08 変化
ユウトは朝からアキラの様子が気になっていた。
何だかいつもと違って口数が少ない。
元気が無いというか、動きが鈍いというか――
「おい、お前大丈夫か? 顔面蒼白なんだけど」
「あ、うん……大丈夫だよ」
歯切れの悪い返事。
よく見ると下腹辺りを押さえている。
「もしかして腹が痛いとか? 無理しないで休んだ方が……」
言いかけた所で、ギョッとした。
アキラの足下に赤い血がしたたり落ちている。
「おい! お前どこか怪我してんじゃないのか?」
「ええ! ウソ! どこどこ!?」
アキラは慌ててきょろきょろと自分の身体を見回した。
太股の付け根から、一本の赤い筋が足首まで伸びている。
(え? あれ? これってまさか……)
ユウトは自分の血の気が引いていくのを感じた。
その原因が何なのか、ユウトにはすぐ分かったからだ。
(マ、マジか――ッ!!)
頭がくらくらした。冷や汗が止めどなく流れてくる。
信じられない出来事がまた、目の前で起こってしまっている……
その様子を見て、アキラが更に慌てて言った。
「どうしよう、ユウト! これって何なの?」
助けを請うように目を潤ませている。
「いや、お前さ……それ俺に言わせる?」
「何!? 言ってよ!」
本当に分かっていないらしい。
たっぷり時間を空けてから、ユウトは重い口を開いた。
「……生理だろ……それ」
どうして自分がこんなことを言わなくてはならないんだ――
ユウトは何だか泣きたくなった。
「せ……生理……」
アキラの顔色が更に白くなる。
ああ、こいつもさすがにショックを受けたのだろう。まさか男の自分が生理になるなんて。
などと思っていると、
「って、何?」
そうアキラの言葉が続いた。
ユウトは耳を疑った。
いや、逆に納得した。
そうだ、忘れていた。
(こいつ……バカだった……)
一気に力が抜け、がくりと地面に手を付いた。
自分が女になったのに、生理も分かってないんじゃこの先どうするんだ?
えーと、俺が教える?
いやいや、無理無理無理っ! 勘弁してくれ!
ぐるぐると頭の中でそんな思いを駆け巡らせていた。
――ぱたり。
その力ない音に、ユウトはガバッと顔を上げて我に返った。
「わーっ! アキラ! おい、しっかりしろ!」
「ごめん……オレもうダメだ。死ぬ……」
「いや、死なねーし! 俺だってどうしたらいいかわかんねーんだってば――ッ!」
その叫びは、日の暮れ始めた空に虚しくこだました。
◇◆◇
「知らなかった……女の人ってこんなに大変なんだー……」
横になりながら、弱々しく他人事のように呟く。
「言い難いんだけど……毎月くるぞ、それ」
「え~、またまたユウトってば。すぐそうやって人を脅すんだから~」
「いや残念だけど、ホントなんだ」
「……え、ウソ……」
アキラはぐったりとしてそれ以降は口を開こうとせず、痛みの波と戦っているようだった。
病気では無いとはいえ、これだけ辛そうな姿は見るに忍びない。
自分がこの状況に置かれたとしたら、果たして耐えられるだろうか。
そう思うと、やはり何かしてやらずにはいられない心情にユウトは駆られた。
(そういえば、この間使えそうな薬をいくつか拝借してきたっけな)
荷物を探ると薬はすぐに見つかった。これで少しは楽にしてやれるだろう。
アキラの元に戻り、声をかけようとした。
「おい、アキラ……」
スースーという軽い寝息が聞こえた。
眠っている。
が、時々苦悶の表情を浮かべて、未だ痛みと闘っているらしい。
汗で髪がびっしょりと濡れてしまっている。
(どうしようか……やっぱり起こして飲ませてやった方がいいのかな)
などと考えながら、とりあえず汗を拭ってやろうと膝を付いた。
「ん……」
アキラの口から微かに声が漏れた。
その瞬間――
どきん!
胸が異常に高鳴り、ユウトは大きく後ろへ飛び退いていた。
心臓がバクバクと尋常じゃない音を立てている。
「ななな、何を慌ててるんだ俺!?」
自分でも訳が分からない。
さっきまで普通に話していた相手に、何を突然こんな……とにかくパニックだった。
突然『女』になってしまった幼なじみ。それもとびきりの美少女に。
よく考えれば、これまで普通に接していられた自分の方がおかしいんじゃないのかとさえ思えてきた。
とにかく薬を飲ませてやらないと……
自分を落ち着かせ、恐る恐るもう一度アキラの側へ近寄った。
「おいアキラ、起きれるか? おーい」
一応声をかけてみた。
余程体力を消耗しているのか、起きる気配がない。
コップで飲ませてみようとも試みたが、どうにも上手くいかない。
(どうすんだこれ。あとは口移し、とか……)
その考えに、自分で少し戸惑った。
今まで付き合ってきた女子とも普通にキスをしてきたし、今更ためらう理由は無い筈だった。
なのに――
(相手がアキラだからなのかな。何て言うか……とにかく複雑だ……)
意を決して薬と水を自分の口に含ませると、少し躊躇いながら自分の唇をアキラの唇に重ね合わせた。
「ごくん」とアキラのどが鳴った。
(良かった、上手く飲んでくれたみたいだ)
ユウトは「はー……」と、大きく息をついた。
これで少しはアキラが苦しみから解放されればいいのだけれど。
そうしないと自分は報われない……そんな気持ちだった。
薬が効いたのか、少し経つとアキラの表情は穏やかになり、顔色も良くなり始めた。
紫色だった唇にも赤みが差してきている。
そんな中、ユウトはアキラの顔を見ることが出来ずにいた。
見てはいけない気がした。
(だめだ、やっぱりやめとけば良かった……)
どうしてだか分からない。
今まではこんなこと、一度だって無かったのに。
(何でよりによってアキラ相手に)
でも……もう一度触れたい、あの唇に。
いてもたってもいられない焦燥に駆られる。
しばらくの間葛藤を続けたが、
(ごめん、アキラ……もう一回だけ)
割とあっさり理性が負けた。
静かに顔を近付けると、そっと軽く唇を重ねてみた。
さっきは冷たかった唇からぬくもりが伝わってくる。
何とも言えない心地よさが、ユウトの理性を占拠していく。
(やっぱりだめだ……なんだろう、この甘くてとろけそうな感触は――)
一度だけと言いながら、疑問を確かめるように二度、三度と口づけを交わす。
(何やってんだ、俺は。早くやめないとアキラが――)
そう自分に言い聞かせるも、どうにも止められない。
その時だった。
「んー……ユウト――?」
アキラが言葉を発した。
「はいッ!! すみませんッ!!」
思わず返事をしてしまった。
思い切り動揺し、先程の否では無いくらいのものすごい勢いでユウトはアキラから飛び退いた。
心臓をバクバクさせながら、しどろもどろの言い訳をしようとしたが――
(え、寝てる?)
どうやら寝言を言っただけのようだ。
ユウトは腰が抜けたように尻もちを付いて、ぽつりと呟いた。
「この先大丈夫なのか……俺……?」