180話
「起きたかい」
仕事の合間に奥を覗くと、例の少女は椅子に座ったまま目を覚ましていた。俺の問いかけに顔を向けてくる。
「貴方がケンジさんかしら」
透き通る様な声で問われる。
「そうだけど、君は?」
「レモーネ」
レ、レモーネだと?!
「ご主人様ー、あの娘は起きたかニャ?」
「あら、可愛らしい娘ね。こんばんは、あたしはレモーネよ、よろしくね」
「フクはフクだニャ。ご主人様の奥さんニャ」
フクの言葉を聞くと、レモーネはニコッと笑って言った。
「あたしもケンジさんの奥さんになりたいなぁ」
「ニャニャッ! ご主人様、目をつぶるニャー!」
「おわっ、何だよフク。顔にお腹が当たって苦しいぞ」
フクが顔に飛びついて来たのだった。
「あら、感がいいこと」
何だ? 少女が何かしたのか?
「ご主人様に変な魔法はかけないでほしいニャ! シャーッ」
体勢を入れ替えて肩車になり、両手で俺の目を押さえながら威嚇する。尻尾がびたん、びたんと背中を打つ。
「記憶を探ろうとしてみただけよ、フクちゃん」
「むむむー、何なのニャー! こいつヤバイのニャ!」
「フク、ヤバイとか言わない方がいいぞ。この娘、お姫様だから」
「お姫様って何なのニャ」
フクの指の間からレモーネが見えた。彼女はスクッと立ち、こちらに近付いてくる。
「あたしも今日から働いてあげる」
「コイツ、上から目線なのニャー!」
「まぁ、人手はいるけどさぁ……ルナと面倒が起きそうで嫌だなぁ」
妖艶な表情をして、レモーネは店員に居座る事に成功した。
「ねぇ、バッカス、私の事好き?」
「ああ、好きだぞ。まだ気にしてるのか?」
だって、だってだって!
アイツ、レモーネは人のもの程欲しくなる奴じゃん。遊びでメイドとして王城に紛れ込んだ時も…………
『そこのメイド、それは何かしら』
『姫様、これは……髪留めです』
当時の恋人からのプレゼントだった、彼の鱗で作った髪留めを、レモーネに取られちゃったんだからね。
「それで、しちゃったの?」
「……それがな、あんな奴なのに夜の事はサッパリなのだ。キスで子が出来ると思っている」
「は? 何それ」
「手を繋いで、抱き締めたら自分のものになったって事なんだと」
「へ、へぇ……だったら何の問題もなかったんじゃない」
物を取られたのは我慢ならなかったけど、性の知識はからっきしなのね。王女が亡くなって、ゴタゴタしていてお付きの者も寄せ付かなかったからねぇ。かと言って、王が娘に教える事じゃないし。フフフ、これが帝国だったら教えてるわね。初代のフリードリヒは変態だもの。
「ねぇ、今日はお城みたいな所へ行ってみましょうよ」
日本には休憩もできるお城があるのだった。
フリフリのドレスで仕事はできないので、持ってきていたメイド服を着せてみたけど、これがとても似合う。髪もまとめてアップしてもらい、見た目の清潔感もよくなった。
「メルヴィとデレシーも新人さんだけど、この店が初めてなだけでベテランだから、レモーネは分からない事があったらみんなに聞く事、いいね」
「分かったわ」
「今日も新人さんなのニャ?」
チョコがトテトテ走ってきて、レモーネに飛び付いた。
「あら、可愛らしい子だこと。こんなオチビさんも働いてるのね」
「チョコだニャー」
そう言うとおもむろにキスをした。
「なっ!」
震えるレモーネ。
「おい、どうした、大丈夫か?」
膝から崩れ落ち、チョコは体勢を入れ替えて馬乗りになる。そこへバニラがやって来て、チョコにキスをした。
「チュッチュするのが流行ってますニャ」
詳しく聞くと、瞳子のライトバンで密入国した野良ちゃん数匹がアンバーに来て、口をくっつける挨拶を教えたんだそうな。
で、レモーネだ。まだ震えている。
「ケンジさん、初日で悪いとは思いますけど、休ませていただきますわ!」
「ええー! 何でよ」
「だって、子供ができたんですもの……こんな小さい子との間にできちゃうなんて、ロリコンと呼ばれても構いませんわ」
何言ってんの? 子供……?
「チョコ、親になるです?」
「そうよ、だから、その子とは別れてもらわないといけませんわ」
「何言ってんだか分からないのニャ。そんな事より店が混んできたのニャ。働いてもらわないと大変ニャ」
フクがレモーネの手を引っ張って店へ連れて行こうとするが、レモーネは妊娠してるのよー、と言ってきかない。
「ああ、キスで妊娠すると思ってるのか」
「人前でキスされるなんて……」
「これ、フレンチ・キスみたいに舌を入れられたらどうなるんだか」
面倒くさいので、客が入れ替わるまでは裏に置いとく事にしよう。