35 新たな絆
キャシーが部屋を出て行くと、アキラはうっすらと目を開けた。
「あれ……お前もしかして起きてた?」
「二人が話してる途中から……オレ、今どっちなのかな」
「今は『女』だよ」
「そっか。何だかもう自分では分かんなくなっちゃってて。『女』になる決意はしてた筈なのに、夢を見るとどうしても『男』に逃げちゃうんだ」
ユウトには、アキラの気持ちが何となく分かる気がした。
アキラの傍らの椅子に腰掛けると、ユウトはおもむろに自分の話をし出した。
「俺が親から虐待を受けてたの、知ってるよな」
「……うん」
「誰も助けてくれる人がいない中で、じっと堪え忍んで……気が付いたら半殺しにされてた。この目だって、その時にやられたものだ」
周りの子供よりも頭が良くて大人びていた分、幼い日の記憶は今も鮮明だった。
あれから左目の視力は著しく回復していたが、その瞳の色は金色のまま戻らなくなっていた。
この先、この瞳を見る度に、きっと自分はその記憶を思い出すことになるのだろう。
「俺もお前もトラウマを持ってる。施設にいたやつらは、みんな何かしら心に傷を抱えていた。だからお前には俺と同じ思いなんかさせたくなかった。なのに、心にも身体にも傷を作って……守ってやれなかったと思うと、もう何か……どうでも良くなってた」
ブルブルと拳が震え出し、ユウトの中にまた怒りと悲しみが込み上げて来る。
ばん!とその感情を拳にのせて、自分の膝へとぶつけた。
そんなユウトを横目にしながらも、アキラは押し黙ってその話を聞いていた。
「俺はあの時、あの男を自分の義父親とだぶらせて、本気で殺してやろうと思ってた。俺の大事なものをメチャクチャにしたあの男を殺せば、自分の過去も一緒に消えるんじゃなかって、そんな錯覚に囚われていたんだ。だから……」
「人を殺したって、虚しさが残るだけだよ」
アキラはユウトの言葉を遮って、そっとその拳に自分の手を添えた。
そして静かにユウトへと微笑みかける。
その優しい微笑みに、ユウトは気持ちの高ぶりが押さえられていくのを感じた。
「オレは、ユウトが思いとどまってくれて本当に良かったと思うよ。そうじゃなかったら、オレも後ろめたさに押し潰されて、もうユウトと一緒にはいられなくなる所だった」
「それでもお前、今のままどっちつかずじゃ、その内身体が保たなくなる。男が怖くて『女』になれないなら、もういっそ『男』になったっていいよ。俺はお前と今まで通り一緒にいられれば、ただそれだけでも――」
「そんなのダメだよ、もうオレは『女』にしかならないから」
アキラはきっぱりと言い切った。
「ユウト以外の人に、オレの運命決められるのは絶対に嫌だ。本当に好きな人としかそんなこと……絶対にしたくない」
そして少し切なげに言った。
「それともユウトは、相手が女なら別にいいって思ってる訳? オレが他の人としちゃっても」
「え……っ、あ……そ、それは」
「だって、そういうことなんじゃないの?」
そうだ。アキラが『男』になるには、『男』のアキラが他の女と――そういうことだ。
以前なら何の問題もなかった。
むしろこれで自分の肩の荷も下りると、祝辞を述べたいくらいだった。
けれど、今は違う。
例え相手が女であろうと、アキラを取られるということは、今の自分にとっては半身をもぎ取られるのと同じことだ。
「い、いや……ダメだ。例え相手が女だろうと、もうお前のことは絶対に渡したくない」
「ホント? 前はオレに『早く彼女を作れ』なんて言ってたくせに?」
「い、今は違うに決まってんだろ、そんなのもう無理だって!」
「そもそも、今近くにいる女の人ってキャシーさんくらいしか……」
「うわあーッ! ダメダメダメ! よりによってそれは絶対ダメだって! てか、お前わざとそんなこと言って……ああ、もう! 何で俺がやり込められてんだよ」
何とも言えない敗北感に、ユウトはがっくりと頭を垂れた。
そんなユウトの反応が、アキラにはたまらなく嬉しかった。
「大丈夫だよ、オレ負けないから。えと、『シマウマ』……だっけ?」
「それを言うなら『トラウマ』だろが――」
更に頭を抱えてユウトが突っ込んだ。
「あれ、そうだった?」
そんな他愛のないやり取りが楽しい。
わざとおどけるアキラの優しさが、ユウトにはたまらなく愛おしかった。
「はは、良かった。お前やっぱり馬鹿だったんだな」
「何だよ良かったって! はいはい、どうせオレは……」
言いかけたところでアキラは口を閉ざした。
気付くと、ユウトの顔が自分のすぐ目の前にある。
その唇がアキラの唇をゆっくりと塞いできた。
「ん……」
小さく息が漏れる。
もっとユウトを感じたい――アキラはそう思って目を閉じた。
かたん、と椅子の動く音がする。
枕元でベッドの軋む音が聞こえると、ゆっくりと唇が離れていった。
いつの間にかユウトはアキラの両脇に手を付いて、上から見下す様な体勢になっていた。
「なあ、ずっと聞きたいことがあったんだ。お前が俺を助けてくれたこと、覚えてるか?」
「え、オレが? いつ? 全然覚えてないんだけど」
いつもと別人のようなアキラの姿を思い出しながら、ユウトは話して聞かせた。
「すっげー張り手であの女吹っ飛ばしたの。お前、怒らせるとホントは怖いんだな」
「そんなことした? ホントに覚えてないよ」
「それから、ドスの効いたすごい声で言ったんだ。『オレのユウトに手を出すな』って――」
ユウトがアキラに一番聞かせたかったことだった。
アキラが顔を赤くして言う。
「ウソ……オレそんなことまで言ったの?」
「言ったよ、絶対に。嬉しかったんだ俺。あの女のことで、お前に酷いことした後だったし」
「あ、あれはオレが勝手に嫉妬しただけで、ユウトは何も悪くなかったのに……!」
ふいに、ユウトの温かい手が優しくアキラの頬を包んだ。
紅潮したその頬はユウトの手よりも更に熱かった。
褐色と金色の瞳がアキラの顔をじっとを見つめる。
「怖いか? 俺のこと。それにこの目、金色のまま戻らなくなった」
「大丈夫、怖くないよ。その目だって、前にカッコイイって言ったじゃん」
「本当に? だったらもうこのまま……いいかな……」
ユウトが再び顔を近付ける。すると、
「いやでも、あの……っ、ま、待って! 今はさすがにちょっと……恥ずかしいって」
アキラは慌てて、戸口を指差して言った。
「さっきからずっと、そこで見られてるんだもん」
ユウトは怪訝な顔をして、戸口の方へ顔を向けた。
ドアの隙間から「しまった」と言った顔のキャシーが見える。
「えー……俺ちゃんと鍵掛けた筈だけど。何で開いてるかなあ……」
向こうには鍵開けのスペシャリストが付いていることを思い出した。
もしかして、さっきは覗き見をする為に自分をけしかけていたのだろうか。
キャシーへの疑惑の念が深まった。
教授に続いて天敵がもう一人増えた――
ユウトはそう思わずにはいられなかった。




