07 宝物
今日も空が青い。雲ひとつない。
ぽかぽかとした陽射しがまんべんなく大地へと降り注ぐ。
そんな中、ユウトは木陰を陣取って、今までの調書をまとめ上げていた。
はっきり言って外でやる作業ではないが、残念ながらそんな贅沢は言っていられない。
「あ! ユウトーっ!」
「え?」
そう言って振り向いた時には遅かった。
ぼんッ!
山なりに飛んできたサッカーボールが、ユウトの頭に直撃した。
その衝撃で、ユウトの眼鏡が少しずれ落ちる。
「大丈夫ユウト? だからあぶないって言おうとしたのに」
全く悪びれる様子も無くアキラが声を掛けてくる。
ずれた眼鏡を直しながら、ユウトはそんなアキラを軽く睨み付けた。
「お前な……言おうとしたって、言えてないんじゃ全然意味ないだろうが」
「あ、大丈夫そうだね。そんなに強いボールは蹴ってないし」
「て言うか、わざと当てただろお前」
「あれ、バレちゃった?」
アキラは転がって行ったボールを拾って来ると、ちょこんとユウトの前にしゃがみ込んだ。
「ねえユウト。たまにはさあ、一緒にサッカーでもしようよ」
「俺はいいよ。お前リフティングとか得意だし、一人でもできるだろ」
「えーっ、だって飽きちゃったんだもん! ちょっとでいいから相手してよお」
そう言ってアキラは媚びるような目でじっとユウトを見つめてくる。
(うわ。そんな捨てられた子犬みたいな目で俺を見るなよ……)
ユウトはしばらくその愛らしい瞳と戦った。
しかしその瞳に敵う筈はなかった。
「……分かったよ。ちょっとだけだぞ」
「やったー! ユウト大好きーっ!」
そう言って抱き付こうとしたアキラを、ユウトはさっと避けた。
「え~っ、なんで逃げるの?」
「いや、な、何となく反射的に」
今のアキラに抱き付かれたりしたらと思うと、たまったものではない。
相変わらずアキラは自分が『女』になったという自覚に欠けている。
「ふーん、まあいっか。はい、ユウトからのボールでいいよ」
「ハンデをもらった所で、サッカー特待生のお前に勝てる訳ないけど」
「ユウトだって、帰宅部だけど運動神経すごくいいじゃん」
そんなユウトには運動部に入れない理由がある。
見えない目。見られたくない傷。
全ては過去のトラウマのせいだった。
「もういいだろ。やるなら早くやろう」
「うん。じゃあゴールはあの壁ね」
そう言って、アキラは自分たちが今寝泊まりしている廃墟を指さした。
「言っとくけど、ワンゴールでおしまいだからな」
「えッうそ、やだ! そんなの短すぎる!」
そんなアキラの言葉を無視して、ユウトはドリブルで一気にゴールまで駆け上がろうとした。
慌てて追い掛けてきたアキラが、ユウトからボールを奪い取った。
そしてそのままあっさりとゴールした。
「やったー! オレの勝ちーっ」
「はい、お前の勝ち。約束通りこれで終わりな」
「え?」
「だから言ったろ。ワンゴールでおしまいだって」
単純なアキラなら必ず引っ掛かるとは思っていたが、思っていた以上に呆気なかった。
当たり前だが『女』になってもやはり中身は変わっていない。
「あ! ずるい! それにわざとオレにボール取らせたでしょ! もう、ひどいよユウト」
そう言うとアキラはしょんぼりと下を向いてしまった。
その姿にユウトの胸が少し痛んだ。
確かに今のはちょっと大人げなかったかもしれない。
「分かったごめん、意地悪し過ぎたよ。じゃあもう一回だけな」
それを聞いたアキラの顔がすぐにぱっと輝いた。
「ありがとユウト! じゃあ、えっと……あれ?」
ボールが見当たらない。
二人はボールが転がっていったであろう場所を探して回った。
日が暮れるまで探してみたが、何故かボールは全く見つからなかった。
「せっかくユウトがやる気になってくれたのに。それにあれ、オレの宝物だったんだけど……」
あまりに落ち込んでいるアキラを見て、ユウトは元気づけるように声を掛けた。
「今日はもう無理だけど、また明日一緒に探してみよう」
「うん、ありがとうユウト」
◇◆◇
翌日も二人はボールを探してみたが、やはり見つけることは出来なかった。
「これだけ探して見つからないんじゃな。もう諦めた方がいいんじゃないか?」
「でも……もう少しだけ。絶対ある筈なんだから」
そう言って、諦めようとはしない。
アキラは何だか意地になっているようだった。
「サッカーボールくらいだったら、どこかで手に入ると思うけど」
「そういうことじゃないんだよ! 言ったじゃん、あれはオレの宝物なんだって」
「でも、そんなに大事な物なのか?」
アキラは泣きそうな顔でユウトの方を見た。
「だってあれ、ユウトがくれたんだよ? オレが高校の推薦決まった時に、お祝いにって」
「え? あ……」
そう言えばそうだった。ユウトはすっかり忘れていた。
ユウト自身も早々に特待での推薦が決まっていた為、余った時間でバイトをした。
いつも世話を焼いてくれるアキラに対して、ちょっとしたお礼も兼ねてプレゼントした物だった。
その時のアキラの嬉しそうな顔が、ユウトの脳裏にくっきりと思い浮かんできた。
今、目の前で泣いている少女とは違う『男』の姿ではあったが。
「そんなに大事にしてくれてるとは思わなかった。分かったよ、もう少し探そう」
そう言ってはみたものの、やはりいくら探してもボールが見つかることは無かった。
ようやくアキラの顔にも諦めの色が浮かんできた。
「ごめん。せっかくユウトがくれた物だったのに……」
「もういいって。今まで大切にしてくれてて、俺嬉しかったよ。ありがとなアキラ」
「……本当にごめんなさい」
突然、アキラは自分の額をユウトの胸にとトンと押しつけてきた。
そして、そのシャツを掴んでぐすぐすと泣き出した。
しまった、油断していた。
こうなることを避けていたのに。
ユウトはアキラを抱き締めたいという衝動に駆られた。
しばらくおろおろと両手を泳がせていたが、
(だって、女の子のこんな姿見たら普通は放っておけないだろ)
そっとアキラの肩に手を乗せると、そのままゆっくりと包み込むようにアキラを抱き締めた。
その感触は驚く程やわらかくて心地がいい。
そう言えば、あの日に『男』のアキラにも一度抱き付かれた覚えがあるが……全く違う。とても同じ人間とは思えない。
程なくして、アキラの嗚咽が収まってきた。
「ユウトごめんね。シャツがぐちゃぐちゃになっちゃった」
「俺は別に構わないけど。どうせお前が洗ってくれんだろ」
「そうだよね。だったら鼻もかんじゃおうかな」
「いや、それはやめろ」
アキラに冗談を言う余裕が出ていた。
ボール一つに振り回されて何だかひどく疲れてしまったが、アキラを抱き締めながらユウトの心は満たされていた。
「あの、ユウト? もう離してくれていいんだけど」
「え、あ、ああごめん」
名残惜しそうにユウトはアキラから手を離した。
◇◆◇
いつまでもボールだけを探している訳にもいかない為、二人はこの地を後にすることにした。
「あーあ、寂しいけど諦めるしかないね。何処にいるのか分かんないけど、今までありがとう! さようならーッ!」
「なあ、改めて確認するけど、相手はサッカーボールだよな?」
アキラの律儀さには、時々ついていけなくなる時がある。
もちろん、そこがアキラのいい所なのだとユウトは思っているが。
荷物をまとめると、二人は水辺に沿って歩き始めた。
陽の光を反射してきらきらと水面が光っている。
「この水溜まりすごく大きいよね。ずっと奥まで続いてて、まるで湖みたい……」
アキラはそう言いかけて、急に黙り込んだ。
その様子に気付いて、ユウトもアキラと同じ方へと視線をやった。
「ん? あれってもしかして」
「あったーッ! あれ、どうみてもサッカーボールだよね! おーい、おかえりーッ!」
「うわ……またしても擬人化されている」
ボールはどんどん二人の方へと流れて来て、意外にもあっさりと拾うことができた。
アキラは拾い上げたボールを見ると、少し訝しげな顔をした。
「これ、オレのボールじゃない……」
デザインこそ似てはいたが、明らかに違っていた。
アキラのものよりも小綺麗で、あまり使用感がない。
そして力強い字で名前が書かれていた。
金田タイシ
「なあんだ、これ、タイシくんって子のボールなんだね。オレのじゃなかった」
「でも、このタイミングで別のボールが見つかるなんてな。何かあんのかも」
「そうだよね。もしかしたら何かの運命なのかもしれないね」
「そう思うんなら、代わりにそれ貰っとけば?」
ユウトの言葉にアキラは嬉しそうに大きく頷いた。
「そうする! 今日からよろしくね、『タイシ』くん!」
「え、もしかして今ボールに名前付けた?」
「うん! その方が愛着がわくじゃん。前のボールの名前は『ユウト』だったんだよ」
「……何だソレ」
そんなことならば、もう少し頑張って探しておけば良かった……
ユウトは何だか自分の一部を無くしたような気持ちになった。
『ユウト』から『タイシ』に乗り換えたアキラを、ユウトは横目で眺めた。
何となく、嫉妬のような変な感情が芽生えていた。
相手はサッカーボールである。
物を擬人化しているのは自分の方だと言うことに、ユウトはしばらくの間気付けなかった。
そして、アキラに対する自分の感情の変化にも。
このお話は本来入れようとしていて入れられず、今更ながらやっぱり入れないとダメかもとなった為、少し無理矢理ですが途中挿入してしまいました。
ややこしいことをして申し訳ありません。