第93話 基地局
名倉憲也は美世子と夜七時にボーリング場の駐車場で会う約束をしていた。土曜日のこの日、仕事は休みだったので朝からだらだら過ごし、夕方五時を回ったので、カレーを作るためジャガイモの皮をむいている時に、家電が鳴った。
「お宅のお子さんを万引きの疑いで預かっています。○○警察署まで出頭願います」
中学二年の息子は正義心が強く、とても素直でよい子なので、うちの子にかぎって、と月並みにつぶやきながら、車で十五分ほどの警察署まですっ飛んで行く。
結局は、五人の友人とドンキホーテに入ったのだが、その中の一人が万引きして捕まったため、他の五人も疑われたということが判明して無罪放免になった。息子は不良っぽい中学生とも普通につき合う心の広い男なので、むしろ誇りに思い、ま、こんなこともあるさ、とホッと安堵する。しかし、いかんせん約束の刻限が迫っている。
毎週土曜日はカレーの日と決まっていて、カレー以外の献立はありえない。息子の提案に娘も同意するほどに父親の作るカレーが大好きなのだ。スーパーで豚のバラ肉の白身の多いやつを選んで買ってきて、分厚く切り、脂肪の部分を弱火でジリジリ溶かし、その脂でニンジンとジャガイモと玉葱を炒め、四種類の市販のルーを黄金比で投入して煮込む。
カレーを完成させ、時計を見ると約束の刻限ギリギリだ。車に飛び乗ってボーリング場に向かう。国道に出て三番目の交差点を左折する際に少し手前で信号が黄色に変わったが、スピードがそこそこ出ていたし、後方から車も後をついて来ていたし、何より急いでいるので急停止するよりもやや強引に左折することの方を選んだ。
ところが、右折しようとしていた対向車の不興を買ったらしく、ピタリと車間距離を縮めて追いかけてきた。ごめんごめん、あれくらい許容範囲だがね、とルームミラーに映る車にちょっぴり逆ギレしながら反省する。
そのボーリング場は『セブンイレブン』の看板を目印に右折して百メートルほど入った左側にあるので、看板が近づくにつれ、対向車の切れ目を右折しようと狙うが、あいにく対向車はまばらに続いている。後方の車はまだ車間距離を詰めて追いすがっている。ええい、何とか行けるだろう、と早めに右折のウインカーを出して対向車と後方の車に注意を促してブレーキを踏み、やや強引にハンドルを右に切った。
と、その時、右前のタイヤがガツンと何かに乗り上げてガクンと落ち、続いて後ろの右側のタイヤもガツン、ガクンとなって身体が揺れた。ハンドルを切るのが僅かに早かったがために、車道と歩道との境にあるコンクリート縁石の上を勢いよく通過してしまったのだ。ブレーキを踏んで減速するとシューと空気の抜ける音が聞こえてきた。
ソロソロと車を道路の左端に停め、車から降りてタイヤを見ると右後ろのタイヤはペシャンコ、右前のタイヤからはまだシューという音が聞こえていたが、まもなく途絶えた。
時計をみると約束の時刻ちょうどだったので、とりあえず美世子に電話する。
「やっちまった。タイヤを二本バーストさせちまった」
「どこにいるの?」
「目と鼻の先」
美世子は車から出て徒歩で見物にやって来た。その時憲也はJAFに電話し、現在地を説明し終わったところだった。近くに目印になるものがあるか、と聞かれたので、『セブンイレブン』の東側の道路にいる、と応えると、なぜかそれだけで位置が判ったみたいで三十分後くらいに来てくれるという。電話を切ると、美世子があきれ顔で言う。
「そんなに慌てなくてもよかったのに」
「魔が差した、と言うほかない。一本ならスペアタイヤで走れるけど、右側二本だから車載トラックが来てくれるって。こんな有様だから、今夜の久しぶりのデートはパーだ。忙しいところを無理やり誘ったのに、ゴメンな」
「私は帰ってから溜まっている仕事をこなせるからいいけど、憲ちゃんは自業自得だからね」
「めんぼくない」
次のデートの日を決めると、憲也はしみじみと語った。
「それにしてもJAFってすごいなあ。この場所の位置を市区町村名なんか全然教えていないのに、『セブンイレブン』と言っただけで判ったみたいなんだ」
「どういうこと?」
「おそらく、この近くにある基地局の場所が判るシステムを利用させてもらっているんだろな」
「基地局って?」
「携帯電話から発せられた電波は近くにある基地局が受信し、それを電話会社の交換機につなぐようになっていて、電話会社はどの基地局を経由したのかが判るようになっているらしい。基地局が特定できれば、そこから半径数百メートル以内にいるということだから、地図と照らし合わせれば『セブンイレブン』はすぐに見つかるって仕組み」
「この近くだと、どこにあるの?」
「ビルの屋上なんかを借りてアンテナを設置するらしいから、この辺りで一番高い建物といえば、行きつけのラブホテルの屋上かもしれないね」