40話
「立派な蔵だなぁ。あ、でも、家が日陰にならないように建ってるな」
トダ村のダイゴロウ宅に着いた我々は、すぐに酒蔵の中を確認した。
起きたらそこにあったという桶は十もあったので、色々嗜好の違うのを仕込めそうだ。精米歩合も獺祭に迫っていきたい。
室もきちんとあった。異世界だから天敵の納豆菌を気にする事はないけど、麹を作る作業はダイゴロウだけでは大変そうだから、村民にも手伝って貰うしかないな。
「これが酒を造る蔵か。息子の事がなければ純粋に見学を楽しめるのだがな」
それから、蔵を隅々まで見た僕達はダイゴロウ宅にお邪魔した。
「ただいま帰ったぞー」
「お帰りなさい。あら、ケンジさんも一緒だったのね」
カレンが出迎えたと同時に、ドタバタと足音が聞こえてアイリスが奥から出てきた。相変わらずだなぁ。
「いらっしゃいませ、ケンジさん!」
勢いそのままに飛びついて来るアイリス。フクは猫パンチで牽制に回る。
「アイリス!お父さんにお帰りなさいが先でしょ!もう、この子ったら……すみませんね」
「あははは、元気があって何よりです。今日は例の報告を聞いて見に来たんですよ。一晩で蔵の中ができていた事に驚いたと思いますが、問題なく使えますので、理由は深く考えずに酒造りを進めて下さい」
「そう、大丈夫なのね。それならいいんだけど。ところで、隣の立派な身なりの方はどちらさまかしら?」
ダイゴロウがニヤニヤしながら見ている。
「初めてお目にかかる。エルディンガー二世と申す。今後ともよろしく頼む」
身分に関係なく挨拶で頭を下げられる気さくな王様だ。
「エルディンガー二世……さん………? どこかで聞いた事があるような気がするけど……」
「お、お母さんっ!エルディンガー二世ってこの国の王様よっ!王様っ!」
「ははは、その通り。この国の王などしておるな」
「は、はぁっ?はあぁああ!ご、ご無礼をお許し下さいっ!ほら、アイリスも跪いてっ!」
「うむ、苦しゅうない……何てな。はっはっはっ」
カレンとアイリスの慌てふためきを見ているダイゴロウは今にも吹き出しそうだ。
「アンタ……王様の前なのに突っ立って何やってんだい!」
「カレンさん、王様は気さくな方ですから普通に接して大丈夫ですよ。ね、王様」
「うむ、ケンジの知り合いであれば問題ない。それにダイゴロウは飲み仲間だからな。飲み仲間に上も下もない」
カレンとアイリスは恐る恐る顔を上げて、お互いの視線を合わせていた。手を取って立ち上がらせる王様に恐縮しながらも頬が赤くなるカレン。アイリスはそんな母親を珍しいものでも見るような目をしている。いくつになっても女性は女性って事なんだろうね。
「と、そんな訳なんだ。ダイゴロウ達には酒造りを進めてもらい、王子奪還を目指す事になる。そこで、米の酒、日本酒は桶の数だけ種類を造ろうと思っている。完成して飲んだら分かると思うけど、微妙なやり方の違いで、香りから味に至るまでかなり違う物になるから」
言いながら例の魔法陣を展開した。
「どうやらこれ、別の場所から物を召喚する魔法みたいなので、故郷の家から召喚してみました」
『ドンッ』
テーブルの上に日本酒の一升瓶を置く。
「僕の田舎の酒、純米大吟醸 くどき上手 愛山です!」
栓を開けると部屋中にりんごの様な香りが充満していく。
「いい香り……」
アイリスの様な子供でさえ、この酒の香りにウットリする。
日本酒というのは口開け(開栓)したてだと後味に少し苦味が残る。それは雑味かもしれないけど、僕なんかはいいアクセントだと思っている。
生酒は舌に少しだけピリピリと発泡も感じさせる事がある。そう、酵母がまだ生きているのだ。そして、二、三日経つと苦味が消えていき、全体的にまろやかな旨さが出てくる。
この辺て飲むが一番美味いかもしれないけど、客の回転が少ない店だと、口開けしてから飲まれずに長く置かれた挙句に、瓶に入り込んだ酸素で酸化が起こって味が劣化してしまう。
「飲もうと思ってとっておいた酒ですが、こういった一面もある酒を造っていこうという勉強になりますこら、皆で飲みましょう」
この世界は飲酒年齢とか気にしないらしいのでアイリスとフクにも酒を渡す。
「甘くて、りんごの香りがして美味しい!」
アイリスはほんのり赤くなりながらコクコク飲んでいる。
「美味いのニャ」
フクも気に入ったみたいだ。
「これがあの米からできるのかい? 信じられないねぇ」
「くぁーっ!米を作り続けていて良かったー!スルスル飲めるぜ」
「これはどんな上等な酒よりも美味い。ケンジはこれを目指して造るのだな……知り合えて良かったぞ」
「皆さん、お口に合ったようで何よりです。それではツマミがないのもあれですので……」
買い置きの珍味を召喚した。
「ちょっと台所を借りますね」
香ばしい香りとともに炙ったエイヒレを持って来た。マヨネーズに七味はお好みで。
「何だこりゃ?いい匂いがするけど食い物か?」
「海の魚を干して炙った物です。日本酒によく合いますよ」
「ご主人様がよく食べてたやつなのニャ。フクは食べさせてもらえなかったニャ……」
「ああ、ごめんよ。あの時は塩分過多になるから食べさせられなかったんだよ。今日は沢山食べていいからね」
ダイゴロウとフクが口にすると他の皆も手が出るのは早かった。あっと言う間に皿の上から消えたエイヒレ。くどき上手も半分以上無くなってしまったし、アイリスは酔いからソファに横になって寝てしまった。
「それじゃあ、酒造りをよろしくお願いしますね。店もあるのでそろそろお暇しないと」
こうして、バッカスの掌で踊らされていようと、それを逆手に美味い日本酒を造ってやろうという気になった。
酔って上機嫌の王様と、エイヒレを初めて食べて上機嫌のフクが、香ばしい魚の歌を歌っているのを聴きながら、馬車はアンバーへ走るのだった。




