33 脱出
歩き出したユウトの背中から、アキラは何度かずり落ちそうになった。
その度に、ユウトは何とか体勢を立て直す。
どうやらアキラにはもう、気力も体力も全くと言っていいほど残っていないようだった。
(こんな状態のアキラにあんな形で助けられるとは思わなかった。それにこいつ『オレのユウト』って――)
無意識から出た台詞だと分かってはいるが、とにかく嬉しかった。
そしてアキラに早く問い詰めてみたい、そう思った。
「ああ! ユウちゃーん!」
「おおーい、無事だったか少年!」
通路の先からキャシーたちが呼びかけて来た。
ユウトはほっと胸を撫で下ろした。
あれからレイが何かを仕掛けて来るということは無く、キャシーたちと合流できたのはほとんど出口に近い所だった。
「もーっ、急にいなくなるから心配したわよー! 今から探しに行こうかと思ってたんだから!」
(今からって、おい! もう少し早く気付いてくれよ)
ユウトは心中で文句を言った。
◇◆◇
「うわ、まぶしい」
久しぶりに出くわした太陽に、一同は思わず目を庇った。
とりあえずは、全員無事に外へ逃げ出せたようだ。
ユウトは適当な木陰を見つけると、慎重に背中のアキラを下ろしてそっと地面に寝かせた。
「あら? アキラちゃん『女』に戻ってるわね」
「ええ、途中で気が付いてはいたんですけど……」
一体何が引き金になっているのか、ユウトにはよく分からない。
「アキラちゃん、本当にあなたのことが好きなのね。理由はそれだけよ。だから大事にしてあげてね」
「それは、もちろん……」
けれど、自分はアキラを守ることが出来なかった。
大事にしたいのに。
傷付けたくなんかなかったのに。
今回は、そんな想いが全て裏目に出てしまったように思えてならない。
「とりあえずアキラちゃんの応急処置はしておかないとね。ユウちゃん、このタオル濡らしてきて。腫れが酷いから早く冷やさなきゃ」
「あ、はい」
素直にタオルを受け取ると、すぐ側にあった清水にタオルを浸した。
ひんやりとした感触が心地いい。
ユウトは足早にキャシーの所へと戻ってきた。
キャシーはアキラの怪我の具合を見ながら、少し悲しそうな顔をしていた。
「あんなに辛そうにして動けなかったのに、無理に連れ回された挙げ句こんな……」
そんなキャシーの呟きがユウトの耳に聞こえてきた。
ユウトの顔が曇る。
そのまま声を掛けられずに、ただその場に立ち尽くした。
「あ、あらっ、ユウちゃんありがとう」
何気に振り向いたキャシーがユウトに気付いた。
そしてユウトからタオルを受け取ると、アキラの脇腹に当てた。
アキラの身体の傷は、白い肌とのコントラストのせいか『男』の姿の時よりも痛々しさが増して見えた。
ユウトの拳がまた怒りに震えそうになる。
いたたまれずに、アキラから目を逸らした。
「車に応急セットが積んであるんで、俺取ってきます。あと着替えも。キャシーさん、アキラのこと見ててもらえますか」
「もちろんいいわよ」
キャシーはそんなユウトの様子を察したようだった。
ユウトがその場を離れて程なく、アキラが目を覚ました。
「アキラちゃん! 目が覚めた?」
「キャシーさん……? ここ……どこ?」
陽の光が眩しい――木の葉の間から高い青空が見える。
「外に出たのよ、もう大丈夫。ユウちゃんがアキラちゃんを助け出してくれたのよ」
「え……あ、そういえば……」
自分はさっきまでユウトの背中にいたような気がした。
ユウトの鼓動とその温もりの中に、自分はずっと甘えていた。
だが、そんなぼんやりとした記憶から、アキラは突然我に返った。
目を見開いてその記憶の向こう側を辿る。
「え、なに? ユウト……ユウトはオレのこのカッコ見たの……?」
自分の肩を抱いてガクガクと震え出す。
「じゃあ、オレがあいつにされたことも知って……? そんな…どうしよう……どうしたらいい……?」
アキラは完全にパニックになっていた。
「ア、アキラちゃん大丈夫よ! ユウちゃんは……」
キャシーの言葉も全く耳に入っていない。
ふと顔を上げると、陽の光を反射してきらきらと光る水面がアキラの目に入って来た。
「そうだ、オレは汚れてる……嫌だこんな身体……早く…洗わなきゃ……」
◇◆◇
ユウトは重い足取りで車に向かっていた。
この先アキラにどう接すればいいのか……
アキラの心情を考えると、自分の胸も押し潰されそうになる。
正直このまま逃げ出したい気分だった。
「ち、ちょっとアキラちゃん! 何する気なの!」
キャシーの慌てるような叫び声が聞こえて来た。
その声でユウトは現実に引き戻された。
「アキラ……?」
そうだ、今のアキラはきっと何をしでかすか分からない。
自分が現実逃避をしている場合では無かった。
ユウトは踵を返すと、元来た道を大急ぎで駆け戻って行った。
キャシーの制止を聞かずに、アキラはズタズタに引き裂かれた衣服を脱ぎ捨てた。
近くにあった池のような水溜まりまで、動かない体を無理に引きずって行く。
ドボォン!
そんな大きな音を立てて、落ちるように水の中へと入って行った。
身体の自由が利かない。
アキラは当然のように溺れかかっていた。
「アキラっ!」
ユウトは駆けつけると、迷わず飛び込んでアキラを水から引き上げた。
水深はそれ程深くはなかった。
「お前一体何やって……うわっ!」
勢い余って、ユウトはアキラを抱えたまま後ろへひっくり返った。
それでもアキラは構わずに、ユウトから逃れようと必死にもがいている。
「は……放してッ! オレに触ったらユウトまで汚れる!」
「な、何言ってんだよ、汚れるって……おいアキラ、ちゃんと俺の顔を見ろ!」
そう言って、ユウトはアキラの顔を自分の方へと向けさせた。
ユウトと目が合うと、アキラの抵抗はピタリとやんだ。
だがアキラは、そんな状況にすぐに耐えられなくなった。
「やだ……ユウト見ないで」
「え? あ……」
そう言われて、初めてドキリとした。
よく見るとアキラの上半身は何も身につけていない。
濡れた髪が肌に貼り付いて、その表情も何だか艶めかしい。
今のこの格好を見られたくないのかと思って、ユウトは慌てて顔を背けた。
「ご、ごめん! だけど、何でこんなこと……」
「ずっと見ないでって、心の中で呼びかけてたのに……」
その一言でピンときた。
あの部屋でのことを言っているのだと、ユウトはすぐに理解した。
「嫌だよあんな姿、ユウトにだけは見られたくなかった。だから……会いたかったけど、会いたくなかったのに……」
「ア、アキラ……もういいよ。もう何も話さなくていいから」
けれど、アキラの言葉は止まらない。
まるで何かに突き動かされているかのように淡々と話す。
「あいつに好きなようにされるばっかりで……結局抵抗も何も出来なくて……」
その言葉に、ユウトの胸は張り裂けそうになった。
――やめてくれ、聞きたくない――
それが本心だった。
けれど―――
「どんなに洗い流しても、あの感覚が消える筈ないのに。それでも……どうしても我慢が……だから」
アキラのその声は終始震えていた。
そんなアキラの口から吐き出されるその言葉を、ユウトは全部受け入れようと思った。
「お前は汚れてなんかいないよ」
ユウトは優しく言った。
だが、アキラは首を振ってその言葉を否定する。
「違う、嘘だよ……だってオレはあいつに……」
その言葉を遮るように、ユウトはアキラを強く抱き締めた。
「そんなもの、俺が何度だって上書きしてやる。必ず忘れさせてやるから。だから、もうこれ以上何も話さなくていい」
そう言うと今度は唇を重ねた。
アキラの目から涙が溢れ出す。
二人はしばらくそのまま抱き合っていたが――
「あの――せっかくの所申し訳ないんだけど。私の存在、忘れてないかしらー?」
キャシーが痺れを切らして声をかけた。
二人ははっとなって顔を真っ赤にした。
実は本当に忘れていた。
「ア、アキラ、とにかく早く何か着て。そうしないと今のお前、エロすぎ……」
ユウトは密かに鼻を押さえて、目を逸らしながらそう言った。




