04 外の世界へ
ユウトは、自分の瞼に温かい光が射すのを感じた。
目を開けようとして、あまりの眩しさにまた目を閉じる。
「何だ……?」
もう一度薄く目を開けてみた。自分の上に目映い陽射しが降り注いでいる。
「お、おい、アキラ! 起きろ!」
「え~…何だよ一体?」
アキラが眠い目を擦って起き上がる。
「見ろよ、穴が……外が見える」
「えッ! あ、ホントだ!」
二人は競うように穴から外を覗いた。
長い間暗い中で過ごしていた為に、感覚がおかしくなっている。
一瞬目の前が真っ白になったが、徐々に目が慣れていく。
「え……何だ、これ……」
想像していた状況とは、あまりにかけ離れている。もっと凄い惨状を覚悟していた。
施設の裏山からは、街が一望できる。
今、二人の目の前に広がる世界、それは――
「何だろう……これじゃまるで」
――緑の楽園――
そう呼ぶのが一番しっくりきた。
街は様々な植物たちに占拠され、まるでジャングルに取り残された巨大な遺跡のようだった。
見たことのない木々や花々、そして果実たち。色彩や形も様々で、季節感というものがまるでない。
あるものは廃墟となった建物を突き抜け、またあるものは這いつくばるように建物や瓦礫を取り込んでいる。
植物と瓦礫が織り成す、それは巨大なオブジェのようだった。
地形はまるで原型をとどめていない。
街中の至る所に出来た大きな窪地が、満々と蒼い水を湛えている。
その光景に圧倒されながらも、二人は街へ下りてみることにした。
「ユウト、これって自然災害? 植物が突然変異して異常成長したみたいな? 地震もこのせいなのかな」
「その通りだと思うよ。でも、たった一ヶ月でこんなにも生態系が変わるなんて……俺たちの知らない所で、一体何が起こっていたんだろう」
しばらく歩き回ってみたが、植物以外の生き物の気配が全く感じられない。
上から見ると緑に隠されて見えなかった惨状が、地上では浮き彫りにされている。
「それにしても、誰もいないね。みんな何処かに避難してるのかな」
「とりあえず、色々廻って調べて行こう。俺たちにはあまりにも情報がなさ過ぎる」
ユウトは手近にあった水溜まりの水に目をやった。
四~五メートルはあるだろう水底が、はっきりと見える程に澄み切っている。
よく見ると、魚もすでに棲み着いているらしい。
その水を手ですくって舐めてみた。
「津波でも来たのかと思ったけど……違う、真水だ。だとしたらこれは湧水なのか?」
「ねえ、今ってまだ多分二月……だよね? 何でこんなに温かいんだろう」
アキラが言う。
確かにまるで春の陽気だった。
「正確に言うと今日は三月三日の雛祭り。気候も変わってるんだ。もしかして四季がなくなってるのかも」
ユウトがそう言って空を仰いだ時、二人の近くの樹の枝が、ばさっと音を立てた。
「ピューイピューイ」
そんな鳴き声をあげながら、二羽の鳥が飛び立っていく。
「あ、鳥はいるんだ! よかった、動物にも全然出くわさなかったから」
アキラはそう言うと、一言ぼそっと付け足した。
「あの鳥、食べられるかな」
「……え」
ユウトは一瞬、アキラの逞しさを垣間見た気がした。
◇◆◇
数日間、自分たちが見知っていた筈の街を、二人は隈無く歩き回った。
だが、何処を捜しても、誰一人見つけることは出来なかった。
こんな状態なら遺体のひとつもありそうなものだが、それすらも見あたらなかった。
「本当に、もう誰もいないのかな。オレたち以外」
アキラが呟くように言った。
「分からないな。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
「もし、そうだったら? 生き残ったのがオレたち二人だけだとしたら?」
「男二人じゃどうにもならないだろ。せめて女がいないとさ、アダムとイブにもなれやしない。人類滅亡ってやつ――」
そう言いかけて、ユウトは俯くアキラの不安そうな顔を見ると、慌ててフォローを入れた。
「あ、大丈夫だよ、多分……いや絶対他にも誰かいるって! こんなとこでじっとしてても仕方がないし、他の所へ行ってみるか」
その言葉を聞いた途端、アキラが顔を上げた。
「え、行くって……女の子を捜しに行くの?」
「は? 馬鹿かお前、何で限定すんだよ。男でも女でも、まずは生存者を捜すに決まってるだろ」
「あ、そっか、そうだよね」
アキラの不安が別のものであるということに、ユウトは少しも気付かなかった。
二人は荷物をまとめると、一ヶ月間世話になった巨樹に別れを告げた。
「また絶対に戻って来るから。それまで元気でね」
アキラは樹に抱き付きながらそう言った。
「じゃあ、またな」
ユウトは樹の幹をぽんぽんと叩いた。
それぞれ言葉数は違っても、想いは同じだった。
巨樹もしばしの別れを惜しむように、その枝をさわさわと鳴らした。
「いてッ……」
突然アキラは、胸の真ん中辺りにチリッと小さな痛みを感じた。
「どうした?」
アキラの声にユウトが反応して聞く。
「いや、一瞬痛い気がしたんだけど……もう大丈夫、何ともない」
「樹に抱き付いたりしたから、何か刺さったんじゃないのか?」
「うん、そうかもしんない」
この時は、差程気にも止めずに見過ごした。
それが、これから起こる変化の前触れだと気付くことのないままに。
◇◆◇
行けども行けども、似たような風景が続く。
地形は完全に変わり果て、自分たちが今何処にいるのかなんて全く分からずにいた。
地球全体がこのように変わってしまっているのだろうか。
ラジオの海賊放送すら捕まらない。
世界がどうなっているのかも、今の二人には知る術がなかった。
「日本列島って、今どんな形してるんだろう。絶対原型とどめてないと思うな」
「お前らしくない賢い意見だけど、同感だな」
「あれ、ユウト今ちょっとだけオレのこと褒めた?」
「ホントにちょっとだけな」
そんな他愛のない会話をかませつつ、二人は旅を続けた。
ユウトは残った建物、地盤の隆起や沈下などの状態を確かめながら歩き回った。
建物が丸々地面に飲み込まれていたり、逆に地盤ごと押し上げられていたりと、どれほどの地殻変動が起こったのか容易には理解し難かった。
そしてある程度街の中と思しき所を見て分かったのは、街路樹などの植物が近隣に植わっている所は、比較的被害が少ないということ。
必要な物品はその辺りから調達できそうだった。
この惨状から見ても、自分たちがそれほど被害を受けずにいたことが不思議でならなかった。
やはりあの樹が守ってくれていたのだと、そう解釈するしかないだろう。
旅を始めて数週間が過ぎても、未だ二人は生存者に遭遇することが出来なかった。
「これだけ捜しても、人一人見当たらないなんてね。みんな、何処に行っちゃったんだろ……」
アキラが寝袋を用意しながら溜息をつく。
「まだ捜し始めたばっかだ。もしかしたら、俺たちみたいに閉じ込められたままになってたり、隠れて出て来ないだけなんて人もいるのかもしれない」
「そっか、なるほど。じゃあ、建物の中なんかもしっかり捜した方がいいよね」
「ああ、ただ風化……崩れやすくなってるから、気を付けないと危ないぞ」
ユウトはなるべく、アキラの分からない言葉を省いて説明した。
「うん、分かった。やっぱユウトって頼りになるよなー。ユウトがいなかったらきっとオレ、とっくにダメだったよ」
「俺だって同じだよ。お前の備蓄のおかげで、俺たち今もこうやっていられるんじゃないか」
「今までもこうして、ずっと二人で協力し合ってきたんだよね……」
「そうだな、一緒にいたのがお前でよかったよ」
それを聞いたアキラが、少し黙り込んでから呟くように言った。
「……ホントにそう思う? 男二人じゃ、この先どうにもならないんだよね」
「え?」
ユウトはどこかで聞いたような台詞だと思った。
「ねえユウト、もし見つけた生存者が女の子だったら、どうする?」
唐突にアキラがそんな質問を投げかけてきた。
その問いかけに、ユウトは訳が分からないまま適当に答えた。
「どうするって……別にどうもしないよ。どっちかと気が合えば、そのままくっついちゃえばいいんじゃないのか? 人類の未来の為にもさ」
「じゃあ、どっちかとくっついたら、余ったもうひとりはどうなるの?」
「そりゃあ、気まずくて一緒にはいられなくなるだろうけど……」
随分と具体的に聞いてくる。
こんな状況に陥って、急に女に対しての興味が出だしたのか?
ユウトはそんな風に考えた。
「何? お前見つける前からそんな心配してんの? そんだけ女に興味あるんなら、一回くらい彼女作れば良かったのに」
「オ、オレはユウトとは違うよ。本当に好きにならないと、付き合ったりなんてできない」
「そんなの、付き合ってるうちに好きになるかもしれないだろ」
そう言った途端、自分でも「あれ?」と思った。
付き合いまくった結果、ユウトは恋すらできなかったのだ。
全く説得力のない台詞だとしか言いようがなかった。
「ユウト、前にもそんなこと言ってたよね。でも、オレはそういうの……ムリ」
「お前な、突然聞いてきて何だよそれ」
ユウトの憮然とした態度に、アキラはしまった、とばかりに慌てた。
「あ……ごめん! 変な質問しちゃって。もう忘れて! 早く寝よ寝よ!」
そう言うと、ひとりでさっさと寝袋に潜り込んだ。
「何なんだよ、まったく――」
ブツブツとユウトの愚痴が聞こえる。
それは程なく静かな寝息へと変わった。
ユウトが寝静まったのを確認すると、アキラは独り小さく呟いた。
「……だって、本当にムリなんだ。だから、そんなことになってひとりになるのは……きっとオレだよ」
◇◆◇
夜はすっかり更けて、辺りはしんと静まりかえっていた。焚き火の爆ぜる音だけが聞こえる。
何だか胸の辺りが疼く。そのせいかアキラはいつまでも眠れずに、向かいで眠っているユウトの端正な顔だけをじっと眺めていた。
「う……痛い……」
思わず呻いた。火傷を負ったようなヒリヒリとした痛みが強くなってくる。
アキラはたまらず起き出して、ユウトを起こそうと手を伸ばした。
ふと、ユウトに触れる前に、何故かピタリとその手が止まる。
「ねえユウト……どうして一緒にいられないなんていうの……?」
伸ばした手を引き戻して、そう静かに語りかけた。
頭の中に引っかかったユウトの言葉が、どうしようもなくずっと自分を苦しめている。
ユウトの寝顔を見ながら、ずっとそのことだけを考えていた。
「どうして……何でユウトはオレから離れて行こうとするんだよ」
胸の痛みがどんどん激しくなってくる。その痛みが感情にも拍車をかけた。
ぽろぽろと涙が溢れ出して、ユウトの頬にその滴が落ちた。
「ねえ、どうすればいいの? オレはずっと……ずっとユウトと一緒にいたいだけなのに。もう、大切な人と離れたくない……ただ、それだけなのに……」
胸が焼けるように熱い――痛みはもうピークだった。
「だったら……だったらオレは……」
結局、ユウトにその痛みを告げることは無く、アキラの意識はそこで途切れてしまった。