38 決行
「アキラ、今から出掛けるからついて来て。くれぐれも静かにしろよ」
ある日の早朝、アキラはユウトからこっそりとそう声を掛けられた。
今日も悪夢を見た。
すでに目は覚めているが、身体がだるい。
「う、うん、分かった……ちょっと待って」
アキラは重い身体を無理矢理起こすと、手早く出掛ける準備をした。
とうとう来た……そう思うと心臓がどきどきする。
アキラもこの誘いがどういうことなのか理解していた。
ようやくアキラの傷も随分と癒えてきて、体力も回復してきていた。
動くのに差程支障が無くなったのを見計らうと、ユウトは計画通りに行動を起こした。
音がしないようドアをそっと開けると、息を殺してそろそろと廊下を歩く。
寝室の並ぶ廊下から研究室まで出て来ると、ユウトは一気に息を吐いた。
「ふーっ……よし、ひとまずは第一関門突破ってとこか」
「あの、オレ今『男』なんだけど……このままでいいの?」
「いいんだ。出来れば向こうに着くまでそのままでいてくれ」
この計画の為には、それが必須条件だった。
「ふうん、そうなの? あ、おじいちゃんたちに出掛けること言わないと」
「あ、あのなあ……何の為にこんなコソコソしてると思ってんだよ。そんなことしたら話がややこしくなるからやめろって」
「じゃあ、心配するといけないから書き置きだけしとこう。『ちょっとでかけてきます』っと」
「……はあああぁ。もう、勝手にしろよ」
そんなことをしなくても、暗黙の了解というやつで教授たちには分かる筈なのだが。
他のみんなはまだ寝静まっている。
今回ばかりは邪魔されてたまるかと、ユウトはかなり慎重になっていた。
◇◆◇
外へ出ると、空が白み始めてきていた。
前日から用意しておいた車にさっさと乗り込むと、ユウトはアクセルを踏み込んだ。
内心では焦っていたせいか、車は『ギュルン!』と大きな音を立てて、思いの外急発進してしまった。
「うわっ、乱暴! あはは、やっぱりユウトって運転ヘタだねーっ」
「うるさいな、ちょっと黙ってろよ」
「はいはい。で、何処に行くの?」
「それは着くまで内緒。まあすぐに分かるよ」
連れ出された理由はアキラにも分かっていたが、何処へ行くのかは聞かされていなかった。
その地へ近付いて来ると、アキラにもすぐにその場所が何処なのかが分かった。
生い茂る他の木々の中、ひときわ大きくそびえ立つその姿は、周りの景色が一変しても唯一変わりなく見える。
それは、子供の頃から毎日のように見てきた、あの桜の巨樹だった。
「なんだあ、連れて来たかった所ってここだったの?」
「ああ、そうだよ。まあ他に思い当たらなかったってのもあるけど」
「そういえば、絶対戻って来るって約束したもんね」
車から降りると、二人は鬱蒼とした山道を登り始めた。
以前は無かった植物たちが、その行く手を阻んで来る。
「植物が邪魔して歩きにくいな。アキラ大丈夫か?」
病み上がりのアキラを心配して、ユウトは手を差し伸べようとしたが、アキラはそれを拒んだ。
「大丈夫だよ。それに、今ユウトに触れたらオレ『女』になっちゃうかもしれないから」
「あ、ああ、そうか。そうだったな」
ユウトはアキラの前へ出ると、なるべくアキラが歩きやすいように道を作りながら坂を登った。
その為、巨樹へ辿り着くには少し時間がかかってしまった。
巨樹の周りはそれほど鬱蒼とはしておらず、そこだけは昔の面影が色濃く残っていた。
樹の前まで来ると、ユウトは腰をぺたんと落としてへたり込んだ。
「やっと着いた……思ったより大変だったな」
「オレの為に道を作りながら歩いてくれたからだよ。ありがとうユウト」
「まあ……病み上がりのお前を連れ出したのは俺だしな」
さあっと、心地の良い風が吹く。
その風はユウトの疲れを少しだけ癒してくれたような気がした。
二人は改めて懐かしそうに桜の巨樹を仰ぎ見た。
「ただいま、約束通り戻ったよ」
目の前にある、小さい頃からよく見知っているその巨樹に声を掛ける。
アキラは別れた時と同じ様に、その立派な幹に寄り添った。
再会を喜ぶように、その樹の枝がさわさわと鳴った。
この桜の巨樹は二人にとって、命の恩人の樹だと言える。
その樹の真下にあるのが、ユウトとアキラの大切な思い出の秘密基地だった。
『あの日』から一ヶ月の間を、二人はこの中で過ごし抜いた。
「ここなら誰にも邪魔されないし、誰が来てもこいつが守ってくれると思う。一応ちゃんと出入り口も開けてくれてるみたいだし」
ユウトは立ち上がると、自分も樹の方へと歩み寄った。
樹の根元部分には、以前と同じように穴が開いている。
この穴が樹の意志で開閉されることをユウトは知っていた。
アキラが『男』の姿のまま連れて来られたのには訳がある。
そうしないと、多分基地の中へは入れてもらえないだろうとユウトは考えていた。
今までも、ユウト一人では入れてもらえた試しがない。
この樹のお気に入りである、『男』のアキラがいなければ駄目なのだった。
「お前、今日中に『女』の姿にはなれそうか?」
ユウトがアキラに聞いた。
まずはそうしてもらわないと、身も蓋もない。
「うん、それは多分大丈夫。ユウトに触れれば、すぐにでも『女』にはなれると思うよ」
「……そ、そっか。だったらいいんだけど」
そう言われると何となく照れる。
これまでに、アキラはユウトを感じることで『女』の姿に戻ることが何度となくあった。
ただ、一度抱いてしまったトラウマはそう簡単に消えることは無く、今もアキラを苦しめては『男』の姿に変えてしまう。
その状態が続くと言うことは、アキラの身体に多大なダメージを与え続けるということだった。
今日を最後に、アキラには完全な『女』になってもらう。
アキラもその覚悟でここへ来ていた。
穴に入る前、ユウトは念の為に巨樹へと声を掛けた。
「悪いけど、一晩だけでいいからまたここに居させてくれ。あと、アキラに何があっても、本当頼むから怒らないでくれよ」
また閉じ込められでもしたらたまったものではない。
そんな不安も無いとは言えなかった。




