


「ぇっとぉ……瀬戸、海斗、くん?」


百瀬の鼻にかかるような、甘ったるい声色は2年前の中学時代から変わってなかった。正直覚えられてるとは思ってなかったから、名前を呼ばれた時は思わずドキっとした。


「百瀬さん、こんなところでなにしてるの?」


彼女は崖の下、岩壁に当たる穏やかな波が夕陽の残り火をキラキラと反射させている綺麗な海を眺めていた。


「うーん……ナイショ、かな」


彼女は一回考えるような仕草をして、そのあとわざとらしく、大げさ首を傾けて言った。どうやら教えてくれる気は無いようだ。


これは彼女が異性相手によくやる仕草だ。そんなあざとい仕草で誤魔化せるのは、男子だけだと彼女もわかっているのだろう。


そんな百瀬が嫌いな男子は少なくとも同級生には1人もいなかった。


「それ、瀬戸くんの自転車?」


話題を変えたかったのか、百瀬は脇に抱えていたロードバイクを指差して言った。


これは先日近くの浜辺に打ち上げられていたジャンク品をこっそり回収して整備したものだ。


ただ「拾ったものを使ってます」なんて男友達ならともかく、気になる女の子にそのまま伝えるのは憚られたので、少しだけ嘘をついた。


「貰い物なんだ、年季入ってるでしょ」


ところどころ装飾はハゲていて、暗くてわからないかもしれないが、車輪なんてひどく錆びついている。


おそらく海に捨てられていた影響なのだが、年季が入った貰い物と言ってごまかすことにした。


「へぇ、そうなんだぁ……」


彼女は自分から話を振った割に、さほど興味もなかったのか、バッサリと話を切り捨てた。


こういう女の子のあからさまな、取り付く島もない態度を、いったい世の彼氏連中はどうやって攻略しているのだろうか?


変えられる話題はないかと彼女を見ると、


「あれ?髪留め、外したんだ……」


咄嗟に口から出たのは、そんな言葉だった。


なんだ髪留めて。その前に髪型変わったねとか、制服似合ってるね、とか世間話風のがあるだろう。いやどれも大して親しくない奴に言われたら怖いと思うけど。


彼女は左手で本来ピンがあった部分を抑え、少し後ずさる。幸い彼女は気にしていないようだ。


「えっ……う、うん、そうなんだぁ」


優しい笑顔でそう言う。彼女は気にしていないはずだ。うん。


「……」


どちらとも喋ることがなくなったのか、少し気まずく感じる時間がやってくる。


もともと偶然会っただけの親しくもない同級生だ。かわいい女の子との会話が終わってしまうのは寂しいけど、そろそろ潮時だろう。


「それじゃあもう暗いから、気をつけて帰ってね」


「あ……ぅん」


彼女の曖昧な返事を聞きながら、サイズの合っていない車体を傾けてまたがる。


少し名残惜しいけど、中学時代のアイドルと2人きりで会話できただけでも充分にいい思い出になった。


なるべく綺麗な思い出として終わらせようと努めて、片足のペダルに体重をかけた時、身体が大きく傾いた。


彼女が背中から制服の裾の、ひらひらとした部分をつまんだからだ。


「あっごめんなさい」


倒れかかるのを見て、とっさに指を離す百瀬。


「な、なに?どうしたの?」


車体を投げ出すように降りると、平静を装いつつ彼女に告げる。少し格好悪いけど、転ばなかったからセーフ。バイクは倒れたけど。


「あのね、実は……」


彼女は彼女の胸の高さほどの柵に上半身を乗り出し、向こう側、崖下の海を指差した。


身長も顔もあまり変わっていないが、彼女はたしかに2年前より成長しているようだ。柵に押されてひしゃげる柔らかそうな膨らみを見て図らずもそう実感した。


「あそこに髪留め、落としちゃって」


彼女と話している間に陽は完全に沈み、どこか静けさを感じさせる暗い海が広がっていた。


柵の向こうを軽く覗き込むが、明かりがないとほとんど何も見えない状況だ。


どうやら、先ほど指摘したヘアピンはをこの場で落としてしまったらしい。形を知っているなら、一緒に見て欲しいと頼まれた。


「ちょっとまってて」


倒れたバイクを柵に立て掛けると、ハンドル部分についている先日買ったばかりのヘッドライトを取り外した。


このライトは高性能で4段階に明るさを調整できる。1番明るいモードなら200メートル先に落ちてる小銭を判別できるらしい。


だいたい海までは6~7メートルくらいで、そもそもこの辺りから海に降りる方法はないから、見つかっても拾うのはほぼ不可能だ。


無駄なことだとわかっていても、百瀬に少しでも良い格好をしたいがために、柵から身を乗り出してライトをつける。


「ん、確かになんか光ってるね」


崖の海に面している少し飛び出た岩場を照らすとうっすらとその光を反射する物があった。


彼女が普段していたシーグラスでできたヘアピンは、誰かの手作りなのだろう、少し不格好だったのを覚えている。


あれがそのヘアピンではない可能性もあるが、拾うなら一旦戻って知り合いに船を出してもらうか、長い釣竿か何かで引き上げるか、か。


どっちにしてもやるなら明日かな、なんて考えている時だった。


どうしてか隣にいるはずの、目を細めにっこりと口角を上げて微笑んでいる百瀬の顔を見上げていた。


「なんで」


彼女は今まで見たことがない、狂気的な笑みを浮かべていた。


何が何だかわからないが、落ちている。なんで落ちた。いや、落とされた。でもなんで。


混乱した頭で碌に身体を動かすこともできず、不自然な形で海に叩きつけられた。


背中に鈍い衝撃が走った。水面に叩きつけられただけの衝撃ではない、岩礁に背中からごっそりと肉を持っていかれたような。


あっという間に血で滲んだ水の中で、もがくこともできず、視界がなくなるまで崖の上を見ていた。


もうそこに百瀬の姿は無くなっていた。






漂うような流されているような、不思議な感じだった。まるで風邪をひいて熱に浮かされた時のような、ふわふわとした感覚。少し気持ちが悪い。


そんな浮遊感を覚えながら、暗い方からゆっくりと明るい方に流されているように感じていた。


この感覚は、覚えがあった。


もちろん体験したことはなかったけど、昔読んだ道徳の教科書にあった穴熊の物語に似たような描写があった。


彼は最後、死に向かっていくにつれて徐々に辺りは明るくなり、身体の痛みも無くなっていったという。


そして、真っ白に覆うほど白い光に満たされた時、穴熊はとうとう眼を覚ますことはなかった。


ーーいやだ。


なんとなく、このまま流されては良くないことが起こる予感がしていた。


溺れて必死にもがくように、暗い方へ手足を動かす。1つ1つ動かすたびに、暗い方へ近づくにつれて、ぐらんぐらんと視界が揺れる。


視界が暗くなるにつれて、身体は痛く、苦しく、寒くなってくる。


ーーそうだ。思い出した。


意識をなくす直前の、崖から落とされて岩にぶつけて、もがくこともできず海に沈んでいったときのこと。


そして、そう認識するとはっきりと、自分が暗い海の中で漂っているだけだとわかった。


暗い方へ向かっても、どのみち助からないじゃないか。


見知らぬ物語の作者へ文句を思い浮かべながら意識をなくしていく最中、うす暗い海中にぼんやりと人影が見えた。


それは美しい少女の姿をしていて、とうとう迎えが来たか、なんてことを思いながら再び意識を失った。

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